学位論文要旨



No 122157
著者(漢字) 岩永,宏平
著者(英字)
著者(カナ) イワナガ,コウヘイ
標題(和) トリアリールメチル型4座配位子を用いた高配位高周期14族元素化合物の系統的研究
標題(洋) Systematic Studies on Hypercoordinate Heavier Group 14 Element Compounds Bearing Triarylmethyl-type Tetradentate Ligands
報告番号 122157
報告番号 甲22157
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5020号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 友田,修司
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 市川,淳士
 東京大学 助教授 辻,勇人
内容要旨 要旨を表示する

 高配位典型元素化合物は、その特異な構造および反応性から、またSN2反応のモデル化合物としての興味から広く研究されている。14族元素化合物では、高配位ケイ素化合物について数多くの報告がなされている一方で、ゲルマニウムやスズについては比較的報告例が少ない。また、5配位や6配位化合物に比べ、7配位化合物の報告例は数例あるのみである。

 7配位の典型元素化合物としては、四つの共有結合と三つの配位結合を有する中性の化合物が知られているが、個別に結晶構造などの報告があるのみであり、系統的に比較研究を行った例はない。当研究室では、オルト位に三つの酸素原子を有するトリアリールメチル基を4座配位子として利用した化合物を種々合成しており、トリクロロシラン1が7配位ケイ素を有することを報告している。本研究では、1の高周期類縁体であるトリハロゲルマンおよびトリクロロスタンナン2-6を合成し、その構造および反応性について詳細な比較検討を行った。また、トリアリールメタンの高周期類縁体であるトリアリールシランおよびゲルマンについて、環化によるプロ-アトラン種の合成を目指した検討を行った。

1.7配位トリハロゲルマンおよびトリクロロスタンナンの合成

 トリクロロゲルマン2およびトリクロロスタンナン6は、1と同様にトリアリールメタン7をリチオ体とした後に四塩化ゲルマニウムおよび四塩化スズを反応させることにより合成した(Scheme 1)。2はトリクロロシラン1と同様に空気中で安定に取り扱うことができたが、シリカゲルカラム中では1よりも安定性が低く、若干の分解反応が進行した。6はさらに不安定であり、シリカゲルカラムにより大部分が分解したため、単離収率は低いものであった。

 2に対して各種の試剤を反応させることにより、ハロゲン交換反応によるトリハロゲルマン類縁体の合成を試みた。最終的に、フッ化銀(I)、ブロモトリメチルシラン、およびヨードトリメチルシランを反応させることにより、対応するトリフルオロゲルマン3、トリブロモゲルマン4、およびトリヨードゲルマン5を合成した(Scheme 2)。三臭化ホウ素と低温下(-78℃)で反応させることによっても、同様に4が合成できた。一方で、0℃で2または4と三臭化ホウ素を反応させたところ、複雑な混合物となった。これは、1において、同様の条件でメチル基の脱保護と引き続くSi-O結合の生成が起きたことと異なる結果である。また、低温下で、メチル基の脱保護よりもハロゲン交換が優先したことは興味深い。

2.7配位トリハロゲルマンおよびトリクロロスタンナンの構造

 得られたトリハロゲルマンおよびスタンナン2-6のそれぞれについて、X線結晶構造解析を行った(Figure 1, Table 1)。いずれも1と同様に、C3対称を有するプロペラ型の構造をとっていた。ゲルマニウム周りの共有結合同士の結合角はほぼ四面体構造の値として妥当な範囲であった。さらに、三つの酸素原子が、中心原子とハロゲン原子との結合の反対側に位置する、中性7配位典型元素化合物に特徴的な"tricapped tetrahedral"構造を有していることがわかった。

 酸素原子と中心原子間の距離は、いずれもvan der Waals (VDW)半径の和(3.40Å)よりも16-25%短く、また、ゲルマニウム上のハロゲン置換基が電気陰性であるほど原子間距離は短くなるとともに、アリール基の傾きを示す二面角は小さくなっている。また、中心原子-ハロゲン原子間の結合長は、一般に知られる4配位トリハロゲルマンのものよりも若干ながら伸長している。以上より、固相中において2-6はいずれも酸素原子-ゲルマニウム原子間または酸素原子-スズ原子間に相互作用が存在し、"tricapped tetrahedral"形の7配位構造をとり、中心原子のルイス酸性が、この原子間相互作用に系統的な影響を与えていることが明らかとなった。

 高配位ケイ素化合物においては、中心ケイ素の(29)SiNMR化学シフト値が高磁場シフトすることが知られており、配位状態の評価に用いられている。しかしながら、ゲルマニウム原子核についてはNMRの測定が困難であるため、近傍原子核の(13)C NMRを用いることで、溶液中での配位状態を評価することとした。

 2-5の化学シフト値を、結晶中での酸素原子-ゲルマニウム原子間距離に対してプロットすると、両者に一次の相関があることがわかる(Figure 2)。酸素原子と中心原子との相互作用が強くなると、酸素原子から中心原子へ、より電子が流れ込み、メトキシ基の(13)C NMR化学シフトが低磁場シフトしたと考えられる。このことから、溶液中においても、これらトリハロゲルマンは、結晶中と同様の7配位構造を維持していることが示唆される。

 トリハロゲルマン類における酸素原子-ゲルマニウム原子間相互作用の詳細について明らかにするため、トリフルオロゲルマン3のt-ブチル基を省略したモデル化合物3'を用いたAtoms in Molecules解析を行った。最適化構造は3の結晶中の構造をよく再現し、酸素原子とゲルマニウム原子の間に結合性の相互作用が存在することを示すbond critical pointが見られた。bond critical pointにおける電子密度は[ρ(r):0.0180 e/a03]、ラプラシアンは[∇2ρ(r):0.0458 e/ao5]であり、相互作用が比較的弱い、イオン性のものであることが明らかとなった。

3.7配位トリハロゲルマンの反応

 得られたトリハロゲルマン類について、種々の試剤に対する反応性を検討した。トリヨードゲルマン5については、反応時の副生成物が除去し難いことと、その他の類縁体に比べ安定性が低いことから、2-4について検討を行った。

 2と3当量のLiAlH4との反応では、炭素上への求核攻撃によって生成したと考えられる、トリアリールメタン7が主生成物として得られた。一方で、少量ながら、塩素原子が水素原子に置き換わったトリヒドロゲルマン8が生成した。4との反応では逆に7が主生成物として得られ、3との反応では8のみが選択的に得られた(Scheme 3,Table 2)。以上の結果から、これらの競争反応においてはハロゲン原子の違いが生成物に大きな影響を与えているものの、その要因としてはゲルマニウム上のルイス酸性のほか、置換基のかさ高さや脱離能などが複雑に関わっていることが推測される。

 前述のとおり、2に-78℃で過剰量の三臭化ホウ素を加えることにより、定量的に4を合成することができる。同様に、3との反応でも効率よく4を得た(Scheme 4,Table 3)。4と三塩化ホウ素との反応は比較的ゆっくりと進み、室温、17時間での変換率は31%であった。より電気陰性なフッ素原子を有する3では反応は加速され、比較的短時間で定量的に2が得られた。三臭化ホウ素との反応と異なり、比較的高温の条件でも分解反応は進行しなかった。一方で、三フッ化ホウ素-エーテル錯体では反応は進行しなかった。基質と試剤の熱力学的な安定性の差が反応に寄与していると考えられる。

 以上のトリハロゲルマン類の反応性は、ケイ素類縁体である1の反応性と大きく異なる。これは、ゲルマニウム周りの結合の伸長により、充分な反応空間が確保されているためであると考えられる。

4.ヒドロキシ基を有するトリアリールシランおよびゲルマンの合成と反応

 修士課程において、筆者はヒドロキシ基を三つ有するトリアリールシラン9とP(NMe2)3およびHSi(NMe2)3を反応させることで、リンおよびケイ素で架橋したプロ-5-シラトラン型の化合物10および11を合成・報告している(Scheme 5)。今回、遷移金属と9との反応を試みた。Ti(NEt2)4およびZr(CH2Ph)4を反応させたところ、対応するプロ-メタラトラン12は生成せず、いずれもオリゴマー状の生成物を示唆する複雑な混合物となった。

 そこで、分子間での多量化反応を抑制するため、アリール基にかさ高い置換基として、t-ブチル基を導入したトリアリールシランおよびゲルマンの合成を検討した。ベンジル保護されたトリアリールシラン13の還元を試みたが、脱保護は完全に進行せず、また中央のケイ素上が加水分解された副生物が得られてきた(Scheme 6)。一方、ゲルマニウム類縁体15の脱保護は円滑に進行し、トリアリールゲルマン16を得た(Scheme 7)。

 得られたトリアリールゲルマンにP(NMe2)3を反応させたところ、反応は複雑となった。1H NMR スペクトルからは環化が完全に進行していないことが示唆され、ゲルマニウム原子周りの結合距離がケイ素原子周りのそれよりも長いために、環化が起こりにくくなったためと考えられる。

 以上、筆者は博士課程において、4座配位子を有するトリクロロゲルマンおよびスタンナンを合成した。また、トリクロロゲルマンを比較的容易にその他のトリハロゲルマンへ誘導できることを示した。さらに、これらの化合物について比較検討を行うことにより、これらが固相中、溶液中のいずれにおいても"tricapped tetrahedral"形の7配位構造を有し、その相互作用と、中心原子および中心原子上の置換基との関係を系統的に明らかにした。さらに、この相互作用の性質を理論計算からも明らかにすることができた。また、ヒドロキシ基を三つ有するトリアリールゲルマンを合成し、トリアリールシランとともに、その反応性を検討した。

Scheme 1.

Scheme 2.

Figure 1.ORTEP drawings of 3 (50% probability).

Table 1. Selected Bond Lengths, Interatomic Distances, and Angles a

a Values are average of the symmetric parts of the compounds. b Values in parentheses represent (O...E)/(sum of VDW radii) in percent.

Figure 2.Plots of oxygen-germanium interatomic distances vs. (13)C NMR chemical shifts.

Scheme 3.

Table 2. Ratios of the Products for the Reactions of 2-4 with LiAlH4.

Scheme 4.

Table 3.Reaction Conditions and Products for the Reactions of 2-4 with Trihaloboranes

All yields were estimated by 1H NMR.

Scheme 5.

Scheme 6.

*Lithium Naphthalenide

Scheme 7.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章は7配位トリハロゲルマンおよびトリクロロスタンナンの合成と構造、第3章は7配位トリハロゲルマンの反応、第4章はヒドロキシ基を有するトリアリールシランおよびトリアリールゲルマンの合成と反応について述べている。

 第1章では、これまでに合成された5配位、6配位および7配位の14族元素化合物について述べている。そこで、三つの酸素原子を配位結合部位として有するトリアリールメチル基が、中性7配位典型元素化合物の性質を明らかにするにあたって有効であることを論じるとともに、同配位子の酸素原子を共有結合部位として用いた、アトランおよびプロ-アトラン型骨格を有する化合物について述べている。最後に、以上を踏まえ、トリアリールメチル基を用いて、いまだ系統的な研究例のない7配位14族元素化合物を種々合成し、その性質を明らかにすること、また、ヒドロキシ基を三つ有するトリアリールシランおよびゲルマンについて、配位子としての活用法を探るという研究目的が述べられている。

 第2章では、トリアリールメチル基を有するトリハロゲルマンおよびトリクロロスタンナンを合成し、その結晶中および溶液中の構造について比較を行うとともに、理論計算による考察を行っている。トリクロロゲルマンおよびトリクロロスタンナンは、トリアリールメチル基の脱プロトン化に引き続く中心元素の導入により、対応するトリフルオロゲルマン、トリブロモゲルマンおよびトリヨードゲルマンは、トリクロロゲルマンに種々の試剤を添加することにより合成されている。特に脱メチル化剤である三臭化ホウ素やヨウ化トリメチルシランとの反応においても、ゲルマニウム上でのハロゲン交換が優先して起こることは興味深い。また、ベンゼン環上のメトキシ基のp位の置換基を種々変更したトリクロロゲルマンも合成している。得られた全てのトリハロゲルマンおよびトリクロロスタンナンについてX線結晶構造解析を行い、いずれも中性7配位典型元素化合物として妥当な構造を有していることを明らかにしている。さらに、配位部位である酸素原子と中心原子の原子間距離が、中心元素上のLewis酸性によって系統的に変化するということを明らかにしている。また、溶液中の構造についても考察しており、トリハロゲルマン類において、メトキシ基上の1Hおよび(13)C NMR化学シフト値の変化が、結晶構造中の酸素原子-ゲルマニウム原子間距離と相関していることを明らかにし、溶液中の構造が結晶中の構造とよく対応しているということを見出している。トリハロゲルマン類についてNatural Bond Orbital解析およびAtom in Molecules解析を行い、酸素原子-ゲルマニウム原子間に結合性相互作用が存在することを示し、その性質について考察している。以上の成果は、中性7配位14族元素化合物について、その置換基および中心元素の変化について系統的に研究した点、また固相中、溶液中の状態および理論計算をあわせて総合的に考察した点で意義深い。

 第3章では、トリハロゲルマン類と種々の試剤との反応性について考察している。アルカリ加水分解ではトリアリールメチルの炭素上への求核攻撃に引き続いて炭素-ゲルマニウム結合が開裂する一方、水素化リチウムアルミニウムとの反応では、同様の開裂反応と競争して、ゲルマニウム上での置換基交換によりトリヒドロゲルマンが生成することを明らかにしている。また、基質の違いにより、これらの反応の速度や生成比が大きく異なるという興味深い結果を見出している。さらに、ハロゲン化ホウ素との反応により、ゲルマニウム上でのハロゲン交換が進行することを見出し、理論計算によって試剤による反応性の違いについて考察している。

 第4章では、ヒドロキシ基を三つ有するトリアリールシランおよびゲルマンについて検討している。トリアリールシランと遷移金属試薬との反応を行い、リンやケイ素試剤からプロ-アトラン型化合物が生成したのと対照的に、オリゴマーないしポリマー状の複雑な混合物となることを見出している。次に、多量化反応の抑制を目的としてよりかさ高いトリアリールシランおよびゲルマンの合成を試みている。鍵反応となるベンジル保護基の脱保護反応において、トリアリールシランが競争する加水分解によりシラノールとなるのに対し、同様の手法でトリアリールゲルマンが効率的に合成できることを明らかにしている。また、得られたトリアリールゲルマンとリン試剤との反応について考察している。

 なお、本論文は川島隆幸・小林潤司・永瀬茂・高木望との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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