No | 122198 | |
著者(漢字) | 池本,忠弘 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イケモト,タダヒロ | |
標題(和) | GnRH情報伝達系における分子多様性の比較生物学的研究 | |
標題(洋) | Comparative Biology on the Molecular Diversity of GnRH Systems | |
報告番号 | 122198 | |
報告番号 | 甲22198 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5061号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)は、脳下垂体における生殖腺刺激ホルモンの合成と放出を促進する視床下部ペプチドとして同定された。その機能から、GnRHは脊椎動物の生殖機能の制御において中心的な役割を担っていると言える。その後の研究により、複数分子種のGnRHまたはその受容体をもつ動物種の存在が明らかになり、GnRHは多様な生理的役割を担っていると考えられている。しかし一方で、GnRHまたはその受容体が一分子種しか同定されない動物種も依然として多く、単一動物種におけるGnRHとその受容体の遺伝子の多重性が、ある動物種にのみ特異的であるのか、あるいは脊椎動物全般で普遍的であるのかは未解決であった。更に、遺伝子の多重性が各動物種においてGnRHの生理作用にどのような影響を及ぼしているかに関しては全く未解明であった。GnRHとその受容体の分子進化の解明は、GnRHの生理的役割の普遍性と種特異性を理解する上で極めて重要な課題である。しかしながら、GnRHに関する研究は特定の動物種に限られたものが多く、比較生物学的な観点で様々な動物種を対象とする研究は限られたものであった。 本論文は、こうした状況を背景に「単一動物種におけるGnRHとその受容体の遺伝子数」及び「GnRHとその受容体の遺伝子の多重性の意義」を主たる論点としたものであり、以下の二章から構成される。まず第一章では、GnRH情報伝達系の分子進化の解明を行った。脊椎動物の様々な動物種におけるGnRHとその受容体の遺伝子の同定により、GnRH情報伝達系の分子多様性を明らかにした。ついで第二章では、GnRH情報伝達系の分子多様性がもつ意義の解明を行った。ヒョウモントカゲモドキの脳下垂体前葉ではGnRH受容体が一分子種のみ発現するのに対し、生殖腺では複数分子種が発現することが明らかになったことから、便宜上この動物種を基準とし、脊椎動物の生殖腺と脳下垂体におけるGnRH系を比較解析した。それにより受容体分子種間での相互作用の存在やGnRHとその受容体の組合せによる細胞応答の制御機構の存在を明らかにした。 第一章:GnRHとその受容体の遺伝子の分子進化 ゲノムデータベースの利用が可能な動物種を含め、脊索動物門の各動物綱においてGnRHとその受容体の遺伝子の同定を行った。その結果、各動物種のもつGnRHやその受容体の遺伝子数が動物綱間で、ときには同一動物綱内で著しく異なるということが明らかになった(表1)。脊索動物門の他にも、棘皮動物門や節足動物門、軟体動物門、線形動物門からもGnRHまたはその受容体のホモログが同定されたが、脊索動物のものと共通の祖先をもつ相同関係にあるかについては、更なる解析が必要である。 GnRHとその受容体の遺伝子の多重性が脊索動物門で普遍的に見られる事象であることが明らかになったが、同時に鳥綱や哺乳綱の多くの動物種でGnRH情報伝達系の分子多様性が失われているということも明らかになった。すなわち鳥綱や哺乳綱では各動物種で独立にII型GnRHまたはII型受容体の遺伝子に偽遺伝子化が生じていた。他の研究者の報告を併せると、哺乳綱では35種中23種でII型GnRHまたはII型受容体の遺伝子が偽遺伝子化しており、そのうち少なくとも13種では両者が偽遺伝子化していることがわかった。一方、哺乳綱には更にI型GnRHとI型受容体が存在するが、両者で偽遺伝子化は見られなかった。これらのことは、哺乳綱ではII型GnRHの生理的役割が、I型GnRHあるいは他の生理活性物質により代償されている可能性や、不必要なものとなっている可能性を示唆するものである。I型GnRHの保持に関しては、生殖腺刺激ホルモンの放出があらゆる脊椎動物の種の保存に必須のものであり、I型GnRHニューロンが視床下部あるいは視索前野に位置し視床下部-脳下垂体−生殖腺軸の構成要素であることが大きく影響しているものと考えられる。 第二章:GnRH情報伝達系の分子多様性の意義 GnRH受容体mRNA の発現解析の結果、組織分布は動物種間で一定ではないものの、生殖腺における発現が、脳下垂体という独立した器官をもたないホヤ綱を含む脊索動物門の各動物綱で普遍的に見られる事象であることが明らかになった。棘皮動物門の動物種においても生殖腺でGnRH受容体ホモログが発現していた。このことは、GnRHが脳下垂体の出現以前から生殖腺において何らかの生理的役割を担い、かつその役割が脳下垂体の出現以後も進化的に意義ある形で保持されてきたことを示唆するものである。また条鰭綱や両生綱、爬虫綱では、脳下垂体で発現が検出されない受容体分子種が存在しており、生殖腺ではそれらが発現していることが明らかになった。またヒョウモントカゲモドキやミドリフグでは受容体遺伝子の選択的スプライシングが検出され、遺伝子の多重性に加え多様な発現制御によりGnRH情報伝達系の分子多様性が更に増加することが示唆された。 次に、偽遺伝子化が見られた鳥綱や哺乳綱と同じ有羊膜類に属しながらGnRHとその受容体の遺伝子で多重性を保持している爬虫綱ヒョウモントカゲモドキにおいて、受容体の発現動態を詳細に解析した。GnRH受容体の機能解析として、一般的にはイノシトール1,4,5-三リン酸(IP3)の産生が指標とされてきたが、ヒョウモントカゲモドキIII型受容体(R1)ではIP3産生が検出されなかった。このため、多様な細胞刺激によって発現が変動するc-fos遺伝子に着目し、c-fos mRNA 発現量を指標とする受容体の機能解析系を新規に開発した。この解析系により、ヒョウモントカゲモドキGnRH受容体三種全てが実際にGnRHの受容体であり、かつ互いに異なる薬理学的性質をもつことが示された。 ヒョウモントカゲモドキGnRH受容体mRNAは、脳下垂体前葉では産卵期及び非産卵期を通してIII型受容体(R1)のみ検出されたのに対し、生殖腺では三種全てが検出された。この動物種ではIII型受容体(R1)を介して生殖腺刺激ホルモンの放出が促進されているものと考えられる。定量RT-PCRの結果、脳下垂体や生殖腺において受容体の発現量が季節変動することが明らかになった。更に卵巣では、卵胞の発育段階や季節変化に応じて受容体の発現量が変動した。in situ hybridizationの結果、顆粒膜細胞において三種の共発現が示唆された。そしてIV型受容体(R2)のIP3 産生能がIII型受容体(R1)あるいはIII型受容体バリアントとの共発現により阻害されることや、II型受容体(R3)とIII型受容体(R1)の共発現によりc-fos mRNA発現が増強されることが明らかになった。これらのことは、受容体情報伝達系間でのクロストーク機構の存在や、GnRHとその受容体の組合せにより多様な細胞応答が誘起されるということを示唆するものである。GnRHとその受容体の遺伝子の多重性は、リガンドと受容体または受容体サブタイプ間の組合せの多様性を産み出し、複雑な細胞応答の実現に寄与しているものと考えられる。 連綿と続く生物進化の過程で、生命現象を司る基本的機構は生物種を問わず広く保存されてきたと考えられている。しかし、観察された事象がその生物種に特異的であるか、あるいは他の生物種においても普遍的であるかを判別するためには、この「前提」を健全に疑って比較生物学的な観点で網羅的に調べる必要があると言える。実際、GnRH情報伝達系の分子的基盤であるGnRHとその受容体の遺伝子数が動物種間で大きく異なることが明らかになったため、複数の動物種を対象とした。そして受容体の組織分布は動物種間で異なるものの、生殖腺における受容体の発現が脊索動物門で普遍的に見られる事象であることが明らかになった。また有羊膜類の進化の過程でGnRH情報伝達系の分子多様性が失われつつあるものの、GnRHとその受容体の遺伝子の多重性が脊索動物門で普遍的に見られる事象であることが明らかになった。そしてヒョウモントカゲモドキの顆粒膜細胞での複数の受容体分子種の共発現が明らかになり、GnRHとその受容体の組合せにより細胞応答が制御されることが直接示された。 本論文の結果から、更に新たな論点が浮かび上がってきた。すなわち「脳下垂体外におけるGnRHの生理的役割の意義」である。テンジクネズミやカイウサギでは、II型GnRHとII型受容体の両遺伝子が偽遺伝子化しており、I型GnRHの発現が脳に、I型受容体の発現が脳下垂体に限定されていた。これらの動物種ではGnRHの生理的役割が生殖腺刺激ホルモンの放出に特殊化していることが示唆された。一方、ヒョウモントカゲモドキでは、季節や発育段階に応じて受容体の発現が大きく変動するとともに、複数の受容体分子種が共発現しており、受容体情報伝達系間でのクロストーク機構の存在が示唆された。またゼブラフィッシュでは、胚発生時のGnRH発現の抑制が脳形成不全を引き起こすという報告がある。これらのことから、GnRHの生理的役割は動物種ごとに大きく異なるものと考えられる。GnRHの生理作用の普遍性と種特異性に関して、特定の動物種での結果のみから結論付けることは不適当であり、更なる比較生物学的解析が肝要であると言える。GnRHは、脳下垂体を介して間接的に生殖腺に作用するとともに、生殖腺での受容体を介して直接的にも作用し得ることから、各動物種の生殖戦略に大きく影響を及ぼしてきたことが考えられる。GnRHの脳下垂体外における生理的役割、とりわけ生殖腺における生理的役割の解明は、脳下垂体の出現以前から存在するGnRH情報伝達系の進化と意義の全容の解明に繋がるものと期待される。 表1.GnRHとその受容体の分類と各動物綱における遺伝子数 | |
審査要旨 | 本論文は二章から成り、第一章では「単一動物種におけるGnRHとその受容体の遺伝子数」を主たる論点とし、生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)情報伝達系の分子進化について、第二章では「GnRHとその受容体の遺伝子の多重性の意義」を主たる論点とし、GnRH情報伝達系の分子多様性がもつ意義について述べている。 GnRHは、脳下垂体における生殖腺刺激ホルモンの合成と放出を促進する視床下部ペプチドとして同定された。その機能から、GnRHは脊椎動物の生殖機能の制御において中心的な役割を担っていると言える。その後の研究により、複数分子種のGnRHまたはその受容体をもつ動物種の存在が明らかになり、GnRHは多様な生理的役割を担っていると考えられている。しかし一方で、GnRHまたはその受容体が一分子種しか同定されない動物種も依然として多く、単一動物種におけるGnRHとその受容体の遺伝子の多重性が、ある動物種にのみ特異的であるのか、あるいは脊椎動物全般で普遍的であるのかは未解決であった。更に、遺伝子の多重性が各動物種においてGnRHの生理作用にどのような影響を及ぼしているかに関しては全く未解明であった。GnRHとその受容体の分子進化の解明は、GnRHの生理的役割の普遍性と種特異性を理解する上で極めて重要な課題である。しかしながら、GnRHに関する研究は特定の動物種に限られたものが多く、比較生物学的な観点で様々な動物種を対象とする研究は限られたものであった。 連綿と続く生物進化の過程で、生命現象を司る基本的機構は生物種を問わず広く保存されてきたと考えられている。しかし論文提出者は、観察された事象がその生物種に特異的であるか、あるいは他の生物種においても普遍的であるかを判別するためには、この「前提」を健全に疑って比較生物学的な観点で網羅的に調べる必要があると考えた。そして第一章でGnRH情報伝達系の分子的基盤であるGnRHとその受容体の遺伝子数が動物種間で大きく異なることを明らかにし、第二章においても継続して複数の動物種を対象とした。その結果、受容体の組織分布は動物種間で異なるものの、生殖腺における受容体の発現が脊索動物門で普遍的に見られる事象であることが明らかになった。そして有羊膜類の進化の過程でGnRH情報伝達系の分子多様性が失われつつあるものの、GnRHとその受容体の遺伝子の多重性が脊索動物門で普遍的に見られる事象であることが明らかになった。また受容体遺伝子の選択的スプライシングが検出され、遺伝子の多重性に加え多様な発現制御によりGnRH情報伝達系の分子多様性が更に増加することが示唆された。更に複数の受容体分子種の共発現が示され、受容体情報伝達系間でのクロストーク機構の存在や、GnRHとその受容体の組合せにより細胞応答が制御されることが直接示された。GnRHとその受容体の遺伝子の多重性は、リガンドと受容体または受容体サブタイプ間の組合せの多様性を産み出し、複雑な細胞応答の実現に寄与しているものと考えられる。 本論文は更に「脳下垂体外におけるGnRHの生理的役割の意義」についても考察している。複数の動物種を対象とした比較生物学的解析により、GnRHの生理的役割が動物種ごとに大きく異なり得ることが示され、GnRHの生理作用の普遍性と種特異性に関して、特定の動物種での結果のみから結論付けることは不適当であり、更なる比較生物学的解析が肝要であることが示された。GnRHは、脳下垂体を介して間接的に生殖腺に作用するとともに、生殖腺での受容体を介して直接的にも作用し得ることから、各動物種の生殖戦略に大きく影響を及ぼしてきたことが考えられる。GnRHの脳下垂体外における生理的役割、とりわけ生殖腺における生理的役割の解明は、脳下垂体の出現以前から存在するGnRH情報伝達系の進化と意義の全容の解明に繋がるものと期待される。GnRH情報伝達系がもつ分子多様性に関して比較生物学的に研究した本論文は、GnRH情報伝達系の進化の解明、ひいてはGnRHの生理的役割の普遍性と種特異性の理解に大きく貢献するものと評価できる。 なお、本論文は朴民根及び榎本匡宏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析と検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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