学位論文要旨



No 122188
著者(漢字) 村上,智史
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,サトシ
標題(和) ショウジョウバエ視神経軸索投射に必要な眼柄の形成を制御する分子機構
標題(洋) Molecular mechanisms that control the morphogenesis of the Drosophila optic stalk
報告番号 122188
報告番号 甲22188
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5051号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 助教授 小嶋,徹也
 東京大学 助教授 能勢,聡直
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

グリア細胞は神経系発生過程において神経軸索の投射経路を形成するなど重要な働きを持つが、移動過程などグリア細胞の挙動を制御する分子機構はほとんど明らかとなっていない。本研究では、グリア細胞挙動の研究モデルとしてショウジョウバエ視覚系の眼柄構造形成過程の解析を行った。眼柄はグリア細胞によって形成される円筒構造であり、視神経軸索は眼柄を通って脳の視蓋へと投射する(図1A)。本研究ではまず眼柄構造の形態を調べた。その後眼柄の発生過程を解析し、眼柄形成過程でグリア細胞がどのように挙動するのかを調べた。さらに眼柄形成に関与する遺伝子の同定・解析を行い、グリア細胞が円筒構造を形成する過程に働く分子機構の解明を目指した。

2.眼柄構造とその形成過程

ショウジョウバエ視覚系発生過程において、複眼原基から視覚中枢前駆領域に向かって視神経軸索が伸びる。このとき視神経軸索は眼柄と呼ばれる構造を通る。眼柄にはグリア細胞が存在することが分かっているが、眼柄の構造についてはほとんど知見がない。本研究ではまず眼柄を形成しているグリア細胞(SG細胞)特異的なGal4エンハンサートラップ系統を用いて眼柄構造を詳しく調べた。その結果、SG細胞は前後軸に沿って平行に伸びた突起を持ち、互いに密着しつつ配列し単細胞層からなる円筒状の構造を形成していることがわかった(図1B-D)。眼柄外側表面には基底膜が見られる。つづいて眼柄の形成過程を調べたところ、視神経軸索の投射が始まる以前に、SG細胞は基底膜で覆われた円筒構造を形成していることがわかった。その後視神経軸索が投射してくるまでの間にSG細胞の増加が見られ、それに伴って眼柄の拡張が起こる。SG細胞において細胞分裂マーカーの発現が確認されたことなどから、眼柄はSG細胞の細胞増殖によって拡張すると考えられる。眼柄は視神経軸索の投射中すなわち三令後期の間も拡張を続けるが、視神経軸索投射が起こらないsine oculis 変異体においても正常な円筒構造を持った眼柄構造が見られた。グリア細胞の発生過程の多くは神経軸索との相互作用によって進むことが知られており、眼柄の形成過程においてもSG細胞が視神経軸索に沿ってその周りを円筒状に覆うという機構が考えられる。しかしながら以上の結果は、SG細胞による眼柄形成過程は視神経軸索に依存せず、しかも視神経軸索の投射に先立って起こることを示している(図2A)。

3.Fak56 は眼柄形態形成に関与する

次に眼柄形成に働く遺伝子の探索を行った。眼柄構造は視神経軸索投射以前に形成されることから、眼柄構造異常は視神経軸索投射異常を引き起こすと予測される。そこで視神経軸索投射に異常を示す変異体のスクリーニングを行い、視神経軸索が束状化異常を示す変異体Fak56CG1を同定した。この変異体ではFak56遺伝子の翻訳開始点を含む約1,263bpのゲノム領域が欠損している。基底膜マーカーを用いて眼柄形態を調べた結果、Fak56変異体において眼柄形態の異常が見られることがわかった。野生型眼柄は長さと直径の比が約2.5:1の円筒であるが、Fak56変異体においては長さが直径と等しいかあるいは短い眼柄が約80%の個体で観察された。Fak56はほ乳類タンパクFAK(Focal adhesion kinase)と高い相同性をもつタンパクをコードしている。FAKは細胞増殖や細胞移動などの過程で重要な働きを持つFCsにおいて働くことが知られている。FCsは膜貫通型受容体Ingetrinを中心とするタンパク複合体であり、細胞外マトリックスと細胞骨格をつなぐ位置に形成される(図2B)。細胞の移動過程ではFCs自体の形成・分解の制御や、FCsを介した細胞骨格制御機構などが重要となるが、FAKはこれらの機構において中心的な働きを持つ。FAKの生体内における機能については知見が少なく、ショウジョウバエにおけるFak56の機能欠失体の表現型もこれまで報告されていない。

4.Fak56はSG細胞において働く。

Gal4/UAS システムを用いて、Fak56がどの細胞で働いているのかを調べた。NP4702-Gal4やNP2109-Gal4をドライバーとしてSG細胞特異的に外来Fak56を発現させた結果、Fak56変異体の眼柄異常が回復し、視神経軸索の束状化異常も正常化した。一方、視神経軸索特異的に発現するGMR-Gal4では回復しなかった。これらのことは、Fak56は視神経軸索ではなく SG細胞で働いていることを示す。すなわちFak56はSG細胞で働くことによって、視神経軸索の束状化を制御していることが示された。また、NP4702-Gal4を用いて野生型のSG細胞においてFak56を過剰に発現させたところ、野生型よりも眼柄が細くなることが分かった。この結果は、Fak56の量あるいは活性化レベルが眼柄の形態を決定する分子機構において重要な意味を持つことを示唆する。

 次に、SG細胞のどのような挙動をFak56が制御しているのかを調べた。Fak56変異体において、SG細胞は眼柄拡張過程で野生型と同程度の増殖を示したことから、Fak56がSG細胞の増殖に関与しているとは考えにくい。そこで変異体におけるSG細胞の分布をa-Tubulin抗体やomblacZなどのSG細胞特異的なマーカーを用いて調べた。野生型においてSG細胞は複眼原基と視蓋の間に限局しているが、Fak56変異体においては大部分のSG細胞が視蓋表面に異所的に存在している様子が観察された。このSG 細胞の分布異常は、NP4702やNP2109を用いた外来性Fak56の発現により回復する。したがってFak56はSG細胞が円筒を形成する過程に必要であることが分かる。ほ乳類FAKは細胞移動制御に働くことから、眼柄形成過程においてSG細胞が実際に移動するのかどうかをflp-out法を用いたlineage解析法により調べた。その結果SG細胞が前後軸に沿って分布する様子が観察され、眼柄形成過程においてSG細胞が方向性をもった移動を行っていることが示された。Fak56についてはほ乳類FAKと同様にFCsに局在し、Integrinを介した分子機構において働くという知見が培養細胞や過剰発現系を用いた実験により報告されている。したがってFak56は、FCsを介した分子機構で働くことによりSG細胞の移動過程を制御している可能性が考えられる。

5.CdGAPrは眼柄形態形成に関与し、Fak56と遺伝学的に相互作用する。

眼柄形成を支える分子機構についてさらに知見を得るために、Gal4エンハンサートラップ系統のスクリーニングを行った。その結果SG細胞特異的に発現するNP3053系統を同定した。NP3053は、Rho falily-GTPase活性を制御するGAPドメインをコードする遺伝子CdGAPr(CG10538)の第一イントロンに挿入がある。これまでにCdGAPrの機能欠失体に関する報告はなされていない。NP3053におけるCdGAPr転写産物の量をRT-PCR法により定量したところホモ体において発現量が野生型の1/6に減少していたことから、NP3053はCdGAPrの機能欠失体であることが分かった。そこでこのCdGAPr変異体(CdGAPrNP3053)における眼柄形成を調べたところ、Fak56変異体と同様の眼柄形態異常と視神経軸索束状化異常が見られることが分かった。CdGAPrを含む領域を欠くdeficiency系統やCdGAPrの5'上流6pbに挿入のある系統CdGAPrEY13451とCdGAPrNP3053とのトランスへテロ体においても同様の表現型がみられたことから、CdGAPrは眼柄形態形成に関与すると考えられる。さらにFak56とCdGAPr変異体のトランスへテロ体において眼柄形成異常が観察されたことから、Fak56とCdGAPrは強い遺伝学的相互作用を示すことがわかった。CdGAPrはほ乳類CdGAPと相同性の高いGAPドメインをコードしている。CdGAPについてはフォーカルコンタクトに局在するという報告があり、Fak56とCdGAPrがフォーカルコンタクトを介した分子機構において協調的に働くことによりSG細胞の移動過程を制御している可能性を示唆する。Fak56やCdGAPrについてはこれまでに機能欠失体の解析報告がなく、本研究が初めての報告となる。

6.SG細胞におけるFCsの存在がSG細胞の移動と眼柄形成に必要である。

FCsが実際にSG細胞で必要とされ眼柄形態形成を制御しているかどうかを、FCsの主要構成因子に対するRNA干渉を行うことにより調べた。RNA干渉法によりβPS-IntegrinあるいはTalin遺伝子の機能をSG細胞特異的に機能阻害したところ、SG細胞は眼柄の一部に凝集したまま円筒状に配列しなかった。そしてその結果起こる眼柄形成異常により視神経軸索伸長が眼柄の途中で妨げられてしまう様子が観察された。 これらの結果は、FCsを介した分子機構によってSG細胞の移動過程が制御されていること、そして眼柄の正常な形成が視神経軸索投射に重要であることを示す。

結論

本研究では、ショウジョウバエ視覚系発生過程において眼柄の形態形成はSG細胞の挙動によって決まり視神経軸索に依存しないことを明らかにした。そして眼柄形成異常が脱束状化などの視神経投射異常を引き起こすことを示した。さらに眼柄形成に関与する遺伝子を同定し、FCsを介した分子機構がSG細胞自律的な機構として働き眼柄の形態形成を制御していることを示した。

図1. (A)発生過程のショウジョウバエ視覚系の模式図。側方から見た図。A:前方、D:背側、L: 側方。三令幼虫期に複眼原基において視神経細胞(グレー)の分化が起こる。視神経軸索は複眼原基と視覚中枢をつないでいる眼柄(ダークグレー)を通って視覚中枢に投射する。(B)眼柄構造の模式図。眼柄はグリア細胞(緑、SG細胞)が単細胞層の円筒状に配列することにより形成され、基底膜(グレー)によって覆われている。(C)側方から見た眼柄。GFP(緑)によりSG細胞を特異的に可視化している(図D も同様)。SG細胞は前後方向に伸びた形態を持ち、互いに密に接しつつ円筒構造を形成している。(D)眼柄の横断面。SG細胞は基底膜(マゼンタ、LamininA抗体により染色)で覆われた単細胞層を形成している。前方より観察。図下が側方。

図2:眼柄形成の細胞・分子機構モデル

(A)眼柄の形態形成はSG細胞の挙動によって決まり視神経軸索に依存しない。眼柄拡張過程においてSG細胞(緑)は増殖したのち前後軸に沿って移動し、一定の形態を持った円筒構造を形成する。視神経軸索(マゼンタ)はこの円筒構造を通って脳の視覚中枢に投射する。SG細胞の移動過程はフォーカルコンタクト(FCs)を介した分子機構によって制御される。(B)フォーカルコンタクト(FCs)の模式図。 Integrinは細胞表面において細胞外マトリックス(ECM)と結合し、細胞内においてはTalinなどを介して細胞骨格と結合する。Fak56はFCsに局在し細胞骨格再構成やFCsの形成・分解などの分子過程に働くと考えられている。CdGAPrもFak56と同様な機能を果たすことが予測される。

審査要旨 要旨を表示する

 神経系の形成過程においてはグリア細胞と呼ばれる細胞が重要な働きを果たすことが明らかとなっている。グリア細胞は長い突起を伸ばすことにより神経細胞の移動過程を支える、あるいは特定の位置を占め一定の構造を形成することにより神経軸索の投射を誘導するなどの働きが知られている。したがってグリア細胞の挙動を制御する分子機構の解明は、神経系の形成を理解する上では欠かせない。本論文ではショウジョウバエにおいてグリア細胞が形成する円筒構造に注目し、その形成過程を制御する分子機構の一端を明らかにしたことについて述べている。

 ショウジョウバエ視覚系の形成過程において視神経軸索は眼柄と呼ばれる構造を通って脳の視覚中枢へと投射する。本論文において村上智史は眼柄構造の形成が視神経軸索非依存的に自律的に起こることを発見し、その過程に関わる因子の同定と変異体を用いた機能解析を行い、グリア細胞が自律的に円筒構造を形成する過程のメカニズムについて新たな知見を示している。

 眼柄構造はSG細胞と呼ばれるグリア細胞が形成する円筒状の構造である。眼柄は胚期に形成されることが知られているが、その後視神経軸索の投射が始まる三令幼虫後期までの間の眼柄構造に関する解析は全くなされていなかった。村上智史はまず幼虫期における眼柄構造の発生過程を調べ、眼柄構造は視神経の投射が始まる以前の三令幼虫初期にグリア細胞の増殖によって拡張することを示した。さらに視神経軸索の投射が起こらない変異体を用いることにより、眼柄の円筒構造形成過程には視神経軸索は必要でないことを明らかにした。

 引き続いてSG細胞の挙動を制御する分子機構に関わる因子の探索を行った。スクリーニングとして2つのアプローチを用い、眼柄形成に関与する遺伝子として視神経軸索投射を指標とした変異体スクリーニングからFak56Dを、またエンハンサートラップ系統のスクリーニングからCdGAPrをそれぞれ同定した。Fak56Dはほ乳類FAKのホモログをコードしており精力的な機能解析が行われてきた。しかしながらこれまでにFak56D変異体に関して発生異常などが観察された例はなく、内在性Fak56Dの機能に関する知見は得られていない。Fak56D変異体の解析とGal4/UAS系を用いた外来タンパク強制発現実験により、Fak56DがSG細胞内において働き眼柄の円筒構造形成に働いていることを明確に示した。またFak56D変異体におけるSG細胞の挙動を調べ、Fak56D変異体においてはSG細胞が円筒構造を形成できなくなっていることを示した。さらにクローン誘導法を用いた実験から、Fak56Dは前後軸に沿ったSG細胞の配列過程に働いていることを示唆する結果を示した。

 ほ乳類ホモログFAKについてはフォーカルコンタクトにおいてintegrinを介した分子機構において働くことが知られている。そこでintegrin β subunit (βPS integrin)をコードするmyospheroidとFak56Dの遺伝学的な相互作用を調べることにより、integrinを介したシグナルが眼柄形成に重要であることを示した。この結果は、integrinを介してFak56D活性が制御されている可能性を示唆する。

 CdGAPrと高い相同性を示すほ乳類CdGAPについてもフォーカルコンタクトで働くことが知られている。CdGAPrについてはこれまでに機能欠失体の解析例はないが、CdGAPr遺伝子内にPトランスポゾンが挿入された系統(P挿入系統)を用いることにより、CdGAPrが眼柄形態形成過程に働くこと、さらにCdGAPrがFak56Dと遺伝学的に相互作用することを明らかにした。用いたP挿入系統においてCdGAPrの機能が欠損していることを定量PCRにより確認している。

 本論文では、SG細胞が視神経軸索に依存せず自律的に円筒構造を形成することを明らかにし、その過程においてFak56D、CdGAPr、myospheroidの働きが重要であることを示した。またFak56Dが制御するSG細胞の挙動について示唆的なデータを示し、眼柄形成過程におけるSG細胞の挙動についてモデルを提出している。

 理論、実験の組み立ては十分高い水準にあり、得られた実験結果は、細胞が円筒構造を形成する過程の解明と、フォーカルコンタクトを介した分子機構の解明に資するところが大きい。なお本論文は梅津大輝博士、前山有子修士、吉田章子博士、佐藤純博士、多羽田哲也博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、本研究は博士(理学)の学位に値するものと考える。

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