学位論文要旨



No 122155
著者(漢字) 吾郷,友宏
著者(英字)
著者(カナ) アゴウ,トモヒロ
標題(和) ヘテラボリンを構成単位とした新規π共役分子の開発
標題(洋) Development of Novel π-Conjugated Molecules Based on Heteraborins
報告番号 122155
報告番号 甲22155
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5018号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 助教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

 π共役分子と典型元素を組み合わせたヘテロπ共役分子には、典型元素の原子軌道がπ軌道と電子的に相互作用することで、母体のπ共役分子に見られない新たな物性の発現が期待される。典型元素として窒素、酸素や硫黄を有したπ共役分子は古くより研究されており、色素、発光材料などへの応用が既に行われている。一方、近年になって、ホウ素やケイ素、リンなどのこれまで注目されてこなかった典型元素を有したπ共役分子についての研究が盛んになってきており、特にヘテロールと呼ばれるヘテラシクロペンタジエン類が、ピロールやチオフェンなど既知の類縁体とは大きく異なった物性を持つことが分かっている。しかしながら、研究の多くはヘテロールを対象としたものに限られており、ヘテロπ共役分子のライブラリーは十分なデータを備えているとは言い難い。そこで、新たな分子骨格を構築しその物性について検討することは、典型元素の有用性についての知見を得る意味で重要であると考えられる。筆者は、分子骨格としてジヘテロアントラセンに着目し、特に典型元素として強力なアクセプターであるホウ素を導入したヘテラボリンについて検討を行うこととした。既に、典型元素として窒素、酸素、硫黄およびホウ素を持ったヘテラボリンが報告されているが、その光物性については詳細な検討はなされていない。また、その他の典型元素を有した化合物は未知である。筆者は典型元素としてリンを導入したホスファボリンの物性に興味を持ち、検討を行った。また、ヘテラボリンを縮環により拡張したラダー型分子の開発についても検討を行ったので、以下報告する。

1.ジベンゾホスファボリンの合成とその性質

 ホスファボリンはリンを有したπ共役分子として、その構造・物性に興味が持たれる。また、リン原子上を化学修飾することにより、電子状態を調節することができるので、一つの分子から多様な物性を持つ分子群を構築することができると考えられる。

 ホスファボリン1および2は空気・水に対し安定な固体として得られた。X線構造解析から、リン原子が平面構造をとれないために平面から浮き上がり、中心のホスファボリン環はボート型構造をとっていることが分かった。このような非平面構造のため、ホスファボリンではリン-ホウ素間のドナー・アクセプター相互作用は弱いことが示唆される。

 ホスファボリンのリン原子は通常のトリアリールホスフィン同様の反応性を維持していることが分かった。通常の手法により、1よりカルコゲニド3および4、ホスホニウム塩5および6、金錯体7を合成することができた。3および4についてはX線構造解析の結果、トリアリールホスフィンカルコゲニドとして一般的な構造を有していることが分かった。

 これらの化合物はUV-visスペクトルにおいて特徴的な吸収バンドを示した(Fig.1)。1の場合は、リンからホウ素への分子内電荷移動(ICT)による吸収を示したが、その波長はアザボリン8やチアボリン9に比べ短波長シフトするとともに吸光係数は半分程度に減少しており、リン‐ホウ素間のドナー・アクセプター相互作用が8および9に比べ弱いことが示された。一方、3および4はカルコゲンのローンペアからホウ素へのICT吸収を近紫外領域に示した。これらの化合物と異なり、高い準位のローンペアを持たない5や7は長波長領域に吸収を示さなかった。

 8が中程度の強度で鋭い蛍光を発するのとは対照的に、1およびその誘導体3-7の蛍光強度は弱く、また大きなStokesシフトが見られた。リン周りの構造が非平面型であり、加えて構造の剛直性の不足のため、蛍光強度が低下していることが考えられる。

 理論計算により、ホスファボリンの電子状態について検討を行ったところ、リン原子の酸化状態に応じてフロンティア軌道の準位が大きく変動することを見出した。すなわち、1から3、4、5へと順にLUMOが低下し、特に5では非常に低いLUMO準位を有することが示された。実際に、5のVT UV-visスペクトルでは、低温で長波長側の吸収が消失し(Fig.2)、VT(11)B NMRではトリアリールボランのシグナル(δB 56)から4配位のボラート(δB 0)への変化が観測され、低温では対アニオンの臭化物イオンがホウ素上に配位したブロモボラートを形成することがわかった(Fig.3)。通常、トリアリールボランに臭化物イオンは配位しないが、5ではLUMOが大きく低下したことによりホウ素のルイス酸性が増大したため、臭化物イオンの配位が起こったものと考えられる。

 ヘテラボリンとフッ化物イオンまたは塩化物イオンとの錯形成をUV-visスペクトルによりモニターした。フッ化物イオンについては、LUMOの低下に伴い錯形成定数が増大し、4および5では滴定実験で錯形成定数を算出できないほど増大していた。また、塩化物イオンについては、8、9、1では錯形成は観測されなかったが、3、4および5では、LUMOの低下を反映して塩化物イオンでも錯形成が観測された。特に5はトリアリールボランとしては非常に高い錯形成定数を示した。

 フッ化物イオンの水和エネルギーは大きいため、フッ化物イオンを水相から有機相へ輸送するのは困難とされてきたが、合成した5および6は、高いルイス酸性に加え電荷を有するため、水相からのフッ化物イオン輸送に適しているものと考えられる。実際に、1当量の(n-Bu)4NFまたはKFの水溶液と、6のCHCl3溶液を接触させたところ、フルオロボラートの定量的な形成がNMRおよびUV-visスペクトルにより観測され、フッ化物イオンが水相から効率良く輸送されることが分かった。

2.アザボリンまたはチアボリンを構成単位としたラダー型分子の開発

 π共役系を平面固定することで、共役の効果が高まるとともに、骨格が剛直になるために発光量子収率が向上することが知られている。平面骨格の一つにラダー型分子が挙げられる。筆者は、ヘテラボリンを縮環したラダー型分子10-13を設計した。複数のヘテラボリンユニットが電子的に相互作用することで、小さなHOMO-LUMOギャップを有するとともに、剛直な骨格によって強い蛍光を発することが期待される。

 10-13は空気・水に対し安定な固体として合成することができた。10および11については単結晶構造解析を行い、期待した通りに高い平面性を有していることが分かった。10のORTEP図をFig.4に示す。これらの分子はMes基の立体反発のため結晶中で分子間相互作用は見られず、固体状態で強い発光を示す可能性を示唆している。

 UV-visスペクトルにおいて吸収波長はπ系の拡張とともに長波長シフトし、ヘテラボリンユニット間の電子的相互作用の存在が示唆された。アザボリン8、10、12とチアボリン9、11、13を比較すると、前者の方が吸収波長は長波長シフトしており、同時に吸光係数は2倍程度大きな値を示した(Fig.5)。これらの光吸収は典型元素(窒素または硫黄)からホウ素へのICTに起因したものであるため、その遷移確率は典型元素とホウ素とのドナー‐アクセプター相互作用の強さに依存する。窒素のドナー性が硫黄に比べ高いため、アザボリンで吸収波長は長波長シフトし、吸光係数は増大したものと考えられる。

 蛍光スペクトルでは、いずれの化合物も20nm以下の小さなStokesシフトの蛍光を示し、予想した通りに剛直な分子骨格を反映した結果となった(Fig.6)。アザボリンとチアボリンの発光量子収率には差は見られなかったが、発光バンドの形状は両者で異なったものとなった。チアボリンの発光が比較的シャープであるのに対し、アザボリンの発光は複数のピークを示し、特に12では短波長側に新たな発光バンドを示した。そこで励起波長を変えて12の蛍光スペクトルを測定したところ、スペクトルのバンド形状に励起波長に対する依存性が見られた。一方で濃度依存性は見られなかったので、基底状態でのダイマー形成やエキシマー形成の可能性は排除される。

 アザボリンの粉末状態での蛍光測定を行ったところ、いずれの化合物も強い蛍光を示すとともに、溶液中での蛍光スペクトルに比べ大きな長波長シフトが観測された(Fig.7)。また、励起スペクトルの極大波長も固体状態では長波長シフトしていた。8とラダー型分子10および12を比較すると、10および12の方が長波長シフトの度合いが大きく、固相でのStokesシフトも増大していた。溶液での蛍光には濃度依存性が見られなかったが、固相では分子が非常に接近するため、励起双極子間の相互作用が働いたものと考えられる。

 ラダー型分子のルイス酸としての機能をフッ化物イオンとの錯形成反応により検討した。これらの分子は多数のルイス酸点を有するため、フッ化物イオンと多段階で錯形成し、光学的・電子的性質もそれに応じて各段階で変化するものと考えられる。(n-Bu)4NFをフッ化物イオン源とし、THF中でUV-visスペクトルの変化をモニターしたところ、化合物によって錯形成定数が大きく変化することを見出した。ペンタセン型分子とヘプタセン型分子では、後者がより大きな錯形成定数を示したが、これはπ共役系の拡張によるLUMOの低下を反映した結果と考えられる。また、アザボリンとチアボリンを比較すると後者が大きな錯形成定数を示したが、これは硫黄の電子供与性が窒素よりも低いため、チアボリンでは対応するアザボリンに比べLUMOが低下したことによると考えられる。以上より、π系の拡張または典型元素の置換により、ラダー型分子のLUMO準位が大きく変動することを見出した。

Figure 1.UV-vis spectra of dibenzoheteraborins.

Figure 2.VT UV-vis spectra of 5.

Figure 3.VT(11)B NMR spectra of 5.

Figure 4.ORTEP drawing of 10.

Figure 5. UV-vis spectra of the ladder molecules.

Figure 6.Fluorescence spectra of the ladder molecules.

Figure 7.Solid state fluorescence spectra (solid line: solid state, dashed line: solution).

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、第1章は序論、第2章はホスファボリンおよびその誘導体の合成と物性、第3章はホスファボリンのアニオン認識とフッ化物イオン輸送への利用、第4章はラダー型ヘテラボリンの合成、第5章はラダー型ヘテラボリンの物性、そして第6章では結論および今後の展望について述べている。

 第1章では、典型元素としてホウ素、ケイ素およびリンを有したヘテロπ共役分子を対象に、それらの基本的な光・電子物性から応用例について述べている。また、ラダー型骨格を持つπ共役分子について、いくつかの代表的な分子を例示し、それらの構造および物性を説明している。またヘテロπ共役分子の一つであるヘテラボリンの性質を示した上で、ヘテラボリンを基本骨格とした新規なヘテロπ共役分子を創製するという研究目的を述べている。

 第2章では、ヘテラボリン骨格に典型元素としてリンを導入したホスファボリンおよびその誘導体の合成を行い、それらの構造と物性について述べている。ホスファボリンのリン原子上は通常のトリアリールホスフィンと同様の手法により化学修飾が可能であることを見いだし、種々の誘導体が合成可能であることを示している。ホスファボリンとその誘導体の光・電子物性について、電子スペクトルと理論計算により検討を行い、架橋典型元素に応じてHOMO-LUMOギャップが変化することを明らかにしている。さらに蛍光スペクトルから、ホスファボリンが大きなStokesシフトを持つとともに、固体状態で強い蛍光を発することを見いだしている。

 第3章では、ヘテラボリンのホウ素原子のルイス酸性に対する典型元素の効果について、ハロゲン化物イオンとの錯形成反応を指標に検討を行っている。ヘテラボリンのLUMO準位の低下に応じてハロゲン化物イオンとの錯形成定数は増大し、特にホスホニオ基を有したヘテラボリンが非常に強いルイス酸性を持つことを示している。さらにホスホニオ基を有したヘテラボリンについては、低温においては臭化物イオンとも錯形成することと、フッ化物イオンを水相から有機相へ輸送する能力を有することを明らかにしている。

 第4章では、アザボリンまたはチアボリンを構成単位としたラダー型π共役分子の合成について述べている。目的とするラダー型分子の前駆体については、パラジウム触媒を用いたカップリング反応により容易に得られることを示し、これらの前駆体から中程度の収率でホウ素を導入したラダー型分子が合成可能であることを見いだしている。合成したラダー型分子のうち、ペンタセン型アザボリンおよびチアボリンについては、単結晶構造解析により、期待した通り平面性の高い構造を有することを明らかにしている。

 第5章では、ラダー型ヘテラボリンの光物性とフッ化物イオンとの錯形成について述べている。電子スペクトルの測定から、パラ型に典型元素を導入したラダー型ヘテラボリンでは、π共役系の拡張に対応して吸収波長が長波長シフトすることを見いだし、ヘテラボリンユニット同士が電子的に相互作用していることを示している。理論計算からも、パラ型置換体では分子の拡張に応じてHOMO-LUMOギャップが縮小することを示している。また、ラダー型ヘテラボリンがStokesシフトの小さい蛍光を発することを見いだし、分子の剛直性が励起状態でも維持されていることを明らかにしている。パラ型置換体については、母体のヘテラボリンと比較して蛍光量子収率が増大することも見いだしている。さらにペンタセン型分子は固体状態でも強い蛍光を発することを示し、ラダー型ヘテラボリンが有機発光素子の構成素材として有用であることを見いだしている。また、ラダー型分子とフッ化物イオンの錯形成反応を行い、フッ化物イオンとの錯形成定数がπ共役系の拡張または典型元素の置換によって大きく変化することを見いだし、特にラダー型チアボリンが多段階のフッ化物イオンセンサーとして機能しうることを明らかにしている。

 なお、本論文は川島隆幸・小林潤司との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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