学位論文要旨



No 122063
著者(漢字) 高峰,愛子
著者(英字)
著者(カナ) タカミネ,アイコ
標題(和) 高周波イオンガイドを用いた不安定ベリリウム同位体の精密レーザー分光
標題(洋) Precision Laser Spectroscopy of Unstable Beryllium Isotopes Using an RF Ion Guide System
報告番号 122063
報告番号 甲22063
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第740号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 助教授 鳥井,寿夫
 理化学研究所 先任研究員 和田,道治
 東京大学 教授 久我,隆弘
内容要旨 要旨を表示する

 自然界に安定に存在する原子核は274種類にすぎないが、理論的に存在が予測されている原子核は7000種にも達し、そのうち存在が確認されている不安定核は2000種に及ぶ。近年の重イオン加速器技術の発展に伴い、高速不安定核ビームを高強度で生成することが可能になり、不安定核の研究が盛んに行われている。軽い核領域での中性子過剰核に対する研究が特に進み、安定核では見られない特異な現象・性質が次々と見いだされ、物質の構成要素である原子核に対する描像が変化している。例えば、原子核の半径は約1.2×A(1/3)fm (Aは質量数)であることが安定線付近の原子核に対する常識であった。しかし、原子核反応断面積の測定から、中性子数が過剰な6He,11Li,11Beなどの原子核は、同じ質量数の安定核よりも大きい半径を持つ事が見いだされ、更に価中性子の分離エネルギーや運動量分布が小さいことから、通常核と同じ様に飽和した核子密度をもつ芯原子核と、それをとりまく希薄で大半径の中性子層(中性子ハロー)からなる二重構造を持つことが知られている。しかし、これは核力というまだ十分には理解されていない力をプローブとした測定であるので、電磁プローブを用いた独立な検証が待たれている。原子核内の磁化分布の差異は原子の磁気超微細構造定数の同位体効果に現れる(Bohr-Weisskopf効果)。これを利用して価中性子が広がっていることを電磁的に証明することができる。一方、原子核の荷電半径測定に伝統的に用いられてきた電子散乱法、K-X線測定法、ミュオン原子分光法では短寿命で生成率の低い不安定核に対しては適用困難であり、これまでのところ不安定原子核の荷電半径測定は、高分解能レーザー分光法でのみ測定されている。本研究の目的は高エネルギー重イオンにより生成されたあらゆる元素の不安定核イオンのトラップと精密レーザー分光法を開発し、原子核構造研究の新しい手法を確立することである。

 従来、低速不安定核ビームは高エネルギー陽子ビームとターゲットイオン源を用いたオンライン同位体分離器(ISOL)でつくられていたが、その方法では拡散・イオン化過程を経るため、得られる核種には化学的性質や寿命による大きな制限があった。一方、理研RIPSに代表されるビーム入射核破砕片分離器はそのような制限が少なく広範な陽子数・中性子数の不安定核を提供する。ただしこういった装置では入射核破砕反応を用いるため、生成される不安定核ビームのエネルギーは高く、そのまま単純に減速して低エネルギー実験を行うのは不可能である。そこで我々は高周波イオンガイド法を考案し、ビーム入射核破砕片分離器からのあらゆる元素の高速不安定核ビームを高効率で減速・冷却・捕集する技術の開発を世界に先駆けて進めてきた。

 本実験装置の全体図をFig.1に示す。理化学研究所におけるビーム破砕核分離器(RIPS)からの1GeV程度の高速不安定核ビームをエネルギー減衰板で数MeVまで減速させた後、26〜133mbar程度のHeガスで満たされた長さ2mのガスセル内で熱化させる。この時、Heのイオン化ポテンシャルが高いため、Heガス中で熱化したイオンの殆どは正の一価イオンの状態を保つので、電場で操作して引き出すことができる。ところが、濃いガス中ではイオンは電気力線に沿って動くので、単純な静電場だけではイオンは電気力線の終点である陰極に吸い込まれ失われる。そこで、陰極を多数の微細円環電極で構成し(これをRFカーペットと名付けた)、そのそれぞれに高周波電位を印可して高周波勾配電場を生み出すことによってイオンを陰極から引きはなしておく斥力を生じさせる、イオンを陰極に吸い込ませることなく引き出し出口へと運ぶことができる(この手法を高周波イオンガイドと名付けた)。

 高周波イオンガイド法を用いたオンライン試験において8Li+の最大収量26kcps(ビーム破砕核分離器からの不安定核ビームを低速ビームとして引き出すものとしては現時点で世界最大)を達成しており、応用実験に十分な性能を示すようになった(Fig.2)。ここで入射ビーム強度の増加に従い、引き出し効率が下がる現象が見られたが、その原因に関しては長年定性的な解釈のみが提案されていた。我々は入射ビームが生成する大量の空間電荷によるものと考える事により、この現象を初めて定量的に解明した。

 ガスセルから引き出されたイオンを精密分光するために、作動排気を介した六重極もしくは八重極イオンビームガイドを用いて超高真空領域にある分光用イオントラップまで輸送した。60cmのイオンビームガイドを用いた輸送試験において、イオン輸送にはガスセル内のガス圧をガスセル試験の最適ガス圧であった133mbarの10分の1程度にしなければならないといった問題が生じた。そこでイオンビームガイドの棒として高抵抗素材であるCFRP(炭素繊維強化樹脂)を用いて、輸送方向に静電場を重畳できるようなイオンビームガイドを製作した。それを用いた予備試験において2kcps以上の8Li+イオンを輸送できている事を確認した。これは不安定Be同位体の精密分光に十分な性能である。同時に高分解能レーザー分光のための装置開発を進め、イオンビームガイドで輸送した不安定核Be同位体イオンをHeガス冷却により分光用イオントラップ中へと高効率に捕獲した。このように10Be+イオンをイオントラップ中へ捕獲し、Heガスを排出後、レーザー冷却スペクトルを観測することに成功した。これは生成時にはGeVという高エネルギーであった10Be+ビームをmeV以下にまで冷却したことになる。また、Heガス冷却した状態のまま高分解能レーザー分光を行い、10-8の精度で10Be+と7Be+の2s 2S1/2 - 2p 2P3/2電子双極子遷移周波数の測定を成功させた。Beの安定核は9Beのみなので、これまで他のBe同位体に対して電子双極子遷移周波数は未知であり、これが世界で初めての成功となる。また、9Be+に対しても、弱磁場中で測定することにより、過去の強磁場中での測定値を修正した。結果をTab.1に示す。

 本研究で開発した装置・手法と、既に安定核イオン9Be+に対して成功しているレーザー冷却イオンのレーザー・マイクロ波二重共鳴法を用い、7,11Beの超微細構造定数と磁気モーメントを測定する実験が近い将来実現可能となる。更に、レーザー・レーザー二重共鳴法を用いて不安定Be同位体の2s 2S1/2 - 2p 2P1/2電子双極子遷移周波数を10(10)以上の精度で測定して荷電半径を決定することも可能となる。これまで荷電半径の測定がなされたハロー核は2-中性子ハロー核(6He,11Li)だけであり、11Beの荷電半径の測定がなされれば、1-中性子ハロー核に対し初めてのものとなる。11Beは1-中性子ハロー核の典型例として理論的にも様々な洞察がなされており、これらの測定はそれらと組み合わせて、原子核モデルの検証となると共に、原子核物理学の大きなテーマである核力の理解に対する礎となりうる。これらの実験にBe同位体のレーザー冷却用周波数を知ることは必須条件であり、それは本研究によって初めて得られた。

Fig.1:本研究の実験装置の全体図

Fig.2:入射8Li+強度に対する低速8Li+イオンの引き出し効率と収量

Tab.1:(7,9,10)Beに対する2S2S(1/2-)2p(3/2)遷移周波数

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、第1章序論、第2章低速RIイオンビーム、第3章ベリリウム同位体の高精度レーザー分光、第4章総括と展望、第5章付録の全5章からなっている。本論文の請求要件には大きく2つの要素がふくまれており、その第一が普遍的かつ高い効率で低速の不安定原子核を生成できる高周波イオンガイド法の開発であり、第2章はこれに当てられている。そのようにして得た2種類のベリリウム不安定同位体を用いて初めて実現された高精度レーザー分光とその結果が第3章で記述されている。第4章はまとめと今後の展望、第5章は付録で、本論文に関わる基礎的項目が簡潔にまとめられている。

 自然界に安定に存在する原子核は274種類であるが、束縛状態を形成するという意味では7000種に達する不安定原子核が存在すると予測され、実際、すでに2000種程度が確認されている。このような不安定原子核は、従来の原子核に関する描像を大きく変えるものと考えられており、例えば、軽い中性子過剰核では、価中性子が動径方向に大きく拡がったいわゆる中性子ハロー核が発見され、安定原子核の研究からほとんど常識になっていた原子核物質の非圧縮性・膨張性という概念に大きな変更を加えている。

 この様な不安定原子核により明らかになる新たな原子核物質の様相は、これまで"定性的"には原子核反応を用いて研究されてきたが、より定量的な情報を引き出すためには、相互作用の良く知られている電磁的なプローブを利用することが必要不可欠となる。すなわち、電子の束縛エネルギー、従って、電子状態間の遷移エネルギーにより原子核内の荷電分布を、また、超微細構造分離により原子核内の磁気モーメント分布(Bohr-Weisskopf効果)を定量的に評価できる。本研究では、この当たり前ながら、往々にして閑却視されている事実の重要さに注目し、高エネルギーの重イオンによる入射核破砕反応により生成される各種の不安定原子核ビームを高い効率的でイオンのまま減速する一般的な手法を開発した。さらに、この手法を用い、1GeV領域にある10,7Beの2種類のベリリウム不安定同位体を減速・冷却して、高分解能レーザー分光を実現している。この第一段階に当たる低速不安定原子核ビームの一般的生成法のキーとなるのが、第2章に記載されている高周波イオンガイド法と呼ばれる新しいイオン収集・真空取り出し機構である。これは、高エネルギー陽子ビームにより標的中に不安定同位体を生成する所謂オンライン同位体分離法(ISOL法)が、生成された不安定同位体の巨視的な拡散と表面からの脱離を必要とするため、取り出したい元素の化学的性質や寿命による大きな制限があることと比較すると、はるかに普遍的で、今後の関連分野へ多大な貢献をするものと期待される。より具体的には、理化学研究所のビーム破砕核分離器(RIPS) からの1 GeV程度の高速不安定核ビームを、エネルギー減衰板と長さ2mのHeガスセルを組み合わせて熱化させ、その後、静電場と高周波を巧みに組み合わせた"RF カーペット"により、細孔部から真空中に引き出している。これにより大変高い効率(数%)で、不安定原子核を減速、引き出しすることがはじめて可能になった。また、研究の過程で、不安定原子核ビームの輸送効率が入射イオン強度に強く依存することを見出し、これが空間電荷効果によることを定量的に明らかにしている。

 本研究では、真空中に引き出された低速の不安定ベリリウム同位体ビームを、さらに、六重極、及び、八重極イオンビームガイドにより超高真空領域にある分光用イオントラップまで輸送し、これをレーザー冷却した後、高分解能レーザー分光し、10Be+と7Be+の2s 2S1/2-2p 2P3/2電子双極子遷移を10-8の精度で測定している。Beの安定核は9Beのみで、それ以外のBe同位体に対する遷移エネルギーは知られておらず、これが世界で初めての分光実験となっている。また、9Be+の分光も弱磁場中での測定を実現することにより、過去の強磁場中での測定値をより正確なものに修正している。

 以上、本申請者は、不安定原子核構造の定量的理解に欠くことのできない電磁的観測法を実現するため、イオンガイド法の開発に大きな貢献をし、かつ、それにより得られたベリリウム同位体の高分解能レーザー分光を実現した。本研究は10数名の共同研究者と共に進められた中規模のグループによる共同研究であるが、実験装置の立ち上げ、実験の遂行、その後のデータ解析等、本要旨に記載された研究内容については本申請者が主体的に進めたものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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