学位論文要旨



No 122176
著者(漢字) 川口,荘史
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,ソウシ
標題(和) ラットSCN由来細胞株を用いた哺乳類概日リズム転写ネットワークの解析
標題(洋) Analysis of transcriptional network in mammalian circadian rhythms using a cell line derived from rat SCN
報告番号 122176
報告番号 甲22176
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5039号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,真也
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 伊藤,隆司
 三菱化学研究所 主任研究員 程,肇
内容要旨 要旨を表示する

多くの生物には、行動や生理学的活動を支配する約24時間周期の概日リズムが見出される。これは、内因性の体内時計が存在するためである。体内時計は、遺伝的に決定された生物種固有のリズムを刻み、環境の周期的変化(特に光サイクル)に対して同調することができる。哺乳類では脳視床下部の視交叉上核(SCN)が概日時計中枢組織として機能している。SCNは網膜からの直接投射を受け、SCN破壊動物はその全ての概日リズムを消失し、移植によって回復する。短い周期の概日リズムを示すハムスター変異体のSCNを、SCNを破壊した野生型ハムスターに移植すると、移植されたハムスターはドナー依存的な短い周期での活動の概日リズムを示した実験によってSCNの中枢組織としての機能が証明された。

一方、概日時計機能そのものは一細胞レベル内に存在している。例えば、時計遺伝子Period1(Per1)は、SCN及び肝臓などの末梢組織でともに発現概日リズムを刻むことが知られている。しかし、この振動はSCNでは1ヶ月以上継続するのに対し、末梢組織では数日間で減衰する。両組織に見られるこれらの顕著な違いは、細胞間同調機構に依存していると考えられる。相次ぐ時計遺伝子の同定と時計遺伝子間の発現制御の解析によって、時計遺伝子群の多重な転写フィードバックループが、リズム形成の分子基盤であることが明らかになりつつある。その結果、概日リズム研究は、それを構成する個々の分子の機能と制御の解析から、分子レベル及び細胞間で働くネットワーク構造を明らかにしてシステムとしての発振原理の理解を目指す段階に入っている。今回、時計遺伝子Period1(Per1)のプロモーターにルシフェラーゼを連結させたリポーター遺伝子(Per1::luc)のトランスジェニックラットの胎仔SCNから、Per1::lucの発光を指標にして安定したPer1発現概日リズムを示す細胞株を樹立した。この細胞株はForskolinやDopamine添加によって、光パルス型の時刻依存的位相変位応答を示した。この細胞株を用いて、トランスクリプトーム解析を行い転写概日リズムを示す遺伝子を抽出した。具体的には、時刻依存的なForskolinを添加により、この細胞のForskolin添加前、主観的明期にあたる刺激でリズム位相が変化しない、主観的暗期の刺激によってリズム位相の後退の三つの条件下でのトランスクリプトーム解析を行い2種類の指標を用いて2つの振動遺伝子のグループを抽出した。最初にロバストな振動を指標に抽出した振動遺伝子は48個で、これらはその時系列転写プロファイルの違いにより、4個のクラスターに分類された。次に、時刻依存的な位相変位(主観的明期の刺激で位相変位しない、主観的暗期前半の刺激で位相後退)を指標にして、48個の振動遺伝子を抽出した。これらは時系列転写プロファイルの違いによってやはり4個のクラスターに分類された。得られた2種の遺伝子セットを明期に振動ピーク位相をもつPer2クラスター、Cry1クラスター、暗期に振動ピーク位相をもつ、Bmal1クラスターを含む3クラスター、合計5クラスターについてプロモーターの比較構造解析を行った。その結果、既に知られているシスエレメントである明期型のE-box、D-box、CRE、暗期型のRORE、そして、新規暗期型シスエレメントとしてXREを同定した。よって、暗期型転写ネットワークにはRORをエレメントとするループ以外に、XREをシスエレメントとし、bHLH型転写因子であるAHR、またはAHRRによるそれぞれ正または負の制御による新規フィードバックループが存在することが推定された。さらに、位相変位を起こすForskolin、Dopamineの刺激によって刺激後1時間後、2時間後、4時間後で誘導や抑制を受ける遺伝子群を抽出した結果、時刻に依存せずに、共通して誘導または抑制された分子は301個あった。それらの誘導または抑制パターンは4つのクラスターに分けられた。位相前進には94個の誘導または抑制を受ける遺伝子が同定された。位相後退に誘導または抑制される遺伝子は58個であった。さらにプロモーター構造解析の結果は、位相後退特異的に機能しうる転写因子の存在を示唆した。本研究では、SCN由来細胞株をモデルシステムとして、振動遺伝子、及び位相変位時に発現変動を示す遺伝子の網羅的解析を実施した。その結果、多数の概日時計制御下にある遺伝子群(ccgs)のネットワーク構造の全貌を明らかにすることで、暗期型転写フィードバックループを構成する新たな転写因子結合配列を推定できた。そして、自律的な24時間周期の振動形成と、特に同調機構に機能する分子を予測した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなる。第1章は概日リズム中枢組織である視交叉上核(SCN)由来細胞株の樹立、第2章は樹立したSCN由来細胞株を用いたトランスクリプトーム解析による、概日リズム形成の転写フィードバックループで機能する新規シスエレメントの推定について述べられている。

多くの生物の活動や代謝活性に約24時間の概日リズムが見出され、これは内因性の体内時計によって刻まれる。この体内時計の発振機構は、中枢組織であるSCNのみならず、末梢組織においても存在する。しかしSCNでは時計遺伝子Per1の発現概日リズムは、末梢組織の減衰性振動に対し安定に持続するという特徴をもつ。第1章で論文提出者は、まず哺乳類の概日リズム中枢組織であるSCNで、時計遺伝子Per1が安定な発現振動を持続するという性質に注目した。そしてSCN特異的な振動維持機構、位相変位機構の解析のために、Per1::luc導入ラットよりSCN由来細胞株RS182の樹立を行った。既に哺乳類のSCN由来細胞株は2報報告がなされている。しかし、本細胞株は、Per1::luc発現の安定な振動性を指標に樹立され、その振動安定性に基づき各種化合物による位相変位を細胞レベルで解析する系を構築したという点において、これらの細胞株と画期的な違いがある。さらに、siRNAを用いた遺伝子機能解析が可能な点など、RS182細胞は概日リズム研究において多くの利点を有すると考えられる。一方、SCN特異的なニューロペプチドの発現や、神経突起形成などは見出されず、この細胞がSCNの特徴をどの程度満足するか、という点についての解析がいまだ不十分である。

転写や翻訳などの発現に概日リズム支配を受ける遺伝子群が多数存在し、ccgs(Clock controlled genes)と呼ばれている。特に近年、マイクロアレイを用いた解析によって、転写レベルでccgsは多数同定されてきた。しかし、いまだ多様な振動位相を示すこれらのccgsの振動の分子基盤は明らかではない。第2章では、論文提出者は発現振動性のみに注目していた従来の概日リズムトランスクリプトーム解析に、位相シフトをccgsの抽出の指標に加えるために、それが可能なRS182細胞を用いた。そして、すでに証明されている時計遺伝子と共通の発現リズム制御支配下にあるccgsの同定を試みた。つまり、RS182細胞の位相変位前後の時系列RNA標品を用いて、ロバストな振動を維持した遺伝子群、時刻依存的な位相変位を示す振動遺伝子群という2群を見出した。それらの遺伝子群を階層的クラスタリングに供し、それぞれの振動位相特異的なクラスターに含まれる遺伝子のプロモーター解析を行った。その結果、明期型クラスターに含まれる遺伝子のシスエレメントにはCREとE-boxが共存し、暗期型クラスターに含まれる遺伝子のシスエレメントには既知のROREに加えて、XREが存在する頻度が高いことを明らかにした。さらに、XREの転写抑制因子であるAhrr mRNAの明期型振動を見出し、Ahrrの明期型の振動がXREを介した暗期型の振動形成に機能していることが示唆された。そして、RS182細胞のPer1::luc発現概日リズムの振幅が、Ahrr、Ahr siRNA投与により顕著に減少することを見出した。これらの結果から、既に知られている概日リズム形成の転写ネットワークに加えて、制御因子Ahr、Ahrr、ArntによるXREを介した転写フィードバックループが機能することを推定した。暗期性の転写振動形成におけるXRE及びその制御因子Ahr、Ahrr、Arntの機能の推定は、全く新しい知見であり、その解明に大きく貢献するものである。ただし、この新たなフィードバックループの証明、及びその機能の詳細の解析は今後の課題である。次に、これまで不可能であった同調性について分子レベルで解析するために、RS182細胞を用いて時刻依存的な位相シフトで特異的に発現が変動する遺伝子群を同定した。しかし、これらの位相シフトに与える機能、及びそれらの発現制御機構の解析はいまだ不十分であると考えられる。

上記いくつかの課題は残されているものの、本論文は概日リズムの解明について新規なツールを構築し、さらに新規シスエレメントや制御因子の推定により、概日リズムの分野における発展に貢献するものである。また本論文第1章は、篠崎敦基、西郷薫、榊佳之、程肇ら諸博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を実施したもので、論文提出者の寄与が十分であるとする。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク