学位論文要旨



No 122152
著者(漢字) 森野,悠
著者(英字)
著者(カナ) モリノ,ユウ
標題(和) 都市大気中での硝酸及び硝酸塩エアロゾルの化学・輸送過程の研究
標題(洋) Studies on chemistry and transport of nitric acid and aerosol nitrate in urban atmosphere
報告番号 122152
報告番号 甲22152
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5015号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小池,真
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 植松,光夫
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに.

 硝酸塩エアロゾル(NO3-)は都市における主要なエアロゾル成分の1つであり,大気環境問題における重要性を持つ.また,都市近傍においてNO3-は硫酸塩エアロゾル(SO4(2-))と同程度の光学的厚みを持つという評価もあり,気候影響という観点からも重要である.ただ,NO3-は3次元化学輸送モデルによる観測値の再現が最も困難な成分の1つである.その原因の1つは,気象要素・前駆物質の排出量の誤差に加えて,気相反応・液相反応・気相―凝縮相の交換反応の誤差がNO3-濃度に大きな影響を及ぼすからである.正確なNO3-濃度再現のためには,特に硝酸(HNO3)とNO3-の合計値(TNO3=HNO3+NO3-),およびその気相―凝縮相の分配の再現が重要となる.また,半揮発性であるHNO3とNO3-は捕集中に凝縮・蒸発が起こりやすいために正確な測定が困難である.そこで本研究では,高精度・高時間分解能でのHNO3測定装置を開発し,NO3-など関連成分との同時測定を行った.

2.HNO3測定用,化学イオン化質量分析計の開発.

 本研究では,HNO3測定装置に化学イオン化質量分析法(CIMS)を採用した.この方法では,あらかじめ作成した試薬イオン(SiF5-)をサンプル大気中のHNO3分子と反応管中で混合・反応させることでHNO3をイオン化させ(R1),生成したイオン(SiF5-・HNO3)を四重極質量分析器により分離・定量する.(R1)の反応は反応管中で平衡に達するので,(1)式によってHNO3濃度を定量できる.

本装置のバックグランド信号は装置の検出限界に最も影響を与える要素である.このバックグランド信号は大気中の相対湿度とHNO3濃度に依存することを見出した.そこで,その影響を取り除くためにサンプル空気の相対湿度と圧力を変化させずにHNO3ゼロ空気を作成する装置を新たに作成した.また,時間応答性のよい濃度較正装置を作成し,自動で1時間に1回のゼロ点較正・濃度較正を実現した.これらの結果,本装置は2秒の時間分解能,50秒平均値に対して23pptvの低検出限界,1ppbvのHNO3に対して9%の高精度を実現した.図1には,この装置によるHNO3測定結果を他のHNO3測定装置(拡散スクラバー/イオンクロマトグラフィー,DS-IC)と比較した結果を示す.両装置の誤差範囲内(30%)で両者は一致していたことが分かる.これらの結果は,大気測定を行うにあたりCIMSによるHNO3測定装置が十分な精度と時間分解能を持っていることを示している.

3.都市大気におけるHNO3とNO3-の分配比に与える鉛直混合の影響.

 上記のHNO3測定装置を用いて,東京で2003年5月から2004年8月にかけて計5回の地上観測を行った.この観測ではNO3-を含む関連成分の測定も同時に行われた.これらのデータと2つのモデルの計算結果を比較して,HNO3とNO3-間における熱力学平衡の仮定の妥当性を調べた.まず,熱力学平衡モデルを用いて無機・多成分系における熱力学平衡状態を計算した.次に,大気境界層モデルに気相―凝縮相間の質量移動の計算を組み込んだ1次元モデルを構築して,熱力学平衡状態からのずれを計算した.その結果,熱力学平衡モデルは夏季,および秋季の日中に地上で観測されたNO3-/TNO3比を過小評価していたのに対して,1次元モデルの計算結果は熱力学平衡モデルと比較して地上のNO3-/TNO3比が高く,観測結果をより良く再現していた(図2).この結果は,地表でのHNO3とNO3-の気相―凝縮相分配に対して境界層内での鉛直混合が重要な役割を果たしていることを示唆している.

4.都市大気におけるHNO3とNO3-の生成・消失過程

 現在のモデルで使用されているTNO3の生成過程・消失過程の計算スキームの妥当性を調べるために,3次元化学輸送モデルの計算を行い,観測結果と比較した.ここでは,気象モデル(RAMS)と化学輸送モデル(CMAQ)を用いて,2004年の冬季(1-2月)と夏季(7-8月)の期間の計算を行った.TNO3の生成過程は,日中には(R2)が,夜間には(R3)が支配的である.

モデルによって,東京でのTNO3濃度に対する不均一反応(R3)の寄与は夏に6%,冬に23%であり,(R2)の気相反応が主要な生成過程であると計算された.ここで,(R3)の速度定数に含まれる実験パラメタ(エアロゾルに対するN2O5の取り込み係数)には25倍以上の大きな不確定性が報告されている.この取り込み係数の不確定性によって,TNO3濃度には夏に10-20%,冬に40%の不確定性があると計算された.また,TNO3の消失過程は全窒素酸化物(NOy)の除去速度を支配する.そこで,TNO3の消失速度を評価するためにNOyの一次排出後の残存率(R(NOy))を用いた解析を行った.ここでは,観測されたdNOy/dCO比をNOx/CO比で標準化することで観測的にR(NOy)を導出している.標準事例の計算(base case)では,観測より導出したR(NOy)の値を夏季に大きく過大評価しているのに対して,TNO3の乾性沈着速度を5倍にした計算(VD5 case)ではよく再現していた(図3).この結果は,TNO3濃度の数値計算を行う際に,現在におけるTNO3の除去過程の計算スキームを改善する必要があることを示唆している.

図1 CIMSとDS-ICによるHNO3濃度測定結果の相互比較

図2.2003年夏(左),秋(中央),および2004年冬(右)の9−17時におけるNO3-/TNO3比の観測値(黒),熱力学平衡モデル(青),および1次元モデル(赤)の計算結果

図3.2004年冬(左),および夏(右)におけるNOx/NOy比に対するR(NOy)の観測値(黒),および標準事例(青)とTNO3の乾性沈着速度を5倍にした場合(赤)におけるモデル計算結果.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり、第1章はイントロダクションとして対流圏大気中の硝酸(HNO3)と硝酸塩エアロゾル(NO3-)の果たす役割、第2章は化学イオン化質量分析法(CIMS)によるHNO3の測定器の開発とその性能評価、第3章はHNO3とNO3-の分配に関する測定結果の解析と鉛直一次元モデルを用いた解釈、第4章は三次元化学輸送モデルを用いた東京およびその近郊域のHNO3とNO3-の動態解析、第5章は全体のまとめである。

 硝酸塩エアロゾル(NO3-)は都市における主要なエアロゾル成分の1つであり、大気環境問題・気候影響において重要である。しかし半揮発性であるHNO3とNO3-は捕集中に凝縮・蒸発が起こりやすいために正確な測定が困難である。またNO3-は、3次元化学輸送モデルによる観測値の再現が最も困難な成分の1つである。その原因の1つは、気相反応・液相反応・気相-凝縮相の交換反応の誤差がNO3-濃度に大きな影響を及ぼすからである。

 本論文の研究では、HNO3測定装置に化学イオン化質量分析法(CIMS)を採用した。この方法では、試薬イオン(SiF5-)をサンプル大気中のHNO3分子と反応管中で混合・反応させることでHNO3をイオン化させ、生成したイオン(SiF5-・HNO3)を四重極質量分析器により分離・定量するものである。また本研究では、サンプル空気の相対湿度と圧力を変化させずにHNO3ゼロ空気を作成する装置を新たに作成した。さらに時間応答性のよい濃度較正装置を作成し、自動で1時間に1回のゼロ点較正・濃度較正を実現した。これらの結果、本装置は2秒の時間分解能、50秒平均値に対して23 pptvの低検出限界、1 ppbvのHNO3に対して9%の高精度を実現した。

 上記のHNO3測定装置を用いて、NO3-とともに東京で2003年5月から2004年8月にかけて計5回の地上観測を行い、HNO3とNO3-間における熱力学平衡の仮定の妥当性を調べた。この結果、HNO3とNO3-の合計値をTNO3=HNO3+NO3-とした時、熱力学平衡モデルは夏季および秋季の日中に地上で観測されたNO3-/TNO3比を過小評価していた。これに対し大気境界層モデルに気相-凝縮相間の質量移動の計算を組み込んだ1次元モデルを構築して熱力学平衡状態からのずれを計算したところ、このモデルは地上のNO3-/TNO3比がより高く計算され、観測結果をより良く再現していた。この結果は、地表でのHNO3とNO3-の気相-凝縮相分配に対して境界層内での鉛直混合が重要な役割を果たしていることを示唆している。

 現在のモデルで使用されているTNO3の生成過程・消失過程の計算スキームの妥当性を調べるために、3次元化学輸送モデルの計算を行い、観測結果と比較した。この結果、TNO3の生成過程に対する、N2O5+H2O(aq)の不均一反応の反応速度定数の不確定性により、TNO3濃度には夏に10-20%、冬に40%の不確定性があると計算された。また、全窒素酸化物(NOy)の除去速度を支配するTNO3の消失速度を評価するために、NOyの一次排出後の残存率(R(NOy))を観測結果から推定した。この結果と数値モデル計算を比較したところ、標準事例の計算(base case)ではR(NOy)の値を夏季に大きく過大評価しているのに対して、TNO3の乾性沈着速度を5倍にした計算ではよく再現していた。この結果は、TNO3濃度の数値計算を行う際に、現在におけるTNO3の除去過程の計算スキームを改善する必要があることを示唆している。

 以上の研究成果は、従来、高精度・高時間分解能の測定が困難であった硝酸測定器を独自に開発した点で高く評価できる。またこの装置を使った観測により、従来可能性が指摘されていた硝酸と硝酸塩エアロゾルの平衡状態からのズレが測定誤差によるものではなく、異なった平衡条件をもつ上空の大気との鉛直混合が重要な役割を果たしていることを示唆した点が、学術的に極めて高い価値をもつものとして認められる。さらに、硝酸・硝酸塩エアロゾルの乾性沈着という直接測定することが困難なプロセスに対して、観測と三次元化学輸送モデルを組み合わせた解析により定量的な示唆を与えた点が大変独創的である。

 なお、本論文の第2章、第3章は共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析・解釈を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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