No | 122193 | |
著者(漢字) | 菊島,健児 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | キクシマ,ケンジ | |
標題(和) | 鞭毛内腕ダイニンの特徴的運動性に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on the motility properties of flagellar inner arm dyneins | |
報告番号 | 122193 | |
報告番号 | 甲22193 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5056号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 真核生物の鞭毛・繊毛は、自律的に屈曲運動を発生する器官である。鞭毛は様々な構成要素から複雑に構成されているが、その運動は本質的にモータータンパク質であるダイニンと微小管との相互作用によって行われている。鞭毛内において、ダイニンは9本の周辺微小管上に存在しており、隣り合う微小管に対して滑り運動を発生する。そうして生じた周辺微小管間のひずみによって、鞭毛は屈曲するものと考えられている。鞭毛ダイニンは周辺微小管上の位置に応じて外腕ダイニン、内腕ダイニンの2種に大別でき、さらに内腕ダイニンには多種の亜種が存在する。クラミドモナスでは、ダイニンa-gと呼ばれる7種の内腕ダイニンの存在が知られている。これまで、ガラス表面上に吸着したダイニンによる微小管滑走運動の観察 (in vitro motility assay)により、それぞれのダイニンが異なる運動性質を持つことが明らかにされてきた。各ダイニン固有の役割を解明することは、現在の鞭毛運動機構研究の課題の一つである。鞭毛の周期的な波動運動の形成には、それら性質の異なる複数のダイニンが空間的・時間的に制御を受け、協調して働く機構が必要であるが、どのようなメカニズムでそれらのダイニンの働きが制御されているかについてはまだ解明されていない。今回、私はクラミドモナス鞭毛の内腕ダイニンa、cならびにdに主に着目し、様々な条件下におけるin vitroでのダイニンによる微小管滑走の観察を行った。 本論文は全3章からなり、第1章では内腕ダイニンaに注目し、その運動活性がADP濃度に依存して、ゆっくりと活性化される現象について報告する。第2章では、内腕ダイニンcにおける外力存在下での微小管滑走速度変化について解析を行い、ダイニン運動性の力学的応答について扱っている。また、内腕ダイニンd、gを用いたこの研究において、微小管の滑走方向が右に曲がるという新たな性質が明らかとなり、第3章では、そのことについて扱っている。 第1章 ダイニンaの運動性はADP濃度に依存してゆっくりと活性化される ダイニンのモータードメインはAAA+ファミリーに属しており、ATP加水分解サイトの他にも、複数の調節的ヌクレオチド結合サイトを有している。ダイニンの活性はATP、ADPに対して特殊な依存性のある事が報告されており、それらの調節サイトの寄与が示唆されているが、その具体的な作用機構や、鞭毛運動への生理学的意義については未だ不明である。第1章では内腕ダイニンaに着目し、in vitroでのダイニンによる微小管滑走へのヌクレオチドの効果について研究を行った。 溶液を1分毎に置換することにより、実験系内のヌクレオチド濃度を一定に保った条件下での微小管すべり速度の時間変化を観察した。実験の結果、ATPによる活性化を開始してから、徐々に微小管の滑走速度が「分」のオーダーで増加する現象が観測された。ダイニンにおいてこのような遅い現象が発見されたのはこれが始めてである。また、この速度増加はADP濃度依存的に変化する事が明らかとなり、この現象はADPがゆっくりと調節的ヌクレオチド結合サイトへ結合する事によりもたらされている事が示唆された。なお、この現象は可逆的であることも明らかとなった。 このゆっくりとした速度増加の現象の生理学的意味については不明であるが、ダイニンの特殊な性質として興味深いものである。またこの現象は内腕ダイニンcにおいても同様に観察され、ダイニンに一般的な性質であると考えられる。 第2章 溶液潅流による外力存在下での微小管滑走速度の変化 これまで、ダイニンの運動性調節については、Caイオン、リン酸化、ヌクレオチド濃度、ならびに酸化還元状態といった化学的条件により制御を受けていることが示されてきた。しかし、鞭毛・繊毛の振動運動の発生には、これらのような化学的制御だけでなく、ダイニンの活性制御はダイニンが受ける力によって制御されるといった、メカニカルフィードバック機構を通じた制御の存在が必要であると考えられている。しかし、そのようなダイニンの力学的制御機構を直接示した研究はまだない。そこで、私はin vitro motility assayの系を応用し、小型のポンプによってATPを含んだ溶液を一定の流速で潅流することにより、微小管に溶液による剪断力を加えた条件での、ダイニンによる微小管滑走運動の様子を観測した。溶液潅流による外力を加えると、多くの微小管が流れの下流方向に向かって進行する様子が観測された。これは溶液の剪断力が、ダイニンの結合していない微小管の先端部分を下流方向へと曲げるためであると考えられる。このときの下流方向へと向かう微小管滑走速度の測定を行ったところ、ダイニンdでは、ATP濃度の条件にかかわらずに、溶液潅流による微小管の滑走速度変化は観測されなかった。それに対して、ダイニンcでは、ATPが0.5mM以上の条件に限り、外力によって微小管の滑走速度が増加する現象が観測された。一方、潅流方向を反転することによって、溶液の流れと反対方向に運動する場合の微小管滑走速度について測定を行ったところ、ダイニンc、dともに、いずれのヌクレオチド条件下においても、流れの有無によって変化することなく、ほぼ一定であった。このことから、ダイニンcには、外力を一定方向にのみ伝えるラチェットのようなメカニズムが存在しており、この機構はATPの調節的ヌクレオチド結合サイトへの作用を通じて制御されていることが示唆される。また、このとき多くの微小管は外力によって外れることなく滑走を続けることから、観測された外力による速度増加はダイニン・微小管間結合が弱くなったために生じたのではなく、ダイニンの運動サイクルが外力によって増大していることによるものであると考えられる。鞭毛内には運動性の異なる複数のダイニンが存在するが、動きの遅いダイニンが速いダイニンによる運動を邪魔することなく協調して力発生を行う必要がある。これまでその機構は明らかにされていなかったが、ここで示したダイニンの外力応答の性質は、その仕組みの基礎として重要であろう。 第3章 ダイニンdの発生するトルクによる微小管曲進運動 溶液潅流下での微小管の滑走方向を詳細に調べた結果、ダイニンcではほとんどの微小管がほぼ流れと平行に滑走するのに対して、意外なことに、ダイニンdでは流れに対して右向きに配向することが明らかとなった。この角度は潅流速度、ヌクレオチド濃度に依存するが、微小管の長さには依存しない。このことは、微小管の進行方向を曲げる力がダイニンの活性によって発生されていることを示唆するものである。 溶液潅流を止めた後の微小管滑走運動を観測すると、ダイニンcでは滑走方向が徐々に進行方向がランダムになっていった。これは、以前にキネシンを用いた実験で報告された結果と同様のものである。それに対して、ダイニンdでは、滑走方向がランダムになりつつも時計回りに変化する現象が観測された。また、外力のない条件での個々の微小管先端の軌跡をトレースした結果、ダイニンdでは軌跡が右方向への曲率を有していることから、外力の有無にかかわらず、ダイニンdは微小管の進行方向を右方向に曲げていることがわかった。このときの微小管のイメージを重ねると、各微小管とも右向きに曲がった1本の曲線上を滑走しており、微小管がガラス平面状をスライドして移動するのではないことが明らかとなった。 次に、微小管の滑走方向変化と滑走速度から滑走軌跡の曲率を測定を行ったところ、その曲率は微小管の長さ、ヌクレオチド濃度によらずに一定であるが、ダイニン濃度が薄い条件では軌跡の曲率が減少する傾向が認められた。以上のことから、観測された微小管曲進運動は、ダイニンが微小管に対して直角方向にトルクを発生しており、その先端部分を少しずつ右方向へ屈曲させることによって生じていると考えられる。また、このトルクは微小管を長軸方向に運動させる力発生と対応していると推測される。 同様の微小管曲進運動は、内腕ダイニンgにおいても同様に観測されたが、他のクラミドモナス鞭毛ダイニンでは見受けられなかった。 これまで、鞭毛の屈曲は周辺微小管間のすべりによって引き起こされると考えられており、そのことはまず確定している。しかし、今回の研究結果は、鞭毛屈曲が周辺微小管間のずれによるだけではなく、ある種のダイニンの発生するトルクによっても直接引き起こされうる可能性を示唆している。発生トルクの直接測定は今後の課題である。 本研究により、鞭毛内腕ダイニンはそれぞれ種類ごとに様々な特異な性質を有しており、化学的、力学的な制御を受けてその運動活性を変化させていることが明らかとなった。鞭毛の波動運動発生には、これらの特殊な性質を持ったダイニンが、それぞれ協調して働くことが必要であると考えられる。 | |
審査要旨 | 真核生物の鞭毛・繊毛は自律的な波動運動を行う細胞運動器官である。その運動はモータータンパク質であるダイニンと微小管との相互作用によって行われている。規則正しい波動運動が発生するためには、鞭毛内に存在する多種の鞭毛ダイニンが正確に調節され、互いに協調して働くことが必要であるが、どのようなメカニズムで各種ダイニンの働きが制御されているかにはまだ解明されていない。各ダイニン固有の役割を解明することは、現在の鞭毛運動機構研究の課題の一つである。本論文は、クラミドモナスの各種内腕ダイニンを用い、in vitroにおける微小管滑走運動に影響を与える化学的・力学的因子について検討した研究の結果をまとめたものである。 本論文は3部から構成されている。第1章では、ADPが内腕ダイニンにあたえる作用について述べられている。ダイニンはATP加水分解サイト以外にも複数のヌクレオチド結合サイトを有することが知られていたが、その役割については不明であった。内腕ダイニンaによる微小管滑走速度の経時的な測定をおこなったところ、ゆっくりと「分」のオーダーで微小管滑走速度が増加する現象が観測された。ダイニンにおいてこのようなゆっくりとした現象が観測されたのは本研究が始めてである。この速度増加は、ADPが調節的ヌクレオチド結合サイトにゆっくりと結合して活性化するというモデルによって説明された。この現象の生理学的意味については不明であるが、ダイニンの特殊な性質として興味深いものである。またこの現象は内腕ダイニンcにおいても同様に観察された。 第2章では、溶液潅流によって外力を微小管に加えることにより、力学的因子がダイニン運動性に与える影響について述べている。鞭毛・繊毛の振動運動の発生には、ダイニンの活性がダイニンそれ自体が受ける力によって制御されるといったメカニカルフィードバック機構の存在が必要であると考えられているが、そのようなダイニンの力学的制御機構を直接示した研究はまだない。内腕ダイニンcを用いた実験の結果、溶液潅流によって外力を加えると、多くの微小管が流れの下流方向に向かって進行する様子が観測された。これは溶液の剪断力が、ダイニンの結合していない微小管の先端部分を下流方向へと曲げるためであると考えられる。このとき、外力によって下流方向へと向かう微小管の滑走速度が増加する現象が観測された。一方、流れと反対方向に運動する微小管の滑走速度顕著な変化を示さなかった。外力の方向にかかわらず、微小管はガラス表面上から外れることなく滑走を続けることから、観測された速度増加は、ダイニンの運動サイクルが外力によって活性化されることによって引き起こされていると考えられる。鞭毛内には運動性の異なる複数のダイニンが存在するが、動きの遅いダイニンが速いダイニンによる運動を邪魔することなく協調して力発生を行う必要がある。これまでその機構は明らかにされていなかったが、ここで示したダイニンの外力応答の性質は、その仕組みの基礎として重要である。 第3章では同様の実験系を用いて見出された、ダイニン運動性の新しい現象について述べられている。すなわち、溶液潅流における微小管の滑走方向を詳細に調べた結果、ダイニンcではほとんどの微小管がほぼ流れと平行に滑走するのに対して、意外なことに、ダイニンdでは流れに対して右向きに配向することが発見されたのである。外力方向に対する微小管滑走方向は、潅流速度、ヌクレオチド濃度に依存しており、微小管の長さには依存していない。一方、外力のない条件下では、微小管滑走方向は時計回りに変化を示し、右向きに曲がった1本の曲線上を滑走した。これらのことから、微小管の進行方向を曲げる力は、外力の有無にかかわらず、ダイニンの活性によって発生されていると示唆される。また、滑走軌跡の曲率は微小管の長さ、ヌクレオチド濃度によらずに一定であるが、ダイニン濃度が低い条件では軌跡の曲率が減少する傾向が認められた。以上のことから、観測された微小管曲進運動は、ダイニンが微小管に対して直角方向にトルクを発生しており、その先端部分を少しずつ右方向へ屈曲させることによって生じていると結論された。また、同様の微小管曲進運動は、内腕ダイニンgにおいても同様に観測された。これまで、鞭毛の屈曲は周辺微小管間のすべりによって引き起こされると考えられており、そのことは確定している。しかし、この研究結果は、鞭毛屈曲が周辺微小管間のずれによるだけではなく、ある種のダイニンの発生するトルクによっても直接引き起こされうる可能性を示唆している。 内腕ダイニンは種類ごとに異なる運動性を持つことが示されていたが、本研究によって、内腕ダイニンの持ついくつかの新たな性質が明らかにされた。鞭毛運動の発生は、これらの多様な運動性質を持ったダイニンの働きが複雑に組み合わさることによってなされているものと考えられる。実際の鞭毛運動におけるこれらの性質の役割は、今後の研究課題である。本論文はダイニンの性質に関する基礎的知見をもたらすとともに、今後の鞭毛運動機構研究に重要な手がかりを与えたもので、博士論文としての十分な内容を持つものと認められる。また、本研究は論文提出者を含めて3人の共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、審査員全員一致で、申請者に博士〔理学〕の学位を授与できるものと認める。 | |
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