学位論文要旨



No 122200
著者(漢字) 遠藤,大輔
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,ダイスケ
標題(和) 温度依存性性決定有鱗目の性分化機構の分子生物学的解析 : 脳と生殖腺における性ステロイドホルモン情報伝達系の比較から
標題(洋) A study on the molecular mechanism of sexual differentiation in a squamate species with temperature-dependent sex determination : comparison of sex steroid hormone signaling systems in the gonad and brain
報告番号 122200
報告番号 甲22200
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5063号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

 爬虫類は脊椎動物で唯一の外温性羊膜類である。体温が環境温度によって大きく変動することから、内温性の哺乳類、鳥類とは異なった機構で陸上環境に適応していると考えられる。爬虫類、特に有鱗目では近縁な種間でも環境に合わせて胎生と卵生、染色体、あるいは温度に依存した性決定など多様な生殖現象を使い分けていることから、脊椎動物の環境適応の進化を考える上で非常に興味深い動物群であるといえる。私はこのような爬虫類、有鱗目の環境適応と生殖現象の関係に興味を持ち、ヒョウモントカゲモドキを実験動物として研究を始めた。

 ヒョウモントカゲモドキの環境と生殖との関係について、成体における光、温度条件の繁殖行動への影響と、胚の性決定に対する孵卵温度の影響の二つが考えられる。修士課程においては成体に対する光と温度の影響という観点から、低温短日処理したオスの精巣における遺伝子発現変化を調べた。その結果、様々な生殖関連遺伝子の発現が環境の変化に伴い変動していることが明らかとなり、成体の環境適応の分子機構に迫るうえで示唆に富む知見を得ることができた(1,2)。また、その過程で性ステロイドホルモン情報伝達系を中心に、生殖関連のいくつかの遺伝子についてその遺伝子配列情報および感度の高い発現量の測定系も確立した。博士課程においてはこうした修士課程での成果を活かし、温度依存性性決定の分子機構に迫ることを目標とした。

 温度依存性性決定とは、発生時の孵卵温度によって性が決定される性決定様式であり(図1)、一部の魚類と調べられたすべてのワニ目、殆どのカメ目、一部の有鱗目に見られる。先述のとおり、有鱗目では近縁な種間でも異なる性決定様式を持つことから、その研究は性決定様式の進化を考える上で重要であると考えられるが、確立された実験動物種が不在であることから殆ど行われてこなかった。また、孵卵温度が生殖腺の性だけではなく性行動にも直接影響を与えることも報告されており(図2)、近年鳥類でも示唆されている脳の自律的な性分化を考える上でよいモデルになることが期待される。

 こうしたことから本研究においては以下の三点を目標とした。

1. 有鱗目の温度依存性性決定の分子機構に迫る基盤づくり

・ヒョウモントカゲモドキにおける性決定関連遺伝子の同定

・発生期における性ステロイドホルモン合成酵素の全身的な発現解析による孵卵温度の標的器官の候補のスクリーニング

2. 温度依存性性決定有鱗目における生殖腺の性分化機構の解析

3. 生殖腺外(脳)に性決定因子が直接影響する可能性の検証

1. 有鱗目の温度依存性性決定の分子機構に迫る基盤づくり

 これまでにヒョウモントカゲモドキにおいては脊椎動物で一般にオスの生殖原基特異的に発現することが知られているSox9と性ステロイドホルモン受容体としてアンドロゲン受容体、エストロゲン受容体α、プロゲステロン受容体が同定されていた。私はこれらに加え、性ステロイドホルモン合成酵素の転写因子であり性決定因子と性ステロイドホルモン情報系を中継すると考えられているSteroidogenic factor 1 (SF-1)、そしてステロイドホルモン合成の最初の段階を触媒する酵素、コレステロール即鎖切断酵素(P450scc)、エストロゲン合成酵素である芳香化酵素(P450arom)(3)、エストロゲン受容体βのcDNA配列を同定した。これにより、脊椎動物で広く性決定に関わると考えられる因子、ステロイド合成の重要な段階を触媒する二つの酵素、そして総ての性ステロイドホルモン受容体について発現解析が可能となった。

 得られた配列を用いて発生期の性ステロイドホルモン合成器官を調べるために、胚において2種の合成酵素、P450sccとP450aromの全身的な発現解析を行ったところ、調べた総てのステージを通じて脳と生殖腺(aderanal-kidney-gonadal complexとして単離)においてそれらのmRNAの発現が観察された。発生期においてはこの二つの器官が中心的な性ステロイドホルモン合成器官であることが示唆され、今後はこれらに絞って孵卵温度の影響を解析することにした。また、性ステロイドホルモン受容体に関しては脳と生殖腺を含む多くの器官で、調べたもっとも早いステージから発現が確認されたため、各器官において合成されたホルモンはこれらの受容体を通じて作用しうると考えられる。

2. 温度依存性性決定有鱗目における生殖腺の性分化機構の解析

 生殖腺の性分化と孵卵温度の関係については形態組織学的な変化とSox9、SF-1、P450scc、そしてP450arom mRNA発現量を指標に調べた。これらの指標について、どのステージで影響が観察されるか、それは温度感受期中かその後か、それぞれの指標における差はどの順番で観察されるか、性決定遺伝子の性特異性は他の種で調べられた結果と比較してヒョウモントカゲモドキに特異的かという点について重点を置いて考察した。

 ヒョウモントカゲモドキはステージ30において産卵され、ステージ33〜37に温度を感受し性が決定され、ステージ40において孵化する。生殖腺の形態はステージ39にいたっても卵巣様、精巣様の形態を示さず、孵化直後においてようやく皮質層の肥大、精索の形成など性特異的な形態を示した。同様に遺伝子発現量の差も孵化後においてのみ観察され、SF-1はオスにおいてメスより強い発現を、P450aromはメスにおいて強い発現を示した。Sox9およびP450scc発現量においては温度による影響、または性差は観察されなかった。これらのことから、生殖腺の性分化は性決定後に非常にゆっくりと進行すること、SF-1、P450aromは性決定ではなく性分化に何らかの役割を果たしていることが示唆された。また、多くの種でオスの生殖腺において強い発現が報告されているSox9がヒョウモントカゲモドキでは性差を示さなかったこと、SF-1の発現量がマウス、ニワトリと異なりステロイドホルモン合成酵素の発現の弱い性で高かったことは性分化の分子機構の進化を考える上で非常に興味深い結果である。

3. 生殖腺外(脳)に性決定因子が直接影響を及ぼす可能性の検証

 これまで脳の性分化は生殖腺からの性特異的な性ステロイドホルモンの影響によって制御されていると考えられていたが、近年ヒョウモントカゲモドキとゼブラフィンチという羊膜類の異なった動物群に属する種において脳が自律的に性分化する可能性が示唆されている。しかしその分子機構についての研究は行われていない。そこでヒョウモントカゲモドキ胚の脳において、生殖腺が性分化する時期より前における性決定関連遺伝子の発現を調べた。

 その結果、胚の時期には生殖腺での発現量には孵卵温度の影響が観察されなかったステロイドホルモン合成酵素(P450scc、P450arom)のmRNA発現量が脳では強い影響を受けていることがわかった。脳のP450scc mRNA発現量は温度感受期においてオスが多く生まれる温度(32℃)で一過的に高かった。このことは、P450scc発現が性周期の制御に関わる脳の性分化に重要な働きをしていることを示唆するものである。一方、P450arom発現量はヒョウモントカゲモドキの温度-性比の関係とは一致した傾向を示さず(図1)、孵卵温度が高くなるほど高くなった。前述のとおり、ヒョウモントカゲモドキでは温度が同じ性の中でも性行動に直接影響を与えることから、P450aromの発現は脳の性行動に関わる領域の形成に関わると考えられる(図3)。

 ゼブラフィンチと同じく鳥類に属するニワトリにおいても同様の解析を行った。その結果、P450scc、P450aromそしてSF-1 mRNAが生殖腺の性分化以前の早い時期から脳で発現していることを発見した。その中でも特にSF-1は孵卵5.5日においてオスでメスより強い発現が観察されたので、さらにin situ hybridization法により脳における発現部位を調べたところventromedial hypothalamic nucleus (VMH)に発現が局在していた。この部位は成体において生殖の制御に重要な役割を果たすことが知られている部位であり、またマウスで発生初期のこの部位でのSF-1発現がVMHの形成に重要な役割を果たすことも報告されている。このことからニワトリでみられたSF-1発現量の性差はこの種における脳の自律的性分化に重要な働きをしていることが示唆される。また、温度依存性性決定羊膜類と染色体性性決定羊膜類で共に生殖腺の性を決定する因子が脳へ直接影響することが本研究で明らかとなったことから、羊膜類一般に脳の自律した性分化機構が存在する可能性が考えられる。

 本研究により、脊椎動物に環境適応の機構あるいは性決定様式の進化を考える上で非常に重要な動物群である有鱗目においてその性決定・分化の分子機構に迫る研究を行う基盤を形成することができた。そしてこれらの分子情報の基盤を用いてヒョウモントカゲモドキの性分化に伴う遺伝子発現のパターンを脳と生殖腺において解明した。この結果は温度依存性性決定動物で初めてのものであり、特に脳の自律的性分化についての知見は羊膜類の性分化について新しいモデルを提示するものである(図4)。

 また、近年染色体による性決定を行うヘビにおいても孵卵温度が成体の行動に影響を与えることが報告されている。このことから孵卵温度がどちらかの性の適応度を上げるような形質へ影響を与えることが温度依存性性決定が進化・維持されてきた要因であるという説も提唱されている。従って脳に対する孵卵温度の直接の影響についての分子生物学的解析は温度依存性性決定の進化について考察する上でも重要な鍵になることが期待される。

(1) Endo D., and Park M.K. (2003) Comparative Biochemistry and Physiology B Biochemistry and Molecular Biology. 136(4): 957-66.(2) Endo D., and Park M.K. (2004) General and Comparative Endocrinology. 138(1): 70-7.(3) Endo D., and Park M.K. (2005) Journal of Steroid Biochemistry and Molecular Biology. 96(2): 131-40.

図1. ヒョウモントカゲモドキにおける孵卵温度と性比の関係

(Viets et al. 1993)

図2. メスにおける孵卵温度と性行動の関係

(Flores, et al. 1994)

図3. 脳の性分化における性ステロイドホルモン合成酵素の役割についての仮説の模式図

図4 脳の性分化のモデル

脳の性分化はこれまで生殖腺の性が脳の性を支配する(a)のようなモデルで考えられてきた。しかし本研究で観察されたような性染色体や孵卵温度といった性決定因子からの脳への直接的な影響から(b)に示す新しいモデルが考えられる。脳は生殖腺によって支配されるだけではなく、自律的にも性分化を行いうる。また、脳が自立的に獲得した性差が生殖腺の性決定・分化に影響を与えうるかについては今のところ何も研究が行われていないが、興味深い可能性である。

審査要旨 要旨を表示する

 温度依存性性決定とは、発生時の孵卵温度によって性が決定される性決定様式であり、爬虫類・有鱗目では近縁な種間でも異なる性決定様式を示すことがある。このことから有鱗目は性決定様式の進化を研究する上で極めて重要な動物であると考えられるが、その分子生物学的研究は殆ど行われてこなかった。本研究は温度依存性性決定動物であるヒョウモントカゲモドキにおける性決定の分子機構の解析の可能性を切り開くと共に、性ステロイドホルモン情報伝達系の役割という観点から生殖腺と脳の性分化機構の解明を試みるものでもある。

 本論文は以下のように3部構成となっている。まず第一章ではヒョウモントカゲモドキでの性ステロイド情報伝達系の重要な遺伝子を同定し、性決定時の発現を解析している。同定されたcDNAは、性ステロイドホルモン合成酵素の転写因子であり性決定因子もあるSteroidogenic factor 1 (SF-1)とステロイドホルモン合成の最初の段階を触媒する酵素、コレステロール即鎖切断酵素(P450scc)、そしてエストロゲン合成酵素である芳香化酵素(P450arom)と、エストロゲン受容体βである。そして、既に得られているSox9と性ステロイドホルモン受容体3種(エストロゲン受容体α、アンドロゲン受容体、プロゲステロン受容体)も研究対象に加え、発生期での発現を様々な組織で網羅的に調べた。その結果、2種の合成酵素、P450sccとP450aromは、調べたすべての発生ステージを通じて脳と生殖腺でmRNA発現が確認され、これらの二つの器官が性決定時期に中心的な性ステロイドホルモン合成器官になりうることが示唆された。また、ホルモン受容体は性決定期の初期から様々な器官での発現されており、多くの器官がステロイドホルモン反応性をもつ可能性が示唆された。このことから生殖腺と脳での各遺伝子の発現の発現動態をより詳しく解析し、それぞれを第2章と第3章に分けて纏めている。

 発生期の生殖腺における各遺伝子の発現には、明瞭な温度依存性は検出されなかった。また、多くの動物種でオスの生殖腺における強い発現が報告されているSox9の発現でもヒョウモントカゲモドキの生殖腺では明瞭な性差をみられなかった。一方、形態的な生殖腺の性分化が識別できはじめた時期でのSF-1の発現はマウス、ニワトリと異なり性ステロイドホルモン合成酵素P450aromの発現が弱い性である雄において高かったことは、性分化の分子機構の進化を考える上で非常に興味深い結果である。

 最後の章では第1章で明らかになった発生の早い時期からみられる脳での各遺伝子の発現が、孵卵温度によってどのような影響を受けるかが解析された。その結果、脳でのP450sccとP450aromのmRNA発現量が温度の影響を強く受けていることが明らかとなった。即ち、P450scc mRNA発現量が温度感受期にオスが多く生まれる温度で一過的に高くなり、性周期の制御に関わる脳の性分化に重要な働きをしていることが示唆された。一方、P450aromの発現量は温度と性比の関係とは一致せず、孵卵温度が高くなるほど高くなった。ヒョウモントカゲモドキでは孵卵時の温度が各個体の性行動に直接的な影響を示すことが報告されており、この現象にP450aromが重要な働きをしていると考えられる。なお、鳥類でもこのような脳に対する性決定因子の直接的な作用が示唆されていることから、ニワトリでの研究も行われた。その結果、P450scc、P450aromそしてSF-1 mRNAが生殖腺の性分化以前の早い時期から脳で発現し、孵卵5.5日のSF-1の発現はオスでメスより強く、ventromedial hypothalamic nucleus (VMH)で発現していること明らかにした。

 以上のように本研究は、脊椎動物に環境適応の機構あるいは性決定様式の進化を考える上で非常に重要な動物群である有鱗目においてその性決定・分化の分子機構に迫る研究を行う基盤を形成し、性ステロイド情報伝達系という新しい観点から生殖腺と脳の性決定と性分化を解析したものである。そしてそれと共に、様々な動物で示唆されていた脳の自律的性分化現象を、世界で初めて、遺伝子発現レベルで示した。このようなことから、論文提出者の研究成果は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと判定した。

 なお、本論文の第1章の一部は朴民根と、第2章の一部は金保洋一郎、朴民根と、そして第3章の一部は、村上志津子、赤染康久、朴民根との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の計画と実施を行ったものであると認められる。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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