学位論文要旨



No 122073
著者(漢字) 小寺,克昌
著者(英字)
著者(カナ) コデラ,カツヨシ
標題(和) 多自由度が関与する量子ホール系の研究
標題(洋) Study of Quantum Hall Systems with Multiple Degrees of Freedom
報告番号 122073
報告番号 甲22073
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4936号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 柿崎,明人
 東京大学 教授 常次,宏一
 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,2次元電子系のスピン自由度や核スピン自由度など,多様な自由度が関与して量子ホール系で観測される様々現象について議論した.特に,量子ホール系充填率ν〜1でスカーミオン結晶状態が形成されていると考えられる領域において,極低温(20mK),高磁場(10T)での抵抗検出NMRの研究をまとめてある.

ν〜1で観測される特異なNMRシグナル(分散型共鳴線形)

 ν〜1のような奇数充填率付近の抵抗検出NMR線形は,従来から知られている理論モデルでは共鳴周波数でディップが観測されるようなもの(図1-(b)に見るようなシグナル)になると期待される.ところが実際は,ν〜1では図1-(a)に観測されるような特異なNMRシグナル(分散型線形)が観測される.現在のところ,この分散型線形の起源は不明であるが,ν〜1付近で特に観測されることからν〜1付近で形成されていると考えられているスカーミオン結晶との関連が疑われている.我々は,この領域でのNMRシグナルを初めて系統的に調べることで,実験結果として,分散型線形が消失する温度,充填率が,スカーミオン結晶状態が消失すると理論的に予想されている温度,充填率とほぼ一致していることを明らかにした.具体的には,20 mKの極低温ではν〓0.82の充填率領域で.ν=0.84においてはT〓.150mKの低温で分散型共鳴線形が観測された.この結果は,分散型線形の発現とスカーミオン結晶状態の形成との関連を示唆するものである.

抵抗検出NMRを用いた核スピンのスピン格子緩和率の系統的な研究

 分散型共鳴線形の起源をより深く探るために,ν〜1における核スピン緩和率の研究を行なった.RF周波数のディップの位置RF(dip)もしくは,ピークの位置RF(peak)のRF磁場を印加した後,共鳴から外れた周波数RF(off)に切り替えたときの抵抗の時間変化から求めることで,2つの核スピン緩和率1/T(dip)1,1/T(peak)1を求めることができる.これらを充填率νに対してプロットしたものを図2に示してある.

 ν〓0.82の領域で1/T(dip)1が大きく増大している様子を見ることができる.ν〜1で,スカーミオン結晶が形成されることにより,1/T1の増大が起こることが従来から知られているが,この振る舞いは分散型線形においてディップの位置の1/T(dip)1の方に強く反映されることを見いだした.

 この1/T(dip)1の増大している領域と,NMRシグナルに分散型線形が観測される領域はほぼ一致しており,この結果は分散型共鳴線形の発現とスカーミオン結晶の形成の関連を示唆する結果になっている.またRF(peak)については充填率を変えていってν〜1となってもほとんど変化しないことが新しく見いだされた.これは分散型共鳴線形のピーク部分の核スピン縦緩和率がスカーミオン結晶の形成による影響がほとんど存在しないことを示している.

ν〜1における核スピンのスピン格子緩和率の温度依存性

 ν〜1における核スピン緩和率1/T1の温度依存性に関する研究を行なった.

 我々は,スカーミオン結晶の形成によって核スピンの緩和率が大きくなっている充填率とスカーミオン結晶が形成されていない充填率で,核スピン緩和率1/T1の温度依存性を研究した.スカーミオン結晶の形成されている充填率では,核スピンの緩和速度の温度依存性に通常とは異なる振る舞いが観測される.図3-(a)には,充填率ν=0.84における核スピン緩和率1/T1の温度依存性を示した.この領域では低温における1/T1の大きさからスカーミオン結晶が形成されているものと考えられる.温度を増加させるとともに核スピン緩和率1/T1が減少するという振る舞いが観測された.これは,高温でスカーミオン結晶が融解することを原因にした現象であると考えられる.一方,図3-(b)には,充填率ν=0.805における核スピン緩和率1/T1の温度依存性を示してある.この領域では低温における1/T1の大きさからスカーミオン結晶は消失している領域と考えられる.この領域では温度を増加させるとともに核スピン緩和率1/T1が増加するという振る舞いが観測されている.

 これらの振る舞いについては,他の各グループでそれぞれ異なる結果が得られており,現象の明確な理解のためには,さらなる研究が必要とされる.

 以上,ν〜1での抵抗検出NMRによるこれら複雑な実験結果は,スカーミオン結晶の形成を強く反映していることを示唆すると考えられる.

図1:ν=1付近で観測されるNMRの分散型共鳴線形.それぞれ(a)ν=0.84,20mK,(b)ν=0.81,20mK,(c)ν=0.84,200mKにおけるNMR線形を示してある.20mKではν〓0.82の充填率領域で.ν=0.84ではT〓150mKの低温で分散型共鳴線形が観測される.

図2: 分散型共鳴線形のディップおよびピークの位置での核スピン緩和率1/T(dip)1,1/T(peak)1の充填率ν依存性.ν〓0.82の領域で1/T(dip)1が大きく増大している様子を見ることができる.これは,この充填率領域でスカーミオン結晶が形成されていることを起源にしているものと考えられる.

図3: ν〜1における核スピンの緩和率の温度依存性.(a)低温でスカーミオン結晶が形成されていると考えられる充填率(ν=0.84)では温度増加と共に緩和率が減少するという異常な振る舞いが見られる.(b)スカーミオン結晶が消失していると考えられる充填率(ν=0.805)では温度増加と共に緩和率が増大する.この領域ではKorringa則に従っているように見える.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなる.第1章はイントロダクションであり,論文の構成について述べ,第2章もイントロダクションとして,研究の背景となる量子ホール系についての概観が行われている.第3章はこの研究における実験方法のまとめが記され,第4章に論文提出者の研究内容が述べられている.最後の第5章は研究の総括,第6章は付録である.

 半導体界面に実現される2次元電子系については長い研究の歴史があるが,1980年の整数量子ホール効果発見と1982年の分数量子ホール効果発見以来,強磁場中の2次元電子系に対して活発な研究が続けられ,とりわけ,相互作用が主役を演じる分数量子ホール効果は強相関電子系の一つの典型例として注目されてきた.この強相関系としての量子ホール系の研究において,当初から重要性の指摘がされながら初期の研究では無視されてきたスピン自由度がその存在を主張した重要な例が占有率1からの準粒子励起としてのスカーミオンである.準粒子励起が単純な電子または正孔ではなく,回りのスピンの反転を伴うスカーミオンであることは初め理論的に指摘され,後にNMRのKnight shiftの実験で存在が確認された.更に,有限の密度で系に導入されたスカーミオンは低温では結晶状態になることが,理論的に予測され,転移温度の計算も行われている.このスカーミオン結晶が実際に実現しているか否かを調べることは現在実験家に課せられた重要課題の一つで,本論文での研究目的である.

 さて,原子核のスピン偏極はOverhauser効果により,電子系に大きな有効磁場を与える.核磁気共鳴によって核スピンの偏極が変化すると,電子系に対するこの有効磁場が変化するために電子系の対角抵抗に変化が現れる.この現象を用いて核磁気共鳴を検出することは抵抗検出核磁気共鳴法として知られており,原子核を用いた電子状態の推測法として近年盛んに用いられてきた.この抵抗検出核磁気共鳴による研究では,スカーミオンが多数励起された占有率1の近辺で,共鳴線形が分散型と称される谷と山を持った特異な形状を示すことと,核スピンの縦緩和時間が増大することが明らかにされ,スカーミオン結晶との関連性が推測されてきた.そこで,この手法を用いてこの領域で詳細な実験を行い,抵抗検出核磁気共鳴での異常と,スカーミオン結晶との関連性を探ろうというのが,本論文の研究目的である.

 本研究では先ず,分散型線形の得られる領域を広い占有率領域,温度領域について調査し,占有率-温度平面上でその出現範囲を明らかにした.その結果,この領域が理論で予測されているスカーミオン結晶実現領域に含まれること,従って分散型線形の発現とスカーミオン結晶の実現が関連している可能性があることを結論づけている.この発現領域の特定はここで初めて行われたものであり,高く評価できる.本研究では更に核スピンの緩和率についても詳細な研究が行われた.分散型線形の発現領域では,線形の谷の位置での緩和時間が大きく減少すること,この緩和時間が通常のKorringa則とは逆の温度依存性を示すことを明らかにされた.本論文ではこの温度依存性がスカーミオン結晶の融解と関連づけられるとの指摘が行われている.なお,温度依存性については先行する2つの実験が相異なる結果を得ていたが,本研究の結果はそれら従来の実験結果のどちらとも異なるものである.このことは,この系に対するさらなる研究の必要性を示したものと言える.この結果の違いは試料の質によるものであろう.入手可能な試料を用いて詳細な結果を得たことは評価できる.

 以上述べたように.本研究はスピンの自由度の関与した量子ホール系に対して,詳細な研究を行い,いくつかの新たな測定結果を得たもので,この分野の発展に寄与しており,博士論文として十分な内容を持つものと判断できる.

 なお,本論文は高堂寿士,橋本義昭,遠藤彰,勝本信吾,家泰弘との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク