学位論文要旨



No 122136
著者(漢字) 増島,雅親
著者(英字)
著者(カナ) マスジマ,マサチカ
標題(和) 亜寒帯前線帯における北太平洋中層水の形成と分布
標題(洋) Formation and distribution of North Pacific Intermediate Water in the Subarctic Frontal Zone
報告番号 122136
報告番号 甲22136
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4999号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 教授 安田,一郎
 東京大学 教授 川邉,正樹
 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 助教授 升本,順夫
内容要旨 要旨を表示する

 北太平洋中層水(North Pacific Intermediate Water、NPIW)は密度26.6-26.9σθに存在する鉛直的な塩分極小とその周辺の水として定義され、亜熱帯海域の300〜800mの深さに広く分布する。NPIW形成には、降水過剰により表層が低塩分である亜寒帯海域の低塩分水が亜熱帯中層に輸送される必要がある。低塩分亜寒帯水が亜熱帯海域へ輸送される過程に関する仮説は2つに大別される。一方は、北太平洋スケールで存在する亜寒帯前線周辺において、渦輸送によって亜寒帯水が拡散的に輸送されるという説である。もう一方は、オホーツク海を始点とする熱塩循環の一部として、亜寒帯/亜熱帯循環境界を横切って、亜寒帯水が亜熱帯海域へ直接輸送される、という説である。しかし、これらのNPIW形成過程に関する仮説は定性的な議論に留まっており、定量的議論をする必要がある。そこで本研究は、(1)東経150度以西の本州東方海域での亜寒帯水流入とNPIW形成を詳細な現場観測から定量的に明らかにすること、(2)北太平洋スケールの塩分極小水の変質を調べることにより、北太平洋におけるNPIWの分布とNPIW形成プロセスの関係を明らかにすることを目的とした。目的(1)に対し、1998年5月、2000年10月、2001年5月の混合水域における集中観測で取得された水温塩分データと垂下式超音波流速系データ(水平流速)を用いた。また、目的(2)に対し、東経150度以西で形成された塩分極小水の輸送と、その経路上での塩分変質を調べるため、気候値データを基に、粒子追跡と等密度面移流拡散モデルを用いて、変質過程を議論した。本研究では従来の研究と異なり、超音波流速系による直接流速観測やインバース法により求めた絶対地衡流流速場を用いて議論する点が新しい。

 東経150度以西では、北海道南を亜寒帯前線を横切って南西向きに輸送される亜寒帯水と、混合水域内沖合の亜寒帯前線を横切って輸送される亜寒帯水がみられた。沿岸の亜寒帯前線を横切って輸送される亜寒帯水流量は、観測平均の流量として、4.2Sv(26.6-27.4σθ密度間)と見積もられ、春に多く(5-10Sv)、秋に少ない(0-4Sv)という季節による違いがみられた。また、この亜寒帯水は、ほぼその性質を保って本州東方沿岸に沿って黒潮続流まで到達し、亜熱帯水と混合し、黒潮続流周辺のNPIWを形成していたことがわかった。この輸送は熱塩循環による循環境界を横切る亜寒帯水の輸送過程の結果生じたものと示唆される。一方、沖合の亜寒帯前線を横切る亜寒帯水流量は、沿岸の亜寒帯前線を横切る亜寒帯水と同程度の、6Sv(26.6-27.4σθ密度間)の流量と見積もられた。この亜寒帯水が亜寒帯前線周辺で中規模渦を伴って観測されたことから、混合水域内沖合の亜寒帯前線を横切る亜寒帯水の輸送は、拡散的な渦輸送が関与していることが示唆される。粒子追跡実験と等密度面移流拡散モデルによって、東経150度以西の塩分極小水の輸送過程と、塩分変質過程を調べた。黒潮続流周辺の塩分極小水は黒潮続流/亜熱帯循環に沿って輸送されていた(図2上)。その間、上中層共に低塩分化していたが、常に上層が中層より高塩分であり、塩分極小構造を保持していた。この塩分変化は主に水平拡散に起因していた。東経149.5度、北緯37.5度から放出した粒子がNPIW分布域の北縁を移動していたことから(図2下)、亜熱帯海域に分布するNPIWの起源は黒潮続流周辺(東経149.5度、北緯35.5〜37.5度)の塩分極小水であることがわかった。

 混合水域北部(東経149.5度、北緯38.5〜40.5度)の塩分極小水は移行領域へと輸送されていた(図3上)。東経155度〜165度では上層が中層よりも大きく低塩分化するため、移行領域に移動する間に塩分極小構造が消滅していた(図3下)。この塩分変化は等密度面移流拡散モデルでは再現されなかった。

 混合水域北部の塩分極小水が移行領域へ輸送される間に塩分極小構造を失うプロセスを吟味するため、中層密度面(26.7σθ)追随型フロートによる観測データの解析を行った。このフロートは、混合水域北部から、粒子追跡実験により塩分極小消失が見られた海域へと移動していたものである。フロート観測の塩分時系列断面(図4))から、塩分極小消失が見られた海域では、夏季に中層に塩分極小が存在し、秋から冬にかけて表層に低塩分水が現れ、この低塩分水を取り込みながら混合層が深化するため、冬季(1〜3月)に密度26.5σθが低塩分化し、塩分極小構造が消失することがわかった。月平均気候値データ解析の結果、塩分極小消失が見られた海域(東経150度-160度、北緯40度-45度)では、3月に混合層が水深200m以上に達し、混合層密度が26.5σθ以上となることが分かった。フロート観測で見られた季節変化は月平均気候値データからも確認された。

 冬季低塩分混合層形成に必要な低塩分の供給源を調べるため、風によるエクマン輸送を考慮した粒子追跡実験を行った。その結果、秋から冬にかけて強まる偏西風に対応したエクマン移流によって亜寒帯海域から輸送された表層低塩分水が、混合層が深く発達する海域の表層を覆うことがわかった。つまり、エクマン輸送された低塩分の亜寒帯水を取り込みながら、秋から冬にかけて混合層発達するため、冬季混合層は低塩分になる、というプロセスが示唆される。また、中層粒子がこの海域を通過するのに1年以上かかるので、混合水域北部から輸送された塩分極小水は、冬季低塩分混合層により、少なくとも1度は上層(26.5σθ)が低塩分化し、塩分極小構造を失う。

 気候値データの解析を基に、冬季低塩分混合層形成により塩分消失が起きている海域の東方での塩分プロファイルの季節変化を調べた。塩分消失海域に隣接する海域(東経170度付近)でも、夏季に塩分極小構造が存在し、冬季に低塩分混合層が形成されていた。しかし、これらは密度26.5σθ面よりも浅い密度面で見られる季節変化であり、密度面26.5σθ面上での塩分の季節変化は混合層が26.5σθ面まで到達していた海域よりも小さかった。さらに、東の東経175度では、26.5σθ面以浅の塩分は西の海域より低塩分となり、年間通じて塩分極小構造が見られなかった。

 塩分極小消失過程は次のようにまとめられる。塩分極小水は亜寒帯海域から風由来のエクマン輸送された表層低塩分水を取り込みながら形成された冬季低塩分混合層により、上層(26.5σθ)が低塩分化することで塩分極小構造を失っていた。さらに塩分極小構造を失った海水はその構造をほぼ保って東方の移行領域へ輸送されることがわかった。

 本研究の結果、亜熱帯海域に分布するNPIWの主な起源は、北太平洋西部の混合水域西端で直接的に黒潮続流まで到達した亜寒帯水が、亜熱帯水と混合することで形成された塩分極小水であることがわかった(図5)。また、混合水域内の沖合の亜寒帯前線を横切って亜寒帯水が混合水域へ流入していた。この流入は中規模渦による渦輸送に起因し、混合水域北部の中層を低塩分化すると考えられる。混合水域北部の塩分極小水は、冬季混合層が発達する海域に輸送され、低塩分な混合層の発達により、上層が低塩分化し、塩分極小構造を失い、移行領域へと輸送される。このため、移行領域では塩分極小構造が存在しないと考えられる。

図1:混合水域を流出入する流量と亜寒帯水混合比(単位:Sv=106m3/s)

図2:[上]黒潮続流周辺を始点とする粒子の軌跡、[下]NPIW分域北縁を移動する粒子の軌跡(青:26.5σθ、赤:26.7σθ).

図3:[上]混合水域北部の塩分極小水の軌跡と、[下]軌跡上の塩分(青:26.5σθ、赤:26.7σθ).

図4:等密度面(26.7σθ)追随型フロート観測での塩分時系列断面図(色:塩分、コンター:26.5σθ(上)と26.7σθ(下)、黒点:混合層深度(表面密度より0.125σθ大きい密度である深さとして定義))

図5:NPIWの分布と形成・変質過程の模式図

審査要旨 要旨を表示する

 北太平洋中層水は、ポテンシャル密度26.6から27に存在する鉛直的な塩分極小域およびその周辺の海水として定義され、北太平洋亜熱帯海域に広く分布している。北太平洋中層水は、人為起源二酸化炭素を中層へ隔離する媒体として、また、亜寒帯海域の栄養物質を亜熱帯海域に輸送し生物生産を支える物質循環過程として、さらに、数10年規模の気候変動に関わる海洋過程として重要な役割を担っている。北太平洋中層水の形成には、降水過剰により表層が低塩分となる亜寒帯海域の水が亜熱帯水中層に輸送される必要があるが、従来の研究では、その輸送過程および輸送量についての議論が定性的な範囲に限られていた。本論文では、従来の研究で用いられてきた無流面を仮定せずに、直接測流やインバース法を用いて定量的な議論を行い、亜寒帯水の亜熱帯海域への輸送過程や輸送量、さらに、北太平洋中層水の分布の成り立ちを明らかにした。

 本論文は4章から成立している。第1章では、導入部として北太平洋中層水の重要性、また、従来の研究で示された中層水形成過程と本研究の目的が述べられている。第2章では、東経150度以西の混合水域における詳細な海洋観測に基づいた中層流量分布、さらに、亜寒帯水の混合水域および亜熱帯海域への輸送形態が議論されている。第3章では、東経150度以東における塩分極小水の変質過程が調べられるとともに、北太平洋中層水分布の北限決定に関わる物理過程が議論されている。第4章では、全体のまとめと結論、ならびに、今後の課題が述べられている。

 本論文では、日本東方海域における東経150度以西の海域で行われた合計3回の詳細な海洋観測(春2回、秋1回)を用いて中層流量の見積もりが行われた。中層までの海流を直接測定できる垂下式超音波流速計を中心とした観測から、平均で毎秒400万トンを超える亜寒帯水が北海道沿岸の亜寒帯前線を横切り、日本東岸に沿って大きな変質を受けることなく黒潮続流域まで南下することで中層に新しい塩分極小を形成していることが明らかとなった。この亜寒帯水の亜熱帯海域への直接輸送は、従来考えられてきた渦による輸送とは全く異なる過程であり、その輸送量を評価した意義は大きい。一方、より沖合の海域においても、中規模渦の周辺で亜寒帯前線を横切って亜寒帯水が南の混合水域へ流入するという輸送過程が存在することが示された。

 一方、東経150度以東における北太平洋中層水の変質と分布については、従来、観測データを基にした議論が全くなかった。本研究では、海面風応力場に整合的なβスパイラル法を気候値データに適用して現実に近い流速場を求め、流量・渦位保存の拘束条件のもとに、粒子追跡実験を行った。その結果、黒潮続流域周辺で形成された塩分極小水が、その構造を保ちながら北太平洋中層水分布域の北縁に沿って輸送されることが示され、亜熱帯海域に分布している北太平洋中層水の主な起源が黒潮続流周辺で形成された塩分極小水であることが明らかとなった。また、東経150度以西の混合水域北部の塩分極小水が東方の移行領域へ輸送される過程で、その塩分極小構造を消失してしまう現象が中層等密度面追随型フロートによる観測データから初めて確認された。データ解析の結果、塩分極小水が冬季に東経155-165度・北緯40-45度付近の海域を通過している間に、表層から発達した低塩分混合層が塩分極小上部にまで到達して塩分極小構造を消失させていく過程が明らかとなった。

 以上、本研究は、北太平洋中層水を形成する低塩分水の輸送過程や循環境界を横切る亜寒帯水の直接輸送を初めて観測から定量的に明らかにしたものであり、今後のモデル・理論的研究を明確に方向付けた成果として高く評価できる。さらに、北太平洋中層水の分布に、塩分極小構造の消失という現象が関連していることを観測事実に基づいて明らかにした点は、北太平洋の海洋構造・物質分布の理解に大きく寄与するものと認められる。

 なお、本論文の第2章は指導教員である安田一郎教授、共同観測を実施した廣江豊博士・渡邊朝生博士との共著論文として公表済みであり、第3章は、安田一郎教授との共著論文として近々投稿される予定であるが、いずれも論文提出者が主体となって研究を行ったもので、その寄与が十分であると判断する。

 したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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