学位論文要旨



No 122150
著者(漢字) 所,立樹
著者(英字)
著者(カナ) トコロ,タツキ
標題(和) フローティングチャンバー法による大気-海水間CO2 フラックスと規定要因の測定
標題(洋) Air-Sea water CO2 flux and its regulating factors measured by a floating chamber method
報告番号 122150
報告番号 甲22150
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5013号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田近,英一
 東京工業大学 教授 灘岡,和夫
 東京大学 教授 植松,光夫
 東京大学 助教授 茅根,創
 東京大学 教授 川幡,穂高
内容要旨 要旨を表示する

序論

 大気-水圏間ガスフラックスは,大気中や水圏中の物質収支の予測において重要なファクターである.しかし,沿岸域のガスフラックスは、その規定要因の抽出・定量化が不十分であるため,正確な見積もりがいまだ行われていない.沿岸域のガスフラックスは,全球規模の炭素収支や沿岸域における環境予測に影響を与えることが予想されるため,その規定要因の解明は必要な課題である.

 CO2やHg(生態系に対して,非常に大きな影響を与える物質である.)といった水中にわずかに溶存する気体の,大気-水圏間のフラックス(F)は,大気-水圏間のガス分圧差と溶解度,そして交換速度と呼ばれる係数(以下,k)によって規定されている.

 F=kS(Pw-Pa) (Pw,Pa:液相・気相のガス分圧S:溶解度)

特に沿岸域ではkを規定する要因の抽出,および定量化が不十分であるため,沿岸域のガスフラックスを正確に見積もることができないというのが現状である.

 これまでの研究では,風速または液相の流速をパラメータとした経験式を用いてkを決定する方法と(e.g., O'Connor and Dobbins, 1958; Wanninkhof. 1992),流体力学的モデルから演繹的に規定要因を抽出する方法(e.g., Danckwerts, 1951; Lamont and Scott, 1970)が採られている.しかし,測定点の制御無しに,大気-水圏間のガスフラックスを,乱流条件の変化に対応できる時間・空間分解能で測定する方法が確立されておらず,どちらの方法においても実際のフィールドでkの規定要因を抽出し,定量化するのに十分な測定データが採取されていない.

 本研究では,十分な時間・空間分解能を持つ測定手法(フローティングチャンバー法)を開発し,その妥当性を検証し,複数の沿岸域におけるkの測定を行った.また,kの物理的な測定要因として,Lamont and Scott (1970)によるSmall eddy modelにおけるエネルギー散逸率(以下,ε)を同時に測定し,従来の研究とは異なる乱流場においてもSmall eddy modelが妥当であるかどうか,検証を行った.

手法とその評価

 測定はサンゴ礁とそれに隣接する河川において,2003年から2006年において行った.これらの水域では,地形が複雑であるため,従来の研究とは異なる乱流場で,k-εの関係を検証できることが期待される.

 εの計算には,ADV(acoustic Doppler velocimeter)によって4-64Hzで測定した,水面付近の3次元流速を使用した.εは,測定した流速データから決定したパワースペクトルに,コルモゴロフの法則を適用したことで算出した.本研究では,パワースペクトルの測定値と理論値のずれをεのerror rangeとして評価し,その算出を行った.

 フローティングチャンバー法の検証は,以下の手法に従って行った.1)装置内部の温度・気圧変化を測定し,k測定結果への影響を定量化.2)装置内外で測定したεを比較することで,チャンバー装置による乱流とその影響を定量化.1)の結果では,装置内部の温度・気圧変化による影響は補正されていることを確認できた.ただし,その影響は小さなものであり,測定精度に影響を与えるものではなかった.これは,装置に取り付けた気圧バッファーの影響であると考えられる.2)の結果では,装置内外ではεに有意な差が見られず,また内外の差がランダムに発生していたため,チャンバー装置はkに関連する乱流パラメータには影響を与えないものと考えられる.よって,本研究では,フローティングチャンバー法による測定結果は妥当なものであると評価した.また,測定条件(ε,測定水域,測定日時)がほぼ同一の時の,kの測定結果のバラつき(±5.10cm/h)を測定結果の精度(precision)として評価した.ただし,砕波が起こるような条件下では測定を行っていないため,このような条件下では妥当性を保障することはできない.

結果と考察

 kの測定結果は,河川などの一部のデータを除いて,全般的に既存の風速や流速をパラメータとした経験式の結果よりも有意に高い値であった.この結果から,沿岸域では,風速や流速のみではkを説明できないことが明らかとなった.また,測定水域間のkの差が明瞭であり,これは地形によるkへの影響の可能性を示すものであると考えられる.

 同時に測定したεは,従来の研究結果よりも高い値が計測されており,またkとSmall eddy modelに示された通りの相関関係を示していた.よって,乱流の条件に関わりなしに,Small eddy modelによってkを説明できることが明らかとなった

 レイノルズストレスを用いた分析の結果,水深よりも大きな長さスケールを持つ要素(水深10m以上の窪地や1m程度の直径を持つサンゴ)が水底に存在している水域では,乱流場により強いエネルギーが供給されていることが示されており,後流や流れ同士によるシアーがその原因として推察された.この強いエネルギー供給は大きなεを生じると考えられるため,沿岸域の地形的な特徴によって,kの物理的に規定されることが推察された.

 またAは既存の人工海水を用いた実験結果と整合的な範囲であったが,測定水域間で値が異なる傾向が示唆された.既存の研究による同一水域のPOC測定結果(Hata et al., 2002;Watanabe, 2004)と比較した結果,POC濃度とAの間で相関があるようなけ以降が示された.こ野結果は,Asher and Pankow(1986)のフィルタリング処理を行った人工海水の結果と整合的であり,水面上の粒子の濃度がkの化学的な規定要因の一つであることが示された.

 地形効果によるkの増加は,陸域に近い沿岸域であれば,全球的に適用されると考えられる.本研究で示されたk測定値と既存の風速依存式の結果との比を,既存の収支モデル(Borges et al., 2005)に適用した場合,全沿岸域はCO2の放出域である可能性が高いことが示された.より正確な沿岸域のCO2収支の計算のためには,砕波や後流,流れ同士のシアーの定量化が求められる.また,本研究の測定水域では,化学的・生物学的な要因による影響は大きなものではなかったが,富栄養湖や汚染された水域におけるガスフラックスにはより大きな影響を与えることが予想されるため,そのような環境における測定・解析を今後展開していく必要がある.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなる.第1章はイントロダクションで,大気-海水の気体交換速度の重要性とその問題点が述べられている.第2章では本論文で用いた手法と対象海域の説明,第3章では本研究で気体交換速度を測定するために用いたチャンバー法の改良・評価結果がまとめられている.第4章では,第3章で評価したチャンバー法によって,様々な地形・流れ条件を持つ水域において気体交換速度を求めた.その結果,従来の風速依存式では説明できない高い気体交換係数が得られ,それが同時に観測した高いエネルギー散逸率と対応することを示した。そして,この高いエネルギー散逸率は,沿岸の複雑な地形によって発生する流れのシアーによるものであるという考察を行った.第5章では,チャンバー法の一般的適用とその限界,エネルギー散逸率をレイノルズ応力によって一般化する試み,などの議論を展開している.第6章では,全体のまとめと今後の展望が述べられている.

 大気-海水の気体交換速度が,どのような条件によって規定されているのかを解明することは,大気-海洋の物質収支を考察する上で重要である.たとえば,大気中の二酸化炭素濃度の変動を予測するためには,大気と海洋との間での二酸化炭素の交換速度を見積もることが必要である.しかしながら,これまで大気-海水の気体交換速度は,経験的な風速依存式によって求められてきた.本論文は,水底や複雑な地形の影響によって,外洋で用いられている経験式がそのまま適用できない沿岸を対象地域として選んで,気体交換速度をより一般的に説明することを目的としている.その際に,「最小渦モデル」の妥当性を検証することを念頭において研究を進めている.従来の経験式への疑問から,より一般的なモデルに基づく説明を,実際のフィールドにおける測定を通して行うことを目的とした本研究の戦略は評価できる.

 沿岸域において気体交換速度を測定するためには,これまでもっともよく使われている方法では時間空間分解能が小さすぎる,という問題点があった.こうした海域での測定には,「チャンバー法」という方法が適している.しかしながら,チャンバー法には,チャンバー自身が水面に乱れを作るなどの問題点が指摘され,測定結果の妥当性が評価されていなかった.本論文では,沿岸において気体交換速度を測定するためには,この方法がもっとも適しているという問題意識に基づいて,チャンバー法の改良とその評価を行った。装置を自作して様々な改良を工夫し,その妥当性をフィールドにおいて評価する研究手法は,高く評価できる.

 本研究は,沿岸域では水底や複雑な地形による乱流によって,高いエネルギー散逸が発生し,高い気体交換速度が得られることを示した.これによって,これまでの単純な風速依存式によって推定されていた大気-海洋の炭素などの交換速度は,少なくとも沿岸域については見直しを迫られることになった.それだけでなく,本研究において,気体交換速度がエネルギー散逸率によって規定されることは,気体交換速度が「最小渦モデル」によって説明できることを示唆している.このことは,気体交換速度が,従来の経験式を用いずに,より一般的な理論に基づいた議論できることを示したものである.地球規模の炭素循環のフラックスの見直しや,エネルギー散逸率をレイノルズ応力で一般的に説明することなどは,今後の展望に留まっている.しかし,こうした課題に取り組み,本研究をより一般的に発展させることによって,大気-海洋の気体交換速度と地球表層の炭素循環などに関する理解が進展する可能性が高い.今後の発展が大いに期待できる.

 なお本論文のうち,第1,2,4章の1部は,茅根 創,渡邉 敦,灘岡 和夫,田村 仁,野崎 健,加藤 健,根岸 明との共同研究(Journal of Marine System誌に印刷公表),第3,4,5章の1部は,茅根 創,渡邉 敦,灘岡 和夫,田村 仁,野崎 健,加藤 健,根岸 明との共同研究(Limnology and Oceanography誌に投稿予定)であるが,いずれも論文提出者が主体となって調査と結果の解析を行ない,筆頭著者として論文をまとめたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 上記の点を鑑みて,本論文は地球惑星科学とくに地球惑星システム科学の新しい発展に寄与するものであり,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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