学位論文要旨



No 122213
著者(漢字) 二井,昭佳
著者(英字)
著者(カナ) ニイ,アキヨシ
標題(和) 空間の分節と場所の意味づけにかかわる地景の様相
標題(洋)
報告番号 122213
報告番号 甲22213
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6418号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中井,祐
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京工業大学 教授 齋藤,潮
内容要旨 要旨を表示する

 近年、地方においてまちづくりの機運が高まっている。この動きに対して、景観の分野からあらためて強く、都市やまちの基盤である地形、とくに山河をまちづくりの基本に据えるべきだという主張がなされている。筆者はこの主張にまったく賛同するものである。シャッターの降りた商店街から目を転じれば、まだそこには美しい山や川を眺めることができる。これを、まちのアイデンティティに組み込み直していきたい。そのためには、風景づくりの実践を進めるとともに、人びとが地形の眺めをどのように価値づけてきたのかを明らかにする作業を続けていく必要がある。

 地形の眺めに関する研究には多数の取り組みがあり、おおくの知見が蓄積されている。それらの研究が対象にしている地形の眺めを、視点の動静に注目してみると、借景庭園や眺望名所、絵画描画地点など、いずれも静的な視点が選ばれている。しかし、山の目利きと呼べる文人の紀行文からは、こうした眺めとは別に、動的な視点における地形の眺めの変化もまた、人々によって価値づけられてきた可能性がみてとれる。動的な視点における眺めの変化は、都市計画家などによって印象的な都市空間を形成するデザイン手法として注目されてきた。しかし、いずれも指摘の段階に留まっており、一定の知見を提示するまでには至っていない。

 以上のような背景を踏まえて、本研究は、空間の分節や場所の意味づけにかかわる、山岳の眺めの変化の特徴を明らかにすることを目的とした。

 この論考を進めるにあたり、山岳の眺めを山岳の地景、その様々な地景に対する見かたを地景の様相と呼ぶことにした。この様相には、山岳の客観的な視覚情報に対する主観的なかたちの捉え方という意味を持たせている。山岳の地景では、主観的な捉え方が、どのような客観的な視覚情報に基づいているのかを明らかにすることも射程に入れ、これらをいったん分離し、対照させるという論文構成をとった。

 したがって、まず山岳の様々な透視形態をできるだけ客観的な視覚情報として整理することを試みた。そのうえで、山岳の地景の変化を活用している事例の分析と考察を通じて、それぞれの事例において注目されている地景の変化の特徴を明らかにすると同時に、それと客観的な視覚情報との関係について考察した。それを踏まえて、空間の分節や場所の意味づけに活用される可能性の高い地景の変化の特徴を提示した。このような流れをとりながら、本論文は6章で構成されている。

 第1章では、視覚対象としての山岳の特異性、地景の変化に対する文人のまなざし、景観の変化と空間の関係性などから、研究の視点・目的・方法について述べ、ついで、関連研究を整理するなかで本論文の位置付けを示した。

 第2章では、既存の視知覚理論を整理したうえで、山岳の地景の変化を客観的な視覚情報として整理・考察し、それに基づく視点の領域の考え方を提示した。まず、地景の変化を考えるにあたっては、その透視形態のかたちに注目することは意味を持たず、変化のしかたに注目する必要があることを述べた。そのうえで、地性線に見立てた線分の透視形態の変化のしかたをCGによる三次元モデルを用いて整理し4つの特徴にまとめた。つぎに山岳の斜面が鉛直方向の傾きだけではなく水平方向の傾きも知覚することが難しいことを導き、斜面のかたちは主観的なかたちの捉え方に依存する可能性を指摘した。さらに、単純な山岳モデルを設定し、それぞれの山岳タイプにおける透視形態の変化のしかたをCGによる三次元モデルを用いて整理し7つの特徴にまとめた。

 これらの結果をもとに、山岳の地景の変化を、その透視形態の構成要素の変化に注目して、大きくふたつ、細かく三つに分類した。具体的には、まず(1)構成要素が維持される変化と、(2)構成要素自体も変わる変化に分けた。(1)を変化がしばらく続くという点から「地景の持続」、(2)を瞬時に別の構成要素からなる透視形態に移り変わる変化という点から「地景の変移」と名付けた。さらに、(1)はその構成要素の可視量の変化に注目し、(a)歪みの持続、(b)関係の持続に分けた。この分類にしたがって、透視形態に基づく視点の領域の考え方を提示した。

 第3章では、視点が山岳に対して側方へ移動する場合の地景の変化を考えるために、海図に記載されている山アテにかかわる海上地名「〜出シ」を取り上げた。山アテは、アテ山と呼ばれる視距離の異なるふたつの山岳を利用して行われることが知られている。そこで、「〜出シ」とその周辺におけるアテ山の地景の変化に注目し、アテ山の地景の持続領域と、漁場に深くかかわる海底隆起部の位置関係について考察した。

 その結果、「〜出シ」における地景の変化の特徴として次の6点を得た。

 (1)漁業従事者による山アテの語彙から、注目されている地景の変移は、オヤ山の可視・不可視、アテ山の相接・乖離の2種類である。(2)「〜出シ」によって決められる海上の領域は、アテ山の地景の変移に挟まれた地景の関係の持続領域に相当している。(3)この領域は集魚効果の高い海底隆起部と関係があり、目視できない海底隆起部が海上における地景の持続領域とおおむね対応している。すなわち、アテ山の地景の関係の持続領域に対して、漁場という意味づけがなされているといえる。(4)地景の関係の持続領域の大きさは、海底隆起部の大きさに依存せず、おおむね350m以下であることから、距離にして350m、時間にして数分の移動の間に、この変化が体験されることが重要だと考えられる。(5)オヤ山の仰角および水平見込み角の値は、従来の注目されやすさの指標である、見やすい大きさを満足しない傾向にある。(6)「〜出シ」に対応する地景は、アテ山の地形の組み合わせから12種類に分類できる。また、地景の変移の基本的な組み合わせは、可視・不可視+相接・乖離である。

 第4章では、視点が山岳に対して前方に移動する場合の地景の変化を考えるために、神体山をもつ神社の参道を取り上げた。神社の参道は俗域から聖域へのアプローチとして計画的につくられていることが知られており、とくに神体山を持つ神社では神体山の地景が参道に影響を与えている可能性が高い。そこで、まず神体山の地景の持続領域を算出し、その領域と参道・鳥居の位置関係について考察した。

 その結果、神体山をもつ神社参道における地景の変化の特徴として次の6点を得た。

 (1)参道は複数の地景の持続領域を横断しているか、もしくは参道がひとつの持続領域におさまる場合にはその終点が地景の変移点に相当している。一の鳥居が位置する持続領域では、歪みの持続と関係の持続の両方がみられるが、二の鳥居より先の鳥居が位置する持続領域では、ほぼ関係の持続に対応している。(2)神体山の地景の持続領域の境界と二の鳥居の位置がおおむね対応している。すなわち、神体山の地景の変移を標示するように、二の鳥居が設置されている可能性がある。(3)一の鳥居と持続領域との関係性は見い出されない。一の鳥居は、10事例中8事例で神体山の頂部が先鋭化するような地点にあり、残りの2事例では破綻のない透視形態が得られる地点にある。すなわち、一の鳥居では、既指摘どおりその透視形態のかたちが重要視されている。(4)両端に鳥居が配置されている地景の持続領域の幅は、事例数が少ないものの400m以下であることから、距離にして400m、時間にして数分の移動の間に注目されやすい地景の変移が存在することが重要だと考えられる。(5)二の鳥居から先の地点における神体山の仰角の値は、従来の注目されやすさの指標を満足しない傾向にある。(6)注目されている地景の変移は、神体山頂部の不可視、頂部の並列の2種類である。

 第5章では、3章と4章で得られた結果を共通点と相違点に分けて考察し、注目される可能性の高い地景の変化の特徴を提示した。さらに、その結果を、2章で提示した山岳の透視形態に基づく視点領域と対照させながら、地景の持続領域と眺望地点の関係について考察を試みた。

 まず、注目される可能性の高い地景の変化の特徴は大きく以下の2点に集約できる。

 (1)地景の変化が、地景の変移を含む地景の関係の持続領域に対応していること。(2)その領域が、距離にして400m程度、時間にして数分の間に(1)が体験される大きさであること。これらを満たす上で、その目的が空間の分節の場合には地景の変移、場所の意味づけの場合には地景の持続領域が活用される。なお、地景の変化においては、見やすい大きさよりも、むしろ、(1)や(2)が注目されやすいための指標であると考えられる。

 また、注目されている地景の変化が、地景の持続のなかでもおおむね関係の持続に対応していることと2章の考察を踏まえて、歪みの持続の場合にはそのうちのひとつの透視形態が代表景として認識される可能性を指摘した。

 以上より、本研究の成果は、第一に、注目される可能性の高い山岳の地景の変化の特徴をまとめ、地景の変移論として提示したこと、第二に、山岳における客観的な視覚情報と主観的なかたちの捉え方の関係についての手がかりを提示したことである。

審査要旨 要旨を表示する

 今後のわが国の都市やまちづくりにおいて、その基盤である地形、とくに山河をその基本に据えることは重要な観点である。地形をそれらのアイデンティティに組み込み直していくためには、人びとが地形の眺めをどのように価値づけてきたのかという知見をさらに蓄積していく必要がある。地形の眺め(以下、これを地景と呼ぶ)に関する研究には多数の取り組みがあるが、それらは借景庭園や眺望名所など、いずれも静的な視点に注目したものである。その一方で、動的な視点における地景の変化については従来ほとんど取り上げられていないのが現状である。しかし、地形に限らず、眺めの変化は、都市計画家などにより印象的な都市空間を形成するデザイン手法になり得ることが示唆されており、こうした観点から定量的な分析をおこなうことの意味は大きい。上記を踏まえて、本研究は、空間の分節や場所の意味づけにかかわる、動的な視点における地景の変化について論じたものである。それとともに、本研究では、その様々な地景に対する人々の見かたを地景の様相と呼び、山岳の地景では、主観的な捉え方が、どのような客観的な視覚情報に基づいているのかを明らかにすることも目指している。こうした観点は従来の研究にはみることができず、独自性の高い着眼点であるということができる。

 第1章では、上に述べたような研究の視点を、視覚対象としての山岳の特異性、地景の変化に対する文人のまなざし、景観の変化と空間の関係性などから導いたうえで目的や方法について述べ、ついで、関連研究を整理するなかで本論文の位置付けを示している。

 第2章では、地景の変化を考えるにあたっては、その透視形態のかたちに注目することは意味を持たず、変化のしかたに注目する必要があることを指摘している。そのうえで、地性線に見立てた線分や単純な山岳モデルの透視形態の変化をCGによる三次元モデルを用いてその特徴をまとめている。加えて、山岳の斜面が鉛直方向の傾きだけではなく水平方向の傾きも知覚することが難しいことを導き、斜面のかたちは主観的なかたちの捉え方に依存する可能性を指摘している。これらの結果をもとに、山岳の地景の変化を、その透視形態の構成要素の変化に注目して3つに分類できることを示している。具体的には、(1)構成要素が維持される変化「地景の持続」と、(2)構成要素自体も変わる変化「地景の変移」に分け、(1)はその可視量の変化の有無から、さらに(a)歪みの持続、(b)関係の持続に分けている。この分類にしたがって、透視形態に基づく視点の領域の考え方を提示している。

 第3章では、視点が山岳に対して側方へ移動する場合の地景の変化を考えるために、海図に記載されている山アテにかかわる海上地名「〜出シ」を分析対象としている。山アテは、アテ山と呼ばれる視距離の異なるふたつの山岳を利用して行われることが知られている。そこで、「〜出シ」とその周辺におけるアテ山の地景の変化に注目し、アテ山の地景の持続領域と、漁場に深くかかわる海底隆起部の位置関係について考察している。その結果、「〜出シ」によって決められる海上の領域は、アテ山の地景の変移に挟まれた地景の持続領域に相当し、この領域は、目視できないが集魚効果の高い海底隆起部とおおむね対応することを示している。このことから、アテ山の地景の持続領域に対して、漁場という意味づけがなされていることを指摘している。さらに、この持続領域の大きさは、海底隆起部の大きさに依存しないことから、変化の体験時間に閾値が存在する可能性も指摘している。

 第4章では、視点が山岳に対して前方に移動する場合の地景の変化を考えるために、神体山をもつ神社の参道を分析対象としている。神社の参道は俗域から聖域へのアプローチとして計画的につくられていることが知られており、神体山を持つ神社では神体山の地景が参道に影響を与えている可能性が高い。そこで、まず神体山の地景の持続領域を算出し、その領域と参道・鳥居の位置関係について考察している。その結果、神体山をもつ神社参道における地景の変化の特徴を次のようにまとめている。まず、参道は複数の地景の持続領域を横断しているか、もしくは参道がひとつの持続領域におさまる場合にはその終点が地景の変移点に相当し、その変移点と二の鳥居の位置がおおむね対応している。このことから、神体山の地景の変移を標示するように、二の鳥居が設置されている可能性があることを指摘している。さらに、両端に鳥居が配置されている地景の持続領域の幅が一定以下の距離になることから、変化の体験時間には閾値が存在する可能性も指摘している。

 第5章では、3章と4章で得られた結果を共通点と相違点に分けて考察し、注目される可能性の高い地景の変化の特徴を提示している。さらに、その結果を、2章で提示した山岳の透視形態に基づく視点領域と対照させながら、地景の持続領域と眺望地点の関係について考察を試みている。その結果、注目される可能性の高い地景の変化の特徴を大きく以下の2点にまとめている。それは、(1)地景の変化が、地景の変移を含む地景の関係の持続領域に対応していること。(2)その領域が、時間にして数分の間に(1)が体験される大きさであることである。これらを満たす上で、その目的が空間の分節の場合には地景の変移、場所の意味づけの場合には地景の持続領域が活用されるとしている。

 また、注目されている地景の変化が、地景の持続のなかでもおおむね関係の持続に対応していることと2章の考察を踏まえて、歪みの持続の場合にはひとつの透視形態が代表景として認識される可能性を指摘している。

 以上概観したように、本研究の最も評価すべき点は次の二点である。第一に、注目される可能性の高い地景の変化の特徴をまとめ、地景の変移論として提示している点、第二に、山岳における客観的な視覚情報と主観的なかたちの捉え方の関係についての手がかりを提示している点である。こうしたアプローチは、既存の地景に関する研究には見ることのできない、独自性の高い視点であると結論付けることができる。よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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