学位論文要旨



No 122081
著者(漢字) 長田,貴宏
著者(英字)
著者(カナ) オサダ,タカヒロ
標題(和) 新近性識別記憶課題遂行中のマカクザル大脳皮質活動 : 磁気共鳴機能画像法による研究
標題(洋) Macaque Cortical Activation during Recency Judgment : an fMRI Study
報告番号 122081
報告番号 甲22081
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4944号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 教授 佐野,雅巳
 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 助教授 北尾,彰朗
内容要旨 要旨を表示する

 磁気共鳴機能画像法(functional magnetic resonance imaging; fMRI)は神経活動に伴う局所血流を測る手法であり、この手法は非侵襲的に計測できるため、現在ではヒトの脳機能を研究するのに強力なツールとして幅広く用いられている。fMRIを用いれば、ヒトの脳活動を数ミリメートルの空間解像度と数秒程度の時間解像度をもって、脳全体の活動を同時に計測することができ、特定の感覚入力や運動、さらには高次な認知機能と関連した活動を示す部位を同定することができる。しかし、霊長類での脳高次機能の研究は、マカクザルをモデル動物として用いて従来から行われてきた。微小電極を用いた電気生理学的手法や、破壊実験、解剖学的実験など侵襲的な手法が用いられてきたが、これらは個々の神経細胞の記録というミクロレベルのものがほとんどであった。そのため、ヒトのfMRIの結果とサルの侵襲的実験の結果は、計測手法の違いにより、直接比較することができず、双方には隔たりが生じていた。その隔たりを埋め結びつけるためには、マカクザルにおいてfMRIによる脳活動計測を行うのが一つの解となる。これによりヒトとマカクザルの脳活動地図をfMRIという共通の手法によって比較することが可能になる。

 本研究では、4.7テスラ高磁場MRI装置を使って、新近性識別記憶課題遂行中のマカクザルにおける脳活動を検出した。神経心理学の研究によると前頭前野を損傷した患者が見せる知的機能の障害の一つに、過去の出来事の時間的文脈に関する記憶の障害がある。これは新近性識別課題と呼ばれる課題で調べられる。この課題では複数の刺激(単語や絵)を連続的に提示した後、その中に含まれていた2つを見せどちらがより最近に(より後に)現れたかを選択させる。Milnerによる最初のヒトの症例報告(Milner, 1971)以来、いくつかのヒトの神経心理学的研究が報告されてきた。これらの研究によると、前頭前野の外側部の損傷で新近性識別は障害されるが、過去の出来事の有無を問う再認課題では障害は示さないことが報告されている。また、一方、健常者を対象としたfMRIやPETの非侵襲的手法を用いた実験も報告されている。これらの研究では新近性識別課題遂行時に前頭前野が賦活することを示した。中でも、Konishiらの研究では、外側前頭葉と内側側頭葉に有意な活動を検出し、前頭葉と側頭葉が領野間ネットワークを形成し働いていることを示唆した(Konishi et al., 2002)。ヒトでのfMRIの非侵襲的実験では、数ミリメートルの空間解像度および数秒程度の時間解像度以上の解像度で脳活動を調べることはできない。これを調べるには細胞レベルでの活動を計測する必要がある。また、領野間のネットワークを調べるには、ネットワークの一部を不活性化した際の影響をみることが必要となる。以上の手法は侵襲的であり、ヒトに対して適用することは不可能である。そこで、実験動物を扱わなければならない。侵襲的手法を用いて時間的文脈の記憶想起のメカニズム解明のための第一段階として、本研究では実験動物であるマカクザルに対してfMRI実験を行い、新近性識別課題遂行時の賦活領域を同定することを目的とした。

 fMRI実験においてサルがレバーを引くと画面に注視点の四角が提示され、レバーを引き続けたままにしていると7枚の絵のリストが順番に提示される。そして、遅延期間をはさんだ後、直前のリストに含まれていた2枚の絵が注視点をはさんで左右に提示される。サルはリストの中でより最近に(より後に)提示されていた絵を選ぶことを要求され、左右の絵のうち答となる側にレバーを倒し、正解すると報酬としてジュースが与えられる(新近性識別試行; Recency Trial)。不正解の場合、報酬は与えられない。直前の試行で正解した場合は、次にレバーを引くと別の絵の組み合わせが提示される場合と、注視点の四角が出続ける場合が続く。絵の組が提示された場合は同様に、リストの中でより最近に提示された絵を選び(Recency Trial)、注視点が出続けた場合はレバーを引き続けて待つとジュースが報酬として与えられる(NULL Trial)。全てに正解した場合は、1つのリストにつきRecency Trialを2回、NULL Trialを1回体験することになる。

 Recency Trialでの2つの絵の組み合わせについては、時間順序の記憶想起の負荷を変えて、負荷の高い試行(HIGH Trial)と負荷の低い試行(LOW Trial)の2種類を用意した。組となる2つの刺激の間隔が短いほど時間順序の記憶想起の負荷は高くなることが知られている。また、リストの端の刺激を含む場合、負荷は最も低くなることも知られている(初頭効果、新近効果による)。これらの知見に基づき、LOW Trialでは、Pic1-Pic5、Pic1-Pic6、Pic1-Pic7、Pic2-Pic7、Pic3-Pic7の組み合わせを提示し、HIGH Trialでは、Pic2-Pic4、Pic2-Pic5、Pic3-Pic5、Pic3-Pic6、Pic4-Pic6の組み合わせを提示した。HIGH Trialの時とLOW Trialの時の活動を比べると、時間順序の記憶想起の負荷によって変化する部位を同定することができると考えられる。1つのリストに対して、LOW TrialとHIGH Trialは1つずつ含まれるように割り当てた。そのため、全て正解した場合は、LOW-NULL-HIGH、LOW-HIGH-NULL、HIGH-NULL-LOW、HIGH-LOW-NULLの組み合わせのように進行していく。課題遂行時にfMRI撮像を行った。

 新近性識別課題の成績と正解試行の反応時間は、想定していた通り、時間順序の記憶想起による負荷の違いを反映しているものであった。成績と反応時間それぞれに対して、試行の種別およびRecency Trialの場所を因子に取った2元配置分散分析を行ったところ、ともに試行の種別による効果は有意であったが、Recency Trialの場所による効果や交互作用は有意ではなかった。

 新近性識別課題を行っているときに活動を示す部位を同定したところ、多くの賦活領域が見られた。HIGH、LOW Trialどちらとも後頭葉、側頭葉、前頭葉、頭頂葉の広範囲にわたる多くの領域が賦活されており、HIGH、LOW Trialともに活動する領域の多くが重なっていた。また、7枚の絵のリストが提示されている際に活動を示す部位は、後頭葉と側頭葉が中心となっており、第1次視覚野をはじめ高次視覚野が賦活されていた。

 新近性識別課題の際に、HIGH TrialとLOW Trialでの活動に差を示す部位(HIGH minus LOW)には、弓状溝(arcuate sulcus)の前壁の前頭眼野(frontal eye field; FEF)、弓状溝の下行枝付近の前頭前野腹外側部がそれぞれ両側に含まれており、前頭眼野より前方に続く部分の主溝(principal sulcus)付近も含まれていた。また、HIGH Trialに比べてLOW Trialで有意な活動の差を示す部位(LOW minus HIGH)はなかった。

 以上の結果は、以前のヒトに対して行われたfMRI研究で同定された部位に対応する部位も含まれるが、対応しない部位もあり、完全には一致していない。これらは種による違いなのか、課題で使用していた刺激による違いなのかは特定できない。そのため、ヒトを被験者として、絵を刺激とした課題を使ってfMRI実験を行い、結果を比較する必要があるであろう。

 また、今回サルを用いたfMRI実験で同定された部位に対して侵襲的な方法を組み合わせることによって、時間順序の記憶想起のメカニズムについてより深く調べることができる。侵襲的な方法を導入するのはヒトのfMRI実験では不可能なことであり、実験動物でなし得るである。たとえば、GABAアゴニストであるムシモルを同定された部位に投与し可逆的に機能損失をさせれば、新近性識別課題遂行中に働く領野間ネットワークにどのような影響を与えるのかを調べることができるであろう。また、同定された部位について微小電極を用いた単一神経細胞活動記録を行えば、fMRIよりも高い時間および空間分解能で機能を調べることができる。このように、今回行ったサルを用いたfMRI研究の研究は、ヒトを対象とした研究では行うことのできない、新たな方向性を導き出せるものと考えている。

図1:実験に用いた図形刺激と新近性識別課題の例

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、4.7テスラ高磁場MRI装置を用いてマカクザルの新近性識別課題(recency judgment task)遂行中の脳活動を時間順序の記憶想起の負荷を変えた事象関連デザイン磁気共鳴機能画像法(event-related design fMRI)によって検出した。

 脳損傷患者での認知機能の障害を研究する神経心理学によると、前頭前野を損傷した患者が見せる機能障害の一つに、過去の出来事の時間的文脈に関する記憶の障害がある。これは新近性識別課題を用いて調べられる。この課題では複数の刺激を連続的に提示し、後にその中に含まれていた2つを同時に見せどちらがより最近に現れたかを選択させる。ヒトでの神経心理学研究によると、前頭前野の外側部の損傷で新近性識別が障害されるが、過去の出来事の有無を問う再認課題では障害を示さないことが報告されている。一方、健常者を対象とした脳科学研究は、脳活動を非侵襲的に計測できるという利点を持つfMRIを強力なツールとして用い急速な進歩を遂げている。多くのfMRI研究で対象としているのはBOLD (blood oxygenation level dependent)信号である。脳の神経細胞に活動が起こるとその部分の局所血流量が増加し、その結果酸化型ヘモグロビン(反磁性)を含んだ血液が多量に流入し、還元型ヘモグロビン(常磁性)の濃度は減少する。磁化率の違いにより局所磁場の変化が生じMRI信号が増加する。MRI信号の増加から脳の賦活部位を推定するのがfMRIの測定である。健常者を対象としたfMRI研究によると新近性識別課題遂行時に前頭前野が賦活することが報告されている。

 ヒトでのfMRIの非侵襲的実験では、数ミリメートルの空間分解能および数秒程度の時間分解能以上の高い分解能で脳活動を調べることはできない。これを調べるためには神経細胞レベルでの活動を計測する必要がある。また、前頭葉と他の領野とのネットワークの性質を調べるためには、ネットワークの一部を不活性化した際の影響をみることが必要となる。以上の手法は侵襲的であり、ヒトに対して適用することは不可能であるため、実験動物を用いなければならない。そこで本研究では、その一段階として新近性識別記憶課題遂行中のマカクザルにおいて4.7テスラfMRI実験を行った。

 マカクザルでのfMRI実験を行うにあたり克服しなければならない技術な問題点がいくつかあったが、なかでも頭部固定装置取り付けに伴うMRI機能画像における磁化率アーチファクトを防ぐために、論文提出者は樹脂製のリングおよび先を研磨されたボルトネジ(スパイク)からなる新しい頭部固定装置のデザインを行った。この頭部固定装置では、課題遂行中およびMRI撮像中のマカクザルの頭部は良い安定性をもって固定されており、またMRI機能画像においてもアーチファクトの軽減および画像の質の改善がみられた。

 マカクザルの行う新近性識別課題では、図形刺激のリストを連続的に提示した後、リストに含まれていた2つの図形(選択刺激)を同時に提示し、そのどちらがより最近に(より後で)提示されたかを選択することが要求される。すなわち、リスト内の刺激の時間順序の記憶想起が要求される。選択刺激の組み合わせを変えることにより時間順序の記憶想起の負荷を操作し、高い場合と低い場合の2種類のレベルの試行を準備した。これらを混ぜた状態で事象関連デザインfMRI実験を行った。新近性識別試行での負荷の高い試行および低い試行においてはともに、前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉の広範囲にわたる多く領域で賦活が共通して見られた。これらは負荷の高い試行と低い試行において共通した認知行動成分が多いことによると考えられる。また、図形刺激のリストが提示されている期間では、後頭葉、側頭葉の領域が中心となって賦活されていた。これは画面に図形刺激が出ることによって賦活した視覚関連の活動であると考えられる。さらに、負荷の高い試行と負荷の低い試行での活動を比べることにより、時間順序の記憶想起の負荷によって活動の変化を受ける部位、すなわち時間順序の記憶想起の認知情報処理を行っている部位を同定することができる。負荷の高い試行と低い試行で活動に差を示していた部位として、前頭前野の弓状溝前壁の前頭眼野および前頭眼野より前方に続く部分の主溝付近、弓状溝の下行枝付近の前頭前野腹外側部が同定された。

 以上、本研究では新近性識別課題遂行中のマカクザルを対象としたfMRI実験を行い、マカクザルでは従来十分な知見が得られていなかった大脳皮質における時間順序の記憶想起の認知情報処理を行っている前頭前野の部位について明らかにした。今回の結果は前頭前野における時間的文脈の記憶想起の神経機構の解明に関して重要な貢献をなすと考えられる。また、今回行われたマカクザルでのfMRIに加えて、微小電極を用いた電気生理学的手法や薬剤投与による可逆的な機能損失などの侵襲的な方法を組み合わせることで時間的文脈の記憶に関して新たな研究の発展性を広げることができ、本研究はその発展に重要な寄与をなすと考えられる。

 この論文は、足立雄哉氏、宮下保司教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、提出者の寄与が十分であると認められる。従って審査員一同は同提出者に博士(理学)の学位を授与出来ると判断する。

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