学位論文要旨



No 122131
著者(漢字) 井口,享道
著者(英字)
著者(カナ) イグチ,タカミチ
標題(和) 東シナ海領域を対象としたビン法雲解像モデルによる雲微物理特性に関する数値実験
標題(洋) A numerical study of the cloud microphysical properties in the East China Sea region by a bin-type cloud resolving model
報告番号 122131
報告番号 甲22131
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4994号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 助教授 小池,真
 東京大学 助教授 今須,良一
 気象研究所 室長 斉藤,和雄
内容要旨 要旨を表示する

1.研究目的

 大気中において雲を構成する水粒子(雲粒)は雲凝結核(Cloud Condensation Nuclei; CCN)と呼ばれる親水性エアロゾルを核として形成される。このため、卓越している各種エアロゾルの濃度が異なる環境どうしでは、そこでの雲の性質に少なからず違いが生じる。その代表例として、海上対流雲と陸上対流雲の系統的な微物理特性の違いが挙げられる。一般的に海上対流雲の方がその雲粒濃度は小さく、雲粒の平均粒径は大きいことが観測によって示されている。これは雲凝結核濃度と雲粒濃度の間に正の相関があり、海上の方がより雲凝結核濃度が小さいため、その違いが雲の微物理特性の違いに影響を与えていることが過去の研究によって明らかにされている。

 このようなエアロゾルと雲の関係により、何らかの要因でエアロゾルの濃度が変化した場合、それを受けて雲の微物理特性は変化する。雲の微物理特性はその雲の光学特性と密接な関係にあり、それを通して地球の放射収支と関係付けられる。従って、エアロゾルは雲を介して間接的に地球大気の放射収支に影響を与え得るとされる。この効果はエアロゾル間接効果と呼ばれる。数値モデルと観測の両面から、このエアロゾル間接効果に対しては数多くの研究が行われている(e.g. IPCC 2001)。

 雲やエアロゾルは変化のタイムスケールが短く、空間分布の不均一性が高いために、数値モデル内におけるそれらの解像には高い時空間解像度が要求される。全球を対象とするモデルでは低い空間解像度により、雲やエアロゾルの取り扱いは多くの仮定パラメータを含む不確定性の高い表現法にならざるを得ない。これに対し領域を対象と限定した高空間解像度モデルでは、より詳細な表現法を使うことが可能になる。本研究では後者を選択する形で、領域モデルを使用する。

 本研究では以上のことを踏まえて、領域モデル上で雲凝結核の影響を考慮した条件下で雲微物理特性、雲物理量の計算を行うこと、その計算結果に対し観測結果との比較を行い検証すること、モデル内で雲凝結核の量に対する各雲物理量の感度を調べること、モデル内での雲凝結核の分布の再現性について検討することを研究目的とする。そのためのツールとして、既存の数値気象予報モデルに雲に関して詳細な表現法を使用して計算を行うモジュールを組み合わせたものを使用する。前者は雲を含む気象場の4次元分布を正確に再現するために必要であり、後者は雲凝結核の効果を陽にモデルの中に取り入れ雲の計算を行うために有用であり、その両者の利点を組み合わせる。

2.数値モデル詳細

 本研究で使用した数値モデルは、気象庁非静力学モデルJMA-NHM(Saito et al.,2006)及び、その旧版にあたるMRI/NPD-NHM(Saito el al.,2001)をメインフレームワークとする。これにヘブライ大学雲モデルHUCM(e.g. Khain et al.,1995)のbin法雲物理モジュール、全球エアロゾル輸送モデルSPRINTARS(e.g. Takemura et al.,2001)をベースとし開発したbin法エアロゾルモジュール(Asanuma,2004)、放射計算モジュールMSTRN-X(Sekiguchi and Nakajima,2005)をそれぞれ実装したモデルを使用する。現在それらの組み合わせ型により、異なる仕様を持つ4つの数値モデルがある。

 JMA-NHMでは数値実験の実行に際して、客観解析データや広域モデルの結果から初期値・境界外部値を作成し、Nestedモデルとして気象場の再現ランが可能となっている。従来の同様の研究に比べ新しい点として、この手法を本研究ではエアロゾルないしは雲凝結核濃度に対しても応用し、その4次元分布をモデルの中で再現させる。このネスティングを行うために必要な広域データとして、SPRINTARSの計算結果を利用する。SPRINTARSのbulkエアロゾル濃度から、本モデルbin法の濃度に変換するにあたっては粒子毎に適当なサイズ分布を仮定している。

3.数値実験

 幾つかの事例に対して、東シナ海領域を計算対象として前述した領域モデルを使用し、雲物理量の計算を行った。そのうちの一事例について数値実験の結果例を示す。ビン法雲微物理スキームを使用することにより、予報された水物質のサイズ分布から、例えば雲の微物理特性を代表する物理量である雲粒子の有効半径を直接に計算することが可能となっている。図2はその一例である。図3は同事例での衛星センサTerra/MODIS画像再解析による雲物理量推定値(e.g. Nakajima et al,2005)で、モデルの計算結果は前線に伴う雲列の部分に関して各雲物理量を良く再現できている。ただし、図3で見られる雲列周辺広範囲に広がる光学的厚さの薄い雲については、モデルの方では再現できていないなどといった観測との不整合が見られた。

 図4では図2と図3に表されている値を基とし、雲頂有効半径と光学的厚さ、雲頂温度間の相関関係を示した。モデルより計算された有効半径は観測の値に対し、過大評価の傾向にある。その原因を調べるため、同事例についてSPRINTARSの結果から計算した雲凝結核濃度に対し、航空機観測との比較を行った。SPRINTARSから計算された値は観測値に対し0.5倍程度の過小評価となっており、これに基づいてCCNの濃度を初期化とネスティングの過程の中で2倍にチューニングした条件で同様の実験を行った。その結果、上記の有効半径における過大評価方向のバイアスは改善された(図5)。従って、モデルにおける雲の微物理特性は雲凝結核濃度に依存し、その再現性については雲凝結核濃度の再現精度に依存することが示唆された。

 同事例について、鉛直積算雲水量(LWP)と一時間降水量の分布についてもモデル計算結果と観測(鉛直積算雲水量についてはTerra/MODIS画像解析、降水量についてはRadar-AMeDAS解析)との比較を行った。モデル計算結果は観測結果に対し、LWPの頻度を過小評価、降水の頻度を過大評価する傾向が見られた。ここでも、前述のようにCCN濃度に対して2倍とするチューニングを施した実験を行った。結果、微物理特性の場合とは違い、LWP、降水ともにその頻度についての観測とのバイアスは改善されなかった。bulk法の雲微物理スキームを用いた場合でも同じ条件での数値実験を行ったが、bin法の場合と同程度のバイアスが見られた。

 CCN濃度を増減させた条件下での数値実験により、各種雲物理量の雲凝結核濃度に対する応答として、雲の有効半径や雲水量の絶対値は明らかに変動するが、雲域の広がりや降水域の範囲、強度についてはほとんど変動が見られなかった。

4.結論

 本研究では、エアロゾルないしCCN濃度分布の再現を含む現実再現実験可能な3次元非静力学雲モデルを開発した。また数値実験に合わせて、衛星観測、レーダーアメダス解析雨量との比較による結果の検証を行った。これら数値実験の結果とその解析から以下のことが明らかとなった。

 ・ネスティングを使って計算されたエアロゾル濃度分布は衛星観測から得られたエアロゾル光学的厚さやエアロゾル種の分布を再現できていることが確認された。力学変数と同様にネスティングの手法が領域モデル内でエアロゾルないしCCN濃度の4次元分布の再現に有効であると考えられ、それを利用して雲凝結核からの生成を陽に扱う雲物理過程の計算に繋ぐことが可能になる。

 ・本モデルの特徴の一つであるbin法により計算された雲粒の粒径パラメータについて衛星観測による解析値との比較を行った。従来の研究ではこうした比較はなされてこなかったが、分布や雲頂温度との定性的な相関については観測推定値のものを再現することができた。

 ・本研究で扱った事例では雲域の分布や降水量の分布について、bulk法を用いた場合とbin法を用いた場合、ないしはbin法同士でCCN数を変えた感度実験では明確な違いは見られなかった。これは同様のbin法雲物理モジュールを使用した領域モデルによる先行研究(Lynn et al.,2005a,2005b)のものとは異なる結果である。この点については、本研究で扱った事例では前線活動のような総観場の強制によって雲の発達が起こっているのに対し、Lynn et al.の研究では雲が自身からの降水によるフィードバック効果により組織的に発達する事例を対象としており、両者の事例では雲物理過程の違いが雲の発達に反映される度合いが異なるためと結論付けた。

図2.0300UTC 8 April 2003での各種雲物理量(雲頂有効半径、雲光学的厚さ、雲頂温度)分布のモデル計算結果

図3.Terra/MODIS画像解析による図2と同じ雲物理量分布図

図4.図2、図3におけるモデル計算、衛星画像解析それぞれの雲頂有効半径と

雲光学的厚さ(左図)、雲頂有効半径と雲頂温度(右図)間の相関関係図

図5.図4と同じ、ただし雲凝結核数濃度をネスティングと初期化の過程の中で2倍とした条件でのモデル計算結果

審査要旨 要旨を表示する

 大気中の雲粒の生成には、雲凝結核(CCN)という親水性エアロゾルが重要な役割を演ずる。近年人為起源のエアロゾルの影響が注目されているが、一般に、他の条件が同じならば、CCN濃度が高い場合には、形成される雲粒の濃度は高く、平均粒径は小さくなる。雲粒の濃度や平均粒径は雲の放射特性に密接に関わっており、同じ雲水量のもとで雲粒濃度が増えると光学的に薄い雲のアルベードは増加すると共に、衝突併合の非効率化による雲の延命効果が起こり、放射収支に影響を及ぼすことが指摘されている。地球温暖化の研究には、複雑な大気・海洋の数値モデルの長期時間積分結果が使われるが、最先端のモデルでもその水平解像度は数10km程度しかなく、時間スケールが短く、空間分布が不均一な雲やエアロゾルの挙動を適切に表現することは難しい。

 本研究は、高解像度のメソスケール大気モデルに、ビン法と呼ばれる高度なエアロゾル・雲物理モジュール及び精巧な放射モジュールを組み込むことにより、温暖化予測の大きな不確定性要因の一つであるエアロゾルと雲の相互作用を数値天気予報と同レベルの現実的な場で再現するモデル開発を行うと共に、東シナ海領域を対象としてモデルの再現結果を観測に照らして検証したものである。従来、この種のモデル研究は理想化した場については行なわれているが、現実的な場に対してはほとんどなされていない。

 本論文は7章から構成される。過去の研究と問題点を総括する第1章に続き、第2章では本研究で開発した数値モデルが記述される。申請者は気象庁非静力学モデル(NHM)にビン法エアロゾル、ヘブライ大学雲モデルのビン法雲物理(ビン法MM)及び放射計算(MSTRN-X)の各モジュールを組み込んだ。上記2つのビン法モジュールは多様な降水粒子とエアロゾルを、それぞれ粒径の異なる33のカテゴリー(ビンと呼ぶ)毎に予報するもので従来から使われているバルク法雲物理モジュール(バルク法MM)と違い、雲の放射特性に重要な雲粒の粒径分布や有効半径を陽に記述できる。NHMは気象庁領域モデルの予報結果などに、CCN濃度は全球エアロゾル輸送モデル(SPRINTARS)の予報結果にネストしている。

 第3章では、寒冷前線が計算領域を東進した事例(以下事例I)について、水平解像度7kmのモデル結果とSPRINTARSによる再現結果、Terra/MODIS衛星の観測による雲物理量推定値を比較している。開発したモデルはSPRINTARSに比して、前線付近の雲列を含む各雲物理量の観測結果をはるかに良く再現することがわかった。

 第4章では、異なる気象条件の3事例について、ビン法MMを組み込んだモデルの結果がTerra/MODISの観測と比較され、モデルは有効半径を過大評価することがわかった。SPRINTARSの与えるCCN濃度は航空機観測と比べて約50%過小評価であったので、CCN濃度を2倍にした実験を行なったところ有効半径の過大評価は改善された。これからモデルの雲再現性はCCN濃度の再現精度に強く依存することがわかった。

 第5章では、事例Iについて鉛直積算雲水量(LWP)と時間降水量の再現結果をTerra/MODIS画像解析のLWP・Radar-AMeDASの降水量と比較しており、モデルはLWPの頻度を過小評価、降水の頻度を過大評価する傾向が見られた。ここでも、CCN濃度を2倍にする実験を行ったが、LWP、降水共に改善されなかった。比較のために、数値天気予報で用いているバルク法MMを用いた実験も行ったが、事例Iのように、雲の生成に大規模場の強制が主導的な役割を演ずる場合には、ビン法とバルク法の違いは降水に関しては小さいという、数値天気予報にとって有用な情報が得られた。ただし、雲の微物理特性には明瞭なCCN濃度依存性が見られたことから、雲の放射特性が重要となる気候予測などでは、ビン法MMを用いることが不可欠であることが示唆された。

 第6章では結果の議論と、水平解像度2kmのモデルの補足的な実験結果が示されている。水平解像度2kmでは小規模の厚い雲と強い降水が良く表現される傾向や雲粒の粒径分布の変化が見られたことから、モデルの高解像度化が図れれば更に信頼できる雲・エアロゾルの相互作用が再現できることが示唆された。第7章では全体の結論が述べられている。

 以上のように、本論文は現実場での雲・エアロゾル相互作用の解明と予測に利用できる高解像度数値モデルの開発に成功し、モデル再現結果を衛星観測・航空機観測と比較することにより、モデルの抱える課題と問題点を明らかにすると共に、温暖化予測における大きな不確定性要因の一つである雲・エアロゾルの相互作用の理解に対する今後の道筋を示したもので高く評価できる。

 従って、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/26745