学位論文要旨



No 122175
著者(漢字) 足立,健次郎
著者(英字)
著者(カナ) アダチ,ケンジロウ
標題(和) マウス胚盤胞発生必須遺伝子Byslの同定と機能解析
標題(洋) Identification and characterization of Bysl as an essential gene for mouse blastocyst formation
報告番号 122175
報告番号 甲22175
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5038号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 助教授 程,久美子
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳動物の発生は,均一な細胞集団から新規の細胞系譜を成立・維持・領域化するステップを繰り返すことによって,分化全能性を有する1つの受精卵から高度に特化した種々の機能細胞を生み出す過程である.そこでは時空間的に規定された細胞間相互作用を介して細胞運命が調節的に決定されることにより,多様性をもった細胞集団が正確に組織化される.

 マウス胚発生過程における最初の細胞分化は,受精後,着床前に見られる胚盤胞(blastocyst)の形成であり,それまで等価であった各割球は分化多能性を保持する内部細胞塊(inner cell mass,ICM)あるいは胚体外組織を構成する栄養外胚葉(trophectoderm, TE)へと運命決定される(図1).胚盤胞の発生に先立って,8細胞期後期(embryonic day [E] 2.5)での細胞間接着構造の形成により,各割球は互いに密に接着して放射方向に細胞極性を生じ,次第に上皮細胞の分化形質を示すようになる.続く2回の細胞分裂は非対称性分裂を含み,これにより胚の内側に位置する細胞とそれを取り囲む外側の細胞から成る桑実胚(morula)に至る.外側に位置する一層の細胞は極性化した上皮構造を保持し,絨毛膜や胎盤といった胚体外組織に寄与する栄養外胚葉系列に分化する.一方,細胞極性を有しない内側の細胞は内部細胞塊に発生し,胚体を構成するほか卵黄嚢,尿膜,羊膜などの胚体外組織を生ずる.内部細胞塊あるいは栄養外胚葉への細胞系譜の決定は32〜64細胞期までに起こり,内部に胞胚腔(blastocoel)を生じる胚盤胞期(E3.5)にはほぼ完全に可塑性を失う.胚盤胞期における内部細胞塊を構成する細胞は,生殖細胞を含む全ての細胞系列に分化することのできる多能性を有している.着床前(E4.5)には,内部細胞塊の胞胚腔に接した部分は原始内胚葉(primitive endoderm, PE)(胚体外内胚葉)へと分化し,残りの部分は胚体を形成するエピブラスト(epiblast)(原始外胚葉)と呼ばれる未分化細胞層を生ずる.着床後,エピブラストは急速に増殖し,羊膜腔の形成に伴い上皮様細胞層を構成する.原腸形成期(E6.5)になると,エピブラストは内胚葉,中胚葉,外胚葉へと分化を始め,多分化能も制限される.エピブラストを構成する未分化細胞は,一部の胚体外組織への分化能を失うものの多能性を保持している.これに対応して,胚盤胞内部細胞塊及びエピブラストから樹立される胚性幹(ES)細胞は,in vitroで多能性を保持したまま自己複製することができる.

 このように胚盤胞の形成は,胚体・胚体外細胞系列への運命決定,細胞間接着構造・極性形成に見られる上皮細胞の分化,多能性幹細胞の形成・維持など,ユニークな生命現象を含む発生過程である.この過程はex vivoにおいても,胚体自律的プログラムとして遂行されることから,生体での上記生命現象を理解するうえで格好のモデルシステムとなり得る.しかしながら,ES細胞の多能性維持機構については詳しく解析がなされているものの,生体における胚盤胞発生過程の分子生物学的解析には物理的あるいは方法論的制約を伴う.

 そこで胚盤胞発生の分子機構を解析するために,in silico発現解析とRNAiを利用した機能スクリーニングを組み合わせることにより,初期胚で高発現し,胚盤胞発生に必須の役割を担う遺伝子の同定を試みた.一般に公開されているEST及びマイクロアレイデータを用いて,in silicoでの発現解析により,初期胚で高発現していることが期待される遺伝子を網羅的に抽出し,その機能がまだ十分に解析されていない遺伝子を89選択した.RT-PCR解析により初期胚での発現が認められた77遺伝子のうち,体細胞組織と比べて初期胚で優位に発現する遺伝子を32選択し,それらの胚盤胞発生における関与を検討することとした.各遺伝子に対して特異的なsiRNAを2種類ずつ設計,合成し,これら2種類のsiRNA混合物を受精卵にマイクロインジェクションした.その後,受精卵をin vitroで胚盤胞期まで培養したところ,胚盤胞への発生を有意に抑制するものが5遺伝子同定された.これら5遺伝子のうち,最も強く,且つ胚盤胞期直前に胚発生を阻害したのがBysl(bystin-like)に対するsiRNAであった.

 Bysl siRNAの導入胚は,そのほとんどが胚盤胞形成直前,16細胞期桑実胚で発生を停止していた.胚内部に胞胚腔を有する胚盤胞の形成は,単方向性の液分泌を可能にする頂端−基底側軸方向の細胞膜極性と,物質透過性を制限し胞胚腔液の蓄積を保証する細胞間密着結合とを備えた栄養外胚葉細胞層の分化に依存する.そこでBysl siRNA導入胚における栄養外胚葉分化マーカーの発現をRT-PCRにより検討したところ,サイトケラチンEndoAの発現が僅かに減少していた.これに対し,Oct3/4やNanogといった内部細胞塊マーカーの発現には影響が認められなかった.栄養外胚葉分化マーカーの発現異常は,免疫染色により裏付けられた.通常,胚盤胞期の栄養外胚葉層には抗EndoA抗体で検出される繊維状のサイトケラチンが存在するが,Bysl siRNA導入胚においてはこのような繊維構造が認められなかった.次に,それぞれ内部細胞塊及び栄養外胚葉細胞系列への運命決定に関与することが報告されている転写因子Oct3/4及びCdx2の発現を免疫二重染色により調べた.Bysl siRNA導入胚においては,通常桑実胚期に栄養外胚葉前駆細胞で特異的に認められるCdx2の発現が殆ど認められなかった.一方,Oct3/4は通常の桑実胚とほぼ同レベルの発現を示した.これらのことから,Bysl siRNA導入胚では初期の栄養外胚葉細胞分化が異常になっていることが示唆された.

 次に,ES細胞を用いてByslの機能を検討した.染色体外shRNA発現ベクターを用いたByslの安定的発現抑制は,ES細胞の分化状態に拘わらずその増殖を著しく阻害した.このとき,形態あるいは遺伝子発現レベルでの分化状態の変化は認められなかった.Venusとの融合タンパク質を作製し細胞内局在を検討したところ,Byslは核内に局在し,核小体に蓄積した.この外来性Bysl-Venus融合タンパク質が内在性Byslの機能を代償できるか検討するため,Bysl-Venusにアミノ酸置換を伴わない塩基置換を導入し,RNAi耐性を付与した.RNAi耐性Bysl-Venusの発現は,Bysl shRNAによるES細胞の増殖阻害をほぼ完全に回復させることができた.これは同時に,増殖阻害がByslの発現抑制のみに起因することも示している.

 Byslの生物学的機能を解明するため,リボソーム生合成におけるByslの関与を検討した.Byslが強く局在する核小体は,rRNAの転写・プロセシング,リボソームサブユニットの構築など,主としてリボソーム生合成を司る核内構造である.まず,パルスチェイス実験によりrRNAのプロセシング過程を解析した.rRNAは通常47S前駆体として転写され,20S及び32S中間体を経て,それぞれ40S,60Sサブユニットの構成要素である18S及び5.8/28S rRNAへと速やかにプロセシングされる.Bysl shRNAを導入したES細胞では,18S rRNA特異的にその合成が著しく減少し,20S前駆体の蓄積が認められた.次に,蔗糖密度勾配遠心法により細胞質中のリボソームを解析したところ,40Sサブユニット特異的にその生成が著しく減少し,60Sサブユニットの蓄積及びポリソームの減少が認められた.さらに,透過型電子顕微鏡による解析の結果,Bysl siRNA導入胚においてもリボソーム生合成に異常を来していることが明らかになった.これらのことから,Byslは40Sリボソームの生合成に必須の因子であり,胚盤胞発生過程において不可欠な役割を担っていると結論付けられた.

 着床前発生過程では,胚性遺伝子の活性化に伴ってリボソームが介在する翻訳機構が母性から胚性へと移行するのに加え,胚盤胞形成は新規のタンパク質合成に強く依存することが知られている.Byslの発現抑制は胚性翻訳機構の破綻を惹き起こし,結果として胚盤胞の発生に不可欠なタンパク質の合成が阻害されるものと考えられる.

 本研究で得られた結果は,着床前胚における分子生物学的機能解析の有効性を示すとともに,哺乳類におけるリボソーム生合成の分子機構について重要な知見を与えるものである.

図1.マウス着床前胚の発生

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、マウス胚盤胞発生に必須の遺伝子であるByslの同定及びその機能解析について述べられたものである。マウス初期発生過程においては、最初等価であった割球が胚盤胞期に胚体を構成する内部細胞塊あるいは胚体外組織を構成する栄養外胚葉へと分化する。これは胚発生過程における最初の細胞分化であり、哺乳類特有の発生現象である。しかしながら、生体における胚盤胞発生過程の解析には物理的あるいは方法論的制約を伴うため、その詳細な調節機構は未だ明らかではない。論文提出者は、本論文の前半部でin silico発現解析とRNAiを組み合わせることにより、胚盤胞の形成に関与する因子の同定を試みている。

 まず、EST及びマイクロアレイデータを用いて、体細胞組織と比べて着床前胚で高い発現が認められる遺伝子を抽出した。RT-PCR解析により発現パターンを確認し、32遺伝子を同定した。それらの胚盤胞発生における関与を検討するために、各遺伝子に対するsiRNAを受精卵に注入し胚盤胞への発生率を評価した。その結果、siRNAの導入により胚盤胞への発生を有意に抑制するものを5遺伝子同定した。後半部では、これらの遺伝子のうちByslの機能について解析を行っている。

 論文提出者は、Byslの発現抑制が胚盤胞期直前に胚発生を阻害することを見出した。Byslは当初、ヒト栄養外胚葉細胞特異的な細胞接着に関与する細胞質因子として同定された。しかし、その後多くの生物種で高度に保存されていることがわかり、特に出芽酵母のホモログであるENP1は40Sリボソームサブユニットの生合成に関与することが報告された。そこで、まず胚盤胞発生過程におけるByslの役割について検討している。Bysl siRNAの導入胚を詳細に解析したところ、胚盤胞形成直前の16細胞期桑実胚で増殖が停止していることがわかった。栄養外胚葉分化マーカーの発現をRT-PCR及び免疫染色により検討したところ、サイトケラチンEndoAの発現が減少していた。次に、それぞれ内部細胞塊及び栄養外胚葉細胞系列への分化に関与する転写因子Oct3/4及びCdx2の発現を免疫二重染色により調べたところ、Oct3/4は通常の桑実胚とほぼ同レベルの発現を示したもののCdx2の発現が殆ど認められなかった。これらのことから、Bysl siRNA導入胚では細胞増殖とともに栄養外胚葉細胞分化が異常になっていることが示唆された。次に、Byslの生物学的機能を検討している。内部細胞塊に由来する細胞株であるES細胞にshRNA発現ベクターを導入したところ、その増殖が著しく阻害されることがわかった。細胞内局在を調べるため、Venusとの融合タンパク質を作製し発現させたところ、Byslは核内に存在し、特に核小体に強い局在が認められた。さらに、Bysl shRNAを導入したES細胞では40Sサブユニットの構成要素である18S rRNAの合成が著しく阻害されていた。次に、蔗糖密度勾配遠心法により細胞質中のリボソームを解析したところ、40Sサブユニットの生成が著しく減少し、60Sサブユニットの蓄積及びポリソームの減少が認められた。また、透過型電子顕微鏡による解析の結果、Bysl siRNA導入胚においてもリボソーム生合成に異常を来していることが明らかになった。以上のように、Byslは40Sリボソームの生合成に必須の因子であり、胚盤胞発生において不可欠な役割を担っていることが示された。

 本論文では、着床前胚における分子生物学的手法を用いた機能解析の有効性を示すともに、当初の報告とは異なりByslがリボソーム生合成に不可欠な役割を担う因子であることを証明した。本研究は、RNAiを初期胚でのスクリーニングに用いた点で特徴的であり、これまで困難であった着床前胚の解析に重要な貢献を成すと考えられる。また、酵母に比して解析が遅れている哺乳類リボソーム生合成の分子機構に関する新しい知見を与えるものである。

 なお、本論文は実吉(添田)知恵氏、相良洋氏、岩倉洋一郎氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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