学位論文要旨



No 122089
著者(漢字) 小寺,哲夫
著者(英字)
著者(カナ) コデラ,テツオ
標題(和) 半導体縦型二重量子ドットにおける単一電子トンネルとスピン効果
標題(洋) Single electron tunneling and spin effects in semiconductor vertical double quantum dots
報告番号 122089
報告番号 甲22089
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4952号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 町田,友樹
 慶應義塾大学 助教授 江藤,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

 量子ドットとは、半導体超格子(量子井戸)構造などによって作られる二次元電子系を、面内方向にも電子波長程度の微小領域に閉じ込めた系であり、零次元的なエネルギーの離散性と相互作用の効果が重要となる。特に電荷による静電エネルギーが温度より十分大きい場合には、量子ドットのゲート電極に負電圧を印加して静電ポテンシャルを制御することで、量子ドット内の電子数を一つずつ制御し、任意の電子状態を作り出すことができる。そこに現れる多彩な量子力学的現象を観測・制御・利用する研究が精力的に行われている。

 AlGaAs/InGaAs(orGaAs)/AlGaAsからなる二重障壁ヘテロ構造を円柱状に切り出して作製した半導体縦型量子ドットでは、電子数をゼロから数十まで一つずつ制御することが可能なだけではなく、回転対称性の高い調和型の閉じ込めポテンシャルが得られる。この性質を利用して、殻構造、そしてフント則、近藤効果に代表されるスピン相関の物理が観測・制御され、さらにスピントロニクスや量子計算への応用という意味でも興味深い系である。

 本論文では、縦型量子ドットが二つ結合した半導体縦型二重量子ドットを実現し、電子相互、電子と環境(フォノン、フォトン、核スピン)との相互作用を解明・制御・利用することを目的とする。二重量子ドットでは、分子的な電子状態、理想的な結合二サイト系のトンネル等が特徴的な研究テーマとして注目される。本論文では、電子状態がよく同定された量子ドット間のトンネル現象について、スピン選択則や環境との相互作用を扱った。実験は最低温度が240mKの3He冷凍機を主に用い、直流の電気伝導度測定を行った。核スピンとの相互作用に関する実験は比較のためにAとBの二種類のデバイスを用い、その他の実験は全てAを用いた。Aは量子ドットがInGaAsにより構成され、BはGaAsにより構成される。またAはBよりも中央障壁が厚く、ドット間のトンネル結合(2t)が弱い。

 ソースドレイン電圧(V(sd))とゲート電圧(Vg)に対して微分コンダクタンス(dI(sd)/dV(sd))をプロットした図をクーロンダイヤモンドと呼ぶ。まず、測定されたクーロンダイヤモンド(図1左)の詳細な解析により、二重量子ドットの重要なエネルギースケールや閉じ込めポテンシャルの形状を見積もった。特にVsd軸に垂直方向に現れる線(図中aやb等)はドット間二準位の共鳴状態を表し、量子ドット内のエネルギー準位を決定するための手がかりとなる。ドット内とドット間のクーロンエネルギーの差U-V等、見積もられたエネルギー値は後に交換エネルギーJを定量的に解析する際に用いた(後述)。閉じ込めポテンシャルに関しては、図中aの共鳴線の詳細な解析から、二次元円形調和型ポテンシャルからのずれ、特に閉じ込めの異方性と四次の非調和項率λ'(図1中央上)を見積もることができた。V(sd)=0Vでの一電子状態(a)と二電子状態(b)に対するエネルギー準位図を図1右下に示す。

次に単電子状態間遷移(図2左a)のピーク形状及び二電子スピン三重項状態間遷移(図2左b)のピーク形状の縦磁場(Bp) 依存性を調べた。前者のピークはローレンツ形状によく一致したが(図2中央上)、後者のピークはローレンツ形状から左右非対称にずれを生じ、特に磁場下でそのずれが大きくなることが分かった(図2中央下)。このずれはフォノン放出を伴う非弾性トンネル過程によるものであり、有限磁場下の二電子状態において顕著に観測されると考えられる。図2右上に示した単電子状態間遷移の縦磁場依存性において、電流値の増大や減少が観測された。これは三準位間の干渉効果によると考えられる。通常ドット内では、フォトン結合はフォノン結合よりも小さい。そこで周波数やパワーの制御されたマイクロ波をソースドレイン間に印加することによりフォトン結合の効果を調べた。その結果、縦型二重量子ドットで初めてフォトンアシストトンネル(PAT)を観測した。ゼロ磁場で三重項状態間遷移ピーク幅は狭く、これは核スピン揺らぎの効果によるドット間結合の抑制を反映していると考えられる。フォノン結合により主ピークの両側に1光子または多光子の吸収・放出を伴う衛星ピークが観測され(図2右下)、衛星ピークの幅も全て狭く一定であったことから、二電子スピン三重項状態の安定性が示された。

 本論文のもう一つの目的は量子ドットを構成するGaAsの核スピンと電子スピンの超微細相互作用(HF)の制御・利用である。近年、縦型二重量子ドットにおいて、スピン三重項励起状態を作ることによってパウリ効果による安定状態ができること(パウリスピンブロケード、P-SB)、この状態はHFを介して時間的に除々に解消することが核磁気共鳴を用いて確認されている。本論文では、このHFを外部磁場やV(sd)により制御し二電子スピン状態の交換相互作用の解明に利用している。

 まずP-SB状態の二電子系の基底状態・励起状態について説明する(図3左a)。ドット間二準位のエネルギー差Δが大きい場合、基底状態は右のドットに二電子がスピン一重項を作っている状態S(0,1s1s) になる。第一(二)励起状態は電子が各ドットに一個ずつ入ってスピン三重項(一重項)を作っている状態T(1s,1s)(S(1s,1s))である。P-SB状態で電流が抑制されているときの電子状態はT(1s,1s)であり、零磁場では異なるSz 状態が三重縮退している。この状態からS(1s,1s)にスピン散乱されない限り電子はS(0,1s1s)に遷移できない。

 V(sd)をP-SB 状態内で固定し、静磁場を掃引して磁気抵抗を測定すると、ある磁場においてステップ的な電流の増加がみられ、掃引方向に対してヒステリシスが現れる(図3中央下)。この電流ステップの機構について説明する。磁場を印加していくとT(1s,1s)状態のエネルギー縮退が解け、そのうち|S=1,Sz=-1>状態は磁場の増大とともにエネルギーが増加し、ある磁場B(sw) においてS(1s,1s)状態と交差する(図3中央b)。従って、S(1s,1s)とT(1s,1s)のエネルギー差である交換エネルギーJとB(sw)の間には J = gμB(sw)の関係がある(gは量子ドット中の電子のg因子、μBはボーア磁子)。B(sw)ではSz成分の異なる2 状態が縮退しているため、この状態間の遷移はエネルギー変化がほぼゼロで、電子スピン反転を伴う。つまり磁場がB(sw)に達すると、電子スピン・核スピン間のHF(フリップフロップ型)により核スピン分極が生じ、核スピン分極状態の変化によって電流がステップ的に増加したと解釈できる。

 そこで本論文では、縮退磁場B(sw)(Jに対応)とV(sd)の関係について詳しく調べた。JはΔと2tの関数である。ΔはVsdにより制御し、2tは異なるデバイスAとBを用いて依存性を調べた。実験では二つの三重項状態間の共鳴点ΔT付近でJの増大が観測された(図3右上■)。これは三重項状態間の反交差によるJの増大を反映していると考えられる。また、核スピン揺らぎによる一重項三重項混合とHFによる一重項三重項遷移が共存する現象を初めて観測した。比較のため、デバイスBを用いて同様な実験を行った(図3右下■)。Jを見積もるための重要なパラメータであるGaAs系縦型量子ドットのg因子は、同様の縦型量子ドットを用いた高磁場下のクーロンダイヤモンド測定から〜0.23程度と見積もることができた。また、特徴的なエネルギー値に関しては、詳細なクーロンダイヤモンドの解析から見積もった。2p状態を取り入れたハバードモデルの計算を行い、上記で見積もったエネルギーの値を代入することで、実験的に見積もられたJと定量的な比較を行った。計算結果は実験データ(■)とよく一致した(図3右赤線)。共鳴点付近から非共鳴領域まで幅広い範囲でのJの定量的な議論が本論文で初めてなされた。

図1. 左:デバイスAのクーロンダイヤモンド。aやb等の赤点線はドット間二準位の共鳴状態を示す。c,d,eは片方のドットとリードのフェルミエネルギーが揃う際に現れる線である。f内ではパウリ効果による電流抑制が観測され、電子スピンと核スピンの相互作用を調べる舞台となる(後述)。右:量子ドット内の電子状態はよく同定され(a,b)、原子になぞらえ1s,2p,3s3d,...と呼ばれる(挿図)。

図2. 中央上:単電子状態間遷移(a)はローレンツピークを示す。中央下:三重項状態間遷移(b)は非対称なピーク形状を示す。右上:単電子状態間遷移ピークの縦磁場依存性は干渉効果を示している可能性がある。右下:PAT効果。印加周波数は〜10GHz。

図3. 左a:二電子系の基底状態・励起状態のΔ依存性。T(1s,1s)とT(0,1s2p)の共鳴はΔ=ΔTで起こる。中央b:磁場下でT(1s,1s)はゼーマン分離し、Sz=-1状態とS(1s,1s)はBswで縮退する。中央下:電流値に見られるヒステリシス。右:実験的に見積もられたJとハバードモデルによる計算の定量的比較。上はデバイスA、下はB。

審査要旨 要旨を表示する

 近年,半導体の微細加工技術の発展により様々な形状を持った半導体超構造の作製が可能となり,低次元超構造中に閉じ込められた電子の量子力学的挙動を観測・制御できるようになった.とくに,量子ドットは0次元的に電子を閉じ込めるもので,量子ドット内の電子数を1個ずつ制御することによって,多彩な量子力学的現象を精密に研究できることから,利用も視野に入れた多くの研究が行われている.本論文では,2個の量子ドットが弱く結合した二重量子ドットについて,1電子状態,2電子状態を特定しながらの電気伝導測定を行い,電子間の相互作用,電子系と外部環境(核スピン,フォノン,フォトン)との相互作用,2電子状態におけるスピン間の交換相互作用を明らかにしようとしている.

 本論文は5章からなる.第1章では,まず本研究の背景と本研究の目的について簡潔に述べている.第2章では,本研究の背景をより詳しく説明するために,単一量子ドットの電子状態,二重量子ドットの電子状態と直流電気伝導測定による電子状態同定についての基本的な事項を述べている.とくに,パウリ・スピン・ブロッケード,スピン一重項―スピン三重項遷移など,電子スピンの関与する伝導現象や環境との相互作用に関する従来の研究についてまとめている.

 続く第3章では,本研究で用いた二重量子ドット試料の作製と実験手法について述べている.本研究の特徴のひとつであるドット内の電子とフォトンとの相互作用の測定も含めた実験のセットアップについて述べている.試料はドット間のトンネル結合の異なる2個を作製し,測定に用いている.

 第4章では,実験結果とその解析・考察が述べられており,本論文の中核をなしている.最初に,二重量子ドットの1電子状態および2電子状態を同定するために,ソース・ドレイン電圧,ゲート電圧を変えながらの電気抵抗測定で得られたクーロン・ダイヤモンドの解析をおこなっている.ドットへの電子の閉じ込めのポテンシャルを円対称な2次元調和振動子で近似してポテンシャルパラメータを求め,さらに円対称性・調和性からのずれも定量的に評価している.以上のドットの電子状態に関する正確な情報を踏まえて,まず,ドット間およびドットと導線の間の電子のトンネル確率を,磁場を印加しながら電気伝導度測定を行い調べている.1電子状態間の遷移の場合は電気伝導の共鳴ピーク形状が対称的で,2電子状態を伴う遷移の場合は非対称的であることを見出し,二重ドット内の電子系とフォノン系との相互作用に関する知見を得ている.さらに,マイクロ波の照射によって共鳴ピークが分裂することを見出し,電子系とフォトン電場の相互作用を明らかにしている.次に,パウリ・スピン・ブロッケード状態での電気伝導(リーク電流)の磁場依存性を詳細に調べている.電流が磁場で減少する現象を核スピンのゆらぎの抑制によると考えることにより,電子と核スピンの相互作用の大きさを見積もっている.また,電流がある磁場で急激に増加する現象を見出し,これをスピン一重項―スピン三重項遷移と同定することによって,ゼロ磁場におけるスピン一重項とスピン三重項のエネルギー差Jを見積もっている.ソース・ドレイン電圧を変化させることによってJも変化することを見出し,ハバード・モデルを用いた解析で定量的に説明した.

 最後の第5章で,本論文の結論をまとめ,将来の展望について述べている.

 以上のように本論文は,二重量子ドットの電気伝導の磁場・フォトン電場のもとでの精密な測定と解析を行うことによって,電子系と外部環境の相互作用を初めて電子状態を特定しながら明らかにした点,スピン一重項―スピン三重項分裂の大きさを実験的に明らかにした点で高く評価された.

 なお,本論文の一部は,樽茶清悟,大野圭司,佐々木智,平山祥郎,北村陽介,藤沢利正,小幡利顕,羽田野剛司,岩井泰章,丸山達朗,Wilfred G. van der Wiel, Michael Stopa各氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験,解析,考察を行なったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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