学位論文要旨



No 122067
著者(漢字) 中村,壮伸
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,タケノブ
標題(和) 非平衡ブラウン粒子系に対する統計力学
標題(洋) A statistical mechanical formulation for many Brownian particles under non-equilibrium conditions
報告番号 122067
報告番号 甲22067
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第744号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 教授 清水,明
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 福島,孝治
 東京大学 教授 佐野,雅巳
内容要旨 要旨を表示する

 平衡系の統計力学は巨視的な量を記述する熱力学とその量のゆらぎを記述する巨視的熱揺動論との整合性の上に成り立っている。熱力学は熱力学関数の存在に、巨視的熱揺動論はアインシュタインのゆらぎの式の成立に集約されている。そこで、非平衡統計力学の整合すべき理論として、これら二つの理論を非平衡定常状態に拡張出来るかどうかを研究する。

 非平衡定常状態を実現するモデルとして、本研究では外力条件下で駆動されたブラウン粒子多体系の研究を行う。また、非平衡定常状態を実現するために、各々の粒子には一様な外力(駆動力)と並進対称性を破るために導入された周期ポテンシャルで表される力が加わっているとする。このような系は外力駆動拡散系とばれ、局所平衡を破る非平衡定常状態を実現する系である。

 この系では、もし一様な外力(駆動力)がなければ平衡状態が実現される。このとき、保存量である密度が熱力学変数となり、その同時刻相関関数は有限の相関長で減衰する。これにより示量性が保証され熱力学関数が存在することができる。また、密度場に対するゆらぐ流体方程式は線型緩和と詳細釣り合い条件を満たすノイズで特徴付けられる。

 ところが、外力による駆動がある場合には、これらの性質が成り立つ保証は何一つなくなる。密度場に対するゆらぐ流体方程式は非線形の発展方程式になるのが一般的である。その場合、密度場の相関関数は単純な指数減衰をしなくなる。この減衰の異常性はロングタイムテールとよばれる。また、外力駆動拡散系では密度場の相関の長距離での漸近形がγ(-d)型になることも知られている。ここで、γは二点間の距離であり、dは空間の次元である。この相関は長距離相関と呼ばれ、拡散係数とノイズ強度の間の第二種揺動散逸定理のやぶれと系の異方性だけからの一般的な帰結である。長距離相関はベキ型であるため特徴的な長さが存在しない。そのため相関長が無限大となり、巨視的な系の示量性を破壊する。これらの相関関数の特徴は非平衡系になる事で生じる動的および静的な異常性であると言う事が出来る。

 第2章では、非平衡系の静的異常性と動的異常性の関係を考察する。つまり外力駆動拡散系の現象論的ゆらぐ流体方程式をもとにロングタイムテールと長距離相関の関係を議論する。密度場の発展方程式はロングタイムテールの原因となる非線形性と長距離相関の原因となる揺動散逸定理の破れの両方を仮定する。このモデルで非線形性、破れの大きさが小さいと考えて、密度場に対する波数κの時間相関関数を計算した。その結果、ロングタイムテールのベキが第二種揺動散逸定理のやぶれの大きさで変わるという事が2次元系に関する繰り込み群を用いた計算で示す事が出来る。

 外力駆動拡散系では長距離相関の存在による巨視的な系の示量性を破壊が知られている一方で、近年、外力駆動拡散系の別の例である外力駆動格子気体模型において非平衡定常状態に関する熱力学関数の存在、および、アインシュタインのゆらぎの式の成立が確認されている。これをふまえて、第3章・第4章では、長距離相関の存在と外力駆動拡散系におけるの熱力学関数の存在、アインシュタインのゆらぎの式の成立が共存しうる理論である事を検証すること目的とした研究を行う。

 第3章では、微視的に定義されたランジュバン方程式から出発し、第2章で現象論的に与えた粗視化されたスケールでの密度場の現象論的発展方程式を導出する。そして、得られた発展方程式から相関関数を計算し、長距離相関を確認する。

 外力駆動ブラウン粒子多体系から粗視化された密度場に対する外力駆動拡散系のゆらぐ流体方程式を導出する。本研究で扱うモデルには平衡系の詳細釣り合い条件のような粗視化の指導原理がない。そのため粗視化の手段として特異摂動法を用いる。微視的モデルから出発した外力駆動拡散系のゆらぐ流体方程式の導出は本研究が初めてである。また、時間空間的なノイズをもつ系に対し特異摂動法の適用方法を実装した研究は本研究が初めてである。

 導出は、粒子間相互作用長の異なる二つの場合に付いて行なった。一つは粒子間相互作用の長さが周期ポテンシャルの周期と比べて、十分大きい場合(場合i)であり、もう一つは十分小さい場合(場合ii)である。その結果、場合iiで得られるゆらぐ流体方程式が第2章で導入した現象論的発展方程式で第二種揺動散逸定理が成り立つ場合に相当する事がわかった。得られた2種類の発展方程式から相関関数を計算すると、場合iでは相関関数の長距離での漸近的振る舞いがγ(-d)型のベキ相関となる事がわかった。一方、場合iiはそのような相関の異常性は見られなかった。

 第4章では、外力駆動格子気体模型の熱力学、巨視的熱揺動論の研究が外力駆動ランジュバン多体系でも通用するかどうかを数値実験により検証する。まず、密度ゆらぎ、応答係数の定義を非平衡定常状態に適切に拡張する事によって、粗視化されたスケールでの密度場の相関関数を測定する。得られた相関関数、応答係数は平衡系の値と大きく異なる。これは分布関数が平衡状態のものと異なっている事を意味する。にもかかわらず、ゆらぎと応答の関係式が成立する事を示唆する結果が得られた。これは外力駆動拡散系であっても適切に定義した相関と応答を用いればアインシュタインのゆらぎの式が存在する事を示唆し、拡張された熱力学関数が存在する事を示唆する。

 本研究は外力駆動ブラウン粒子多体系という一つのモデルから出発して長距離相関の解析的導出と非平衡定常状態に拡張されたアインシュタインのゆらぎの式の成立の数値的検証をともに行なった。これが意味する事は、熱力学量が定義されるような漸近的スケールでは非平衡定常状態に拡張されたアインシュタインのゆらぎの式が成り立ち、さらに大きな流体記述が有効なスケールでは長距離相関が観測されるという事を示唆している。

 本研究の主な成果は以下の3点である。

 1.外力駆動拡散系のゆらぐ流体方程式の解析によって、保存量に対する時間相関のベキ減衰の指数が、長距離相関の強さに依存して変わることを2次元系で示した(第2章)。

 2.非平衡定常状態にある外力駆動拡散系のゆらぐ流体方程式を微視的模型からの粗視化によって得る事に成功した(第3章)。

 3.同じ外力駆動ブラウン粒子系のモデルで長距離相関(第3章)、非平衡定常状態に拡張されたアインシュタインのゆらぎの式(第4章)両立することを、解析計算、数値実験によるデータから示唆する事が出来た。

 本研究が提出した外力駆動拡散系に対するゆらぐ流体方程式は微視的な発展方程式から系統的に導出された巨視的な変数に対する発展方程式であるため、今後の非平衡統計力学の研究を行う際に典型的なモデルとして役立つ事が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 非平衡条件下にある系の性質をその構成要素の統計的性質によって記述しようとする非平衡統計力学は、線形応答理論が成立する状態をのぞいて確立していない。線形応答理論が適用できない系に関しては、興味ある物理現象を絞り、その現象の理解をめざして、各論としての統計力学的方法が開拓されてきた。その一方、近年、数学的に単純な模型の研究を介して、線形応答領域を超えた非平衡状態の重率に関して、共通の規則によって特徴づけられるクラスが存在することが明らかになってきた。例えば、拡張された熱力学関数が存在するクラスでは、その揺らぎはアインシュタイン関係式の拡張で表現される。しかし、この定理においては、保存場の長距離相関がもたらす相加性の破れの影響は巧みに除外されている。他方、補助場の導入によって長距離相関を表現することにより、相加性を保持した重率の表現が得られるクラスもある。

 このような状況において、実験的に実現可能な系に対して、普遍的な規則を見出すことを目標にしつつ、系の個別的な性質を明らかにしていくことは重要である。提出された中村壮伸氏の論文は、この課題に挑んで得た成果がまとめられている。

 本論文は5章89ページからなる。第1章で、非平衡系研究における本論文の位置づけが議論され、とくに、研究される対象について述べられる。第2章では、長距離相関の長時間相関への影響が現象論的な方程式をもちいて調べられる。第3章は、構成要素の動力学が明示され、理論的に解析される方程式が導出される。第4章は、その方程式の解の長距離の振る舞いが議論され、長距離相関のあらわれかたが明らかにされる。第5章では、同じ系に対して、拡張されたアインシュタイン関係式の数値的検証が試みられる。

 本論文で考察されるのは、外場で駆動されたコロイド分散系であり、レーザートラップを使うことにより、実験系としても構築できる。また、そのパラメータの調節によって、線形応答領域から有意にはずれた非平衡定常状態を実現することができる。そして、カレント揺らぎだけでなく、密度揺らぎの性質が直接測定される。これらの利点により、非平衡系の基礎的問題を論じるための典型的な系になりえる可能性がある。論文では、とくに簡単な状況として、空間的な周期ポテンシャルと空間的に一定の外力が外場として与えられる場合が議論される。実験が実際に行われる前に、理論的にこの系について調べることは重要である。

 コロイド分散系に対する動力学モデルとして、コロイド粒子の配置の時間変化を記述する多体ランジュバン方程式がある。このモデルの妥当性は、その状況依存性まで含めてある程度まで調べられており、論文で考えたい状況ではよい出発点になっている。そこで、非平衡多体ランジュバン方程式の統計的性質を求めるのが問題になる。

 具体的には、周期ポテンシャルの周期より長いスケールでの密度揺らぎを求めるために、分布関数の従う確率的時間発展方程式に対して、摂動的系縮約の方法が適用される。ただし、この計算を正しく実行するためには、いくつかの注意が必要である。第一に、粒子間相互作用がない場合には長距離相関が生じない、と物理的に予想されるので、これを理論的に示さなければならない。しかし、この物理的に自明なことが、素朴に計算した表現では明示的になっていない。本論文では、いくつかの恒等式をうまく利用しながら、この性質が示される。

 この結果を踏まえると、粒子間相互作用の強さに関する摂動展開を実行することが可能になる。従来の非平衡状態の研究では、平衡状態からの摂動展開を考えるのが常套手段であった。それに対し、まず、詳細つりあいを大きく破った非平衡状態の長距離の振る舞いに焦点をあて、ついで、相互作用がない状態を未摂動状態に選ぶことによって、今まで具体的に計算されていなかった非自明なことが計算できることになった。物理的には、粒子間相互作用の特徴的長さと周期ポテンシャルの周期の大小関係によって、長距離相関のあらわれかたが質的に異なることを明示的に示した結果が重要であろう。これは、構成要素の動力学に立ちかえった議論でないと得ることができないものであり、今までの研究では明らかにされえなかった点である。

 さらに、このようにして計算された密度揺らぎの熱力学部分は、既にある外場とは別のプローブ外場に対する線形応答と、拡張されたアインシュタイン関係式によって結ばれる、とする理論的予想がある。第5章の数値実験の結果は、この予想の成立を示唆している。

 以上のように、中村氏はその論文において、外力によって駆動されたコロイド分散系の統計的性質を明らかにした。堅実な設定に対する着実な計算にもとづく明晰な結果であり、実験が具体的に行われる際には、その結果はさらに有効になるだろう。ただし、現時点では、普遍的な規則を見出す目標には到達していない。第5章の数値実験に対応する理論的考察は可能であろうし、より野心的には、長距離相関の寄与と熱力学部分の寄与を統一的に記述する可能性を模索する研究もありえるだろう。これらは今後の課題であり、さらなる発展が期待される。このように、本論文は、非平衡統計力学に対して重要な貢献をもたらすものだと位置づけることができる。

 なお、本論文の内容は、第2章、第3章、第4章が2編の論文として出版されており、第5章が投稿準備中である。

 以上の点から本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した。

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