学位論文要旨



No 122211
著者(漢字) 浅野,美帆
著者(英字)
著者(カナ) アサノ,ミホ
標題(和) 歩行者交通流動評価のためのシミュレーションモデルの開発 : 予測行動を考慮して
標題(洋)
報告番号 122211
報告番号 甲22211
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6416号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桑原,雅夫
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 目黒,公郎
 東京大学 助教授 清水,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は,歩行者交通流に関して,交通容量やサービスレベル等の交通工学指標の評価が可能なシミュレーションモデルの提案・検証を目的としている.

 ターミナル駅やイベント会場,繁華街の歩道といった歩行空間の設計においては,混雑状態とそれに応じたサービスレベルの定量的評価が必要とされる.旧来的な設計評価においては,対象地点の断面幅員が需要を捌くのに十分かといった,個々の地点や断面のみに着目した分析が主であった.しかし,上記のような箇所では需要の発生パターンが瞬間的に大きく変動することから,その変動を明示的に考慮した動的な交通流分析,そして需要パターンの面的な波及を考慮した分析が必要であり,そのための分析ツールとして交通流シミュレーションモデルが有効と考えられる.

 ここで,シミュレーションモデルの条件としては,ある地点の局所的な混雑について交通容量や旅行時間などの交通工学的指標が再現可能なこと,そしてより広域なネットワーク全体の表現としては,混雑等の移動コストに応じて歩行者交通流が適切に配分されることが求められる.前者に関して既存の研究では,階段や駅の改札のように主に一方向に流れる歩行者について,幾何構造上明確なボトルネック歩行者交通を取り扱うものは多く見られる.複数の方向へ移動する歩行者交通の錯綜による交通容量の低下や歩行者の移動負担の評価について扱うものは,観測分析・シミュレーション評価ともに少ないのが現状であり,特に容量近傍において歩行者行動の再現性を評価するモデルはほぼ見られない.一方,後者については,歩行者は周辺の群衆の移動方向に応じて移動方向を決定するものと考えられるが,このような移動方向を考慮した混雑コスト評価モデルは非常に少ない.

 本研究では,複数方向に移動する歩行者流内における個人の移動行動を表現する歩行者シミュレーションモデルを提案した.特に,周辺の歩行者の行動に着目し,将来の行動を予測した上で自己の行動を決定するモデルを組み込むことで,容量近傍における歩行者流動の再現を試みている.主な特徴は以下の点にある.

・ 目的地まで移動する歩行者の行動を移動コストの最小化問題として表現し,経路選択を意思決定行動の時空間的な解像度に基づいて3段階に分割するフレームワークを構築した.

・ 他の歩行者の行動を予測する先読み行動を考慮した個々人の移動行動モデルを構築し,複数方向へ移動する歩行者の容量近傍における行動再現性を向上させた.

・ 歩行者交通流シミュレーションの性能検証にあたり,容量やショックウェーブの伝播などの交通工学的に重要な指標を整理し,それら指標に基づいたシミュレーション評価を行った.

・ より広域の経路選択行動として,周辺歩行者を群として捉え,群集全体の移動方向を考慮したコスト評価を行うモデルを構築した.

 まず,1章,2章で歩行者交通流の評価における問題点と既往研究の整理を行ったのち,3章では,歩行者が合理的な行動原理を持ち,移動コストを最小化するように常に行動すると仮定したときの,人の行動原理について整理した.この行動原理のもとで,必要とされる時間的・空間的精度にあわせてモデルを簡略・分割化し,歩行者の行動を大きくStrategic, Tactical, Operationalの3つのレベルからなるフレームワークを提案した.ここで,Strategicレベルは幾何構造等をもとに大まかな経路を選択するレベル,Tacticalレベルは視界に入る程度の範囲における,群としての歩行者交通流の移動方向を元に移動軌跡を決定するレベル,Operationalレベルは周辺歩行者との衝突回避を行うレベルとして位置づけられる.

 4章では,3段階のレベルのうち,Strategic,Tacticalの2つの経路選択モデルの内容を説明する.Strategicレベルでは,目的地までの経路をいくつかの通過断面により分断し,その通過断面で構成されるネットワーク内での経路選択を行う.Tacticalレベルでは,歩行空間をより詳細なグリッドに分割し,歩行速度に応じてグリッド内の移動コストを評価する.なお,個々の歩行者の歩行速度を方向別に評価しており,その結果グリッド内の群集の移動方向に応じて経路選択を行うことが可能となる.

 5章から7章では,Operationalレベルにおけるモデルの提案と検証を行っている.まずOperationalレベルの歩行者行動モデルの内容を具体的に説明した.このモデルは,個々の歩行者が周辺歩行者の速度に基づき直近の将来の位置を求め,それらを回避するように次の時刻の歩行速度を決定するものである.次に,混雑時など多様な歩行者交通状態を観測するための歩行者流動実験の概要を述べた.実験時の歩行者行動の分析では,実験での歩行者行動が既往の知見と整合することを示した上で,歩行者の速度選択範囲や歩行者行動に影響する周辺歩行者の距離についての議論を行った.また2方向交通では,交錯する歩行者の空間占有パターンに応じて歩行者の旅行時間や交通容量が不安定になりうることを示した.さらにこのような実現象の観測に続き,提案したOperationalレベルの歩行者モデルの検証を行った.検証は,仮想的な交通状況を設定した上でのモデルで必要とされる基本的な交通工学現象の再現性と,実測データとの比較によるモデルの再現性の両方の観点によるものである.既往の知見に基づく基本的な現象,実測との比較による集計量としての交通容量やコンフリクト頻度をよく再現していることを示した.なお旅行時間については,実験自体でも見られたように必ずしも安定的に観測されるものではない.したがって,状況によっては個人の旅行時間の再現性が低下するケースが見られた.

 8章では,3段階のレベルを統合した上で.そのモデルが動的利用者最適の考え方に基づく配分結果の表現が可能かなどの基本検証を行った.また,実際の駅コンコースの観測データを用いて歩行者流動の密度分布の再現性を確認した.

 最後に,論文全体の総括を行った.本研究の成果を述べた上で,期待されるアプリケーションとして,特に錯綜頻度が多いと考えられる大きな乗換駅での歩行者行動評価や,交通量の多い交差点での歩行者青時間の決定等を例示した.また,今後の課題として,本論文で述べた歩行者交錯交通の容量・旅行時間についての理論的考察や,歩行者の個人属性に応じたモデリング等を挙げた.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,歩行者交通流動を評価するツールとして予測行動を組み込んだ歩行シミュレーションモデルを構築・検証したものである。 車両の動きをモデル化に比べて、歩行者の行動モデルは余り研究が行われてきていないが、駅、空港などのターミナルの設計など、ニーズは高く、適切な主題と考えられる。

まず、歩行者交通流に関する既存研究を整理し,これらの問題点を指摘している。実証的な既往研究に対しては、一方向の歩行者交通についての観測結果は多いものの,複数の方向の歩行者が交錯する現象の調査がほとんど行われていないことを示した。また,歩行者モデルについては,実測値や既存の知見との体系だった比較がなされていないモデルが多く,特に容量に着目したモデル検証がほとんど行われていないことを指摘している。これらのレビューに基づいて、合理的な意思決定行動メカニズムを表現するためには移動コスト最小化に基づくモデルが全体としての整合性の点で望ましいことを結論づけている。

本研究で提案したモデルは次の特徴を有する:

1. 目的地が所与の歩行者を対象とし、移動費用最小化原理に基づくモデルであること。

2. 歩行モデルを3つの段階に区分し、その統合を図っていること。

3. 離散的に歩行者の動きを表現するモデルを提案していること。

4. 数秒先までの周囲の人の動きを先読みしながら次の行動を取るという予測メカニズムを組み込んでいること。

5. 上位レベルの経路選択モデルと下位の歩行モデルの統合を図っており、下位モデルだけでは扱えなかった群としての歩行者を回避する行動が表現できること。

これらのうち、予測行動を組み込んだ歩行者モデルと群としての歩行者回避のモデル化については、今のところ先例を見ず十分な新規性が認められる。

本研究では、モデル化とその検証のために、100人程度の歩行者による歩行実験を制御された環境において実施しており、この実験結果は今後の研究の良いテストデータとなると期待できる。また、歩行者の動きをモデル化した既往研究もいくつかあるが、実際の歩行者の動きとつきあわせた十分な検証が行われていないという課題があるのに対し、本研究では交通工学的な知見に基づいたモデル検証を行っている。さらに、恵比寿駅コンコースにおける実際の歩行者行動の計測データと、本モデルによるシミュレーション結果を比較して、歩行者流動の密度分布、速度分布の再現性について確認を行っている。これらの検証によって、提案モデルの適用可能性とその限界を明らかにしており、実用上の有用な知見を残したと考えられる。

以上のように本研究は、歩行者流動について、いくつかの独創的なモデル化に成功しており、学術的な新規性を有するものと認められる。また、実験データおよび現実の歩行者挙動の観測データに基づいた十分なモデル検証を実施しており、空港や駅などのターミナル、イベント会場の設計など、さまざまな施設設計に実用上の貢献が期待できる。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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