学位論文要旨



No 122103
著者(漢字) 友寄,克亮
著者(英字)
著者(カナ) トモヨリ,カツアキ
標題(和) ヤギαラクトアルブミンの安定性とフォールディングに及ぼすN末端アミノ酸残基の影響
標題(洋) The effect of the N-terminal amino-acid residue on stability and folding of goat α-lactalbumin)
報告番号 122103
報告番号 甲22103
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4966号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 豊島,近
内容要旨 要旨を表示する

 蛋白質のフォールディングはDNAから転写、翻訳を経て得られたアミノ酸の一次配列が生体内で「蛋白質」としての機能を持つ天然の特異的な三次元立体構造に変換される過程であり、遺伝情報発現の最終段階と考えることができる。従って、蛋白質フォールディングメカニズムを明らかにすることは生物物理学の重要なテーマである。

 αラクトアルブミンは123残基、分子量およそ1,4000のカルシウム結合蛋白質である。X線結晶構造解析により構造はすでに明らかになっており、二つのドメインすなわちαドメインとβドメインから構成されている。αドメインは主に4本のαへリックスからなり、βドメインは一連のループ構造と3本の反平行βストランドで構成されている。

 本研究では、ヤギαラクトアルブミンのN末端残基がその熱力学的安定性やフォールディングとアンフォールディングの速度過程にどのような影響を及ぼすかを定量的に調べることを第一の目的とする。

 本研究では上記目的を達成するため以下の三種類の蛋白質を用いた。(1)新鮮なヤギ乳から抽出精製した真性体ヤギαラクトアルブミン、(2)大腸菌による組換え体(N末端に余分なメチオニン残基(Met)が付加してN末端の位置が一残基分ずれている)、(3)ΔE1変異体(N末端がMetだがN末端の位置は真性体と同じ)。

 大腸菌を用いて発現させた組み換えヤギαラクトアルブミンの天然状態の安定性は、真性体と比べて著しく不安定化することが、塩酸グアニジンを用いた平衡条件下でのアンフォールディング実験で明らかになっている。一方、この組み換え体のN末端のグルタミン酸(Glu)を遺伝子工学的に除去した組換え体ΔE1変異体は安定性が回復することが知られている。これらの事実から真性体やΔE1変異体とN末端に余分なMetが付加した組み換え体との間における安定性の違いと、MetやGluの有無を利用し、ヤギαラクトアルブミンのフォールディングに及ぼすN末端の影響を調べることができる。これら三種類の蛋白質の塩酸グアニジンによるアンフォールディング転移の平衡論的解析、アンフォールディング反応とフォールディング反応の速度論的解析を行った。また、N末端残基の違いが、Ca(2+)結合に及ぼす影響を調べるため、Ca(2+)存在下(ホロ型)およびCa(2+)非存在下(アポ型)で同様の解析を行った。逆に、ホロ型とアポ型それぞれのN末端の構造組織化度を調べることにより、フォールディングにおいてCa(2+)存在/非存在がN末端領域の構造形成に与える影響も調べた。

 上記平衡条件下における解析の結果、大腸菌由来の組み換え体は、真性体に比べて天然状態が不安定化し、ΔE1変異体は真性体に比べて天然状態の安定性が回復することを確認した。ホロ型の見かけの転移中点における塩酸グアニジン濃度は、三つの蛋白質(1)、(2)、(3)それぞれ約3.2M、2.6M、3.3Mであった。一方、アポ型の見かけの転移中点における塩酸グアニジン濃度は、三つの蛋白質(1)、(2)、(3)それぞれ、約1.6M-1.1M-1.7Mであった。ΔE1変異体の安定性の回復により、ΔE1変異体の天然状態の安定性は、真性体と酷似していることが分かった。また、見かけの速度定数(対数)の塩酸グアニジン依存性(シェブロンプット)測定の結果、大腸菌由来の組み換え体の速度論的描像に比べてΔE1変異体は、より真性体に近いことが分かった。このことよりΔE1変異体は、蛋白質工学の手法を用いてαラクトアルブミンのフォールディング機構を研究する上で、良い擬野性型蛋白質となることも分かった。

 上記三種類の塩酸グアニジンによるフォールディングおよびアンフォールディングのストップトフロー円二色性(CD)による速度論的な解析結果から、N末端残基の違いによらず、フォールディング反応で約65%、アンフォールディング反応では、25%-35%のバースト相(ストップトフローCD装置の不感時間(25msec)内に起こる実質的なCD変化)が観測された。またフォールディング反応のバースト相とアンフォールディング反応のバースト相のいずれにおいてもこれらの変化量の塩酸グアニジン依存性には協同性が観測された。これまでの研究では、フォールディング反応のバースト相の存在はすでに明らかになっており、これは、フォールディングの初期中間体によってもたらされており、平衡条件下の中間状態と一致することが知られている。一方、アンフォールディングのバースト相はこれまで明らかにされていなかった。このアンフォールディングのバースト相変化量の塩酸グアニジン濃度依存性の結果から、N末端残基の違いによらず、ホロ型は塩酸グアニジン濃度3-4M、アポ型では塩酸グアニジン濃度2-3Mにおいて転移が観測された。また、シェブロンプロットの転移領域から変性領域にかけて、見かけの速度定数(対数)の塩酸グアニジン濃度に対する線形性依存性からのずれ(ロールオーバー)が観測された。これらの結果から、変性状態(U)、フォールディング初期中間体(IB)、アンフォールディング中間体(IN)、天然状態(N)の逐次的四状態モデルを仮定した熱力学的安定性の解析を行った。

 N末端残基の違いが、Ca(2+)結合にどのような影響を与えるかを調べるために、三つの蛋白質のホロ型とアポ型の測定結果を用いて、Ca(2+)結合部位の構造組織化度(Φ値解析の評価)を評価した。その結果、各状態と遷移状態(‡)におけるΦ値は、真性体では、Φ(IB)=0.12、Φ‡=0.42、Φ(IN)=0.64、大腸菌由来の組み換え体では、Φ(IB)=0.17、Φ‡=0.51、Φ(IN)=0.79、ΔE1変異体では、Φ(IB)=0.20、Φ‡=0.47、Φ(IN)=0.68となった。また各状態におけるCa(2+)結合定数(K)を評価した結果、真性体では、K(IB)=1.9×103M(-1)、K‡=4.1×104M(-1)、K(IN)=2.9×105M(-1)、KN=6.7×106M(-1)、大腸菌由来の組み換え体では、KIB=1.6×103M(-1)、K‡=1.8×104M(-1)、KIN=9.6×104M(-1)、KN=3.3×105M(-1)、ΔE1変異体では、KIB=5.8×103M(-1)、K‡=9.5×104M(-1)、K(IN)=7.7×105M(-1)、KN=1.7×107M(-1)となった。これらの結果より、ヤギαラクトアルブミンのCa(2+)結合部位の構造は、N末端残基の違いによらずIB、‡、IN、Nの順に構造組織化してゆくことが分かった。

 ヤギαラクトアルブミンのフォールディングの各状態におけるN末端の構造組織化を調べるために、N末端のΦ値解析を行った。その結果、ホロ型ではΦ(IB)=-0.09、Φ‡=-0.14、Φ(IN)=0.34となり、アポ型ではΦ(IB)=0.25、Φ‡=0.22、Φ(IN)=0.76となった。これらの結果は、N末端部位の構造形成安定化は、フォールディングの最終段階で起こることを示している。また、アポ型のN末端部位の各状態における安定化エネルギーレベルが、ホロ型に比べて高くなっており、ホロ型とアポ型の構造形成安定化の開始部位が異なることが分かった。

 以上の結果から以下の結論に至った。

(1)三つの蛋白質のアンフォールディングのストップトフローCDによる解析から、N末端残基の違いによらずアンフォールディングのバースト相が存在し、それは、アンフォールディングの初期中間体(IN)によってもたらされていることが初めて明らかになった。

(2)Ca(2+)結合部位のΦ値解析およびCa(2+)結合定数の評価を行った結果、N末端残基によらず、ヤギαラクトアルブミンのフォールディングは、フォールディング中間体(IB)とアンフォールディング中間体(IN)の間に存在する遷移状態(‡)によって律速されるとする逐次的四状態モデルに従うことが分かった。

(3)N末端部位のΦ値解析の結果から、アポ型のN末端部位の各状態の安定化エネルギーレベルが、ホロ型に比べて高くなっており、ホロ型とアポ型の構造形成安定化の開始部位が異なることが分かった。

(4)本研究で採用した、大腸菌由来の組み換え体のN末端から2番目のGluを遺伝子工学的に除去した組換え体ΔE1変異体は安定性が回復し、その安定性および速度論的描像は真性体と酷似している。したがって、ΔE1変異体は良い擬似野生型蛋白質となり得ることが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなる。第1章は全体的な序論で、蛋白質のフォールディング問題、とくにフォールディング過程の主要な中間体であるモルテン・グロビュール構造について概説されている。第2章は本論で、研究の目的について述べた「緒言」、実験で用いた試料と方法について述べた「試料および方法」、実験結果の詳細について述べた「結果」、実験結果についての考察を行った「考察」から構成されている。第3章は結論で、本論文の結論がまとめられている。

 本論文で研究の対象となっているαラクトアルブミンは123残基、分子量およそ1,4000のカルシウム結合蛋白質である。X線結晶構造解析により構造はすでに明らかになっており、2つのドメイン、すなわち、αドメインとβドメインから構成されている。αドメインは主に4本のαヘリックスからなり、βドメインは一連のループ構造と3本の反平行βストランドで構成されている。

 本論文において、論文提出者は、ヤギαラクトアルブミンのN末端残基がその構造の熱力学的安定性とフォールディングおよびアンフォールディングの速度過程に及ぼす影響を定量的に調べる研究を行った。N末端の残基が異なる蛋白質として、真性体、組換え体、ΔE1変異体の3種類が用いられた。真性体は新鮮なヤギ乳から抽出・精製されたヤギαラクトアルブミン蛋白質である。組換え体は大腸菌で大量発現させたヤギαラクトアルブミン蛋白質で、N末端に余分なメチオニン残基(Met)が付加されている。ΔE1変異体は大腸菌で大量発現させたヤギαラクトアルブミン蛋白質であるが、真性体のN末端のグルタミン酸残基(Glu)をMetに置換したアミノ酸配列をもつ。

 論文提出者は、これら3種類の蛋白質の塩酸グアニジンによるアンフォールディング転移の平衡論的解析、アンフォールディングおよびフォールディング反応の速度論的解析を行った。また、N末端残基の違いがCa(2+)結合に及ぼす影響を調べるために、Ca(2+)存在下(ホロ型)およびCa(2+)非存在下(アポ型)で同様の解析を行った。構造の転移は遠紫外および近紫外の波長における円二色性(CD)により測定された。また、速度論的解析は混合時間が25ミリ秒のストップトフロー装置を使用して行われた。

 N末端のアミノ酸残基が異なる3種類の蛋白質を用いた実験および解析から、論文提出者が明らかにしたことは以下のとおりである。(1)アンフォールディングのストップトフローCDによる解析から、N末端残基の違いによらず、アンフォールディングにおいてもバースト相が存在することをはじめて明らかにした。そして、バースト相がアンフォールディングの初期中間体(IN)によってもたらされていることを示した。(2)フォールディングおよびアンフォールディングのストップトフローCDによる解析から、ヤギαラクトアルブミンのフォールディング過程は、N末端残基によらず、変性状態(U)からフォールディング中間体(IB)とアンフォールディング中間体(IN)を経て天然状態(N)へ転移する逐次的四状態モデルに従うことを明らかにした。また、フォールディングおよびアンフォールディングの速度は2つの中間体の間に存在する遷移状態(‡)によって律速されることを示した。(3)N末端部位のφ値解析の結果から、アポ型のN末端部位の各状態の安定化エネルギーレベルはホロ型に比べて高く、ホロ型とアポ型の構造形成安定化の開始部位が異なることを明らかにした。(4)組換え体は真性体よりも熱力学的な構造安定性は低いが、ΔE1変異体では安定性が回復し、その安定性は真性体に酷似していることを明らかにした。また、見かけの速度定数の塩酸グアニジン濃度依存性(シェブロンプット)の測定結果から、ΔE1変異体はフォールディングおよびアンフォールディングの速度論的描像も真性体と酷似していることを示した。

 以上のように、論文提出者は、N末端アミノ酸残基がヤギαラクトアルブミンの構造の安定性とフォールディングに及ぼす影響を詳細に調べ、真性体のN末端のGluをMetに置換したΔE1変異体の構造の安定性とフォールディングの性質が真性体と酷似していることをはじめて明らかにした。この結果はヤギαラクトアルブミンのフォールディング機構を調べる研究においてΔE1変異体が良い擬似野生型蛋白質となり得ることを意味する。したがって、蛋白質のフォールディングの研究を進める上で重要な足跡を残したといえる。

 なお、本論文は中村敬、佐伯喜美子、榎亙介、桑島邦博との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析及び考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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