学位論文要旨



No 122069
著者(漢字) 安原,望
著者(英字)
著者(カナ) ヤスハラ,ノゾム
標題(和) SiGe/Si歪量子井戸におけるキャリアダイナミクスと制御に関する分光学的研究
標題(洋) Spectroscopic study on dynamics and control of carriers in SiGe/Si pseudomorphic quantum wells
報告番号 122069
報告番号 甲22069
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第746号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 深津,晋
 東京大学 教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 遠藤,泰樹
 東京大学 助教授 前田,京剛
内容要旨 要旨を表示する

 Si(1-X)GeX混晶はSiベースのヘテロ構造を構成する上で欠かすことのできないSi同族の重要なビルディングブロックのひとつである.全率固溶のSi(1-X)GeX混晶は組成比によってバンドギャップを制御可能であり,エピタキシャル技術によってさまざまな基板の上に単結晶薄膜が成長できる.

 代表的なヘテロ構造である量子井戸ではキャリア閉じ込めを利用でき,この場合バンド接続が重要になる.Si(001)に格子整合したSi(1-X)GeX歪混晶(x<0.5)では,価電子帯のバンドオフセットが数百meVである一方,伝導帯のバンドオフセットは非常に小さい(数meV)アンチ電子型type-II構造をとり,量子井戸構造では電子の量子井戸への閉じ込めは弱い特徴的な構造を有する(図1).このためSi(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸では,間接遷移型半導体であることによるキャリアの長寿命性も伴い,電子の実空間トランスファ(real-space transfer, RST)が発生しやすく電子が拡散長程度に分布していると考えられる.したがって,Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸における物理現象の理解ではシステム全体(表面,量子井戸,基板,他)が電子のRSTにより結合していること(coupling due to RST of electron, CRSTE)が本質的となっている.

 CRSTE系ではシステム全体が電子の再分布を通じて強く相互作用しているため,量子井戸面に縦電場を印加した際,電子分布変調にともない非常に興味深いダイナミクスが観測されることが予想される.しかし,電場下における間接励起子の質的変化や,それに伴うキャリアの動的な過程は殆ど調べられていない.

 本研究では,本質的にCRSTE系であるSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸を用いて,電場下におけるキャリア(電子)のダイナミクスを,蛍光プローブを駆使して調べることを目的としている.さらにそれに伴って可能となるキャリア分布制御を通じて新奇デバイスにつながる新原理の提案を行う.

1. 間接励起子発光の偏光異方性

 アンチ電子型type-II接続と電子の有効質量の違いを反映して形成される2種類の間接励起子を検証し,その輻射再結合過程の再考を行うとともに,間接励起子の電場下における過渡応答をフォトルミネッセンス(PL)の偏光測定により調べた.これによりSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸の電子・ホールの基底状態の理解を深めるとともに,研究全般で用いている蛍光プローブの原理的側面を補強した.

◆Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸における間接励起子の再考

 これまでの報告から,Si(001)基板上(x,y面上)に歪成長させたSi(1-X)GeX量子井戸では,Δ1(x,y)-hh励起子が形成されると考えられる.フォノン遷移を介する輻射再結合では偏光異方性が観測されず,NP遷移ではx,y偏光成分が強いことが知られているが,形成される間接励起子のみならず輻射再結合過程についても未だに不明な点が多い.そこで,Δ1(z)-hh励起子の形成される非対称ポテンシャル(ACP)構造を用いてΔ1(z)-hh励起子発光の偏光特性を調べた(図2).この結果から,TA,TOフォノン発光ではΔ1(x,y)-hh励起子の場合偏光異方性はなく,Δ1(z)-hh励起子の場合z偏光成分が強いことを実験により確認した.

 NP発光ではΔ1(x,y)-hh励起子とΔ1(z)-hh励起子ともにx,y偏光成分が強いことが明らかになり,NP遷移の弾性散乱ポテンシャルはzの対称性を持つこと示した.zの対称性の起源として反転対称性の破れたSi(1-X)GeX混晶がコヒーレントな歪を受けることにより異方性が生じることを提案した.

◆Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸における間接励起子の電場応答

 Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸に形成される励起子の電場に対する変化を調べるために,Si(0.82)Ge(0.18)/Si(001)歪多重量子井戸を用いて間接励起子の解離過程に伴うTOフォノン発光とNP発光の偏光比の変化をPL時間分解測定により観測した(図3).NP発光では励起子の解離に伴う偏光比の変化が観測された.一方,電場強度の増大に伴うTOフォノン発光のz偏光成分の増加が観測され,有効質量の違いにより生じるΔ1(x,y)-hh励起子とΔ1(z)-hh励起子の結合エネルギー差の変化を示していると考察した.

2. CRSTE系のキャリアダイナミクス

 CRSTEではシステム全体が電子の再分布を通じて相互作用していることに着目し,CRSTE系Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸における電場下でのキャリアダイナミクスを調べ,電場下における電子RST発生とそれに伴う電子分布変調のメカニズムを明らかにし,キャリアダイナミクスの制御を試みた.

◆Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸の間接励起子のCRSTE系における異常な縦電場応答

 電場による電子のRST発生を検証し制御を行うために,2重量子井戸を用いて間接励起子の縦電場に対する応答をPL時間分解測定により調べた.図4 (a)に示すように縦電場下でのSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸の蛍光減衰では,通常のtype-I量子井戸では見られない異常な振る舞いが観測された.これはSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸では,伝導帯のバンドオフセットが小さいため量子井戸に弱束縛された電子が電場により井戸外へと脱離されることによる電子RST発生を示しており,さらに図4 (a, b) に示すように交番電場による電子RST制御が可能であることを実証した.

◆表面‐量子井戸結合CRSTE系におけるキャリアダイナミクス

 Si0.85Ge0.15(51Å)/Si歪単一量子井戸を用いて,表面と量子井戸がCRSTEにより結合した系において,縦電場による電子のRST発生によるキャリアのダイナミクスを調べ,制御を試みた.表面-量子井戸CRSTE系では,表面近傍の電子リザーバ(NSER)が電場下において形成され,量子井戸とNSERとの間で電子正孔分離状態が形成されることを明らかになった.この電子正孔分離状態を利用することによる,光励起したキャリアを任意の時間遅れの後に光信号として読み出すメモリー動作を提案した.

◆多重量子井戸CRSTE系におけるキャリアダイナミクス

 多重量子井戸がCRSTEにより結合した系において,縦電場による電子のRST発生によるキャリアのダイナミクスを調べ,発光波長制御を試みた.歪2重量子井戸では電場により電子分布変調が可能であることが知られており,この原理を3量子井戸に拡張し,同時に電場の変化に対する電子RST発生を調べ,発光波長のスイッチング動作を行った.

3. CRSTE系のキャリアダイナミクス制御の応用

 CRSTE系Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸における縦電場によるキャリアダイナミクス制御原理を電流注入動作に応用し,新奇デバイスにつながる動作原理の提案を行った.

◆逆バイアス電流注入の検証と双方向LED

 まず逆バイアス下における電流注入を検証した.本研究で用いた単一量子井戸では整流作用が観測される.LEDは通常順方向バイアスのみで用いられるが,キャリア制御の自由度を増やすためには双方向に電流を注入できた方が好ましい.シリコン系構造では逆バイアス下でインパクトイオン化によりキャリアが注入されるため,これが可能となることを明らかにした.

◆表面‐量子井戸CRSTE系におけるキャリアダイナミクス制御の応用

 表面‐量子井戸CRSTE系における電流注入でのキャリアダイナミクス制御の検討を行い,機能化を行った.逆バイアスによりキャリア注入を行い,その後,電圧を解除した時の発光の変化を調べたところ,図5 (a)に示すように逆バイアスを印加している間は発光が観測されず,電圧を解除した時に発光が観測されたことから,キャリアはNSERと量子井戸との間で電子正孔空間分離状態を形成し,電圧を解除すると分離状態が解除され発光が観測されることが明らかになった(図4 (b)).電子正孔分離状態の形成には閾値電圧が存在することから,この電子正孔分離状態を3つの電圧レベルによりコントロールすることにより,電場注入したキャリアを任意の時間遅れの後に光信号として読み出すメモリー動作が可能であることを示した.

◆波長可変LED

 多重量子井戸CRSTE系において電流注入によるキャリア分布の制御を行い,発光波長を制御することを試みた.まず2重量子井戸を用いて,電場の向きによって発光する井戸の選択が可能であることを示した.順バイアス下と逆バイアス下ともに正バイアス側の量子井戸にキャリアが集まることを明らかにした.

 上記の原理を拡張することにより,3重量子井戸における3波長制御を試みた.まず,3重量子井戸の両端の量子井戸を用いて2重量子井戸と同様,電場の向きを変えることにより発光する量子井戸を選ぶことができることを示した(図6).電場に対するキャリアの応答を調べたところ,逆バイアス下におけるインパクトイオン化は負バイアス側(基板側)から順に発生することが明らかになった.この性質に着目し,キャリア生成が表面量子井戸に到達する前に電場を解除するような交番電場を印加することにより,電子分布を中間量子井戸に動的トラッピングし中間井戸からの発光を支配的にできることを示した(図6).これにより3波長スイッチングLEDのプロトタイプを構築した.

図1 CRSTE系SiGe/Si歪量子井戸のバンドラインアップの概観.

図2(a)ACP構造のバンドラインアップ.(b)ACP構造のフォトルミネッセンススペクトルの偏光特性.

図3(a,b)歪多重量子井戸のNP発光,TOフォノン発光における偏光の時間変化.

図4 (a)2重量子井戸のNP発光の縦電場下における時間変化.(b)2重量子井戸の交番電場下における蛍光減衰.(b)キャリアのダイナミクスを示す図.

図5 (a)単一量子井戸のNP発光の縦電場を印加した後電場を解除した場合の時間変化.(b)キャリアのダイナミクスを示す図.

図6 (a)3重量子井戸のELスペクトル.(b)キャリアの分布図.

審査要旨 要旨を表示する

 Si(1-X)GeX混晶はSiをベースとするヘテロ構造の構成上、欠くべからざるSi同族のビルディングブロックのひとつである。SiとGeは全率固溶でありSi(1-X)GeX混晶はGe組成とともにバンドギャップ縮小を示すが、とくにSi基板上にコヒーレント成長した歪Si(1-X)GeX混晶薄膜ダブルヘテロ構造はSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸ともよばれ、最も基本的な量子閉じ込め構造としてGaAs/AlyGa(1-y)As化合物半導体の量子構造と双璧をなしている。

 もとよりSi(1-X)GeX/Si歪ヘテロ構造にはCMOSに代表されるSiの無類の輸送特性をさらに向上させる発展力が期待されていたが、近年ではフォトニック結晶などのSOI導波路デバイスを通じた光電子融合という新たなテクノロジーノードに向けたSi(1-X)GeX/Si歪ヘテロ構造の潜在的な原動力が注目を集め、基礎・応用分野にわたって精力的な研究が行われている。

 Si(001)基板上のSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸は、伝導帯バンドオフセット(ΔEc)が極めて小さくほとんどのバンド不連続が価電子帯側で生じる特異なtype-II型のポテンシャル接続を示す。しかし、伝導帯マルチバレーの複雑な歪シフトやバンド不連続が極めて小さいせいもあって、このようなバンド端の振る舞いが検証できるようになったのはつい最近のことであり、キャリアの動的振る舞いはもとより電子・正孔の束縛状態など基本的な物性に関する理解と知識の集積が著しく遅れていた。

 一方、ΔEcが極めて小さいと電子は量子井戸の正孔とクーロン相互作用を通してゆるく束縛されるのみであり、バンド端に励起された電子が井戸から容易に非局在化するせいで複数の量子井戸が電子の実空間トランスファを通して結合する(coupling due to real-space transfer of electrons: CRSTE)。その結果、Si(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸の輻射再結合は活性層のみならずシステム全体が関与するという意味での非局所性を有するとともに、非局在化を促進する電場の下では電子・正孔分離状態など多くの興味深いキャリアダイナミクスが発現する可能性のあることを論文提出者は指摘した。

 本研究では、本質的にCRSTE系であるSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸をプラットフォームとしてCRSTEシステムに特異的かつ材料に依存せず普遍的に発生する電場下のキャリア輸送・再分布・再捕獲・再結合などの動的な振る舞いを光プローブ法によって精密に調べることで、材料の個性に縛られないより広い視点からSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸を眺望し、同物質系の理解を一層深化させることを目指している.さらにCRSTE系に特徴的な物性の中に新たな機能性の種を見出し、 これらをデバイスプロトタイプへと発展させることがいまひとつの重要なターゲットに据えられている。応用の具現化スタイルとして新機能の光エミッターを提唱しているが、論文では原理の検証実験に終始するものの従来、問題とされてきたSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸の低い内部効率が結晶性改善によって十分克服できることを指摘し、実際に室温GHz帯域変調を通じた検証を行っている点で単なるフィージビリティ研究の類とは一線を画している。

 本論文は7章よりなる。まず、今回の研究を構想するにいたった経緯と研究の目的が第1章で詳述された後、第2章では実験に用いた装置の構成と計測の概要が述べられている。今回の研究で得られた具体的な成果は第3-6章に項目別に述べられており、縮退間接励起子の観測と偏光異方性が第3章に、CRSTE系における電場下における特異なキャリアダイナミクスが第4章に、そしてCRSTE系の物性の応用編として双方向LED, 波長可変LED動作の検証が第5章にそれぞれまとめられている。最終の第6章では研究の総括とともに今後の展望が述べられている。

 本研究によって以下の新たな知見が得られている。

 まず、光プローブとして用いるSi(1-X)GeX/Si(001)歪量子井戸の間接励起子についてCRSTE系の特徴である浅いアンチ電子type-II型の接続を前提とした電子・正孔の束縛状態の再考により、歪分裂した低エネルギーバレーのΔ1(x,y)-hh間接励起子とは別に高エネルギーシフトしたバレーに帰属される第二のΔ1z-hh励起子が大きな電子の有効質量を起源として発生することが見出された。とくに井戸、障壁の歪符号が逆転した特殊な量子井戸における蛍光の面内偏光異方性とパルス励起にともなう偏光の過渡応答および偏光の消滅過程を調べることでこれらの縮退励起子が共存することが直接検証された。一方、Δ1z -hhとΔ1(x,y)-hh励起子の非フォノン遷移では反転対称性が破れたSiGe混晶の歪異方性を起源とするz対称性の弾性散乱が関与することが見出された. これらの結果は 3章に詳述されている.

 次いでCRSTE系のモデルシステムであるSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸の間接励起子が縦電場に応答する様子が蛍光の時間ドメイン計測によって調べられ、縦電場のもとで井戸に弱束縛された電子が井戸外へと電場イオン化によって非局在化することで容易に電子RSTが発生することおよび電子・正孔の空間分離が長時間保持可能なことが検証された。しかし、非局在化した電子が逆に印加電場を遮蔽する結果、電場イオン化には明確な遅延が発生することが二重量子井戸蛍光の時間発展から明らかになった。この励起子電場イオン化のダイナミクスは偏光異方性の過渡応答からも確認された。CRSTE系は広義には表面・量子井戸や局所電子トラップ・量子井戸などの結合系をも包含するが、単一量子井戸における近表面電子トラップとの間での電子移動発生する効果が見出された。さらに多重量子井戸における電子局在分布の電場制御が試みられ、DC電場にによって1次元両極性の分布偏重が発生可能な一方、AC電場を重畳したバイアス電圧下では中間位置への電子局在が動的トラッピングにより制御可能であることが検証された。これら一連の結果と論考は第4章につづられている。

 さらにCRSTE系におけるキャリアダイナミクスを電場で制御する試みとしてSi(1-X)GeX/Si歪量子井戸多重量子井戸を活性領域とする光エミッター(LED)が試作され、低温での動作検証が行われた。単一量子井戸における電子・正孔分離系による遅延パルス発生がms領域まで可能であることが示されたが、これは単一正孔注入構造を確保することで単一光子エミッタが構成できる可能性を示唆している。また、Si系物質に共通の低いインパクトイオン化閾値を利用することでpn接合でありながら逆方向でも電流注入が可能な双方向LEDの動作が検証され、多重量子井戸および高温動作ほど逆バイアス時の注入効率が上昇する効果が見出された。さらにCRSTE系独自の電子トランスファの性質を生かしてインコヒーレント光源では不可能とされてきた単一チップ上での波長可変性が試みられた。その結果、非局在側の井戸が電子欠乏により非輻射化する一方、局在側井戸が選択的に輻射に寄与することで大きな抑圧比の2波長選択性が得られている。さらにAC電場による動的電子トラッピングによって3波長目の選択的な輻射が観測されている。これらの結果は第5章にまとめられている。

 以上の成果は、Si(1-X)GeX/Si歪量子井戸の物性に関する理解を深める上で、かつまた特異なバンド接続を起源とする井戸間結合という新たな物性物理の研究領域を開拓するきっかけとなる一方、Si(1-X)GeX/Si歪量子井戸に隠された未開拓のデバイス機能を顕在化させる上でのはじめての試みである。これらの成果が当該研究領域での国際的な評価に十分値する内容であることは、すでに9本の報告文が学術誌に掲載されている事実が物語っている。

 尚、本論文中の第3から5章の一部は、深津 晋との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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