学位論文要旨



No 122161
著者(漢字) 坂本,和子
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,アイコ
標題(和) アゾベンゼン金属錯体の合成およびそれらのフォトクロミズム複合機能の研究
標題(洋) Synthesis of Azobenzene-attached Metal Complexes and Their Photochromism-hybrid Functionalities
報告番号 122161
報告番号 甲22161
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5024号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 田中,健太郎
 東京大学 助教授 鍵,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 金属錯体では、多様な電子的、光学的および磁気的性質をもつ有機配位子を分子内に組み込み、その配位子と金属中心との相互作用によって、さらに多様な物性や機能の発現が可能である。アゾベンゼンは、光照射によるトランス体とシス体の異性化によって分子の対称性とπ共役長が可逆的に変わるとともに、大きな体積変化を生じ、メモリ材料や液晶への応用を視野に入れた研究が数多く行われているフォトクロミック分子材料である。本研究では、そのアゾベンゼンの特徴を金属錯体の特性と組み合わせて、両者の特性を組み合わせた複合機能を発現させることを目的とし、フェロセニルアゾベンゼン類とアゾベンゼン結合サリチルアミド錯体の合成と性質の研究をおこなった。また、これらの機能性錯体の集合体における光異性化挙動を調べた。論文のChapter 1に序章として研究の背景について記述した。

 Chapter 2では3-フェロセニルアゾベンゼン(3-FcAB)誘導体の性質について述べる。3-FcAB (1)について、これまで当研究室で見出されてきた物性についてScheme 1に示す。アゾベンゼンのトランス体からシス体への異性化は、320 nm付近のπ-π*遷移を紫外光照射により励起することにより起こり、シス体からトランス体への異性化は、405 nmのn-π*遷移を青色光照射で励起することにより起こる。3-FcABは、フェロセンを結合していることにより、500 nm付近にMLCT吸収帯が生じるため、上記のアゾベンゼンの性質に加えて、546 nmの緑色光照射によってトランス体からシス体に異性化する。また、シス体のフェロセン部分を酸化してフェロセニウムイオンにすると、同じ緑色光を照射することで、トランス体に異性化する。よって、フェロセンのレドックスによって単一の緑色光でアゾベンゼンの異性化を可逆的に起こすことが可能である。本研究では、1の誘導体を合成し、その構造を明らかにするとともに、光異性化に及ぼす影響を調べた。Figure 1はヒドロキシル基を有する誘導体、3-Fc-4'-OHAB(3)のトランス体のORTEP図を示す。フェロセニル基のシクロペンタジエニル環およびアゾベンゼンはほぼ平面上にあり、π共役が広がっていることを示している。いくつかの他の誘導体についても結晶構造を得ることもできた。アゾ基を挟んだベンゼン環同士のねじれの角度は546 nmにおける異性化率の大きさとほぼ比例関係にあるようにも見えるがこれはパッキングによる影響ではないかと考えている。Table 1に各誘導体の光学特性および光異性化のデータを示す(Chart 1に略号と構造を示す)。すべての誘導体の中で、クロロ基を5位にもつものが最も緑色光による異性化率が高くなっているが、2から得られる3種のアルコキシ基をもつ誘導体3、4、5についてはどれもπ-π*吸収帯が3-FcABに比べてレッドシフトしており、緑色光による異性化率が減少している。電子供与性基によって基底状態のエネルギー準位が高くなり、n-π*とMLCTの重なりが大きくなるためではないかと考えられる。

Figure 2. ORTEP drawing of 3-Fc-4'-OHAB (3).

 Chapter 3 および4に、3-FcABの集合体である単分子膜とデンドリマーの研究についてそれぞれ説明した。3-FcAB自己集合単分子膜SAMの作製は二種類の基板を用いて行った。一つは天然マイカに金(1000Å)を蒸着したもので、水素炎によるアニール処理を施して(111)面を析出させた後、ジスルフィド体のクロロホルム溶液に浸漬させた。サイクリックボルタンメトリーを測定したところ安定な単分子膜が作製できたことが確かめられた。ピーク電流は100 mV/sec以下の範囲では掃引速度に比例し、表面種の挙動を示したが、より高い速度では電子移動律速による直線関係からのずれがみられた。一方、SAMの吸収分光測定と電気化学測定を同時に行うために、光を透過し、かつジスルフィド体によるSAMを作製できる電極として人工石英(SUPRASIL)にITO(970Å)、金(100Å)を順にスパッタした基板を用いた。この膜に対して光照射を行ったところ、光照射による可逆的な異性化挙動を検出することができた(Scheme 2)

 序で述べたように、アゾベンゼンの異性化における特徴の一つは、可逆的で大きな体積変化である。しかし、一分子での体積変化は簡単に検出できるほどではない。そこで、この一分子の体積変化を増幅し、その変化を外部に信号として取り出すことができる系として、アゾベンゼン誘導体である3-FcABを外側に修飾したデンドリマーを合成し、その光異性化に伴う体積変化をフェロセン部位のレドックス反応の電流変化として検出することを考えた。そこで、1を修飾したデンドリマーについての研究をフランス・ボルドー大・Astruc教授のグループと共同で行った。まず、ヒドロキシル基を末端にもつ3-FcAB(2)を修飾した新規デンドリマーを3種類(9mer (7)、27mer (8)、81mer (9))を新規に合成した。(2)を発表者が合成し、続いてデンドリマー骨格および、骨格と結合させる反応をAstruc教授のグループにて行った。化学構造をFigure 3に示す。溶液における異性化率は前述のアルコキシ基をもつ誘導体における傾向とほぼ一致しているが、デンドリマーの世代が高くなるにつれ、やや減少傾向にあることがわかった。光照射によってアゾベンゼン部位がトランス体からシス体に異性化する際のわずかなサイズおよび形状変化に伴う電気化学応答の変化を精度良く測定するため、光照射しながら溶液の電気化学測定のできる石英セルを新たに設計し、用いた。紫外光照射前後のサイクリックボルタモグラムを測定したところ、フェロセン部位の酸化還元波から拡散係数の変化を検出した(Table 2)。分子量が大きくなるにつれて異性化率は小さくなるものの、拡散係数は増加する傾向がみられた。すなわち、シス体になることによる体積収縮が、大きなデンドリマーほど顕著であることを示している。この結果は、デンドリマー分子の形状を生かし、結合した フェロセン部分の物性からアゾベンゼンの異性化挙動を評価した初めての例である。また、9についてはITO電極上に膜を作製し、光物性についても調べた。バルキーなデンドリマーは電極の電位をフェロセンのレドックス波の両端を挟んで何度も掃引することで、分子膜を形成することがすでに分かっているのでこのことを利用した。これはフェロセンが酸化されてフェロセニウムになることで溶解性が格段に下がり、吸着することによって起こると考えられている。-0.2 Vから0.8 V (vs. Ag+/Ag)の間で10回掃引したあと引き揚げ、表面に残った電解質をジクロロメタンで洗い流すことによって膜作製を行った。サイクリックボルタモグラムの測定により、分子が固定化した膜であることを確かめた。この膜に対して光照射を行ったところ、光定常状態における異性化率はそれぞれの波長で、564 nm: 2%、 436 nm: 9%、365 nm: 31% であった。

 最後に、アゾベンゼンを連結させたサリチルアミド系配位子の合成と錯体合成についてのべた(Chapter 5)。金属種を自在に選択可能な系の構築も試みた。アゾベンゼンを直交に連結させたサリチルアミド系配位子についての研究で、架橋が可能な構造をつくることによって種々の金属による単核錯体のみならず、配位高分子の合成が可能だと考えられる。配位部位の方向に対して、アゾベンゼンはアミド結合によって直交して結合している。このように配位高分子でありながら、アゾベンゼンを側鎖にもつ分子に関しての報告は少ないため、この観点からも興味深い系であるといえる。配位子(10)はp-phenylazoanilineと2,5-dihydroxyterephtharic acidをtriphenyl phosphiteおよびピリジンとともにトルエン中で72時間還流することによって、新規に合成した。収率35%で黄色粉末として得られ、N,N'-ジメチルホルムアミド(DMF)および、ジメチルスルホキシド(DMSO)のみに可溶である。精製はDMFに溶解させてろ過、濃縮を繰り返すことで行った。10の光異性化にともなう紫外可視吸収スペクトル変化を示す。n-π*吸収帯の吸収端が550 nmよりも長波長側まで伸びているため、546nmの緑色光によっても異性化が進行することがわかった。各波長における異性化率はそれぞれ、564 nm: 7%、 436 nm: 20%、365 nm: 43% であった(Figure 4)。

 続いて配位子(10)を用いて錯体合成を行った。硫酸銅六水和物とともにDMF中、90℃で24時間加熱し、溶媒留去を行った後、ジクロロメタンとヘキサンで再沈殿することにより精製した。IRスペクトル、と蛍光X線測定により、錯形成が進行したことを確認した。

【結論】3-FcAB 誘導体の溶液内挙動、および結晶構造を明らかにした。また、光異性化における、置換基効果に関する知見を得た。3-FcABを修飾した自己集合単分子膜とデンドリマーにおいて、その光異性化挙動を調べた。デンドリマーについては光電気化学測定を行い、異性化によるサイズ変化を検出することができた。アゾベンゼンを有するサリチルアミド系新規配位子および配位高分子を合成し、その光異性化挙動を調べ、錯形成反応を行った。(Chapter 6)

Scheme 1

Chart 1. 3-FcAB derivatives.

Table 1. UV-vis Absorption Spectral Data and cis Molar Ratios in the PSS on Monochromatic Light Irradiation of FcAB Derivatives.

Figure 5. UV-visspectra of (3-FcABS)2 solution in CH2Cl2 (solid line) and of SAM (dashed line).

Figure 6. UV-vis spectra of (3-FcABS)2 SAM on ITO-Au electrode after irradiation.

Scheme 2

Figure 3. Structures of dendrimers.

Table 2. CV results of 1-4 before and after photoirradiation at 365 nm

Scheme. 2

Figure 4. UV-vis absorption spectral changes of 10 in DMF upon irradiation with a monochromatic light.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章と付録からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章は3-フェロセニルアゾベンゼン(3-FcAB)誘導体の性質、第3章は3-FcAB誘導体単分子膜の作製と光・電気化学物性、第4章は3-FcABデンドリマーの合成と光・電気化学物性、第5章はアゾベンゼンを連結させたサリチルアミド系配位子の合成と錯体合成、第6章は研究成果のまとめと展望について述べられている。以下に各章の概要を記す。

 第1章では研究の背景について述べている。金属錯体では、多様な電子的、光学的および磁気的性質をもつ有機配位子を分子内に組み込み、その配位子と金属中心との相互作用によって、さらに多様な物性や機能の発現が可能である。アゾベンゼンは、光異性化によって大きな体積変化を生じ、メモリ材料や液晶への応用を視野に入れた研究が数多く行われているフォトクロミック分子である。本研究では、そのアゾベンゼンの特徴を金属錯体の特性と組み合わせて複合機能を発現させることを目的とし、フェロセニルアゾベンゼン類とアゾベンゼン結合サリチルアミド錯体の合成と性質の研究をおこなった。また、これらの機能性錯体の集合体における光異性化挙動を調べた。

 第2章では、3-FcAB誘導体の性質について述べている。アゾベンゼンのトランス体からシス体への異性化は、320 nm付近のπ-π*遷移の光励起により起こり、シス体からトランス体への異性化は、405 nmのn-π*遷移の光励起することにより起こる。3-FcABでは、上記のアゾベンゼンの性質に加えて、MLCT遷移の546 nm緑色光照射によってトランス体がシス体に異性化する。また、シス体を酸化してフェロセニウムイオンにすると、同じ546 nm光を照射することで、トランス体に異性化する。よって、フェロセンのレドックスによって単一緑色光でアゾベンゼンの異性化を可逆的に起こすことが可能である。本研究では、3-FcABの誘導体を合成し、その結晶構造を明らかにするとともに、光異性化に及ぼす影響を調べた。すべての誘導体の中で、クロロ基を5位にもつものが最も緑色光による異性化率が高くなった。一方、3種のアルコキシ基をもつ誘導体についてはどれもπ-π*吸収帯が3-FcABに比べて長波長シフトしており、緑色光による異性化率が減少した。電子供与基によって基底状態のエネルギー準位が高くなり、n-π*とMLCTの重なりが大きくなるためであると考察した。

 第3章においては、3-FcABの集合体である単分子膜(SAM)の研究について説明した。電気化学測定により安定な単分子膜が作製できたことが確かめ、また光照射による可逆的な異性化挙動を検出した。

 第4章に3-FcABデンドリマーの研究について説明した。アゾベンゼン分子の異性化における可逆的で大きな体積変化を増幅し、外部に信号として取り出すことができる系として、3-FcABを外側に修飾したデンドリマーを合成し、その光異性化に伴う体積変化をフェロセン部位のレドックス反応の電流変化として検出することを考案した。そこで、ヒドロキシル基を末端にもつ3-FcABを修飾した新規デンドリマーを3種類(9mer、27mer、81mer)合成した。紫外光照射前後の電気化学測定からデンドリマー分子の拡散係数の変化を検出した結果、分子量が大きくなるにつれて異性化率は小さくなるものの拡散係数は増加する傾向がみられ、シス体になることによる体積収縮が、大きなデンドリマーほど顕著であることが示された。この結果は、デンドリマー分子の形状を生かし、結合したフェロセン部分の性質からアゾベンゼンの異性化挙動を評価した初めての例である。また、81merについてはITO電極上に膜を作製し、光物性について解析した。

 第5章にアゾベンゼンを連結させたサリチルアミド系配位子の合成と錯体合成について述べた。この配位子では種々の金属による単核錯体のみならず、配位高分子の合成が可能であり、配位部位の方向に対して、アゾベンゼンはアミド結合によって直交して結合しているので大きな光応答が期待できる。この配位子を新規に合成し、光異性化の波長依存性を明らかにした。また、銅錯体の合成を行い、光異性化挙動を調べた。

 第6章では、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。またAppendixとして、構造解析結果を記している。

 以上、本論文に記述した研究では、フォトクロミック金属錯体の合成、結晶構造、および溶液内挙動を明らかにし、特に光異性化における置換基効果の解明および異性化による分子サイズ変化の検出において、オリジナルな成果を得ている。これらは、光・電子機能分子の研究分野を大きく進展させるものと期待される。なお、本論文2章は広岡 明、並木康佑、栗原正人、村田昌樹、杉本 学、西原 寛との共同研究、3章および5章は西原 寛、4章はM.-C. Daniel, J. Ruiz, D. Astruc、西原 寛との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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