学位論文要旨



No 122080
著者(漢字) 沖野,泰之
著者(英字)
著者(カナ) オキノ,ヒロユキ
標題(和) シリコン表面上に自己組織的に作製されたアトミックワイヤーとナノワイヤーの電子輸送
標題(洋) Electronic transport through atomic wires and nanowires self-assembled on silicon surfaces
報告番号 122080
報告番号 甲22080
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4943号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 川島,直輝
 東京大学 教授 福谷,克之
 東京大学 教授 勝本,信吾
内容要旨 要旨を表示する

本研究ではシリコン表面上に自己組織的に作製されたアトミックワイヤーとナノワイヤーの電気伝導特性を調べた。一次元では電荷密度波転移、あるいはスピンと電荷の分離などの物理現象が予想される。しかしながら、純粋な一次元の物質をつくることは困難で現実には擬一次元の物質を一次元系研究の実験に用いている。さらに、その物質は完全な結晶ではなく必ず不純物を含んでしまう。本研究では微傾斜したシリコン表面上に幅が数原子サイズのアトミックワイヤー列を作製して不純物の影響を調べた。一次元の物質は物理にとってだけでなく、工業応用にとっても重要であり、実際にデバイスサイズを小さくしていくためにナノワイヤーの研究が世界的に進められている。そこで我々は孤立した幅数十nmのナノワイヤーもシリコン表面上に作製して電気特性の評価をおこなった。アトミックワイヤーとナノワイヤーの共通点としては作製に自己組織化を利用することがあげられる。自己組織化はコストと時間という現代テクノロジーにおける問題点を解決する可能性を秘めている技術である。将来的にはナノワイヤーの幅が原子オーダーまで小さくなって、アトミックワイヤーと同列に扱われるべきだが、本研究では別々の互いに独立した研究として扱っている。

伝導測定の実験はミクロスケールのマルチプローブ法を用いて4端子測定によっておこなった。プローブの間隔を数十μmまで狭めることで表面近傍の領域を効果的に測定することができる。アトミックワイヤーはシリコン結晶の表面上1原子層の厚さしかないので、電気伝導を測定するために電流を流すと測定電流が結晶内部にまで流れてしまう。そこで電流プローブの間隔を狭めることで測定電流の深さ方向への侵入深さを短くしている。また、アトミックワイヤー作製の過程でシリコン表面上に金、インジウムを蒸着すると電荷の偏りによって表面近傍のバンドが湾曲し、空乏層が形成される。この空乏層によってキャリアが表面近傍に閉じ込められ、測定電流の侵入深さはさらに短くなる。このようにしてアトミックワイヤー列の伝導度を測定することができた。ナノワイヤーの電気特性の測定は走査電子顕微鏡でナノワイヤーと測定プローブを観察しながら超高真空中で直接コンタクトさせることによりおこなった。

アトミックワイヤーの研究では電気伝導度の温度依存性と異方性を測定することで、不純物が伝導に与える影響を調べた。試料としてはSi(557)-Au、Si(553)-Au、Si(111)4×1-Inを用いた。Si(557)-Au とSi(553)-Au は微傾斜したシリコン表面に金原子を加熱蒸着することで作製されるアトミックワイヤー列で、各アトミックワイヤーは互いに単原子ステップで隔てられている。一方、Si(111)4×1-Inは平坦な表面にできるアトミックワイヤー列であるが、基板の対称性を減らして一方向に成長させるためにわずかに傾斜した基板を用いた。電子構造は3種類とも報告されており、ワイヤーに平行な方向にはパラボリックな分散を示す。一方、ワイヤーに垂直な方向には分散がほとんどなく、一次元的な電子構造を持っているので、3つの表面とも一次元金属に特有の電荷密度波を伴った金属絶縁体転移をすることが低温における実験から示唆されている。

電気伝導の測定をおこなったところ、Si(557)-AuとSi(553)-Au は原子構造が似ているにも関わらず、電気伝導度の温度依存性は全く異なっていた。図1にその様子を示す。Si(557)-Auは熱活性型の半導体的な伝導を示したのに対してSi(553)-Auは金属絶縁体転移の振る舞いを示した。Si(557)-Auは本質的にその表面上に多くの不純物を持つ。その不純物はアトミックワイヤーを分断して伝導パスを切る。その結果、電子が局在して熱活性型の振る舞いになると推測される。実際に活性化エネルギーを求めると、不純物で挟まれた領域のチャージングエネルギーと同じオーダーであり、我々の推論をサポートする。一方、Si(553)-AuはSi(557)-Auほど不純物が多くないので電子を局在させることがなく、電子構造に起因する金属絶縁体転移が起こるのだと結論づけられる。局在の有無には不純物の量以外に電子のワイヤー間の飛び移りやすさも関係しており、Si(557)-Au表面上では電子がワイヤー間を移動しにくく、局在しやすいことがわかっている。ワイヤー平行方向の伝導パスを切るという不純物の効果はSi(111)4×1-In表面上に不純物を意図的に添加することによって実証された。不純物の量を増やしていくと電気伝導度の異方性は1に向かって減少していった。その上、Si(111)4×1-Inの金属絶縁体転移温度が不純物の量とともに上がっていった。これは不純物によるピン止め効果でゆらぎの影響が減ったためだと考えられる。

ナノワイヤーの研究では室温における抵抗率をその場測定と大気暴露後の測定によって評価してナノデバイスへの応用の可能性を調べた。試料にはコバルトシリサイドと鉄シリサイドナノワイヤーを用いた。超高真空中で加熱したSi(110)基板にコバルト、鉄を蒸着するとシリサイドを形成しながらナノワイヤーが成長する。基板に対称性の低い(110)面を用いているので、ナノワイヤーの成長方向は一方向のみに限定される。シリサイドを用いたのは高温での安定性、シリコンテクノロジーとの互換性を考えてのことである。コバルトシリサイドは抵抗が低いことが知られており、一方、鉄シリサイドは様々な相を持つことがわかっている。α相は金属であり、β相は光通信で用いられている波長と同程度のバンドギャップを持つ半導体で光学応用が期待されている。

電気特性を調べると、両者とも基板のシリコンとは電気的に良く絶縁されていた。これは界面に形成されたショットキーバリアがキャリアをナノワイヤーの内部に閉じ込めているためである。接触抵抗の影響をなくすため、図2のように同一ナノワイヤー上で4端子測定を行なったところ、幅60nmのコバルトシリサイドナノワイヤーの抵抗率は30μΩcmで伝導性の良い金属と同程度の値を示した。一方、幅90nmの鉄シリサイドナノワイヤーの抵抗率は410μΩcmで金属と半導体の中間程度の値であった。コバルトシリサイドナノワイヤーは大気暴露後も抵抗率がほとんど変わらず、ナノデバイスで配線として用いることが可能であることがわかった。大気暴露で抵抗率が変化しないのは、大気暴露によってナノワイヤーの表面は酸化されてしまうが、その酸化膜が保護膜となって内部の酸化を防いだものと考えられる。また、このことは幅60nmでは室温においてサイズ効果が現れないことを示している。鉄シリサイドは抵抗率が高いので配線としての利用が見込めないが、アニールしてβ相に相転移させることでトランジスタや光学デバイスへの応用が考えられる。

本研究では一次元系のテンプレートとして幅1〜2nmのアトミックワイヤー列と幅60〜90nmのナノワイヤーを自己組織的に作製し、電気伝導の面から研究をおこなった。アトミックワイヤーの電気伝導には原子サイズの不純物が大きく影響を与え、電子構造とは矛盾する振る舞いも見られた。このことから、ナノスケールでの不均一性を調べることが重要であることがわかった。一方、ナノワイヤーの電気特性を評価してナノデバイスへの応用可能性を探ることもおこなった。本研究はナノ構造体の伝導特性を調べるのにミクロスケールのマルチプローブ法が有効であることを示した。このことは原子分解能を持った電気伝導測定の実現可能性を示した。

図1.(a)Si(553)-Auと(b)Si(557)-Auの表面状態電気伝導度、抵抗値の温度依存性。挿入図は走査トンネル顕微鏡像。

図2.幅60nmのコバルトシリサイドナノワイヤーの走査電子顕微鏡像。超高真空中で4端子測定をしている様子。

審査要旨 要旨を表示する

 特定の指数をもった半導体シリコン結晶表面に金属原子を蒸着させると、原子ワイヤーあるいはナノワイヤーと呼ばれる1次元原子列が自己組織的に形成される。このようなワイヤーは、半導体デバイスサイズを極限的に小さくしていった時のリード線として応用上重要なだけでなく、純粋な1次元電子系であるという意味で、物性物理学研究にとっても非常に興味ある対象となっている。本研究は、シリコン表面上に形成させた原子ワイヤーとナノワイヤーの直接的な電気伝導測定に挑んだものである。

 本論文は6章からなる。第1章は序論で、研究の背景と目的が述べられている。第2章は、1次元電子系で起こるパイエルス転移、朝永-ラッティンジャー液体状態についての記述と半導体表面上に形成される1次元原子列には原子ワイヤーとナノワイヤーの2種類があること、表面に形成された1次元あるいは2次元原子列の電気伝導測定手法とその原理が述べられている。

 第3章では、作成した1次元原子列の高エネルギー反射電子線回折(RHEED)、走査型電子顕微鏡(SEM)、走査型トンネル電子顕微鏡(STM)による評価と、独立に駆動できる4本のSTM探針を用いたミクロンサイズの試料に対するマルチプローブ電気伝導測定手法が述べられている。

 第4章は、シリコン(557)及びシリコン(553)表面上に金(Au)を蒸着させて作った原子ワイヤーに対する電気伝導測定結果である。(557)や(553)のような指数をもつ微傾斜したシリコン表面上には、互いに単原子ステップで隔てられたAuの原子ワイヤーが形成されている。Si(553)-Auワイヤーの電気伝導測定では、パイエルス転移に対応すると考えられる電気抵抗の大きな変化の観測に成功した。このワイヤーは150K以下の低温で絶縁体になってしまうことを示したものである。この結果は、他のグループにより光電子分光測定で明らかにされた電子構造と対応づけられる。一方、Si(557)上のAu原子ワイヤーの電気伝導は弱い半導体性を示しているもののパイエルス転移は観測されない。この原因は、不純物や原子欠損が多く存在するためワイヤーの伝導径路が多くの場所で分断されているためだと推論している。第4章では、更に、平坦なSi(111)表面に形成させたインジウム(In)の原子ワイヤーに対する電気伝導測定結果を記している。この系では意図的に不純物の量を増減できる。原子ワイヤーへの不純物効果を系統的に調べることができる。実際、不純物の増加とともにパイエルス転移温度が上昇することを明らかにしている。

 第5章はナノワイヤーに対する実験結果である。ナノワイヤーはシリコンの表面上に化合物コバルト及び鉄シリサイド作製し、それが自己組織的にワイヤーを形成するというものである。ナノワイヤーは原子ワイヤーと違って配列しておらず、長さも間隔もランダムなワイヤーの集合である。本研究では、4本のSTM探針をプローブとする利点を括かし、ワイヤー1本毎の電気抵抗率測定に成功した。コバルトシリサイドのナノワイヤーは室温で30μΩcmの低い電気抵抗率を示した。これは伝導性の良い金属と同程度の値である。また大気暴露後も電気抵抗率が殆ど変化せず、ナノデバイスの配線材料として有望なことを実証した。

 最後の第6章は、本研究の結論と展望である。原子ワイヤー・ナノワイヤーに対する本研究の測定が電気伝導度の絶対値に対する信頼性の高いデータを与えること、光電子分光測定などから推定される電子構造情報からは得られない不純物や欠陥の影響を評価することができることを示した。将来、マイクロメータースケールの端子間隔をナノメータースケールにできるという見通しも立っており、本研究で用いたマルチプローブ電気伝導測定法が将来のナノデバイスへの応用に向けての強力な実験・評価手法になると展望している。

 以上のように、本研究は人工的に作製した1次元の原子列の電気伝導特性に関して重要な知見を得たものと認められる。また、将来のナノデバイスへの応用への道筋を示したことも評価できる。本論文の主要なる第4章と第5章の研究内容は指導教官らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与は充分であると判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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