学位論文要旨



No 122168
著者(漢字) 原野,幸治
著者(英字)
著者(カナ) ハラノ,コウジ
標題(和) ディスク状配位子を用いた自己集合型動的ナノカプセルの創製
標題(洋) Self-Assembled Dynamic Nanocapsules Constructed from Disk-shaped Ligands
報告番号 122168
報告番号 甲22168
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5031号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 長谷川,哲也
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 外部環境から遮断されたナノサイズの孤立内部空間を有する、ナノカプセルに代表される一連のナノ構造体群は、内部空間の特異性を利用した分子集積場や物質変換場としての応用が期待されている。中でも、配位結合や水素結合、疎水性効果を始めとする非共有結合性の相互作用を介して形成されるナノカプセルにおいては、会合の可逆性を活用することによる、三次元構造変化と連動した空間機能・電子機能の制御、いわゆる「動的機能」の発現に興味が持たれる。

 本研究では、金属イオンの可逆的配位構造変化・金属-配位子交換という動的性質を利用した、動的機能を有する自己集合型ナノカプセルの構築を主たる目的とした。その構造単位として、3-ピリジル基を有するディスク状三座配位子1および2を新たにデザイン・合成した。これらの配位子と金属イオンとの自己集合化を検討し、ナノメートルサイズのカプセル錯体・かご型錯体の定量的構築と、その動的機能の探索を行った。その結果、各配位子と様々な金属イオンとの錯体形成により、四面体型もしくは八面体型構造を有するナノカプセルの定量的形成が明らかとなった。特に、Ag+、Hg(2+)イオンといった複数の配位形式をとりうる金属イオンを用いたナノカプセルでは、二種類の異なる三次元構造を持つ錯体間での動的変換挙動を見いだし、分子認識能や発光能といった錯体機能のスイッチングを実現した。さらに、配位子2の溶液中における自発的な会合によるナノカプセル形成を利用して、精緻な分子形状認識能を有する動的分子認識システムの構築にも併せて成功した。

【有機分子の包接・放出を制御可能なカプセル・かご型Ag+錯体の相互変換システム】

 ディスク状三座配位子1の錯体形成挙動の検討の結果、Ag+イオンとの錯体形成により、四面体型のAg414カプセル錯体、および八面体型のAg614かご型錯体という、二種類の異なる三次元構造を有する錯体の形成が明らかとなった(図1)。これら二種類の錯体の生成は完全にAg+イオンと配位子1の濃度比に依存し、[Ag+]:[1]=1:1では四面体型四配位のAg+からなるAg414カプセル錯体が、[Ag+]:[1]=3:2においては直線二配位のAg+からなるAg614かご型錯体がそれぞれ定量的に生成する。また、[Ag+]:[1]比を変えることで両錯体間の相互変換が可能であることも示された。

 カプセル錯体とかご型錯体はその構造の差異に由来して、分子認識能において顕著な差が見られた。カプセル錯体はアダマンタンをはじめとする中性の球状有機分子を内部空間に取り込むことが可能であるのに対し、かご型錯体は包接能を示さなかった。ここで、アダマンタンを包接したカプセル錯体に対してAg+イオンを添加すると、かご型錯体への構造変換と共にアダマンタンの放出がみられた。ここへAg+イオンに対するキレート試薬として[2.2.2]-クリプタンドを加えたところ、カプセル錯体が再び生成したのと同時に、アダマンタンのカプセル内への再包接が観測された。このように、二種類の錯体の分子認識能の違いを利用して、ゲスト分子の包接と放出を可逆的に繰り返すことが可能な動的分子認識システムの構築に成功した。

【種々の金属イオンから形成可能なM628カプセル錯体とアニオン置換を介した内部空間修飾】

 より大きなサイズを有する三座配位子2については、平面四配位もしくは八面体六配位の配位形式を有する10種類の2価金属イオン(M=Mn(2+),Fe(2+),Co(2+),Ni(2+),Pd(2+),Pt(2+),Cu(2+),Zn(2+),Cd(2+),Hg(2+))とのアセトニトリル中の錯体形成により、いずれの金属イオンからもM628錯体が定量的に形成することが明らかとなった(図2)。Hg628・(TfO)(12)錯体(TfO-=CF3SO(3-))の単結晶X線構造解析の結果、一辺約2nmの正八面体の頂点にHg(2+)イオンが配置し、全ての面を8枚の配位子2が占めた、直径約3.5nmの密に閉じた八面体カプセル型の分子構造が明らかとなった。10種類の金属イオンの中にはスピンを有する金属イオンや配位置換不活性な金属イオンも含まれ、各金属イオンの特性をカプセル錯体の機能へと反映させることが可能である。

 中でも、八面体六配位型の金属イオンから形成されるM628錯体では、金属イオンのアキシャル位に置換活性な対アニオン(TfO-など)が配位していることから、各金属イオン中心を他のアニオンの認識部位として利用できる。そこで、M628カプセル錯体についてアニオン認識能を検討した結果、M628・(TfO)(12)カプセル錯体(M=Zn(2+),Cd(2+),Hg(2+))に対して、TfO-アニオンに比べて配位能の高いトシル酸アニオン(TsO-)などを添加すると、カプセルの内部に位置する6個のアニオンのみを選択的に置換できることを明らかにした。また、ピリジンスルホン酸アニオンやフェロセンスルホン酸アニオンのような官能基を有するアニオンを用いた場合でも選択的な置換が可能であり、6つのピリジル基が配置されたカプセル錯体の内面を分子認識場として活用できると期待される。

【Hg628カプセル錯体とHg624かご型錯体の相互変換に伴う蛍光スイッチング】

 一方、配位子2のHg(2+)イオンとの錯体形成においては、[Hg(2+)]:[2]比に応じて2種類の錯体構造の形成が明らかとなった。滴定実験の結果、[Hg(2+)]:[2]=3:4においてはHg628カプセル錯体が定量的に生成し、一方で、[Hg(2+)]:[2]=3:2においてはHg624錯体が定量的に生成することが示された。このHg624錯体は、直線二配位のHg(2+)イオンが正八面体の頂点に配列し、八面のうち四面を配位子2が占めた、カプセル錯体に比べて広い隙間を持つかご型構造であると考えられる。また、カプセル錯体とかご型錯体の形成は[Hg(2+)]:[2]比に依存しており、Ag414・Ag614錯体と同様、溶液中の[Hg(2+)]:[2]比を制御することにより、カプセル・かご型錯体間の定量的かつ可逆的な相互変換が可能である(図3)。

 さらに、カプセル錯体とかご型錯体では、配位子2のπ系に由来する蛍光発光強度に大きな違いが見られた。これら2種類の錯体について蛍光スペクトル測定(CH3CN,励起波長:284nm,293K)を行った結果、Hg628カプセル錯体では360nmに極大を持つ青紫色の蛍光が観測された一方で、かご型錯体では蛍光は全く観測されなかった。この蛍光挙動の変化を、上述のカプセル・かご型錯体間の相互変換と組み合わせることにより、錯体の構造変換と連動した蛍光のON/OFFスイッチングを実現できた。

【Ag414およびM628カプセル錯体の溶液内ダイナミクス】

 Ag414およびM628カプセル錯体の溶液内における動的性質についてさらなる知見を得るため、カプセル錯体内部と外部の分子・イオンの交換の速度を動的NMR測定により求め、カプセル内外の物質交換のメカニズムを明らかにした。293K、CD3NO2中における[(adamantane)⊂Ag414](PF6)4錯体のアダマンタンの交換速度(kG=0.187±0.003s(-1))は、配位子交換速度(kL=0.229±0.010s(-1))に比べて小さく、Ag414カプセル内外のアダマンタンの交換過程においては配位子1の完全な解離が必要であることが示された。これに対して、Hg628・(TfO)(12)錯体内外のアニオン交換速度(k(TfO)=400s(-1))は、配位子交換速度(kL=0.110±0.004s(-1))よりもはるかに大きい値を示した(CD3CN,293K)。すなわち、Hg628カプセル錯体の対アニオンは配位子が完全に解離せずとも交換可能であり、アニオンがカプセルの隙間を通り交換していることを示唆する結果である。

 M628カプセルの動的性質に関連して、前項にて述べた選択的内部アニオン置換によりカプセル錯体全体の速度論的安定性が大きく向上することも明らかにした。Hg628・(Tf2N)(12)カプセル錯体(Tf2N-=(CF3SO2)2N-)を例にとると、その配位子交換速度はTsO-アニオンによる置換前(kL=51±6s(-1))に比べて、置換後ではおよそ1000分の1に減少することが示された(kL=0.064±0.002s(-1))。このように、アニオン添加という化学的な外部刺激により、カプセル錯体の速度論的安定性を制御できることが示された。

【ディスク状両親媒性分子の自己会合によるナノカプセル形成と動的分子認識】

 配位子2は極性基である3-ピリジル基が疎水性のヘキサフェニルベンゼン部位の周縁部に結合した構造であることから、金属配位子のみならず両親媒性分子としての性質も併せ持つ。実際に、極性溶媒中における会合挙動を検討した結果、疎水性効果を駆動力としたカプセル型自己会合体形成を示すことが明らかとなった。

 ディスク状分子2を水・メタノール(1:3)混合溶媒に溶解したところ、各種スペクトルデータから溶液内での会合を示唆する結果が得られた。X線結晶構造解析により、2がピリジン環のスタッキングを介して六分子会合した、一辺約1.8nmの立方体構造を有するナノカプセルの形成が明らかとなった(図4)。さらに、この26カプセルは疎水的内部空間を有し、ゲスト包接挙動の検討により、2,4,6-トリブロモメシチレン(C6Me3Br3)を始めとする平面状有機分子二分子を協同的に包接することが示唆された。

 一方、26カプセルに対してアダマンタンやフェロセンといった球状の有機分子を添加すると、六量体から四量体への変換を伴って包接されることが明らかとなった。アダマンタン包接体のX線結晶構造解析の結果、ゲスト分子は四面体型のカプセル構造の内部に密に包接されており、ゲスト形状に応じた、包接に最適な内部空間サイズを有する構造体への自発的変換を示唆している。以上の結果から、ディスク状分子2から形成されるナノカプセルの精緻な動的分子認識能が示された。

【結論】

 以上本研究では、二種類のディスク状三座配位子1,2および様々な金属イオンを用いた自己集合型カプセル錯体の構築を行った。また、これらのナノカプセルの動的性質を利用し、分子の包接を制御可能な動的分子認識システムや、アニオン置換によるカプセル内面修飾と速度論的安定性の制御、さらに錯体構造変換と連動した蛍光スイッチングといった種々の機能の創出に成功した。さらに、配位子2については、疎水性会合によるナノカプセル形成と動的分子認識能を明らかにすることができた。

図1. Ag+カプセル錯体とかご型錯体の相互変換に基づく動的分子認識システム

図2. 種々の金属イオンを用いた八面体型M628カプセル錯体の形成

図3. Hg628カプセル錯体とHg624かご型錯体の相互変換と蛍光スイッチング

図4. 配位子2を用いた自己会合型カプセル形成とゲスト誘起構造変換

審査要旨 要旨を表示する

 ナノカプセルに代表される、ナノサイズの孤立内部空間を有する構造体は、その特異的内部空間を利用した分子集積や物質変換が期待されている。特に、非共有結合性の相互作用を介して形成される自己集合型ナノカプセルにおいては、外部刺激や環境変化に応答した三次元構造変化を利用することで、空間機能や電子物性の自在制御が実現できる。本研究では、金属イオンの可逆的配位構造変化および金属-配位子交換という"動的性質"に注目し、可逆的な構造制御を可能にする動的ナノカプセルの構築を主たる目的とした。その構造単位となる配位子として、3-ピリジル基を配位部位として有する、サイズの異なる二種類のディスク状三座配位子1および2を新たに設計し、これらの配位子を用いた金属錯体形成によるナノカプセルの構築と、動的構造変換と連動した錯体機能スイッチングを実現した。また、疎水効果を介した2の自己集合により形成されるナノカプセルの動的分子認識能についても明らかにされた。

 本論文は全7章から成り、第1章では、本研究の目的、背景が詳述されている。第2章では、ディスク状配位子1とAg+イオンからなる、カプセル錯体とかご型錯体の動的相互変換システムについて述べられている。溶液中のAg+イオンと配位子1の濃度比に依存して、四面体型のAg414カプセル錯体、および八面体型のAg614かご型錯体がそれぞれ定量的に生成し、さらに[Ag+]:[1]比を変えることで両錯体間の相互変換が可能であることが示された。また、カプセル錯体はアダマンタンなどの球状分子を内部空間に取り込むことが可能であるのに対し、かご型錯体は包接能を示さないことが明らかとなった。この分子認識能の違いを利用して、カプセル・かご間の相互変換と連動した、ゲスト分子の包接と放出を可逆的に繰り返すことが可能な動的分子認識システムが構築された。

 第3章では、ディスク状配位子2を用いた、種々の金属イオンから形成可能なナノカプセルについて報告されている。配位子2については、平面四配位もしくは八面体六配位の配位形式を有する10種類の2価金属イオンとの錯体形成により、M628錯体が定量的に形成することが明らかとなった。Hg628・(TfO)(12)錯体(TfO-=CF3SO3-)の単結晶X線構造解析により、直径約3.5nmの密に閉じた八面体カプセル型の錯体構造が明らかにされた。特に、八面体六配位型の金属イオンから形成されるM628錯体では、各金属イオン中心を他のアニオンの認識部位として利用できる。実際に、カプセル錯体に対してトシル酸アニオンなどを添加すると、カプセルの内部に位置する6個のアニオンのみを選択的に置換できることが明らかにされた。また、ピリジル基やフェロセニル酸基などを有するアニオンを用いることにより、カプセル内面の簡便な機能化が可能であることも示された。

 第4章では、Hg(2+)カプセル・かご型錯体の相互変換と連動した蛍光スイッチングについて述べられている。配位子2のHg(2+)イオンとの錯体形成においては、[Hg(2+)]:[2]比に応じてHg628カプセル錯体およびHg624かご型錯体が定量的に生成することが示され、溶液中の[Hg(2+)]:[2]比を制御することによる、両錯体間の定量的かつ可逆的な相互変換が示された。さらに、カプセル錯体とかご型錯体について蛍光スペクトル測定(励起波長:284nm)を行った結果、カプセル錯体では360nmに極大を持つ青紫色の蛍光が観測された一方で、かご型錯体では蛍光は全く観測されなかった。この蛍光挙動の変化を、上述のカプセル・かご型錯体間の相互変換と組み合わせることにより、錯体の構造変換と連動した蛍光のON/OFFスイッチングが実現された。

 第5章では、カプセル錯体内外の分子交換に関する溶液内ダイナミクスについて記されている。Ag414およびM628カプセル錯体内外の分子・イオンの交換の速度を動的NMR測定により求めたところ、アダマンタンを包接したAg414錯体におけるアダマンタンの交換速度は配位子交換速度に比べて小さく、ゲスト交換過程における配位子1の完全な解離が必要であることが示された。これに対して、Hg628・(TfO)(12)錯体内外のアニオン交換速度は、配位子交換速度よりもはるかに大きく、Hg628カプセル錯体の対アニオンがカプセルの隙間を通り交換可能であることが明らかにされた。

 第6章では、配位子2の両親媒性を利用したカプセル型自己会合体形成について述べられている。水・メタノール混合溶媒に2を溶解したところ、各種スペクトルデータから自己会合を示唆する結果が得られ、X線結晶構造解析により2が六分子会合した立方体型カプセル構造が明らかとなった。また、この六量体カプセルは疎水的内部空間に平面状分子二分子を協同的に包接できることが示唆された。一方、六量体カプセルに対してアダマンタンなどの球状分子を添加すると、立方体型の六量体から四面体型の四量体への変換を伴って包接されることも明らかとなった。このように、2から形成されるナノカプセルのゲスト形状に応じた精緻な動的分子認識能が示された。

 第7章では、本論文の総括および、今後の研究展望が述べられている。

 以上のように、本博士論文では、独自にデザイン・合成した新規ディスク状配位子1および2を用いた、配位結合型および自己会合型ナノカプセルの形成を明らかにしている。また、これらのナノカプセルの動的性質を利用し、分子の包接・放出を制御可能な動的分子認識システムや、アニオン置換によるカプセル内面修飾、さらに錯体構造変換と連動した蛍光スイッチングといった種々の新規機能を創出している。これらの研究成果は理学の発展に大いに貢献するものであり、博士(理学)取得を目的とする学術研究として十分な意義を有する。尚、本論文における各章の研究は他の複数の研究者との共同研究によるものであるが、論文提出者が主体となって実験、解析および考察を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

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