学位論文要旨



No 122228
著者(漢字) 速水,清孝
著者(英字)
著者(カナ) ハヤミ,キヨタカ
標題(和) 日本の建築設計者の職能と法制に関する歴史的研究
標題(洋)
報告番号 122228
報告番号 甲22228
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6433号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、建築士法(以下、士法)を中心とする日本の建築技術者の制度の成立と、今日に至る展開を述べたものである。

 物事のあり方を規定する、その法のもつ性質のゆえ、士法は常に建築家の職能を語る際に引き合いに出される。そしてそこではしばしば西洋に伍した建築家の法を望む立場からの批判に晒されてきた。本論文では、そうした批判は法に込められた住宅問題への眼差しがわかりにくくなったことによって引き起こされた面があるという仮説のもと、住宅と設計者の関わりを軸に据え論じている。

 論文は、序論(第1章)と結論(第8章)を含め計8章よりなる。

 第2章(大工と住宅 -栃木県の事例を中心に-)では、設計者にとっての住宅の位置の変化を探り、すべからく日本の設計者が明治以後の時間の中で、住宅に接近していくことを示した。

 とはいえ、この時期、国家を彩る官衙のためにつくられた建築家が、その対象を中流住宅にまで拡げていく様は、すでに先学によって描かれている。よってここでは、その一方で、それ以前より設計の場で活躍していた大工を取り上げ、彼らの側にも建築家にあったのと同様の変化があったことを述べている。

 ところで大正期には、それまでの中流層ばかりでなく庶民層の住宅の問題が、次第に社会問題として顕在化してくる。そうした背景のもと、建築物の質の向上を図るべく市街地建築物法が定められたが、一方で実際にそれを設計する人の法についてはなおざりにされたままであった。

 第3章(士法の議会、行政の士法)では、建築家たちが大正に入って着手した、建築家の法律を日本にもつくろうとする運動とその周辺を述べた。

 もちろんこれは、建物の質の向上が第一にあって起こされた運動ではない。むしろ法制によって建築家という存在の社会的な立場の確立を目指そうとするエリートたちの運動であった。

 そのように始められた運動も、成就しないことで戦前に敗れ、戦後士法が、彼らが意図しない形に制定されるに至って再び敗れることになる。それが如何にして敗れていくかについてはすでに成果があるが、本論文では、法案が上程された帝国議会での議論や当時の建築行政を取り巻く状況、行政官たちの発言に注目した。議会で成立しなかったという事実こそ知られるが、その具体的な議論の中身はほとんど知られていないからである。また、実質的に法は政府の提出でなければ成立しなかった戦前に、行政がこの法に対してどう考えたかを明らかにしておくことは、戦後の法の成立を探る上で重要だからでもある。

 まず、議会を見れば、建築界に諮った大正14年の法案に手を加え「建築士が請負業を兼ねることは禁じるが、建築士と称さないなら請負業に所属する者の設計を妨げない」となった内容の是非に議論は終始した。また、西洋に倣った称号の法的独占のみでなく、業務の独占が伴わないことには法律として意味がないことが指摘されていた。それらの多くは、戦後制定をみる法の考え方に通じている。

 こうした指摘は長く続くが、それにも関わらず法案には大きな修正は加えられなかった。その理由には、西洋に倣った法案を建築家たちが良しとしたこともあったが、対議会としては、この法案の目の前で政府が成立させた計理士法が影響した可能性がある。同法は士法案の目指すあり方に近く、また兼業の禁止を謳わなかったことによって施行後わずかにして社会問題の露呈した法律であった。欠点を除き、制定されるにふさわしい法案であることが強調されていたのである。しかし、それは通じることはなかった。

 けれども、一般に戦前には士法に冷淡であったと評される行政の側にも、この制定を容認し、またこれを求める声があった。それは戦時体制の下で強くなっていく。とはいえそれらの意見は、建築家たちとは全く異なる立場のものであった。すなわち住宅問題の解決に向けてその技術的関与を建築士に期待する、行政事務の簡捷に役立てるなどの視点からこの法を待望したのである。こうした意見が建築行政組織の役員会においても語られるようになって終戦を迎える。行政による戦後の制度検討の素早い着手にはこうした背景があった。

 続く第4章(建築代理士という制度)では、建築代理士制度の成立と展開を述べた。

 市街地建築物法の制定によって、建築行為に行政への許可申請が国の法律で求められるようになる。これに伴い申請の代理業者が現れ、それを取り締まる規則が設けられる。これは、のちの士法に含まれる業務が、一部にせよ戦前から法に定められていたことを意味する。同法の成立を考えるにあたってこれを明らかにすることは不可欠である。

 ここで、もともとは代書屋として定められ、本義的には技術者ではない代理士が、建築という業務の特殊性によって、実務の中で実質的に建築技術者の性格を備えていく。それによって、士法が定めた「建築士でなければ設計監理することのできない範囲」を外れた小規模住宅の場で、設計者としての役割を行政にも期待されていったことを示した。ことに地方行政はその範囲にこそ資格認定のされた技術者の関与のあることを期待したが、建築士制度の開始当初には、十分な経験と能力のある技術者の不足や既得権者への配慮から、その範囲が大きく外されたからである。こうして代書屋に発する代理士は、建築士制度が浸透するまでの間、設計者として庶民住宅の場で活躍をしていくこととなった。

 第5章(内藤亮一と建築士法と住宅)では、戦前より士法の必要を強く唱え、神奈川県で日本内地初の建築士的制度をつくり、戦後、制定の立役者となった内藤亮一を取り上げ、彼がどのような背景から法を着想したのかを、彼の経歴を俯瞰することにより明らかにした。またそれに付随して、これまでほとんど知られていない内藤の業績を、主に住宅との関係を中心に生涯にわたって示した。

 大学時代、士法の制定に夢を見た内藤の主張は、就職にあたって赴任した大阪で、建築学の成果の及ばない膨大な庶民住宅の悲惨な現実を、日々目の当たりにする中で培われた。以後、大連で、内地に先んじて定められていた建築技術者制度に学び、戦前より物の法律だけでは不十分として人の法律の必要性を訴えていく。

 その内藤にとって士法の制定は念願ではあったが、制定にあたっては、上述の配慮から庶民住宅規模の建築が対象から外れることになる。こうして士法は、住宅問題の解決を資格ある技術者に委ねたいという狙いすらわかりにくいものとなった。それもあってこの法は、のちに様々な批判に晒されていくのである。

 第6章(建設業法の主任技術者と建築士)では、建設業法に定める主任技術者という建設工事の施工技術上の管理をつかさどる技術者の制度がどのように成立したかを述べた。

 成立した士法は、ことにそれを「設計者の法」と読む者から曖昧な法と批判される。しかし、設計者が中心となってはいるものの、「広く建築技術者を対象とした法」と考えるべきである。一部の特殊な建築物ばかりでなく、むしろ都市のストック全体に注目して、その質的向上に資する技術者を広く欲したがゆえにそのような性格付けがされた。

 しかしそのように考えた場合にも、建築技術者の法制度全体を見渡せば同法に含まれていないものがある。つまりそれが建設業法の主任技術者である。それゆえに士法は建築技術者法としても曖昧なものとなっていると考えられる。この章では、請負業者の取り締まりを目的とする戦前の請負業取締規則や戦後の建設業法の成立を見る中で、主任技術者制度がどのように生まれ、なぜ建築士制度に含まれないことになったのかを探った。

 この制度は、暴力取締の効果しかなかったそれまでの規則は意味がなく、請負業者への技術者の設置が必要と考えた行政が、戦時中の企業整備の立場から講じた措置であった。

 そのように誕生した主任技術者制度は、戦後間もなくより、建築士制度の中に含めることが予定されていた。しかし、建築士資格を持つ技術者の保有が難しい中小建設業者への配慮によって、最終的には別な体系が与えられることになった。こうして、以後建築士制度とは有機的な関係を持たず個別に発展していくことになったのである。

 第7章(市浦健と建築家法)では、制定された士法に不満をもった建築家によって昭和40年代を中心に繰り広げられた、建築設計監理業務法の制定運動の中核にあった市浦健を取り上げ、彼が同運動から退いた後に示した建築家法の再評価を行った。

 建築設計監理業務法は、組織を前面に出し、所属によって建築家か否かを判断するというものであった。しかし市浦は、それは素直ではなく、建築家とは個人の資格であるという観点から建築家法(私案)を提案する。そこでは設計専業か否かという、当時建築家がひたすらに執着した建築家の所属の問題が不問に付されていた。そのため、この時期の建築家たちには受け入れられるはずのない考え方であったが、広く建築界を見る視野を持ち、外国の事情に通じていた市浦ならではのものであった。近年、建築家の定義に関して所属は問題ではないという考え方が強まっており、先進性の面で評価すべき案であった。

 それでも別に示された、小規模住宅は工務店法を定めそれに委ねるという考え方は、然るべき設計監理者を庶民住宅に関与させたいとする士法に込められた意図とは異なるものであり、行政にも受け入れ難いものであった。またこの時期行政にとっての主題であった、建築技術の高度化に伴う技術者の専門分化に建築士制度をどう対応させるかについて、すでに彼らが否定していた技術士法の活用に求めようとする考え方も、受け入れられるものではなかった。

 第8章は、論文の結論である。各章で明らかにした事柄をもとに、日本の設計者の制度の成立と展開に如何に住宅が関係してきたかを述べ、若干の考察を加え総括した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、建築士法を中心とする日本の建築技術者の制度の成立と展開を述べたものである。建築士法はこれまで、その制定に込められた意図が正しく知られてはこなかった。そのためしばしば、西洋に伍した建築家の法を望む立場からの批判に晒されてきたが、本論文では、その成立の鍵に庶民住宅があったという視点から、住宅と設計者の関わりを軸に据え、これを明らかにすることが試みられている。

 論文は、序論(第1章)と結論(第8章)を含め計8章よりなる。

 第2章では、建築家の誕生以前より設計の場で活躍していた大工の明治・大正期の変化を探っている。これによって、すでに知られる建築家ばかりでなく、すべからく設計者が明治以後の時間の中で、住宅に接近していくことが示された。

 しかしその住宅とは中流層のものに留まっていたから、この頃から、然るべき技術者の関与のない庶民住宅の質の向上を如何にして図るかが課題となり始めていた。

 第3章では、建築家たちが大正に入り着手した建築士法の制定運動を行政の立場から探っている。

 同運動の目的は、法制による建築家の社会的立場の確立にあった。そのため一般に行政は一貫してこの法に冷淡であったと考えられてきた。しかし、行政の側にも別な角度から法を欲する声があったこと、それが戦時下に向けて次第に高まっていくことが明らかにされている。中でも注目すべきは戦後制定の中心人物となる内藤亮一が、庶民住宅への技術参与のために士法が必要と述べていたことである。これは現行法の発想の根底に住宅問題があったことを意味しており、画期的な発見である。

 第4章では、建築代理士制度の成立と展開が述べられている。市街地建築物法の制定により誕生した建築の申請事務を代行する者が、どのように建築技術者へと変貌を遂げていくかが明らかにされている。

 すなわち実務の中でその性格を備え、また、戦後、士法に定められた「建築士でなければ設計監理することのできない範囲」を外れた小規模住宅の場で、設計者としての役割を行政にも期待されていく、その様が示された。

 続く第5章では、前述の内藤が、どのような背景から法を構想し、どう実現したかを述べている。

 学生時代より士法に夢を見た内藤の主張は、就職のため赴任した大阪で、建築学の成果の及ばない庶民住宅の悲惨な現実を目の当たりにする中で培われた。以後、戦前より物の法だけでは不十分として人の法の必要性を訴えていくことになる。また訴えるばかりでなく、大連で定められていた建築技術者の制度に学び、神奈川で日本内地初の建築士的制度を定めるなどしたことが明らかにされている。

 しかしながら制定された士法は、当初予想された技術者の不足から、極めて制限の多い形となった。こうして、内藤が法に込めた住宅問題の視点がわかりにくいものとなったことが示されている。

 第6章では、建設業法に定める施工技術の管理をつかさどる主任技術者の制度がどのように成立したかが述べられた。

 成立した士法はしばしば曖昧な設計者の法と評される。しかし同法は、設計者を中心にしてはいるものの、むしろ「広く建築技術者の法」と考えるべきものである。とはいえそのように考えた場合にも、建築技術者の法制度全体を見渡せば含まれていないものがある。それがこの主任技術者である。

 本論文は、それゆえに士法は建築技術者法としても曖昧なものとなっているという立場から、主任技術者制度がどのように生まれ、なぜ士法に含まれないことになったかを解明している。

 第7章では、士法に不満を持つ建築家たちにより昭和40年代を中心に繰り広げられた建築設計監理業務法制定運動の中核にあった市浦健を取り上げ、彼が同運動から退いた後に示した建築家法の再評価がなされている。

 この提案ではまず、設計専業か否かという、当時建築家たちの関心の核にあった建築家の所属が不問に付されていた。そのため建築家たちには受け入れ難い提案であったが、近年、建築家の定義について所属は問題ではないという考え方が強まっており、その意味で先進的であった。それでも、別に示された、庶民住宅は工務店法を定めそれに委ねるという考え方は、然るべき設計監理者をそれに関与させたいとする士法に込められた意図とは異なり、そのため行政にも受け入れられるものではなかったことが示されている。

 以上、本論文で明らかにされたことは、建築家に限定せず広く建築技術者を扱うこと、また、社会を視野に入れその象徴的な存在である庶民住宅に注目することによって初めて獲得されたものである。その斬新さとともに、得られた知見の意義は高く評価すべきものがある。

 さらに、それぞれについて丹念に集められた膨大な資料がふんだんに活用され、精緻な分析が施された上で、質の高い考察がなされている。価値の高い労作である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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