学位論文要旨



No 122166
著者(漢字) 長坂,将成
著者(英字)
著者(カナ) ナガサカ,マサナリ
標題(和) X線吸収分光法とモンテカルロ法による金属表面上の触媒反応機構の研究
標題(洋) Mechanisms for Catalytic Reactions on Metal Surfaces Studied by X-ray Absorption Spectroscopy and Dynamic Monte Carlo Method
報告番号 122166
報告番号 甲22166
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5029号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 助教授 佐々木,岳彦
内容要旨 要旨を表示する

 金属表面上に吸着した化学種の反応は、ある条件下では吸着した分子自身が形成するメゾスコピックスケールの吸着秩序構造により、その反応機構を変えながら進行することが、近年明らかになってきた。そのような表面反応の機構は単純なマクロ速度論解析では明らかにすることができない。この種の反応機構を調べるには、吸着種の配置などのミクロな情報と被覆量変化などのマクロな情報の両方が必要不可欠であり、ミクロとマクロを結びつけるメゾスコピックスケールの計算機シミュレーションが重要である。私は、まず最近開発されたエネルギー分散型NEXAFS(内殻X 線吸収端近傍微細構造)法により、表面反応中の吸着種の被覆量変化を実時間で測定した。そしてその結果をモンテカルロ法の結果と比較することにより、メゾスコピックスケールの吸着種の構造が重要となる表面反応の機構を解明することを目的として研究を行った。

 実験は物質構造科学研究所・放射光科学研究施設のビームラインBL-7A にて行った。エネルギー分散型NEXAFS 法は、エネルギー分散光と位置分解型電子分光器の組み合わせにより、通常1 スペクトル当り10 分程度測定に要するNEXAFS を高速(10 秒程度)で測定する手法である。NEXAFS は化学種の量を定量的に求めることができるため、反応中の被覆量の時間変化が得られる。本研究で用いたモンテカルロ法は、吸着種間相互作用などのミクロな情報を密度汎関数法(DFT)で直接求め、それを用いてモンテカルロ法でメゾスコピックスケールの反応場全体の時間発展を計算する新しい手法である。DFT 法はVASP コードを用いて東京大学情報基盤センターの大型計算機により計算を行い、モンテカルロ法はC++により独自に作成したプログラムを用いて行った。

 具体的に研究した系は、Pt(111)表面上のH2O 生成反応、O 原子のアイランド成長、及びCO 酸化反応である。これらの結果について、以下に述べる。またPt(111)表面上のH2O とOH の間のプロトン移動の測定とRh(111)表面上のNH3 生成反応の研究も行った。

 白金表面に水素と酸素を流すと水が生成する反応は、180年前に発見された最初の触媒反応であるが、その詳細は未だに不明である。この反応機構を解明するために、エネルギー分散型NEXAFS 法を用いて水生成反応を測定した。まずPt(111)表面に酸素原子が吸着する構造を作成した。そしてその表面に水が脱離しない温度である130 K において水素を5.0 × 10(-9) Torr の圧力で流すことにより水を生成させた。このO からH2O に変化する過程をエネルギー分散型NEXAFS 法で35 秒ごとに測定した。得られたNEXAFS スペクトルを詳細に解析した結果、反応中の被覆量変化を反応中間体OH も含めて明らかにすることに成功した(図1a)。

 次に反応機構を解明するために、OH + H → H2O とO + 2H2O → 2 OH + H2O の二つの素過程が自己触媒的に繰り返されるモデルに基づいて、モンテカルロシミュレーションを行った。図1 (b)に示すように、反応中の被覆量変化が得られ、実験を定性的に再現することが確認された。過去の走査トンネル顕微鏡(STM)の研究では、酸素原子上をOH のドメインが広がっていき、その内側にH2O のアイランドが生成する様子が観測されたが、表面種の配置の時間変化(図2)を見てみると、その様子が再現されていることが分かる。更に反応フロント部のOH とH2O の混合相におけるH2O とOH の間のプロトン移動を考慮しないと反応の進行が遅くなり、STMで見られた表面の様子を再現しないことが新たに分かった。以上の結果から、この反応が水の自己触媒反応であると共にプロトン移動が反応の進行に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

 表面反応の機構はメゾスコピックスケールで動的に変化するが、その要因として表面吸着種間相互作用により生成するアイランドが挙げられる。本研究では、モンテカルロ法を用いて、Pt(111)表面上の酸素原子のアイランド成長を、温度依存性を含めて詳細に調べた。

 まず低速電子線回折とモンテカルロ法を組み合わせた手法により、3 格子長以内の全ての酸素原子の2 体間の相互作用エネルギーを求めた。次にモンテカルロ法により、表面上(28 × 28 nm2)の酸素原子を拡散させた。計算において、酸素原子の拡散の始状態、遷移状態、終状態のエネルギーを得られた吸着種間相互作用エネルギーで変化させた。拡散の前置数因子と活性化エネルギーはSTM で得られた値を用いた。図3 に温度を180 K から390 Kまで上昇させた時の表面の様子を示す。まず180 K では酸素原子の拡散速度が非常に遅いため、ほとんどアイランドが形成しない。ここから温度が270 K まで上がる間、酸素原子は拡散するのでアイランドが形成する。240 K における表面では、アイランドのサイズはSTM の結果とほぼ一致しており、またアイランドの外を拡散する孤立した酸素原子も確認された。温度が270 K 以上になると、エントロピーの効果が強くなるために、アイランドが崩れだす。以上のように、酸素原子のアイランドの生成と崩壊の過程の温度依存性を明らかにした。

 Pt(111)表面上のCO 酸化反応は、酸素アイランドにCO を流すことにより、CO2 を脱離生成する反応である。過去のSTM の測定から、アイランドの縁から反応が進行することが観察されている。一方、エネルギー分散型NEXAFS 法の実験で、CO が飽和吸着する前の段階では、アイランドの縁以外でも反応が進行することが明らかになった。このような表面反応の機構を解明するには、原子レベルでの相互作用を取り入れたシミュレーションをメゾスコピックスケールで行うことが本質的に重要である。そこでモンテカルロ法により、Pt(111)表面上のCO 酸化反応の反応機構を検討した。

 まずDFT 計算により、表面に存在する酸素原子(hollow, bridge サイト)とCO 分子(atop, bridge サイト)の間の全ての2 体間相互作用を3 格子長の距離内で求めた。ここでbridge サイトの酸素原子の配置間相互作用は、反応の遷移状態の計算で必要となる。次にモンテカルロシミュレーションを28 × 24 nm2 の表面で行った。このとき実験的に決まった素過程の始状態、遷移状態、終状態のエネルギーに、DFT 計算で得られた吸着種間相互作用を加えることにより、素過程の活性化エネルギーを変化させる。図4 にモンテカルロ法により得られた反応中の吸着種の被覆量変化を示す。CO 分子は最初atop サイトに吸着し、atop サイトが飽和に達するとbridge サイトに吸着し始める。実験で観測されたように、CO を流すとすぐに始まる速い過程(I)と反応がほぼ停止する誘導期(II)と、そしてCO が飽和に達しc(4 × 2)構造になった後にアイランドの縁から進行する反応過程(III)を確認した。図5 に反応中の表面の変化の様子を示すが、STM により観察されたように、酸素のアイランドの中にatop サイトのCO 分子が(2 × 2)構造をつくり(図5 中段の挿図)、アイランドの外側ではCO 分子がatop サイトとbridge サイトに吸着することにより、c(4 × 2)構造を作ることを確認した(図5 下段の挿図)。初めの反応過程(I)は酸素のアイランドの中にCO の(2 × 2)構造が完全にできた時に終了する。また過程(III)はCO の圧力が高いほど、その反応速度が大きくなることが明らかとなった。

 以上の結果から、Pt(111)表面上のCO 酸化反応の機構が明らかとなった。図6(a)に示すように、CO 酸化反応は始状態の酸素原子(Oa)とCO 分子(COa)が、遷移状態としてそれぞれO*a とCO*a に移動した後、CO2 となり表面から脱離する。過程(I)はこの素過程(図6a)により進行する。過程(II)以降において、アイランド内部で反応が進まないのは、遷移状態(O*a + CO*a)の障壁がアイランド内部のCO 分子(COb)により高くなるためである(図6b)。またアイランド内部の酸素原子(Oa)の間に弱い引力相互作用があるので、反応の始状態は孤立した酸素原子より低くなり、結果としてアイランド内部の活性化障壁が上がる(図6d)。以上の理由により、CO の(2 × 2)構造ができると反応速度は著しく低下する。アイランドの縁の反応はc(4 × 2)構造の中のサイトに過剰にCO 分子(COc)が吸着することにより、始状態(Oa + COa)が不安定化され、相対的にその活性化障壁が下がることにより起こる(図6c)。過剰なCO 分子は、CO の吸着に活性化障壁が存在しないため起こる。過剰に吸着したCO 分子は、周りのCO 分子との反発相互作用により脱離する。CO の圧力が高いほど、この過剰に吸着したCO 分子により始状態が不安定化される頻度が大きくなるため、反応速度が大きくなる。そのためアイランドの縁の反応はCO の圧力が大きいほど速くなる。このようにモンテカルロ法によって、Pt(111)表面上のCO 酸化反応の機構を単一の素過程と吸着種間相互作用により説明できることを明らかにした。

 以上のように、エネルギー分散型NEXAFS 法で求めた反応中の被覆量変化とSTM により得られた表面吸着種の様子を、モンテカルロシミュレーションの結果と比較することにより、メゾスコピックスケールで形成する吸着種の構造と反応機構の関わりを解明できた。これらの方法は、表面反応の機構を理解する上で有用なアプローチになると考えられる。

図1. H2O 生成反応中の被覆量変化。 (a) エネルギー分散型NEXAFS 法、 (b) モンテカルロ法により、それぞれ得られた。

図2. モンテカルロ法によるH2O 生成反応中の表面の様子(280 × 280 nm2)。時間は図1(b)に示している。

図3. モンテカルロ法による酸素原子のアイランド成長の様子(28 × 28 nm2)。黒い点がアイランドの酸素原子を、赤い点が拡散する酸素原子をそれぞれ表す。

図4. CO 酸化反応中の被覆量変化。252 KでCO の圧力は5.0 × 10(-10) Torr である。

図5. CO 酸化反応中の表面の様子(28 × 24nm2)。 赤色がO, 黒色がatop サイトのCO,水色がbridge サイトのCO を表す。

図6. CO 酸化反応の反応機構の説明。(a) 速い過程、(b) アイランド内部、(c) アイランドの縁、(d) それぞれの過程のエネルギー図を表す。

審査要旨 要旨を表示する

 金属表面上での吸着種自身が形成するメゾスコピックスケールの吸着秩序構造においては、反応機構を変えながら化学反応が進行する。そのような表面反応の機構を調べるには、吸着種の配置などのミクロな情報と被覆量変化などのマクロな情報の両方が必要不可欠であり、ミクロとマクロを結びつけるメゾスコピックスケールの計算機シミュレーションが重要である。本論文は、最近開発されたエネルギー分散型NEXAFS(内殻X線吸収端近傍微細構造)法により表面反応中の吸着種の被覆量変化を実時間で測定し、その結果をモンテカルロ法の結果と比較することにより、メゾスコピックスケールの吸着種の構造が重要となる表面反応の機構を解明することに成功したものである。

 第1章では、本研究の目的と意義について述べている。

 第2章では、本研究の実験及び計算の方法について詳細に述べている。

 第3章、4章では、Pt(111)表面上での水素と酸素の反応機構をまとめた。水素と酸素からの水の生成機構の詳細は未だに不明である。この反応機構を解明するために、エネルギー分散型NEXAFS法を用いてOからH2Oに変化する過程を35秒ごとに測定した。得られたNEXAFSスペクトルを詳細に解析した結果、反応中の被覆量変化を反応中間体OHも含めて明らかにすることに成功した。次に反応機構を解明するために、OH+H→H2OとO+2H2O→2OH+H2Oの二つの素過程が自己触媒的に繰り返されるモデルに基づいて、モンテカルロシミュレーションを行った。その結果、酸素原子上をOHのドメインが広がっていき、その内側にH2Oのアイランドが生成するという表面種の配置の時間変化が再現された。これらより、この反応が水の自己触媒反応であると共にプロトン移動が反応の進行に重要な役割を果たしていると結論している。

 第5章では、Rh(111)表面上のアンモニア合成反応の機構を述べている。

 第6章では、Pt(111)表面上の酸素原子のアイランド成長の機構をまとめている。酸素原子の拡散の始状態、遷移状態、終状態のエネルギーを得られた吸着種間相互作用エネルギーで変化させ、温度変化をも取り入れてモンテカルロ計算を行った。これにより、酸素原子のアイランドの生成と崩壊の過程の温度依存性を明らかにしている。

 第7章では、モンテカルロ法によりPt(111)表面上のCO酸化反応の反応機構を検討した結果を述べている。まずDFT計算により、表面に存在する酸素原子(hollow, bridgeサイト)とCO分子(atop, bridgeサイト)の間の全ての2体間相互作用を3格子長の距離内で求めた。次にモンテカルロシミュレーションを28×24nm2の表面で行った。このとき実験的に決まった素過程の始状態、遷移状態、終状態のエネルギーに、DFT計算で得られた吸着種間相互作用を加えることにより、素過程の活性化エネルギーを変化させている。その結果、酸素のアイランドの中にatopサイトのCO分子が(2×2)構造をつくり、アイランドの外側ではCO分子がatopサイトとbridgeサイトに吸着することにより、c(4×2)構造を作ることを明らかにしている。また、CO酸化反応は始状態の酸素原子(Oa)とCO分子(COa)が、遷移状態としてそれぞれO*a、とCO*a、に移動した後、CO2、となり表面から脱離する。アイランド内部で反応が進まないのは、アイランド内部の酸素原子(Oa)の間に弱い引力相互作用があるため、反応の始状態は孤立した酸素原子より低くなり、結果としてアイランド内部の活性化障壁が上がることを見出した。以上の理由により、COの(2×2)構造ができると反応速度は著しく低下する。アイランドの縁の反応はc(4×2)構造の中のサイトに過剰にCO分子(COc)が吸着することにより、始状態(Oa+COa)が不安定化され、相対的にその活性化障壁が下がることにより起こると説明している。過剰なCO分子の存在は、始状態を不安定化させ反応速度を増大させる。そのためアイランドの縁の反応はCOの圧力が大きいほど速くなる。このようにモンテカルロ法によって、Pt(111)表面上のCO酸化反応の機構を単一の素過程と吸着種間相互作用により説明できることを明らかにした。

 第8章では、本研究で得られた結果をまとめ議論を総括している。

 以上、本論文では、エネルギー分散型NEXAFS法で求めた反応中の被覆量変化とSTMにより得られた表面吸着種の様子を、モンテカルロシミュレーションの結果と比較することにより、メゾスコピックスケールで形成する吸着種の構造と反応機構の関わりを解明した。これらの成果は物理化学、特に表面化学に貢献するところ大である。また、本論文の研究は、本論文提出者が主体となって考え実験と計算を行い解析したもので、本論文提出者の寄与は極めて大きいと判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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