学位論文要旨



No 122156
著者(漢字) 岩下,暁彦
著者(英字)
著者(カナ) イワシタ,アキヒコ
標題(和) フラーレン金属配位子の効率的合成手法の開発
標題(洋) Study on Efficient Methods for Synthesis of Fullerene-based Metal Ligands
報告番号 122156
報告番号 甲22156
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5019号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
内容要旨 要旨を表示する

 有機金属錯体の配位子は,立体的な金属周辺の空間の制御ならびに中心金属との電子的な相互作用を通して錯体の反応性に影響を与える.触媒活性を自由に制御できるような金属錯体を構築するためには,電子的,立体的性質を合成化学的に制御できる配位子を用いることが重要である.本研究は,これまで知られている配位子にはない新しい性質を持った配位子を合成するためのビルディングブロックとしてフラーレンの構造及び電子的な性質に着目し,フラーレンに対する選択的な付加反応の開発及び配位子への応用,フラーレン骨格を利用した新規配位子の構築に成功した.以下に本論文の内容について要約する.

 第一章では本研究の背景についてこれまでに明らかにされてきたフラーレンの特異的な性質や反応性について概観し,また本研究の意義について述べた.フラーレンは30個の共役した二重結合をもち,その特異な形状のパイ共役系に由来する特異な電気化学的,光化学的な性質を有する.またフラーレンの持つ多様な反応性は,様々な機能性の付加基の導入を可能にする.しかしながらフラーレン上には反応点が多数存在するため,付加基の位置選択的な導入が原理的に困難であり,柔軟性の高い合成戦略を駆使できるような合成反応は殆ど知られていない.そのため,フラーレンの特異な性質を活かした触媒や材料への応用を考えるにあたり,選択的なフラーレン誘導体の合成法開発は必須であり,またフラーレンの化学の発展に非常に大きく寄与するものであると考えられる.

 第二章では新規に開発したフラーレンの段階的な付加反応について述べた.フラーレン骨格上に段階的に付加基を導入することで,一つのフラーレン分子に多様な付加基を導入することができると考えた.これまでの反応では,目的以外の多付加体の生成やフラーレンの転化率の悪さから,効率的な付加反応を行うことが困難であった.本研究ではGrignard試薬を用いたフラーレンに対する求核付加反応において,ジメチルホルムアミド(DMF)を添加したところ,速やかに反応が進行し,高収率でモノ付加体1を与えることが分かった.さらに生成物をt-BuOKにより脱プロトンし,続く求核置換反応を行ったところ,脱離能の高いヨウ化物と極性の高いベンゾニトリル溶媒を用いることで収率よく第二のアルキル基を位置選択的に導入することができた.続く三段階目も一段階目と同様にDMF存在下求核付加反応を行うことで選択的にトリス付加体3を合成した.ここで合成したトリス付加体は,フラーレン上のプロトンを脱プロトンすることでインデニル型アニオン配位子として機能する.この配位子は中心金属周辺の片側をアルキル基で遮へいしながら反対側に大きく開けた空間を確保できるという,これまでの配位子にない構造的特徴を持っているばかりではなく,アニオン部位がフラーレンのπ共役系と直接つながっている点で電子的にも特異である.

 三段階目の付加反応ではシリルメチル基に限らず様々な付加基を導入することが可能なことが分かった.同様の条件下でジメチルイソプロポキシシリルメチルグリニャール試薬を作用させたところケイ素上にイソプロポキシ基を有するトリス付加体4が58%の収率で得られた.

 またトリス付加体4をさらに二座配位子へと変換することに成功した.化合物4をKHで脱プロトンしたところ,対応するカリウム錯体5が得られた.生成物の1H NMRスペクトルでは,三組のメチレンプロトンのうち一組のみが0.8ppm低磁場シフトして観測された.これはこの一組のメチレンプロトンがシクロペンタジエニル基とは反対側を向いており,フラーレンのπ電子系による非遮蔽化の効果を受けているためと考えられる.インデニル部位とケイ素上の酸素原子の二座で配位した構造であることを示す証拠と言える.この化合物はフラーレンを用いた二座配位子の初めての例である.またこれらの分子は面不斉を有しているため,キラルな反応場を有する錯体を構築するための配位子としても期待が持てる化合物群である.

 第三章ではアレーン類のフラーレンへの求電子付加反応を用いたη5型配位子の構築について述べている.上記の反応では選択性は高いが工程数が多いという弱点も持っている.そこでFriedel-Crafts型の反応を利用することで,安価な試薬を使った一段階での付加基導入法を検討した.この反応はすでに1991年に報告されていたが,生成物の構造が不明であり収率も記載されていない.用いるアレーンの種類や当量をかえ,また助触媒として水を添加することでモノ付加体6やビス付加体7,トリス付加体8を効率的に合成することが可能となった.また生成物は立体的に最も小さな付加基である水素をフラーレンに導入したものであり,特にトリス付加体は立体障害の少ない配位子へ応用することができた.そこでシクロペンタジエン上の水素原子を脱プロトンし,原料錯体と反応させることでRu[η5-C(60)(C7H8)3H2)](η5-C5H5),Ru[η5-C(60)(C7H8)3H2)]Cl(CO)2,の錯体合成を行った.Ru[η5-C(60)(C7H8)3H2)]Cl(CO)2は,ペンタフェニル[60]フラーレン配位子を用いた場合には立体障害のために合成できない錯体である.

 第四章ではフラーレンの剛直な骨格を土台として用いた高密度五核配位子の合成について述べた.ここでは五つの付加基上に配位座を持ちフラーレンの剛直な骨格を利用した新しい反応場の構築を試みた.3,5-ジイソプロピル-4-メトキシグリニャール試薬をCuBr-SMe2を用いた五重付加反応によりフラーレンに付加させ,メトキシフェニル五重付加型フラーレン9を高収率で得た.その結晶構造を図1に示す.この結晶構造からそれぞれの付加基に結合した酸素原子は直径13Åの円周上に位置していることが分かった.局所的に非常に高密度で活性中心を密集させることができると考えられる.さらにBBr3-SMe2を用いた脱保護を行い,フェノール五重付加型フラーレン配位子10を得ることに成功した.さらにTi(C5Me5)Me3と反応させることで五核チタン錯体の合成に成功した.

 このように,配位子としての機能を持つ付加基を剛直な骨格を有するフラーレンに導入する手法を確立したことで,非常に狭い空間を規定でき,その中に高密度で触媒活性中心を導入することに成功した.

 第五章ではイリジウム触媒C-H結合活性化によるフラーレン誘導体の合成について述べた.様々な錯体合成の検討を進める中で,トルエン誘導体のベンジル位の触媒的C-H結合活性化反応を発見した.ペンタメチル[60]フラーレンのブロモ化体11に対し触媒量のイリジウム錯体[IrCl(coe)2]2(coe=cyclooctene)とトリエチルアミンをトルエン中で作用させることにより,ベンジル化されたペンタメチル[60]フラーレン12が収率41%で得られた.

 フラーレンの誘導体を合成する手法はこれまで数多く研究されてきたが,有機金属を触媒的に用いてフラーレン誘導体を選択的に合成する手法はまだ報告例がなく非常に興味深い反応である.またp-メトキシトルエンやブロモトルエンなど化学変換可能な置換基を持ったトルエン誘導体にも適用でき,そこを足掛かりとした新たな配位子や機能性フラーレン材料の構築に利用可能であると考えられる.

 第六章は以上の研究の総括である.本研究ではこれまで困難であった,高効率選択的なフラーレンに対する付加反応を開発し,新しいフラーレン誘導体の合成法を開発した.すなわち段階的な付加反応や置換反応を用いることで機能性の付加基をフラーレン上に選択的に導入したモノ付加体,ビス付加体,トリス付加体の合成に成功し,インデニル型配位子への応用を行った.またこの反応を用いることで,酸素原子を有する付加基を導入することができ新規二座配位子の構築に成功した.ルイス酸を用いた芳香族求電子置換では安価な原料を用い一段階でモノヒドロアリール体,ビスヒドロアリール体,トリスヒドロアリール体の合成を行った.さらにフラーレンの剛直な骨格を利用した配位点集積型金属錯体の合成を行い,ヒドロキシ基を有する付加基を五つフラーレン上に効率的に導入することで,配位点を密集させた配位子,並びにその金属錯体の合成に成功した.本研究で開発したフラーレンに対する選択的かつ高収率な誘導体合成法は,配位子としてのフラーレン誘導体設計の新しい指針を与えるだけでなく,フラーレン金属錯体群の構造多様性を拡げ,また材料開発を目指した研究にも役立つと期待される.

図1 化合物9の結晶構造

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は六章から構成されており、フラーレン金属配位子へむけたフラーレン誘導体の効率的合成手法の開発について論じている.

 第一章では、フラーレンを用いた配位子を構築するためのフラーレンの効率的化学修飾法の開発という本研究の目的を明らかにし,本研究の背景としてフラーレンの持つ特異な構造や性質,またこれまで知られている種々の反応について概説している.またフラーレンを用いた配位子を合成する意義について述べている.

 第二章では、フラーレンの1〜3付加体を高収率で合成する手法の開発について述べている.元来行われていた求核剤によるフラーレンに対する付加反応では,多重付加体などの副生成物が生成すること,及びフラーレンの転化率が悪い等の問題から,高収率で目的の1〜3付加体を選択的に得ることは困難であったが,ここで開発した極性物質を添加した求核付加反応を用いることで,段階的にフラーレンのモノ,ビス,トリス付加体を得ることに成功している.本反応の各段階では,種々の求核試剤を用いることができるため,多様なフラーレン誘導体を合成することが可能である.またこの手法を用いて合成したフラーレン誘導体は,インデニル型の配位子として機能することが示されており,フラーレンの骨格と電気的な性質を利用した新たな触媒設計への道を拓くものである.

 第三章では,非常に簡便な手法を用いたフラーレンのヒドロアリル化体合成手法の開発に成功している.1991年にOlahらによって報告されている塩化アルミニウムを用いたフラーレンのヒドロアリール化反応は,複雑な混合物を与えるため生成物の同定に至っていなかったが,本研究において,反応性の異なるベンゼン誘導体を用いることで,選択的に1〜3個の付加基の導入に成功し,その構造を決定している.またトリスヒドロアリール化は脱プロトンを経たのちにシクロペンタジエニル型の金属配位子として機能することを示している.本反応は複雑な操作や高価な試薬を必要とせずに種々の付加体を合成できることから,工業的にも注目に値する結果である.

 第四章では,剛直な骨格をもつフラーレン上に5つの配位部位を選択的に導入することで,フラーレンの規定するナノスケールの空間上に触媒活性中心を集合させることについて述べている.銅試薬を用いたフラーレンに対する五重付加反応を用いることにより,酸素原子や窒素原子を持つ付加基をフラーレンに五つ導入することに成功している.また合成した配位子を用いた4族金属錯体の合成にも成功しており,それらの錯体がエチレンの重合反応に利用可能なことを示している.このように,配位子としての機能を持つ付加基を剛直な骨格を有するフラーレンに導入する手法を確立したことで,ナノスケールの反応場を様々な触媒反応へと応用できると考えられ,非常に意義深い研究結果である.

 第五章では,イリジウム触媒C-H結合活性化によるフラーレン誘導体の合成手法の開発について述べている.有機金属錯体を用いたC-H結合活性化は,一般的に不活性な部位の機能化が可能であり,新たな有機合成手法として盛んに研究が行われてきている反応であるが,本研究ではイリジウム触媒によってトルエンのベンジル位を選択的に活性化し,フラーレンのシクロペンタジエン部位とのC-C結合生成を達成している.有機金属触媒を用いたフラーレン誘導体の選択的合成手法はまだ報告例がなく,本反応は効率的な付加基導入法として非常に興味深い.また本反応では化学変換可能な置換基を持ったトルエン誘導体もフラーレンに導入でき,そこを足掛かりとした新たな配位子や機能性フラーレン材料の構築に有用であると言える.

 第六章は本研究の総括である.これまで困難であったフラーレンの1〜3付加体の高収率な合成法や,簡便で安価な合成法を開発したこと,またフラーレン上に配位点を五つ導入する手法の開発し金属錯体の合成に利用可能であること,また有機金属触媒を用いたフラーレン誘導体の新規合成手法を確立したことについてまとめている.

 なお、本論文第五章は中村栄一博士および松尾豊博士との共同研究であるが,研究計画および検討の主体は論文提出者であり,論文提出者の寄与が十分であると認められる.

 本研究はフラーレンに対する種々の付加反応を開発することにより,フラーレン誘導体の多様性を広げることに成功したものであり,フラーレンを金属配位子だけでなく分子デバイス等へ応用する上で適用可能な多くの知見を与えた.したがって,本論文は博士(理学)を授与できる学位論文として価値のあるものと認める.

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