学位論文要旨



No 122170
著者(漢字) 宮内,洋宜
著者(英字)
著者(カナ) ミヤウチ,ヒロノリ
標題(和) アルケノイルホスホナートのラジカル環化反応およびビニル炭素原子上での分子内求核置換反応の研究
標題(洋) Studies on Radical Cyclization of Alkenoylphosphonates and Intramolecular Vinylic Nucleophilic Substitution Reactions
報告番号 122170
報告番号 甲22170
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5033号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 助教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

 分子内反応は、1) エントロピー的、速度論的に有利であり進行しやすい、2) 副反応を抑制でき、反応の位置選択性、立体選択性を制御できる、3) 分子間では進行しない、あるいは進行しにくい反応様式を達成できる、4) 環状化合物の有用な合成法となる、などといった、分子間反応と比較して特徴的な点を有している。本研究では、分子間反応では進行しにくい、カルボニル基へのラジカル付加反応やsp2 炭素原子上での求核置換反応などの分子内反応を開発し、環状ケトン、ヘテロ環化合物、脂環式化合物の合成へと応用した。

1. アルケノイルホスホナートのラジカル環化反応

 アルキルラジカルの炭素-炭素二重結合への付加反応が数多く知られているのに対して、炭素-酸素二重結合、すなわちカルボニル基への付加反応は例が少ない。これは、カルボニル基二重結合の結合エネルギーが大きいことに由来する。筆者は、アルケノイルホスホナートを用いることで、カルボニル基への分子内ラジカル付加を経由する環化が進行し、環状ケトンが得られることを見出した。すなわち、分子内にアルケン部位を有するアシルホスホナート1 に、触媒量の過酸化ベンゾイル(BPO)、亜リン酸ジエチルを作用させると、ホスホニルメチル基を有するシクロペンタノン、シクロヘキサノン、ジヒドロナフタレノン誘導体2 が得られる(式1)。

 この反応はホスホニルラジカルA が連鎖担体となるラジカル連鎖反応であり、まずAがアルケン部位へ分子間付加してアルキルラジカルB が生じる。これがカルボニル基へと分子内付加し、続いてオキシルラジカルC から安定なホスホニルラジカルがβ 脱離することで逆反応である開環が抑制されて、環化体が得られる(Scheme 1)

2. ビニル炭素原子上での分子内求核置換反応

 当研究室では、これまでにオキシムのsp2 窒素原子やリチウムカルベノイドのsp2 炭素原子上で、あまり例のない分子内in-plane SN2 型置換反応が進行することを見出しており、これを利用した含窒素環状化合物やインデンの合成法を報告している。最近、ハロアルケンの炭素原子上でも、同様に分子内のヒドロキシ部位の求核攻撃によって環化反応が進行し、ベンゾフランやジヒドロフランを合成できることがわかった(式2)。

 理論計算による検討の結果、この反応はこれまで進行しがたいとされていた、求核部位が脱離基の裏側から協奏的に置換をおこすSNVσ 型の反応機構で進行していることが示唆された。筆者はこの反応が窒素、炭素、硫黄求核種でも対応する環化体を与え、一般性の高い環状化合物合成法として利用可能であることを見出した。さらに、理論計算によりこれらの反応の反応機構を考察した。

含窒素環状化合物の合成

 分子内にハロアルケン部位を有するトシルアミド5、トシルアニリド7 を合成し、N,N'-ジメチルイミダゾリジノン(DMI) 中で塩基を作用させたところ、対応するジヒドロピロールやインドールが得られた(式3)。この反応は立体特異的にE 体のみから進行し、Z 体からは環化体がほとんど得られない。このことから、脱離基の逆側から求核攻撃が進行するSNVσ 型の反応機構で進行していると予想される。

 反応機構の詳細を調べるため、密度汎関数法( B3LYP/6-31+G(d)) による理論計算を行った。E 体からはπ 付加型の遷移状態は得られず、SNVσ 型の遷移状態のみが得られた(図1a)。求核部位の接近と臭素原子の脱離に伴い炭素-炭素二重結合の長さはわずかながら短くなり、反応中心の炭素はsp2 混成からsp 混成へ変化している様子が見られた。一方、Z 体からは求核部位のπ 付加と臭素原子の脱離が協奏的に起こるSN Vπ 型の遷移状態が得られた(図1b)。ここでは逆に二重結合距離の伸長が見られ、π *軌道との相互作用が推測できる。しかし、段階的な付加-脱離機構のような中間体は与えず、遷移状態は出発物質と生成物を直接結ぶものであった。

 気相中の活性化エネルギーとOnsager 連続誘電体モデルにより溶媒効果( 溶媒: DMF 、ε = 37.06)を考慮して求めた活性化エネルギーは、E 体からのSNVσ型がそれぞれ26.1 、20.5 kcal mol(-1) であり、Z 体からのSNVπ型は34.3、34.3 kcal mol(-1) であった。溶媒効果を考慮すると気相反応に比べSNVσ 型遷移状態の活性化エネルギーが小さくなるのに対し、SNVπ 型遷移状態では変化が見られない。この結果はE体からしか反応が進行しなかった実験結果と一致する。また、インドールを与えるE 体からの遷移状態( SNVσ 型、図1c)の活性化エネルギーは溶媒中で15.3kcal mol-1であり、より低い温度で反応が進行したことと対応している。

脂環式化合物の合成

 活性メチン部位を分子内求核剤とする反応もE 体のみから進行し、対応するシクロペンテン誘導体を与えた(式4)。

 トシルアミド部位を用いる反応に比べ長時間を要したが、これは求核部位の嵩高さに由来するものと考えられる。その立体障害のためにSNVσ 型の遷移状態はエネルギー的に不利であると考えられるが、理論計算により遷移状態を探索したところ、E 体からはSNVσ型の遷移状態のみが得られた(図2)。その活性化エネルギーは気相中で28.4 kcal mol(-1)であり、溶媒中では23.4 kcal mol(-1) と求まった。溶媒中での活性化エネルギーは対応する窒素求核部位の反応に比べ、およそ3kcal mol(-1) 大きく、より長時間を要する実験結果と一致する。また、Z 体から求まったSNVπ 型遷移状態の活性化エネルギーは31.7( 気相中)、28.0( 溶媒中) kcal mol(-1) と大きく、Z 体で環化が進行しないという実験結果と一致する。

含硫黄環状化合物の合成

 チオールを求核部位として同様の反応をおこなうと、ジヒドロチオフェン誘導体が得られると考えられる。実際、チオール11a のE /Z 異性体混合物から反応をおこなうと環化体12a が70%の収率で得られ、Z 体の回収は見られなかった。また、チオール11b のE /Z 各異性体をそれぞれ用いて反応をおこなったところ、ともに環化体12b が得られた(式5)。Z 体からも反応は進行し、トシルアミド、活性メチン部位による反応のような立体特異性を示さなかった。

 理論計算によってE /Z 各異性体からの活性化エネルギーを求めると、気相中では19.6(E , SNVσ )、20.7(Z , SNVπ ) kcal mol(-1) とほぼ同等の値を与えた。溶媒効果を考慮した活性化エネルギーは、E 体からの12.5 kcal mol(-1) と比較してZ 体からは20.0 kcal mol(-1)と求まり、その差は大きくなったが、この値は窒素求核部位におけるSNVσ 反応と同程度であり、進行しうる値である。このことから、硫黄求核種を用いた場合はE 体からはSNVσ型、Z 体からはSNVπ 型の反応機構で進行していると結論できる。

 さらに、チオール13 に対して同様の反応を試みたところ環化が進行し、4 員環化合物2-メチレンチエタン14 が78% の収率で得られた(式6)。

 理論計算ではSNVσ 型の遷移状態は得られず、SNVπ 型の遷移状態のみが得られ(図3)、その気相中での活性化エネルギー( B3LYP/6-31+G(d)) は20.9 kcal mol(-1) と求まった。DMF 溶媒中での活性化エネルギーは18.9 kcal mol(-1) と求まり、2 kcal mol(-1) の安定化が見られた。SNVσ 型の遷移状態が得られなかったのは、アルケンのメチル基との立体反発により、求核部位が炭素-臭素結合のσ *軌道へ相互作用しにくいことが原因と考えられる。

 以上のように、筆者はホスホニルラジカルを連鎖担体とし、通常困難とされるカルボニル基への付加を経由するラジカル反応によって、環状ケトン合成法を開発した。また、分子内の求核部位によって、分子間反応では進行しないとされていたハロゲン化ビニルのsp2 炭素原子上での求核置換反応が進行することを見出し、これを利用したヘテロ環化合物や脂環式化合物の合成法を開発した。

(1)

Scheme 1.

(2)

(3)

Figure 1. Structures of transition state for the vinylic substitution reaction. Numbers are selected bond length in Å.

(4)

Figure 2. Transition state structure of SNVσ reaction by carbon nucleophile.

(5)

(6)

Figure 3. Transition state structure of SNVπ reaction for thietane synthesis.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、アルケノイルホスホナートのラジカル環化反応とビニル炭素原子上での求核置換反応という2つの分子内反応の開発と、それを利用した環状化合物合成法について、2章にわたって述べたものである。

 分子内反応は、反応点が接近しやすいため、分子間では進行しない反応様式を達成できる可能性がある。著者は、分子間反応では進行しにくい、カルボニル基へのラジカル付加反応やsp2炭素原子上での求核置換反応などの分子内反応を進行させることに成功し、環状ケトン、ヘテロ環化合物、脂環式化合物の合成法を開発している。

 第一章では、アルケノイルホスホナートを用いるラジカル環化反応の開発と、それを用いた環状ケトンの合成法について述べている。分子内にアルケン部位を有するアシルホスホナートに、1,4-ジオキサン中触媒量の過酸化ベンゾイルと亜リン酸ジエチルを作用させると、ホスホニルメチル基を有するシクロペンタノン、シクロヘキサノン、ジヒドロナフタレノン誘導体が得られることを見出した(式1)。

 さらに、この反応はホスホニルラジカルAが連鎖担体となるラジカル連鎖反応であることを明らかにしている。まずAがアルケン部位へ分子間付加して生じるアルキルラジカルBが、カルボニル基へと分子内付加しオキシルラジカルCが生じる。通常、カルボニル基への分子内付加は逆反応である開環反応が非常に速いため生成物を得るのが困難であるが、この反応においてはCから安定なホスホニルラジカルがβ脱離するため、収率よく環化体が得られる(Scheme 1)。

 この反応では、カルボニル基を受容体とするラジカル環化であること、ホスホニルラジカルが連鎖担体となること、出発物質とおなじ組成をもつ生成物が得られアトムエコノミーに優れていること、通常ラジカル反応に用いられるスズ化合物やハロゲン化合物を必要としないなどの特徴が見られる。

 第二章では、従来進行しないとされてきたハロアルケンのビニル炭素原子上での求核置換反応と、それを用いたヘテロ環化合物や脂環式化合物の合成法について述べている。第一節および第二節では、トシルアミドや活性メチンを求核部位として用いると、ビニル炭素上で置換反応が起こりジヒドロピロールやインドール、およびシクロペンテン類が得られることについて述べている(Scheme 2)。

 これらの反応では、アルケン上の脱離基が求核部位と逆側にあるE体のみから立体特異的に反応が進行する。さらに密度反関数法を用いた理論計算によって、その反応機構について考察をおこなっている。その結果、E体からはアルケンの平面内でsp2炭素原子上における立体反転を伴ったSN2型の機構、すなわちSNVσ機構で反応が進行していることがわかった。一方Z体からは協奏的なπ付加型の機構であるSNVπ型の遷移状態が得られたが、その活性化エネルギーがE体からのSNVσ型の活性化エネルギーと比較して非常に大きいことから、反応が進行しないことが説明できる。

 第三節では、チオール部位をもつ出発物質によりジヒドロチオフェン誘導体を合成している。この反応では、これまでと異なりE/Z両異性体から反応が進行する。理論計算ではこれまでと同様E体からはSNVσ型、Z体からはSNVπ型遷移状態が求まるが、両遷移状態ともに活性化エネルギーは小さく、両異性体ともに環化することが示唆される(Scheme 3)。

 第四節では、4員環構築の試みについて述べられている。硫黄求核部位をもちいることで望みの環化体であるメチレンチエタンが得られることを見出している。ひずみの大きな小員環化合物が比較的容易に合成できることは興味深い。また、理論計算によると、SNVσ型およびSNVπ型の遷移状態がともに求まり、双方を経由し得ることが示された(式2)。

 これら従来では進行しにくいとされていたビニル炭素原子上での求核置換反応を利用した環化反応は、これまでにない形式の環状化合物合成法を提供するものである。窒素、炭素、硫黄の各求核部位を用いて進行する広い一般性を示すと同時に、硫黄求核部位との反応においては別の反応機構も考慮されるなどの知見を得ている。

 以上述べたように、著者はアルケノイルホスホナートのラジカル環化反応およびビニル炭素原子上での求核置換反応の二つの分子内反応を開発し、環状化合物合成法として応用できることを見出した。また、ビニル炭素原子上での分子内求核置換反応については、密度凡関数法を用いた理論計算によってその反応機構を明らかにした。これらの研究業績は有機合成化学の発展に大いに貢献するものである。本研究は、Chang Ho Cho、Sunggak Kim、山根基、千葉俊介、深水浩二、奈良坂紘一、安藤香織との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を進めており、その寄与は十分であると判断される。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

(1)

Scheme 1.

Scheme 2.

Scheme 3.

(2)

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