学位論文要旨



No 122169
著者(漢字) 一杉,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヒトスギ,タロウ
標題(和) 細胞膜上でのSrcの活性化を可視化する蛍光プローブ分子と場所特異的なSrcの活性化阻害プローブ分子
標題(洋) A Fluorescent Indicator for Monitoring Src Activation in Cell Membranes and a Spatially Limited Knockdown of Src Kinase Activity
報告番号 122169
報告番号 甲22169
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5032号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

[研究内容1,細胞膜上でのSrcの活性化を可視化する蛍光プローブ分子]

(背景と目的)

細胞内で起きる情報伝達を細胞が生きたまま非破壊で検出することは,細胞のメカニズムを知る上で非常に重要である.細胞内情報伝達において非常に重要な蛋白質リン酸化酵素の一つであるSrcは細胞内において細胞膜、細胞内の各小器官の表面にある細胞内膜等の細胞の膜全般に広く分布していることが知られている.このSrcは女性ホルモンであるエストロジェン(以下E2)あるいは男性ホルモンであるアンドロジェン(以下DHT)等の性ホルモンによって活性化状態となり他の蛋白質をリン酸化する.修士課程において私は,Srcの活性化を可視化する蛍光プローブ分子a transmembrane fluorescent indicator for detecting the Src activation in cell membranes (TM-Srcus)を開発することに成功した.博士課程ではこの開発したTM-Srcusを用いて,ヒト乳癌細胞由来の細胞であるMCF-7細胞内における、Srcの活性化の時空間分析を行うことを目的とした.

(原理)

TM-Srcusはキメラ蛋白質であり,その基本骨格は膜局在ドメイン,基質ドメイン,リン酸化チロシン認識ドメイン,そして蛍光団の四つの部分からなっている.膜局在ドメインにはプローブ分子を膜へと局在しやすくするためSrcによりリン酸化される膜貫通蛋白質Cbpの膜貫通ドメインを使用した.Srcが活性化すると,Srcの基質ドメインであるCbpのリン酸化部位内にあるチロシンが特異的にリン酸化され,そこにリン酸化チロシン認識ドメインであるCskのリン酸化認識部位が結合する.すると,図1に示すような構造変化が起きて二つの蛍光団CFPとYFPの相対的な距離が近づきFRETが生起され,440nmでCFPを励起した際のCFPの蛍光(480nm)が減少し,YFPの蛍光(535nm)が増加する.その結果,CFPとYFPの蛍光強度比(CFP/YFP)が下がり,Srcの活性化の指標となる(図1).

(実験と考察)

図1のようなプローブ蛋白質TM-SrcusをコードするcDNAを遺伝子工学的手法用いて作成し,Lipofection法を用いてMCF7細胞に遺伝子導入し,目的プローブ分子を発現させた.TM-Srcusの発現したMCF7細胞を通常の蛍光顕微鏡で観察し,図2Aのように細胞膜と細胞内膜それぞれの領域内での蛍光強度比の変化を測定した.その結果,細胞膜ではE2添加直後から蛍光強度比が急激に減少し始めるが,細胞内膜では多少遅れて,徐々に減少した(図2A,B).つまり,Srcの活性化が細胞膜上から始まり,徐々に細胞内膜に伝播されていく様子が観察された.この活性化の伝播のメカニズムを解明するため申請者は細胞をエンドサイトーシスの阻害剤Dynにより前処理した.すると,細胞内膜での蛍光強度比の減少が見られなくなった(図2C).一方,同じステロイドホルモンである男性ホルモンDHT刺激ではこのような現象は見られず,細胞膜だけで蛍光強度比が変化した(図2D,E).また、western blotting法による実験からE2刺激の場合,Srcはエストロジェン受容体(ER)及び皮成長因子受容体(EGFR)と結合し活性化されるのに対して,DHT刺激の場合にはアンドロジェン受容体(AR)はEGFRと結合せずにSrcを直接活性化することが分かった(図3A,B).EGFRはエンドサイトーシスにより細胞内膜へと運搬されることが知られており,以上のことからE2により活性化したSrcはEGFRとともにエンドサイトーシスにより細胞膜から細胞内膜へと運搬されていると考えられる.一方,アンドロジェン刺激によるSrcの活性化の場合はEGFRと関係しないため活性化されたSrcがそのまま細胞膜にとどまっているのだと考えられる.

[研究内容2,場所特異的なSrcの活性化阻害プローブ分子]

(背景と目的)

研究内容1においてSrcはMCF-7細胞の細胞膜で活性化することが明らかになった(図2).そこで,全反射型蛍光顕微鏡を細胞の観察に用いることで,MCF-7細胞の細胞膜上でおきるSrcの活性化のさらに詳細な分析を試みた.全反射型蛍光顕微鏡は,カバーガラスと観察試料の界面において入射光が全反射する際に生じるエバネッセント波と呼ばれる特殊な電磁波を使い,細胞膜上のTM-Srcusのみを励起する.そのため,細胞膜上におけるSrcの活性化の様子が観察可能となる.TM-Srcusの発現したMCF7細胞をE2で刺激し,その細胞膜上の様子を全反射蛍光顕微鏡により観察した.その結果,細胞膜上において蛍光強度比が局所的に変化することが観察された(図4A,B).近年の研究から,細胞膜上にはラフトと呼ばれるナノドメインが存在することが分かっている.そこで,TM-Srcusの発現しているMCF-7細胞をラフトのマーカー蛋白質であるコレラ毒素サブユニットB(以下CTXB)により染色し,全反射蛍光顕微鏡により観察した(図4C).その結果,TM-Srcusがよく応答している領域(blue shifted region:図4B中の白点線内)とCTXBの集積している領域(図4C中の黒点線内)は良く一致した.以上からE2存在下においてSrcはラフト内で活性化状態になっていることが示された.

 前述までの実験からE2刺激に伴いMCF-7細胞内のSrcは生体膜上に浮かぶラフトと呼ばれるナノドメイン内で起きることを発見した.しかしながら,このラフトでのSrcの活性化が細胞の機能にとってどれくらい重要なのかまだ分かっていない.そこで,Srcの活性化をラフトでのみ阻害するプローブ分子lipid raft-targeted Src inhibitory fusion protein(以下LRT-SIFP)を開発し,それを発現させたMCF-7細胞の機能解析を行った.LRT-SIFPの基本骨格は,YFP,flag tag,Srcの活性を特異的に阻害するSrc阻害ペプチド,そしてプローブ分子をラフトに局在化させるtargeting sequenceからなっている(図5).

(実験と考察)

まず,LRT-SIFPを発現しているMCF-7細胞の細胞接着について調べた.その結果,LRT-SIFPは細胞接着を顕著に減少させることが分かった(図6).対照的に,阻害ペプチドを持たないLRT-SIFP Del(図5下段)は細胞接着を損なわなかった(図6).LRT-SIFPに比べその阻害効果が1/60に低減されているLRT-SIFP Y6A(図5中段)もMCF-7細胞の細胞接着を抑制しなかった(図6).さらに,LRT-SIFPがMCF-7細胞の細胞周期に影響を与えるかどうか検討した.LRT-SIFPをトランスフェクトしたMCF-7細胞のDNAをヨウ化プロピジウム(PI)で染色し,フローサイトメトリーにより測定した.LRT-SIFPを発現しているYFP陽性細胞の細胞周期プロファイルをこのアッセイを用いて取得した(図7).LRT-SIFP Delに比べLRT-SIFPは,G1期にある細胞に対するG2/M期にある細胞の割合を減少させたが(図7A,B),LRT-SIFP Y6Aはこの割合を減少させなかった(図7A,C).この結果から,MCF-7細胞の細胞周期がラフト内におけるSrc活性の阻害により停止することが分かった.

[まとめ]

(研究内容1)以前の研究から性ホルモンであるエストロジェンとアンドロジェンはどちらもSrcを活性化するのにも関わらず,全く異なった細胞応答を引き起こすことが知られていた.蛍光プローブ分子TM-Srcusを用いることにより,Srcの活性化の場所が男女性ホルモン刺激によって異なることが初めて明らかになった.さらに、このSrcの活性化の場所の違いは、Srcがそれぞれの性ホルモンにより活性化する際EGFRと複合体を形成するかしないかに起因することを明らかにした.

(研究内容2)E2刺激によりSrcの活性化が生体膜上に浮かぶラフトで起きることを初めて見出した.この発見をもとに,新たに開発したラフト特異的なSrcの活性化阻害プローブ分子LRT-SIFPにより,このラフトにおけるSrcの活性化はMCF-7細胞の細胞接着及び細胞周期にとって非常に重要であることが明らかになった.これらの細胞機能は癌の転移や増殖にとって重要なプロセスであることから,本研究によりラフトにおけるSrcの活性化が癌の転移や増殖に深く関わっていることが強く示唆された.

図1 TM-Srcusの構造とFRETの生起

図2 細胞膜及び細胞内膜でのTM-Srcusの応答

図3A, anti-Src抗体による免疫沈降物をwestern blottingした結果,E2刺激依存的にER,EGFR,Srcが複合体を形成することが分かった.B,anti-ER,anti-AR抗体による免疫沈降物をwestern blottingした結果,ARはEGFRとは結合しないことが示された.

図4 E2刺激による細胞膜でのTM-Srcusの応答の様子とCTXBの染色図(白実線内:単一細胞膜.白点線内:FRET応答のよく起きている領域,黒点線内:CTXBの集積している領域)

図5 LRT-SIFP,LRT-SIFP Y6A,LRT-SIFP Delの構造

図6 LRT-SIFPによる細胞接着の阻害

図7 LRT-SIFPによる細胞周期の停止

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は以下の4章より成る.

 第1章は序論であり,本研究の背景,動機と目的が簡潔に述べられている.細胞内情報伝達において非常に重要な蛋白質リン酸化酵素の一つであるSrcの活性化を細胞が生きたまま非破壊で検出できる蛍光プローブ分子TM-Srcusを用いて,ヒト乳癌細胞由来の細胞であるMCF-7細胞内におけるSrcの活性化の時空間分析を行うことを目的とすることが述べられている.さらに,Srcの活性化の時空間分析の結果,MCF-7細胞内のSrcは生体膜上に浮かぶラフトと呼ばれるナノドメイン内で起きることが明らかになった.しかしながら,このラフトでのSrcの活性化が細胞の機能にとってどれくらい重要なのかまだ分かっていない.そこで,Srcの活性化をラフトでのみ阻害するプローブ分子lipid raft-targeted Src inhibitory fusion protein(以下LRT-SIFP)を開発し,それを発現させたMCF-7細胞の機能解析を行うことも目的とすることが述べられている.

 第2章は,TM-Srcusの発現したMCF7細胞を通常の蛍光顕微鏡で観察し,Srcの活性化の時空間分析を行った結果が述べられている.細胞膜と細胞内膜のそれぞれの領域内でSrcの活性化を測定した結果,細胞膜では女性ホルモンE2添加直後からSrcの活性化が細胞膜上から始まり,徐々に細胞内膜に伝播されていく様子が示されている.この活性化の伝播のメカニズムを解明するため細胞をエンドサイトーシスの阻害剤DynK44Aにより前処理すると,細胞内膜での蛍光強度比の減少が見られなくなる様子が示されている.一方,同じステロイドホルモンである男性ホルモンDHT刺激ではこのような現象は見られず,細胞膜だけで蛍光強度比が変化している.またwestern blotting法による実験からE2刺激の場合,Srcはエストロジェン受容体(ER)及び皮成長因子受容体(EGFR)と結合し活性化されるのに対して,DHT刺激の場合にはアンドロジェン受容体(AR)はEGFRと結合せずにSrcを直接活性化することが示されている.EGFRはエンドサイトーシスにより細胞内膜へと運搬されることが知られており,以上のことからE2により活性化したSrcはEGFRとともにエンドサイトーシスにより細胞膜から細胞内膜へと運搬されていると結論付けている.一方,アンドロジェン刺激によるSrcの活性化の場合はEGFRと関係しないため活性化されたSrcがそのまま細胞膜にとどまっていると結論付けている.

 第3章では,全反射型蛍光顕微鏡を細胞の観察に用いることで,E2によるSrcの活性化が細胞膜上に浮かぶラフトと呼ばれるナノドメイン内で起きることを示し,その生理的な意義を検証した結果が述べられている.Srcの活性化をラフトでのみ阻害するプローブ分子LRT-SIFPを新たに開発し,LRT-SIFPを発現しているMCF-7細胞の細胞接着について調べている.その結果,LRT-SIFPは細胞接着を顕著に減少させることを示している.対照的に,阻害ペプチドを持たないLRT-SIFP Delは細胞接着を損なわない.LRT-SIFPに比べその阻害効果が1/60に低減されているLRT-SIFP Y6AもMCF-7細胞の細胞接着を抑制しない.さらに,LRT-SIFPがMCF-7細胞の細胞周期に影響を与えるかどうか検討している.LRT-SIFPをトランスフェクトしたMCF-7細胞のDNAをヨウ化プロピジウム(PI)で染色し,フローサイトメトリーにより測定している.LRT-SIFP Delに比べLRT-SIFPは,G1期にある細胞に対するG2/M期にある細胞の割合を減少させたが,LRT-SIFP Y6Aはこの割合を減少させないことを示している.以上の結果から,ラフトでのSrcの活性化がMCF-7細胞の細胞接着及び細胞周期にとって非常に重要であると結論付けている.第4章は総合的結論である.

 以上のように,本研究では,蛍光プローブ分子TM-Srcusを用いることにより,Srcの活性化の場所が男女性ホルモン刺激によって異なることが初めて明らかにしている.またE2刺激によりSrcの活性化が生体膜上に浮かぶラフトで起きることを初めて見出している.この発見をもとに,新たに開発したラフト特異的なSrcの活性化阻害プローブ分子LRT-SIFPにより,このラフトにおけるSrcの活性化はMCF7細胞の細胞接着及び細胞周期にとって非常に重要であることを示している.これらの細胞機能は癌の転移や増殖にとって重要なプロセスであることから,本研究によりラフトにおけるSrcの活性化が癌の転移や増殖に深く関わっていることが強く示唆されている.これらの研究は理学の発展に大きく寄与する成果であり,博士(理学)取得を目的とする研究として充分であると審査員一同が認めた.なお,本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが,論文提出者が主体となって行ったものであり,論文提出者の寄与は充分であると判断する.

 従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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