No | 122201 | |
著者(漢字) | 河野,菜摘子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カワノ,ナツコ | |
標題(和) | 精漿による哺乳類精子受精能の制御機構に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on mammalian sperm fertility and its regulation by seminal plasma | |
報告番号 | 122201 | |
報告番号 | 甲22201 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5064号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 一般的に哺乳類精子は射精された直後は卵子へ侵入することができない.しかし雌の生殖道内を通過することによって精子は先体反応を誘起し卵子へと侵入可能となる.この現象は精子の受精能獲得(capacitation)と呼ばれている.一方,体外受精などのin vitroの実験によって,多くの動物種の精漿中には精子の受精能獲得を抑制する作用(decapacitation)が種を問わず存在することが知られている.この現象はin vivoにおいては卵へ到達するまでの長い時間および距離の間に精子の受精能を低く保つ作用があると考えられている.これまで多くの研究者によりdecapacitation factorを同定する試みがなされてきたが,種間に共通する因子は未だ同定されておらず,実際にdecapacitationをin vivoにおいて観察した報告例もない. また,多くの哺乳類に共通して見られる現象に精液の凝固がある.精液の凝固は副生殖腺の一つである精嚢から分泌されるタンパク質によって引き起こされていることが知られており,この精液凝固タンパク質ファミリーは霊長類をはじめとした多くの動物において確認されている.近年,ヒトの精液凝固タンパク質semenogelin(SEMG)が精子のcapacitationおよび運動を抑制する作用があると報告されたことから,他の動物種においても精液凝固タンパク質がdecapacitation factorとして働く可能性が考えられる.そこで私はモデル動物であるマウスを用いて,精液凝固タンパク質がdecapacitation factorとして精子の受精能を調節しているか否かについてin vitroおよびin vivoの観点から研究を行い,その作用機構について検討を行った. 1.マウスにおけるdecapacitation factorの同定 マウスにおける精液凝固に関わるタンパク質は,交尾時に形成される膣栓の主要構成因子である分子量約40kDaのseminal vesicle secretion, protein2(SVS2)である.このSVS2およびヒトSEMGの共通性を調べたところ,精漿/精嚢腺の主要なタンパク質であること,N末側55アミノ酸において55%の相同性があること,リジン含量が多く強塩基性タンパク質であることなどが明らかとなった. そこでこの膣栓形成タンパク質SVS2がin vivoにおいて精子と相互作用し得るか否かについて検討した.交尾後の雌生殖道内液を回収し,抗SVS2抗体によるウエスタンブロットを行ったところ,SVS2の一部は交尾時に断片化されて射出精子とともに子宮内へ侵入すること,受精の場である卵管内ではほとんど検出されないことが明らかとなった(図1).またデンシトメトリー解析により子宮内のSVS2の濃度を算出したところ約25μMであった. 次にSVS2が精子のcapacitationを阻害するか否かについて精巣上体精子を用いたin vitroの系で検討した.25μM SVS2を含む培地でインキュベートした精子はcapacitationのパラメーターであるタンパク質のチロシンリン酸化および先体反応を誘起できずに卵へ侵入できなかった(図2).さらに,交尾後の雌生殖道内から回収した射出精子を用いてin vivoでのcapacitationの状態を調べたところ,SVS2が存在する子宮内に存在した精子はcapacitationしていないのに対して,SVS2の存在していない卵管内の精子はcapacitationしていた. これら射出精子におけるSVS2の結合状態を免疫染色により調べた結果,子宮の頸部側に存在した精子の約6割においてSVS2は頭部後半に,子宮の卵管側では約7割の精子において頭部赤道部分にバンド状に結合している様子が見られ,卵管内では約8割の精子においてSVS2は結合が見られなかった(図3). 2.精子におけるSVS2受容体の解析 近年,精子capacitation時にラフトと呼ばれる膜微小ドメインが情報伝達の場として関与している可能性が考えられている.ラフトの構成分子であるガングリオシドGM1は精子頭部後半に局在することが既に報告されており,これはSVS2の結合パターンと酷似している.実際にGM1を特異的に認識するcholera toxin subunit B(CTB)を用いて精巣上体精子を染色すると頭部後半にシグナルが見られ,交尾後の雌生殖道内に存在した射出精子においてもSVS2の結合パターン変化と同様に子宮の頸部側では頭部後半に,卵管側では頭部赤道部分にバンド状に見られ,卵管内に存在した精子では検出されなかった(図4).この結果から,SVS2受容体は精子ラフト上に存在すると予想される. そこでFITC-CTBを用いて精子ラフトとSVS2の二重染色を試みた.その結果,精子頭部後半部分に見られるCTBシグナルはSVS2で前処理しておくと観察されず,CTBで前処理しておいた精子ではSVS2が結合しないことが分かった(図5).この結果はSVS2とCTBは競合する,すなわちSVS2はGM1を介して精子に結合していることを示唆している. 次にGM1とSVS2の分子間相互作用をblotting overlayアッセイおよびquartz crystal microbalanceアッセイによって調べた.その結果,GM1はSVS2特異的に結合すること,SVS2とGM1の結合はミカエリス・メンテンの式に従いKd値4.8±0.5μMであることが明らかとなった.また,GM1が持つ糖鎖末端のシアル酸を欠失しているasialo GM1はSVS2とほとんど相互作用しなかった.このことからGM1とSVS2の結合にはシアル酸が重要な働きを持つことが分かった.次に糖鎖末端のシアル酸の結合様式がSVS2との相互作用に関係するかどうかを検討するために,α2-3結合型のシアル酸を認識するMAA,α2-6結合型のシアル酸を認識するSNAのレクチン2種を用いて精子膜上で競合実験を行った.その結果,SVS2はMAAによる精子の染色を著しく抑制したことからSVS2はα2-3結合型シアル酸を持つGM1に結合していることが分かった. さらにSVS2による精子のdecapacitationはGM1の添加によって阻害されるか否かについて検討を行った.その結果,GM1は濃度依存的にSVS2による精子capacitation抑制作用を解除したが,asialo GM1では解除できなかった(図6). まとめ マウス膣栓形成タンパク質SVS2は交尾時に精子とともに子宮内へと侵入し,精子頭部の受容体と考えられるGM1に結合する(下図).また,SVS2は精子GM1の働きを制御することで精子capacitationを制御し,子宮内においてdecapacitation factorとして働いていると考えられる.同じ分子ファミリーであるマウスSVS2とヒトSEMGが同様に精子の受精能を抑制することから,精液凝固タンパク質ファミリーが種間に共通するdecapacitation factorである可能性がある. 図1 (A)交尾後のメス生殖道 (B)内液のSDS-PAGE/CBB像(左) 抗SVS2抗体を用いたwestern blot像(右) 〓断片化されたSVS2 図2 SVS2が精子のcapacitationに及ぼす影響 (A)精子のチロシンリン酸化の経時的変化(←増加したリン酸化チロシン,〓SVS2) (B)3hインキュベートした精子の先体反応誘起率(■イオノマイシン,▲プロジェステロン,□コントロール) (C)既にcapacitationを誘起した精子にSVS2処理した時の先体反応誘起率 *t-test(p<0.01) 図3 メス生殖道内から回収した精子におけるSVS2の結合パターン (A)膣,(B)子宮頸部側,(C)子宮卵管側,(D)卵管,(D')Dの明視野 図4 FITC-CTBで染色した精子(A)精巣上体精子,(B)-(E)射出精子; (B)膣,(C)子宮頸部側,(D)子宮卵管側,(E)卵管 図5 CTBとSVS2は精子膜上で競合する (A)FITC-CTBのみで処理した精子 (B)SVS2で前処理した精子 (C)Alexa594-SVS2のみで処理した精子 (D)CTBで前処理した精子 図6 GM1によるSVS2の抑制作用のレスキュー実験 (□コントロール,■SVS2) *t-test(p<0.01) | |
審査要旨 | 本論文は哺乳類精子の雌体内での受精能調節機構を扱った論文である。全体の構成は、General Introduction(イントロダクション)、2章からなる研究成果内容、Conclusion and Perspectives(結論)からなる。イントロダクションでは、哺乳類の受精能調節機構について概説し、その中で未だ不明である点、特に雄副生殖腺由来である精漿中に含まれる受精能抑制因子とその効果に関する問題提起がなされている。研究成果内容は、全体を通じて精漿によるマウス精子受精能の調節機構に関する研究内容からなり、第1章では精漿に含まれる精子受精能抑制因子の同定について、第2章ではその因子の精子表面にある受容体の解析について、それぞれ序論・研究手法・結果・考察が書かれている。結論では、これらの成果をふまえ、精嚢由来の受精能抑制因子による精子受精能制御機構について、総合的な考察がされている。 研究成果内容のうち第1章では、哺乳類精漿中における精子の受精能を抑制する因子について、マウスを用い解析を行っている。これまで精漿中に存在する受精能抑制因子の候補物質は数多く報告されているが、どれもある特定のin vitro環境での効果を測定するのにとどまっており、まだ確定した評価を得ている物質はない。本論文提出者は受精能抑制因子が種間に保存された因子であるという以前の報告を元に、精子運動抑制能を持つという報告のあるヒト精嚢タンパク質semenogelinと相同性を示すマウス精嚢タンパク質SVS2に着目して解析を行い、実際にこのSVS2が精子受精能抑制因子であることを明確に示している。また、精子の受精能獲得に関する研究は、これまで体外受精環境というin vitro環境での研究報告しかなかったが、精子受精能抑制因子の生体内における役割を解明するため、交尾後のメスの生殖道から精子を取り出すというin vivoでの解析を行っている。この研究手法は斬新であり、その結果、雌生殖道内においても実際に精漿タンパク質が侵入して精子の受精能を抑制しているという結果を得ることに初めて成功している。本章の内容については既に国際誌において論文が受理されており、高い評価を得ている。 また、第2章では、第1章においてマウス精子受精能抑制因子であると同定されたSVS2の精子上の受容体について、マイクロドメインであるラフトに着目し解析を行っている。近年のラフト研究の進展に伴い、精子においてもラフトは注目されつつある新しいトピックであり、現在は受精能獲得機構に関与するのではないかと考えられ始めている。本論文では、様々な傍証からSVS2の精子受容体がラフト構成因子なのではないかと仮説を立て、実験を行っている。その結果、ラフトのマーカーとして使用されているコレラ毒素サブユニツトB(CTB)とSVS2が精子膜上で竸合することを発見した。そしてさらなる証明実験により、CTBが認識する糖脂質であるガングリオシドGM1がSVS2の受容体であることを明らかにしている。これまで精子受精能抑制因子の精子側の受容体が同定された例はなく、また、その受容体がタンパク質ではなく膜構成成分である糖脂質であったことは、きわめて興味深い結果である。これらの成果は、提出者が既成の概念だけにとらわれず、未知の領域に挑戦したことによる功績であると思われる。本章の内容については、現在国際誌に対して論文投稿準備中であるが、このままの内容で十分採択に値する内容である。 このように全体を通じて、雄側の因子による精子受精能調節機構という、これまでほとんど未解明だった分野を新しく切り開く重要な発見を幾つかしており、研究分野への貢献度から考えて、その内容は高水準である。 なお、本論文第1章は指導教員の吉田学との共著であり、第2章については吉田の他に、岩本晃明博士、吉田薫博士との共著予定であるが、全編を通じて論文提出者が主体的に研究の立案、計画、実行を行っており、寄与が十分であったと判断する。 以上のことから、博士(理学)の学位を授与出来ると認める。 | |
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