学位論文要旨



No 122097
著者(漢字) 佐藤,英和
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒデカズ
標題(和) 極低温角度分解磁化測定法による異方的f電子化合物の研究
標題(洋) Study of anisotropic f electron compounds by means of the low-temperature angle-resolved magnetization measurements
報告番号 122097
報告番号 甲22097
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4960号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 金道,浩一
 東京大学 教授 常次,宏一
 東京大学 助教授 廣田,和馬
内容要旨 要旨を表示する

f電子は局在性が強く,周りのp、d電子との混成や結晶場の効果が小さいために基底状態付近に軌道縮退が残る場合が多い。その結果、磁気モーメントの向きに対応する磁気自由度の他に電荷分布の異方性に対応する四極子自由度を持つ。f電子系化合物においてこれら自由度間の相互作用により引き起こされる相転移現象は、舞台となる格子の種類や次元性及び相互作用の種類によりに多彩な様相を呈し、物性物理学における中心的研究テーマのひとつとなっている。磁場はこれら相転移現象を調べる上で重要なパラメーターであるが、異方的な秩序状態を反映して磁場に対する応答は磁場方向によって異なる。したがって、磁場方向を連続的に変えながら系の応答を詳細に検出すれば秩序変数に対する深い知見を得ることができる。磁化は最も基本的な物理量のひとつであり、その磁場方向依存性を調べることにより磁気転移だけでなく四極子転移に対しても秩序変数を調べるのに有用である。一方f電子系は、周りのf電子との相互作用が弱いために相転移温度は一般に低く、3He冷凍機や希釈冷凍機を用いた実験が必要となることが多い。これら理由により、極低温において磁場方向を連続的に変化させながら行なう磁化測定は異方的なf電子物性を解明する上で有力な実験手段となり得る。しかし、1K以下の極低温で用いることができるこのような装置が開発されたという報告はほとんどない。そこで、本研究では3He冷凍機を用いた極低温角度分解磁化測定装置の開発を行い、この装置を用いてパイロクロア酸化物Dy2Ti2O7と充填スクッテルダイト化合物PrFe4P(12)の二つの希土類化合物の研究を行った。

【磁化測定法】

 磁化測定法は極低温領域の測定に適したキャパシタンス式ファラデー法を用いた。これは不均一磁場中で試料に働く磁化に比例した力を検出する方法で、測定中に試料を動かす必要がないため発熱の心配がなく極低温の測定に適している。超伝導スプリットペアマグネットを用いて磁場を水平方向に発生させ、PC制御できる回転機構を用いて冷凍機を鉛直軸の周りに回転させることにより試料にかかる磁場方向を連続的に変えることができるようにした。磁場勾配は試料位置を磁場中心から鉛直方向にずらした位置にできる自然勾配を利用しているが、精度良く磁化を測定するためには試料位置の精密な調節が必要となる。そこで冷凍機を鉛直方向に精度よく移動することができるPC制御可能な上下機構を用い磁場勾配の再現性を高めた。

【パイロクロア酸化物Dy2Ti2O7】

 パイロクロア酸化物Dy2Ti2O7はスピン間の相互作用が〜1Kの強磁性的であるにもかかわらず、長距離秩序を示さない幾何学的フラストレーション系である。磁性を担うDyイオンはパイロクロア格子(頂点共有の正四面体ネットワーク)上に存在しており、<111>方向に容易軸を持つイジングスピンで記述される。この容易軸のために相互作用が強磁性的であってもDy2Ti2O7はフラストレーションを示す。最も安定な状態は四面体上の4つのスピンは2つのスピンが内側、2つのスピンが外側を向いたtwo-in,two-out構造であり、六重に縮退している。この縮退により結晶全体では基底状態は巨視的な縮重度を持ち、実験的にも残留エントロピーが観測されている。未解決の問題として、粉末試料の磁場中比熱実験により示唆されている磁場誘起相転移が上げられる。スピンの磁気モーメントが〜(gJ)JμB=10μBと大きくスピン間の相互作用としては交換相互作用よりも長距離に及ぶ磁気双極子相互作用が利いてくるため、この長距離力との関連からも興味深い現象である。(110)面内において角度分解磁化測定を行なうことにより磁場誘起相転移について調べた結果、2つの新しい相転移を発見した。一つ目は、[111]と[112]の間に磁場を印加することで現れる相転移で、臨界温度Tc=0.26±0.01Kを持つ。磁化の角度依存性を詳細に解析することにより、[111]方向にイジング軸を持つスピンの強磁性転移であることが分かった。これらスピン間は第三近接距離だけ離れているため、双極子相互作用が引き起こす相転移と言える。二つ目は[111]と[110]の間の磁場方向に存在し、Tc=0.49±0.02Kの臨界温度を持つ。この相転移は[111]方向と[111]方向にイジング軸を持つ2種類のスピンが関与したものであることが明らかとなった。これらスピン間は最低でも第二近接距離だけ離れているためこの相転移も双極子相互作用が引き起こす相転移と言える。

【充填スクッテルダイト化合物PrFe4P(12)】

 PrFe4P(12)は電気抵抗や熱電能などにおいて近藤効果的な挙動を示し、低温高磁場においてPr系化合物としては非常に珍しい重い電子状態が形成されるため、興味が持たれている物質である。体心立方構造をもつこの物質はTA=6.5Kにおいて相転移を示す。この相転移は磁気的なものでないことが中性子回折、NMR、μSR実験により明らかにされている。X線回折実験ではA相においてq=(100)の超格子反射が観測されており、Feイオンが(δ,δ,-2δ)で歪んでいると報告されている。また磁場中中性子回折実験によりA相において反強磁性モーメントが磁場方向に誘起されると報告されている。これらのことからA相はO02型の四極子が反強的に整列している状態であると考えられている。

 このA相において、角度分解磁化測定を行い以下の結果を得た。

・ 磁化が磁場に比例する磁場領域においては、異方性がない。

・ 磁化の異方性はcubicinvariantなh4x+h4y+h4zに従う。

・ 転移温度の異方性もh4x+h4y+h4zに従う。

ここでhx、hy、hzは磁場の方向余弦である。この結果は、秩序相においても立方対称性を保つことを強く示唆し、立方対称性を落とす四極子転移の可能性を否定するものである。f電子が持つ時間反転対称性と立方対称性を破らない高次の多極子自由度としてはΓ1型の電気十六極子がある。しかし反強的十六極子秩序では基底状態に縮退が残ることが予想され比熱の実験結果と合わない。このことから、単純な反強的十六極子秩序の可能性は低いと考えられる。

図1:Dy2Ti2O7の磁化の角度依存性。

図2:PrFe4P(12)の磁化の角度依存性。挿入図は主軸方向の磁化の磁場依存性。

審査要旨 要旨を表示する

 佐藤英和氏提出の本論文には、磁場方向を精密に制御しながら1K以下の極低温での磁化測定を行うために、論文提出者が改良を加えた角度分解磁化測定装置を用いて、スピンアイス化合物Dy2Ti2O7及びスクッテルダイト化合物PrFe4P(12)の2種類のf電子系化合物に対する磁化測定を行った結果が述べられている。f電子系化合物は一般に、強いスピン・軌道相互作用を反映した軌道縮退を伴う局在磁気モーメントを有し、結晶場との相互作用によって生じる異方的性質がその多彩な磁性の起源となっている。また局在性の強いf電子の間では相互作用が比較的弱いため、興味深い磁気秩序や磁気相転移は1K以下の極低温で起こることが多い。従って磁性にとって最も基本的な磁化測定を極低温で磁場方向の正確な制御のもとで行うことは、f電子系化合物の研究にとって本質的な重要性を持っている。それにもかかわらず、これまで満足すべき測定法が開発されていなかった。論文提出者は極低温における磁化測定に特に適しているキャパスタンス式ファラデー法に改良を加え、異方性の強い磁性体に対する精密な角度分解磁化測定法を確立し、これを用いてDy2Ti2O7における新奇な磁気相転移現象を発見し、またPrFe4P(12)の低温相の秩序パラメータに関して新しい知見を得た。

 本論文は6章よりなる。第1章でf電子系化合物における角度分解磁化測定の有用性を述べた後、第2章で測定装置及び測定法の独創的な点が説明されている。第3章でスピンアイス化合物についてのこれまでの研究に言及した後、第4章でDy2Ti2O7についての実験結果及び考察を述べ、第5章でスクッテルダイト化合物PrFe4P(12)に関する実験結果とその解釈を記述し、更に第6章で全体を総括している。

 キャパスタンス式ファラデー法とは、バネ上に支持された試料が勾配のある磁場中に置かれたときに、試料が受ける力に比例したバネの変位をキャパシタンスの変化として検出することにより、磁化を測定する方法であるが、磁気異方性の強い試料に適用する際には、磁気トルクの影響を除く工夫が必要となる。論文提出者は、バネを構成するリン青銅ワイヤーの配置を調整し、また試料を含むヘリウム3冷凍機全体をコンピュータ制御のモーターで上下に駆動して、磁場勾配の符号が反転する2ヶ所で測定を行い、そのデータを差し引きすることによりトルクの影響を除去することに成功した。この方法を用いて、以下に述べる2つの物質についての実験を行った。

 Dy2Ti2O7に代表されるスピンアイス化合物は、正四面体が頂点を共有して連なったパイロクロア格子上に、イジング異方性を持つDyスピンが置かれた系であるが、強い磁気的フラストレーションのために絶対零度においても巨視的縮退が残ることで興味を集めている。各スピンは格子点と四面体中心を結ぶ方向([111]またはこれに等価な方向)に平行な二つの向きを取り得るが、強磁性的な最近接相互作用のために、ゼロ磁場下では各四面体上の4個のスピンのうち2個が頂点から四面体中心に入る向き、残りの2個が四面体中心から頂点に出る向きをとるスピン配置(two-in-two-out構造)が安定である。これに磁場をかけると、4個のうちある副格子上のスピンについては周囲のスピンからの分子場と外部磁場が競合し、ある臨界磁場以上でスピンフリップが起こる場合が知られている。このためスピンアイス化合物は磁場方向に依存する複雑な磁気相図を示し、単結晶試料を用いた熱的・磁気的な測定によりその解明が近年進んできた。しかし、粉末試料に対する初期(1999年)の磁場中比熱に現れた幾つかのピークについてはその起源が不明であった。

 論文提出者は、磁場方向を変えながら磁化測定を行う事によってこのようなスピンフリップ転移を検出し、注意深いデータ解析によりこれが協力的な相転移現象であることを確立した。この機構は以下のように理解される。ある副格子について分子場と外部磁場が競合するとき、外部磁場の容易軸方向の成分と分子場がちょうどキャンセルする臨界磁場において、この副格子上のスピンが感じる有効磁場がゼロとなる。この状況下で温度が低下すると副格子上のスピン間の長距離相互作用により自発的な強磁性磁気秩序が発生する。論文提出者は磁場の方位を変えて測定した磁化のデータを、磁場の容易軸方向への成分の関数としてプロットすることにより、通常の強磁性転移と同様な臨界温度における微分磁化率の発散を明確に観測した。この臨界温度は磁場方向に依存する。論文提出者は、複数の磁場方向に対するこのような測定から粉末試料の比熱のピークの起源を明らかにするとともに、磁場方向に依存する磁気相図を統一的に理解することに成功した。

 本研究の対象となったもう一つの物質PrFe4P(12)はゼロ磁場下で6.5Kにおいて相転移を示すことが知られているが、低温においても磁気秩序が検出されず、様々なマクロな物性測定から低温ではPr(3+)の四極子秩序が実現していると考えられてきた。本研究では、まず秩序相において磁化が殆ど等方的であることが見出された。結晶の点群対称性を破るような四極子秩序がある場合、通常は磁化に大きな異方性が現れるので、これは四極子秩序に対して否定的な結果である。また様々な磁場・温度において僅かに存在する磁化の異方性や相転移温度の異方性を精密に測定した結果、低温相の磁気的応答が結晶の立方対称性を破っていないことが見出された。特に四極子秩序相で期待されるドメインの入れ替わりに伴う磁化のキンクや不連続性は観測されなかった。こうしてこれまで議論されてきた四極子秩序の可能性が否定されるとともに、立方対称性を保つスカラー型の秩序変数を仮定した現象論的なギンズブルグーランダウ理論によって実験結果が再現されることが示された。

 以上のように、本研究により極低温の角度分解磁化測定法が確立し、これを巧みに用いた実験によりスピンアイス化合物Dy2Ti2O7における新奇なスピンフリップ相転移の機構や、スクッテルダイト化合物PrFe4P(12)の奇妙な秩序相の対称性が明らかになった。これらの業績はf電子系化合物の研究の進展に大きく貢献したと言える。本論文の成果について議論した結果、審査員全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。なお本研究は指導教官である榊原俊郎氏の他、松平和之、高木精志、鬼丸孝博、菅原仁、佐藤英行、田山孝、広井善二の諸氏との共同研究の部分があるが、論文の主要な成果について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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