学位論文要旨



No 122195
著者(漢字) 堤,千絵
著者(英字)
著者(カナ) ツツミ,チエ
標題(和) シノブ科とクモキリソウ属(ラン科)の系統と着生性の進化
標題(洋) Phylogeny and evolution of epiphytes in Davalliaceae (Polypodiales) and Liparis (Orchidaceae)
報告番号 122195
報告番号 甲22195
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5058号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 教授 塚谷,裕一
 東京大学 助教授 上島,励
 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 教授 平野,博之
内容要旨 要旨を表示する

 多種多様な植物はさまざまな環境に適応し,特徴的な生活型をつくり上げてきた.中でも着生植物は他の植物体上で生活する植物で,維管束植物の10%を占める重要な生活形の1つである.しかし着生植物の進化は明らかでなく,明確な系統関係に基づいて着生種とそれ以外の生活形をもつ近縁種を詳細に比較して着生性の進化を解明した研究はほとんどない.着生植物はさまざまな分類群でみられることから,着生性は複数回進化したと考えられる.本研究では,異なる経路を経て着生性が進化したと考えられる2つの全く異なる分類群(シダ植物シノブ科とラン科クモキリソウ属)を用いて,系統関係を明らかにし,それに基づいて生活型・形態・生理特性の比較を行い,着生性の進化を推定した.

I シダ植物シノブ科の系統と着生性と進化

 修士課程の研究では,シノブ科及び近縁種の生活形を,(i)「地生」,(ii)地面で発芽した後木に登り,常に吸水根を地面に残す「地生性半着生」,(iii)地面で発芽し木に登り,後に根茎と根が地面から離れても生きられる「着生性半着生」,(iv)樹上で発芽し生涯を樹上で過ごす「真正着生」,の4つに分類し,シノブ科の真正着生性は,地生性から直接ではなく,半着生性を経て段階的に進化したと推定した.しかし葉緑体rbcL遺伝子のみに基づく系統樹の信頼性は不十分で,シノブ科内の系統関係も不明瞭であった.

 博士課程の本研究では,信頼性の高い系統樹を構築し,確固たる系統関係に基づいて着生性の進化解明を試みた.複数の葉緑体遺伝子領域の塩基配列をもとに構築したシノブ科の系統樹は,高い信頼性を得た.その結果,従来の分類体系のいずれとも一致せず,どの属も単系統にならなかった(図1).そのため,得られた6つの単系統群を5属2節に分類する新たな分類体系を提唱した.

 rbcL,accD葉緑体遺伝子領域に基づくシノブ科及び近縁群の系統樹は,高い信頼性をもち,これらの系統関係を明らかにした.得られた系統樹をもとに生活形の進化を改めて推定した結果,真正着生シノブ科は半着生から進化したパターンが明らかにされ.シノブ科とウラボシ科の祖先で進化した真正着生性が,後に複数回半着生へと逆進化した可能性も示された(図2).各生活形の形態比較から,真正着生への進化には根茎(節間)の長さや背腹性,鱗片構造,胞子の大きさが関わったと推定された(図2,4).真正着生種がもつ大きな胞子は,着生コケ植物でも知られることから,着生植物の適応形質であると考えられ,利点の解明は今後の課題である.

 着生性半着生ツルシダの1種では,背腹性のある匍匐根茎と,背腹性が不明瞭な直立根茎の2型が観察された.葉を規則的に偽輪生する直立根茎に対し,匍匐根茎は疎に葉をつけ,不規則で時に2mを越える長い節間がみられた.茎頂をSEMで調べた結果,直立根茎では,分枝直後は見られないものの,後に規則的に葉原基を形成するのに対し,匍匐根茎の茎頂では,葉原基形成に葉序や規則性がなく,多くの茎頂で葉原基をもたない部位が観察された(図3).半着生植物タマシダでも根茎の2型が知られ,直立型が葉を束生する一方,匍匐型は葉をもたない.他の生活型をもつ種では,根茎は単型で規則的な葉形成を行うことから,根茎の二型化と,匍匐型の葉形成能の低下・消失は,半着生植物に特有に起こったと推定された.根茎の二型化に伴い,匍匐型は茎の伸長を,直立型は葉形成を担うという機能分化が生じ.これにより地上から水や養分供給が不安定な樹上へ生活域を移行することができた可能性がある.

II ラン科クモキリソウ属の系統と着生性の進化

 ラン科クモキリソウ属は,近縁な着生種と地生種の比較が可能な数少ない属である.クモキリソウ節は大部分が地生種の中,2種が着生する.着生種に近縁な地生種を特定するために,核のITS 領域と複数の葉緑体遺伝子領域に基づいて系統樹を構築した.結果,着生フガクスズムシソウは地生コウライスズムシソウ(日本新産)と姉妹群で,これらと地生クモキリソウが姉妹群であった(以下クモキリソウ類).別の着生種クモイジガバチは,地生ジガバチソウと姉妹群であった(以下ジガバチソウ類)(図5).従って,クモキリソウ属の着生性は少なくとも2回進化し,どちらも地上から直に樹上へ進出したと考えられる.

 着生種と地生種では,生育環境が異なることから,自生地の環境測定を行い個々の環境の違いを把握するとともに,植物の形質比較を行い,着生性の進化を推定した.クモキリソウ類の生育地まわりの温度・光・湿度・土壌成分を測定し比較したところ,樹上は地上より常に強い光にさらされ,光環境が異なることが明らかになった(図6).また,着生フガクスズムシソウと地生クモキリソウを用いて自生地で播種実験を行った結果,地生種は地上でのみ発芽する一方で,着生種は地上でも樹上でも発芽した(表1).このことから,地生種と着生種には発芽能に差があることがわかり,樹上での発芽機構の獲得が着生フガクスズムシソウの進化につながった可能性が高い.着生種が樹上で発芽できる要因を探るため,クモキリソウ類をさまざまな光・温度条件下で無菌培養を行い発芽率を比較した結果,3種とも強光・低温条件で低い発芽率を示した.しかし20週目の発芽率を比べると,着生種の強光・低温下での発芽率は,地生種と比べて高かった(図7).発芽率の変化の比較から,3種とも強光条件は暗条件と比べ発芽率が低いまま飽和するグラフパターンが得られた(図8A-C).ゆえに強光条件は発芽に阻害的に作用するものの,着生種では強光下でもより多くの種子が発芽できると推定された.温度条件ごとに比べてみると,着生種の発芽率は低温ほど低いものの,低温でもすぐに発芽できる一方で,地生種は低温下で顕著な発芽遅延がみられた(図8D-F).これらの結果から,着生種は地生種と比べて強光でも低温でも発芽しやすく,特に強光下での発芽可能性は樹上発芽を可能する1つの要因と考えられる.

 種子形態の比較から,着生種は有意に大きな胚をもつことが明らかになり,ジガバチソウ類でも同様な結果が得られた(図9,10).着生フガクスズムシソウは,近縁な地生種と比べ胚の細胞数が多いことから,より多く細胞分裂がおこって散布されるといえる.発生がより進んだと想われる胚は,地上でも樹上でもより発芽しやすい着生種の適応形質である可能性がある.

III まとめ

(1)シノブ科と近縁群,およびクモキリソウ属について信頼度の高い系統関係を推定し,着生植物の姉妹群を特定した.得られた系統樹をもとに,シノブ科の属レベル分類系の再編成を行い,クモキリソウ属では新種とコウライスズムシソウの日本新産を発見するに至った.

(2)着生性の進化には複数の経路があり,シノブ科のように半着生性を経て段階的に進化した過程と,クモキリソウ属の種のように地生性から直接進化した過程が明らかになった.着生植物の進化に必須な発芽・定着位置の地上から樹上への移行は,前者では半着生種から,後者では地生種から生じたと考えられる.両過程で共通して,真正着生性の進化に伴って胞子や胚サイズの増大がみられることから,繁殖子のサイズが樹上での発芽・定着性の進化に関わった可能性がある.さらに,シノブ科では真正着生性の進化に先立って,高所での生活を可能にした根茎の著しい伸長が起こったことが推定された.またクモキリソウ属では,強光・低温のような環境でも速やかに種子発芽できることが樹上発芽を可能にした1要因であると考えられる.

図1(→) シノブ科36種を用いたaccD,rbcL,atpB葉緑体遺伝子と各spacer領域によるML系統樹.橙字は新分類体系.枝上の数値はBayes法によるposterior probability(>0.5),枝下はMP法によるBootstrap値(>50%).

図2 シノブ科及び近縁群のrbcL,accD葉緑体遺伝子領域を用いたML系統樹をもとにした形質進化系統樹(ACCTRAN)の概略図.ウラボシ科内はSchneiderら(2006)による.右の模式図では,太線は根茎を,細線は根を,灰色線は枯れた根や根茎を表す.

図3 着生性半着生ツルシダの1種(Oleandra pistillaris)の根茎の模式図(A)と茎頂のSEM像(B-F).白丸は葉原基,SAMは茎頂分裂組織を表す.B-C,直立型; D-F,匍匐型.B,葉原基はみられない.C,葉原基を偽輪生.D,葉原基なし.E,葉原基は1つ.F,葉原基は3つ見られる.スケールは100μm.

図4 日本産シダの胞子体積を縦軸に示す.体積は胞子の長さと幅から楕円体に近似.データはQuinfengによる.F=14.19,p=0.0002,N=221.*印は外国産ツルシダ(半着生)の胞子体積.(Nayar & Bajpai,1976).

図5 クモキリソウ節の核ITS領域に基づくML系統樹.枠内はITSと葉緑体遺伝子(trnK-matK,trnS-trnG,trnL trnF)によるML系統樹(一部抜粋).数値はBootstrap値(枝上,ML法;枝下,MP法).橙字は着生;黒字は地生.

図6 各種2箇所の自生地の光量子量.6時から18時までの平均値を縦軸に示す.種子散布時期(10月中旬〜11月)から約1年分のデータを示す.

表1 自生地(富士北,富士南)での播種実験で発芽した種子数.メッシュに500個前後の種子を入れメッシュごと植物体付近に埋める.5月に播種し10月に回収.コウライスズムシソウは種子不足により未解析.

図9 胚体積.胚の長さと幅から楕円体として近似.異なる記号はTukey法(p0.05)により有意な差があることを示す.

図10 A-C,完熟種子;D-F,準超薄縦断切片.A,D,フガクスズムシソウ;B,E,コウライスズムシソウ;C,F,クモキリソウ.スケールは100μm.

図8(→)発芽率の培養週数ごとの変化.縦軸は28週目の最大発芽率に対する相対発芽率.A-C,20℃条件下;DF,暗黒下.灰は暗黒(0);黄は弱光(4);赤は強光(40μmol・m-2S-1).青色は10℃;緑色は15℃;オレンジ色は20℃.

図7 無菌培養20 週目の発芽率.縦軸は28週目の最大発芽率に対する相対発芽率.灰は暗黒(0);黄は弱光(4);赤は強光(40μmol・m-2S-1).異なる記号はTukey法(p0.05)により有意な差があることを示す.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなる。第1章は序論であり、陸上植物の重要な生活形である着生植物の特徴やこれまでの研究背景が要領よくまとめられ、研究の目的やアプローチの方法が明記されている。第2章はシダ植物シノブ科の系統と着生性の進化に関する研究について述べられている。シノブ科及び近縁群の分子系統解析を行い、系統関係を明らかにした。得られた系統関係に基づいて、シノブ科で見られる真正着生性(樹上で発芽し生涯を樹上ですごすタイプ)は地生から直接ではなく、地生性半着生(地面で発芽し樹幹をよじ登って着生するが、地中の水分などの吸収等を続けるタイプ)あるいは着生性半着生(地面で発芽し樹幹をよじ登り、後で地面から離れて完全に着生するするタイプ)を経て段階的に進化したことを示唆した。このような段階的な着生進化を明確に推定したのは本研究が初めてである。各生活形の植物の形質比較から、真正着生への進化には根茎の長い匍匐性や背腹性、鱗片の構造、胞子の大きさが関わっていると推定した。2つの着生性半着生シダ植物が独立に進化したことがわかったことから、地生性、真正着生性の多くのシダ植物の根茎が単型で葉形成を規則的に行うのに対して、葉形成は稀に行うかあるいは行わない根茎の二型化は着生性半着生の適応形質であるとする興味深い推定を行った。

 第3章はクモキリソウ属(ラン科)の系統と着生性の進化に関する研究について記述されている。その1節クモキリソウ節では、多くが地生種であるが、フガクスズムシソウとクモイジガバチは着生種である。分子系統解析を行った結果、これら2着生種は互いに独立に、地生から着生へ跳躍的に進化したことを明らかにした。着生フガクスズムシソウ及び近縁な地生種を用いて、異環境の自生地で比較播種実験を行った結果、地生種は地上でのみ発芽する一方で、着生種は地上でも樹上でも発芽することを示した。さらに、両植物の自生地のさまざまな環境因子を比較測定したところ、特に光環境が異なり、樹上は地上より常に強い光にさらされていることを示した。また異なる光・温度条件下で無菌培養を行い発芽率を比較した結果、着生種は、地生種と比べて、強光や低温でも高い発芽率を示すことが分かった。これらから、高い樹上発芽能の獲得が着生植物の進化に関与しており、着生植物種の種子が地生植物よりも強光下で発芽しやすいことが、強光にさらされる樹上での発芽を可能する1つの要因であると考察した。着生性の進化における種子発芽特性の重要性を示した本成果は意義深いといえる。また、種子形態比較から、着生種は近縁地生種より有意に大きな胚をもつことを明らかにし、ジガバチソウ類でも同様な傾向を示した。今まで注目されなかったこの特性は、今後の研究につながる興味深い結果である。

 第4章は、2つの植物群の分類改訂についてまとめられている。シノブ科では、属レベルの新たな分類体系を提唱し、ラン科クモキリソウ属で1新種と1日本新産種を記載した。これらの系統分類は斬新なものである。

 第5章は総合考察であり、着生植物の進化が幅広い観点で捉えられている。本研究で、着生植物の進化にはシノブ科のように半着生を経た段階的な進化と、クモキリソウ属のように地生からの跳躍的な進化の異なる2つのパターンがあることを明らかにした。両者の比較から、繁殖子の大型化がどちらのパターンでも樹上発芽の適応形質であり、真正着生の進化に関与した可能性を示した。本研究は、着生植物の系統と進化を解明するのに顕著に貢献したと評価する。

 なお、第2章は加藤雅啓と、第3章は遊川知久、三吉一光、Nam Sook Lee、Chang Shook Lee、加藤雅啓と、第4章は遊川知久、Nam Sook Lee、Chang Shook Lee、加藤雅啓との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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