学位論文要旨



No 122223
著者(漢字) 中村,琢巳
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,タクミ
標題(和) 木造住宅のライフサイクルに関する歴史的研究 : 近世史料にみる資源保全型の建築活動
標題(洋)
報告番号 122223
報告番号 甲22223
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6428号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 西出,和彦
内容要旨 要旨を表示する

 木造建築が良好な状態で維持されるためには、朽損した部材の繕い、屋根の差茅や葺替、畳の表替、障子の張替、煤払いなど、絶え間ないメンテナンスの繰り返しが行なわれていた。あるいは、家屋は建てられた後でも、機能性の向上や生業の変化に対応するように、様々な増改築の手が加えられてきたことも周知の事実である。さらに、修繕や増改築では性能回復が困難な時期を迎えれば、建替によって新しい家屋へと更新された。しかし、その更新過程においても、建替工事での古材の再利用、家屋の移築、古材の転用など、木造建築特有の措置がみられた。

 かつて木造建築が辿っていた生涯とは、現在のスクラップ・アンド・ビルドと称される建築のあり方と異なり、建設から修繕・増改築・建替にわたり体系化された仕組みとして捉えられるのではないか。

 本研究は近世における家屋(農家・町家)を対象とし、その生涯が辿る様々な局面に着目することで、古い家屋をも廃棄することなく使い続けていた建築活動の様相を把握しようとするものである。家屋に対して時間軸を取り入れて分析し、生涯における多様な局面をできるかぎり等価に把握する。つまり、新規の建設行為や建替工事などの特徴的な局面に限らず、日常メンテナンスに代表される定常的な建築行為にも目を向ける。本研究では次の2点に着目しながら、家屋の生涯における建築活動を取り上げていく。

 第一に、建設から修繕、増改築、そして解体にいたる建築活動でみられるモノ(部材とその集合としての家屋)の存続に対する強い志向性である。修繕工事では柱根継・土台替など継木・矧木・埋木によって部材を最大限に保持しつつ腐朽箇所に限定した補修にとどめ、また家屋が解体された際にもモノの存続に対する志向性が顕著に現れた。それは例えば、不要となった空家や解体工事で発生した古材も、簡単には廃棄されなかった点にみてとれる。古家の移築による転用、古材を加工した継木としての再利用、解体材の売り立てなど、かたちを変えて部材が残り続けた。本研究では、家屋のモノとしての存続に焦点をあてる。つまり、木造建築の生涯にわたる資源保全のあり方として捉える。

 第二に、近世における家屋の生涯において、多様な管理担体による多くの建築活動が関わりを持つことに着目する。掃除や障子張などの日常メンテナンスであれば、居住者や出入り職人など家の組織が担い手となる。また、大掛かりな普請における物品・労力提供のみならず、組合・親類の家屋存続に対する干渉は、居住者の欠落や相続人の不在等によって、それを維持することが困難になった場合でも施されていた。家屋が辿る様々な局面において、それぞれの管理担体の関わりも念頭に置く。この観点は、建築の「静的」な維持ではなく、修繕・増改築・建替の連鎖を持つ木造住宅をどのように「動的」に管理していたのか、という側面を検討するものである。

 本研究で対象としたのは江戸時代後期から明治期を含む、19世紀の建築活動である。この時期は既に石場建てによる家屋が役人層のみならず、より幅広い階層まで定着し、耐久性のある家屋群から都市・集落が構成されていた時代とみなせる。すなわち本研究の主眼は、近世を通じた時代的変遷を読み取ることではなく、耐久性を獲得した家屋群からなる安定的な都市・集落の一時代を、家屋の生涯における具体的な建築行為から、多面的にみることである。

 以下、各章の概要を述べる。

第1章 建築行為をめぐる用語にみる木造住宅のライフサイクル

 第1章では、近世における家屋の辿る生涯の軌跡、すなわちライフサイクルを俯瞰的に把握することを試みた。

 分析対象として、高山陣屋文書に伝存する19世紀中葉における飛騨国の普請願を取り上げた。家屋が辿る生涯を体系的に把握するため、普請願にみられる「建築行為をめぐる用語」に着目した。

 飛騨国の普請願には極めて多彩な建築行為の用語がみられる。それは、飛騨国が「一国御林山」(幕府直轄林)であって、伐木に際して詳細な工事仕様書の提出が求められたことに関わる。建築行為は、家屋が辿る一局面を体現するから、建築行為の組み合わせからその生涯の諸類型が描ける。「取建」「取繕」「棟継」「仕立替」「取壊」「建替」「引移」「囲置」など、様々な用語と建築行為の実態を分類し、関連付けることで、家屋の辿る生涯を追跡した。

 この作業を通して、家屋の辿る生涯の特徴ならびに当時共有化されていた生涯観を考察した。すなわち「建替」における部材の連続性、多様な修繕・増改築手法の確立(取繕・仕添・継上ケ・仕立替・切縮メ)、「囲置」「取壊置」(解体材の保管)という局面の認識、「建替」「引移」「囲置」に起因する家屋の連環的な生涯像、を提示した。

第2章 集落における新規家作・建替・取繕の頻度、ならびに更新の実態

 第2章と第3章は、いずれも江戸近郊農村を対象としたが、分析の焦点は対比的に設定した。第2章では家屋群からなる集落を分析対象として、その更新を検討する。それに対して、第3章では、一軒の大規模な農家を引例としながら、家屋を維持する行為、つまりメンテナンス活動の様相に着目している。

 第2章は、江戸時代後期における家屋群の更新から、集落の動態を把握する試みである。

 まず名主文書に普請願がまとまって伝存する江戸近郊の五つの村を取り上げて、家屋の「新規家作」(新規の出現や類焼後の再建)と「建替」の頻度を示した。一定期間連続的に残存する普請願を各家に振り分けることで、家屋群の工事履歴を集落全体にわたり提示する方法をとった。工事件数の7,8割を「取繕」が占め、居宅の「建替」は集落で数年に1棟程度の緩やかな頻度であった。

 次いで、潰家に対する措置を通して、家屋の終局的状況でみられた更新の実態を検討した。居宅の空家化や潰れにより家屋解体を余儀なくされた局面に際しても、居住者交代による存置のみならず、家屋の「取崩」からの「建替」(保管された解体材による再建)、あるいは「分散」(売立)といった組合・親類の干渉に伴うモノを残す措置の様相を示した。

第3章 幕末・明治期の名主日記にみる農家におけるメンテナンス活動

 現存する大規模な民家には数百年を経過したものもあり、それらは今後も廃棄されることのない恒久的な建築とみなせる。一方、民家は絶え間ないメンテナンスによりその存続が支えられてきた。第3章は、具体的な農家のケーススタディを通して、大規模な家屋敷を維持していた建築活動を検討した。メンテナンス活動は日常に根ざした行為であるだけに、追跡する資料の不足から検討されることは少ない。 

 本研究では分析対象として、幕末・明治期の半世紀間綴られた「富澤家日記」を用いた。日々の家屋敷での出来事が客観的に綴られ、そして出入り職人の仕事内容や人工数控えの機能も併せ持つ日記を連続的に検討することで、大掛かりな建築工事の履歴から修繕・手入れにわたる建築活動の実態を、行為主体とともに追跡した。この観点は第1章・第2章で示した公的文書(普請願)の分析では辿ることのできない、家屋の日常的な生涯像を補完する役割も持つ。

 「日記」に記録された日常的な建築活動から、普段から大工と植木屋を中心として、様々な出入りの諸職が修繕・手入れにあたっていた様相を示した。特に大工は、雑多な仕事をこなすことで、全般的に家屋敷の面倒をみていた様相が窺える。また、メンテナンスの反復のルールに着目し、季節の移り変わりとの関連から、家屋敷で展開する生活・行事と一体化した行為としての把握を述べた。

第4章 幕領・飛騨国の建築活動にみる木材資源の管理

 第4章では、飛騨国における「囲木」「古木」による建築活動を通して、木材資源管理の様相を検討した。

 「囲木」とは、普請に備えて貯えられた木材のことである。居宅のみならず、多くの貸家を所有していれば、修繕や類焼など多くの建築工事が定常的に反復されていた。木材を貯えておく習慣は、そのような普請の繰り返しに対応するものと捉えられる。つまり、「囲木」の検討は、当時の家屋の生涯像を照射する意味合いも有する。

 後者の「古木」については、古家・古材の再利用が、修繕・増改築・建替というあらゆる局面であらわれる点から追跡し、それぞれの建築行為の実態を示した。

 ただし、これらの古家・古材の売買は、主に個人間で成立しており、木材商の仲介が認められない点を確認した。それは古家・古材を廃棄せずに保管しておく習慣が、一般的に定着していた例証ともみなせる。

 さらに、古家・古材の再利用が頻出する建築類型や地域に着目することで、古家・古材の再利用は通常の建築工事と類焼後の再建工事とでは様相が異なる点を指摘した。高山における普請願の検討では、通常では居宅移築は高山町内での売買であるのに対して、類焼後の居宅再建や「仮建」においては、広く近郊農村からも古家や小屋が移築・部材転用される傾向を示した。類焼後の「仮建」に、小屋の古材が用いられることも多く、古家に特殊な改造を施した移築事例も、類焼後の再建ではあらわれた。これらは現存する民家からは読み取れない、淘汰された建築実態と考えられる。

 普請に備えて木材を貯えておく習慣、あるいは古家・古材を活用した建築行為は、木材の貴重性と伐木規制の強さを示すものと捉えられる。同時に、根伐が困難な伐木規制下における、村人・町人による資源循環の建築活動としての側面も持つ。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「木造住宅のライフサイクルに関する歴史的研究-近世史料にみる資源保全型の建築活動」と題されたもので、江戸時代を対象に、前近代においての建築行為が、家を建てる行為のみならず、その修繕、増改築、建替にわたり、体系化された仕組に組み込まれたものであったことを実証的に明らかにしたものである。

 本論文は4章から構成され、資料編が付される。

 第1章は、「幕領・飛騨国の建築活動にみる木材資源の管理」と題されたもので、高山神社文書「居宅土蔵他取建取繕一件」の内容の分析を中心としている。ここで採取された建築行為に関する語は「取建」「取繕」「根継」「仕添」「継上ケ」「切縮メ」「仕立替」「取崩」「建替」「引移」「囲置」などであり、これらを通して建築のたどる生涯の実態を明らかにした。これは、近世において広く普及していた建築の存在のありかた状態を明らかにするものと言える。

 第2章は、「集落における新規家作・建替・取繕の頻度、ならびに更新の実態」と題されたもので、江戸近郊の五つの農村の普請願を素材にして、建築行為の実態を捉えようとしている。普請願でもっとも頻出するのは「取繕」であって、これが通常の建築行為の中心であったことがここでも明らかにされる。また、各種の事情で家の維持が不能になったりして、家の明け渡し、解体売却などが起きるが、建築そのものは「建置」「取崩」から「建替」「分散」などの行為で維持されていく実態を明らかにした。また、逆に建築の寿命が、現在とは大きく異なり、相当に長いものであったことも指摘される。

 第3章は、「幕末・明治期の名主日記にみる農家におけるメインテナンス活動」と題されたもので、具体的には武蔵国多摩郡連光寺村の名主であった富澤家を対象としている。当家には幕末から明治にかけての50年間の日記が残されていて、それを詳細に分析することによって、大規模な屋敷の維持活動の実態を明らかにすることができる。大きな特徴はメインテナンスが反復されること、年中行事的な活動が顕著に認められることである。。また、維持の具体的な担い手としては、大工を中心とする職人、多数の出入りの人々達との関連についても詳細に分析した。

 第4章は、「幕領・飛騨国の建築活動にみる木材資源の管理」と題されたもので、近世史料に見られる「囲木」と「古木」を追跡することによって、木材資源の使用状況を分析した。修繕、焼失への対応など、断続的な建築行為に対する蓄材として「囲木」が定められ、安定供給の仕組みを作りあげていたこと、古家、古材をめぐる建築活動が新築のみにとどまらず、古材の利用が、修繕、増改築、建替というあらゆる局面に現れることを明らかにした。これは、古家、古材を廃棄せずに保管しておく慣行のあったことを意味する。

 資料編では、岐阜県立歴史資料館所蔵の「高山陣屋文書」所収の「飛騨国普請願」に収められた112点の絵図を整理、収集して、書起し図を掲載した。本論の理解の補助となる。

 本論文は、従来の建築史が、新たに建物を造るという時点に注意を集中して、この時の様々な事情を説明する、という特性を持っていることに対し、建設後の長い時間における建築の維持、修理に着目し、その維持活動の実態を実証的に説明した点において、最も新しい研究分野を切り拓いたということが出来よう。さらに、材料に注目するならば、新築の時の材木は、建築の解体時に、そのまま捨てられるのではなく、次の新築に転用され、さらにこれが繰り返されてゆくという経過を経る、という材料の流れのプロセスを解明した点においても、大きな成果があったと言える。また、いままで比較的注目されていなかった、維持、改造に触れる文書群、家政学的研究の素材とみなされていた旧家の日記などを、建築史資料として積極的に位置づけなおした点においても高く評価することができる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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