学位論文要旨



No 122237
著者(漢字) 岩井,祥子
著者(英字)
著者(カナ) イワイ,ショウコ
標題(和) オリゴヌクレオチドマイクロアレイによるベンゼン酸化分解遺伝子の網羅的解析と土壌浄化力評価手法としての有効性
標題(洋)
報告番号 122237
報告番号 甲22237
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6442号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 助教授 浦川,秀敏
 東京大学 助教授 中島,典之
 東京大学 講師 栗栖,太
 日本大学 教授 矢木,修身
内容要旨 要旨を表示する

 近年各地で問題となっている土壌汚染に対し有効な浄化手法が模索される中,従来の物理化学的手法に比べ低コストであり,低濃度広範囲に渡る浄化に適したバイオレメディエーションが注目されている。しかし,微生物による浄化のメカニズムには未知の部分が多く,その浄化力の評価,予測は困難であり,土壌の浄化力の評価手法の開発が求められている。汚染物質の微生物による分解に関する研究は,これまで主に培養法により単離された菌株を用いて進められてきた。しかし単離株は実際の環境中のほんの一部であることが指摘されており,また複合微生物系における分解は個々の菌株の結果から推測するのは極めて困難であるため,従来の方法では実際の土壌の浄化力の評価は難しい。そこで,微生物の浄化力を担う遺伝情報に着目した。分子生物学的手法の発展により,様々な遺伝情報が調べられるようになり,それに伴って配列データベースへの登録数も爆発的に増加している。そこで,今後さらに情報の蓄積が進むことも踏まえ,これらの遺伝情報を利用した浄化力評価手法の開発が有効である。近年環境中の汚染物質分解遺伝子が非常に多様であることが明らかになり,多くの未知遺伝子が環境中に存在することが知られるようになった。また,分解遺伝子の僅かな配列の違いがその基質特異性,活性に影響を及ぼすことも知られている。よって,分解遺伝子情報を用いた土壌中の分解能力の評価には,実際の環境中の多様な遺伝子配列を網羅的に解析することが必要であると考えられる。数百から数万もの多くの遺伝子配列を同時に検出可能な手法として,マイクロアレイ法が注目されている。しかし,従来のPCR法やFISH法による特定の遺伝子配列の検出に比べ,マイクロアレイ法による遺伝子検出は感度が低く,特異性の評価が難しいことから,複雑な混合微生物系である環境サンプルへの適用は難しいと考えられてきた。本研究では,感度が比較的高く,自由に設計が可能なロングオリゴヌクレオチドプローブを用いることで,土壌中の分解遺伝子の多様性を捉えるのに十分な感度,特異性をもつマイクロアレイの開発を試みた。さらに,作製したマイクロアレイを用いて土壌中の汚染物質分解遺伝子の網羅解析を行い,土壌の汚染浄化力評価への有効性を検証した。

 対象物質として石油汚染における主要な汚染物質であるベンゼンを用いた。一般に芳香族の好気分解において重要なのは初発酸化と環開裂である。本研究ではベンゼンの初発酸化分解遺伝子であるモノオキシゲナーゼとジオキシゲナーゼに着目した。ベンゼンはモノオキシゲナーゼによりフェノールに,ジオキシゲナーゼによりカテコールに分解されることが知られている。しかし,その遺伝情報については数種類の単離菌株の報告のみであり,環境中の遺伝子の多様性についてはほとんど知見がない。そこで,まず環境中のベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子の配列を幅広く得るために,既報のベンゼンオキシゲナーゼ配列をもとに新規のPCR用のプライマー設計を行った。ベンゼンモノオキシゲナーゼ遺伝子として2種類の配列が,ベンゼンジオキシゲナーゼ遺伝子として4種類の配列が報告されている。ベンゼンモノオキシゲナーゼの2種類はコンポーネント構成の異なる系統的にも離れた遺伝子であったため,それぞれの近縁配列を捉えることのできるBO11,BO12プライマーセットを設計した。ジオキシゲナーゼの4種類は系統的に近縁であったため,これらの近縁配列を捉えることのできる,同一のフォワードプライマーを使用する2種類のプライマーセット,BEDeおよびBEDmを設計した。

 次に,蓮田土壌(土壌I)および畑地土壌(土壌II)にベンゼンを添加し,分解試験を行った。その結果,添加ベンゼンは速やかに分解された。このベンゼン分解土壌より抽出したDNAに対し,設計したプライマーセットおよびトルエンモノオキシゲナーゼをターゲットとする既報のRDEGプライマーセットを用いてクローンライブラリーを作成し,その配列の多様性を解析した。その結果,BO11,BO12,RDEG,BED(BEDeおよびBEDm)それぞれのプライマーセットに対し,27,22,48,46種類の多様なアミノ酸配列が得られた。これらの中には,既報のベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子に近縁な配列も存在したが,一方で新規のクラスターを形成する配列も得られ,土壌中のベンゼンオキシゲナーゼの多様性が示された。また,土壌IとIIより得られたクローンには配列が一致するものは観察されなかった。また,ベンゼン分解によりクローンライブラリー中の割合が相対的に増加した配列が観察され,ベンゼン分解に関与しているのではないかと考えられた。

 続いて,得られた多様性解析結果をもとに,土壌中のベンゼン酸化分解遺伝子を網羅的に解析可能なツールとしてマイクロアレイの設計を行った。マイクロアレイのプローブとして,高感度に配列を検出可能な60merのオリゴヌクレオチドプローブを用いた。まず,マイクロアレイのプローブ設計条件の検討および遺伝子検出能力を検証するためにモノオキシゲナーゼ配列の解析結果よりマイクロアレイAを試作した。特異的なプローブ設計のために,ターゲットに対し相同塩基数が58/60bp以上,ノンターゲットに対する相同塩基数が54/60bp以下かつストレッチ長(完全に一致する一続きの配列のうち最長のものの塩基長)が20bp以下という条件を設定した。その結果,BO11,BO12,RDEGプライマーセットを用いて行った多様性解析結果に対し,それぞれ12,32,55種類のプローブが設計できた。しかし,一部の配列に対しては条件に合うプローブが設計できなかった。設計したプローブをスライド上に固定し,マイクロアレイAを作製した。マイクロアレイAを用いて,プローブのターゲットとする配列を有する純菌株のDNAを用いたハイブリダイゼーション試験を行った。その結果,SNR(シグナルノイズ比)≧3を陽性とする一般的な判定法では,サンプル中に含まれる配列をターゲットとするプローブは全て陽性を示し,偽陰性は観察されなかった。しかし,シグナル強度は低いものの,偽陽性を示したプローブが約2.7%と僅かながら観察された。これらの偽陽性の理由として,サンプルとプローブ配列の結合自由エネルギーが低いことが考えられた。しかし,結合自由エネルギーの条件を設定すると,多くの正常に機能するプローブをも排除することになり,網羅的解析が困難になる。これらの偽陽性配列の多くのシグナル強度は,3<SNR≦20の範囲であった。そこで,この範囲のシグナル強度を陽性の中でも亜陽性と定義し,判定の信頼性を表すこととした。次に,土壌I,IIのDNAを用いたハイブリダイゼーション試験を行った。その結果,各土壌より得られたクローンをターゲットとしたプローブは全て検出され,偽陰性は観察されなかった。また,土壌IとIIのクローンライブラリー解析においては共通のクローン配列が見られなかったが,マイクロアレイAによる検出では,同一のプローブが陽性を示したものが観察された。このことから,クローンライブラリー法による解析よりマイクロアレイ法は網羅的に解析可能であることが分かった。マイクロアレイAに用いたプローブ設計条件では一部の解析配列に対しプローブが設計できなかった。そこで,網羅的解析を行うために,これらの配列に対し最も特異性が高くなるようなプローブを合計8種類設計した。またジオキシゲナーゼ配列の解析結果に対しても同様に53種類のプローブを設計し,合計148種類のプローブを用いてベンゼンオキシゲナーゼ配列全体を網羅するマイクロアレイBを作製した。

 マイクロアレイBを用いて3種類のベンゼン添加土壌,5種類の石油汚染土壌中のベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子の網羅的検出を試みた。BO11,BO12,RDEG,BEDe,BEDmの5種類のプライマーセットでPCRを行い,増幅の見られた5サンプルに対し,マイクロアレイBを用いたハイブリダイゼーション試験を行った。その結果,ベンゼン分解試験においてクローンライブラリー中の割合が相対的に増加した配列が,マイクロアレイを用いた解析により,土壌IおよびII以外の土壌にも存在することが分かった。これらの配列はベンゼン分解に関与していることが推定された。また,各プローブのシグナル検出パターンを用いたクラスター解析を行い,土壌サンプルがベンゼンオキシゲナーゼ配列の構成により分類可能であることを示した。

 マイクロアレイBは土壌IおよびIIの2種類の土壌中のベンゼンオキシゲナーゼを元に作製しているため,実際の様々な土壌を解析するのに十分とは言えない。今後,様々な土壌中のベンゼンオキシゲナーゼ配列の解析を進めるとともに,データベースに登録されていく新規配列の情報も加えてマイクロアレイを改良する必要があると考えられた。さらに,改良したマイクロアレイを用いて,ベンゼン分解関与遺伝子の推定を行い,さらに定量手法やmRNAを対象とした活性を解析する手法などと組み合わせることによって,汚染土壌の浄化力をより詳細に評価することが可能になると考えられた。また,様々なベンゼン分解特性を有する土壌の検出パターンを蓄積し,クラスター解析による分類を行うことで,新規の汚染土壌に対してもそのマイクロアレイ検出パターンから浄化力を評価することができると考えられた。以上より,マイクロアレイ法による汚染土壌中の遺伝子多様性の検出法および評価法としての有効性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、「オリゴヌクレオチドマイクロアレイによるベンゼン酸化分解遺伝子の網羅的解析と土壌浄化力評価手法としての有効性」と題して、7つの章から論文を構成している。

 第1章では、研究の背景と目的、および論文の構成を述べている。

 第2章では、遺伝子配列の情報化と環境サンプル中の分解機能遺伝子の検出例について述べた後、マイクロアレイ法の概要やベンゼン分解遺伝子およびその配列情報について詳細に整理している。

 第3章では、データベースに登録されているベンゼン遺伝子配列をもとに,環境中のベンゼン分解遺伝子を幅広く捉えるプライマーの設計を試みた結果が示されている。ベンゼンモノオキシゲナーゼについては、既報の2種類の遺伝子配列およびその近縁配列に対し、それぞれプライマーセット(BO11、BO12)を設計している。また、4種類の分解遺伝子配列が報告されているベンゼンジオキシゲナーゼについては、同一のフォワードプライマーを用いる2種類のプライマーセット(BEDe、BEDm)を提案している。さらに、Baldwinらの設計したモノオキシゲナーゼを対象とするRDEGプライマーセットを含めた5種類のプライマーセットにより,ベンゼン分解遺伝子を幅広く捉えることが可能であることを示している。

 第4章では、蓮田土壌と畑地土壌を用いたベンゼン分解試験を行い、上記の5種類のプライマーセットを用いて、土壌中のベンゼンオキシゲナーゼ配列の多様性解析を行っている。その結果、BO11、BO12、RDEG、BED(BEDeおよびBEDm)それぞれのプライマーセットに対し、27、22、48、46種類の多様なアミノ酸配列を得ている。そして、2種類の土壌から得られた配列には同一のものはなく、また既報のベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子と近縁な配列だけでなく新規のクラスターを形成する配列も得られ、土壌中のベンゼンオキシゲナーゼの多様性が高いことを明らかにしている。また、ベンゼン分解の進行に伴い相対的に割合が増加した配列を見いだし、ベンゼン分解への関与を示唆する知見を得ている。

 第5章では、ベンゼン分解試験におけるベンゼンオキシゲナーゼの多様性解析の結果をもとに、60merのオリゴヌクレオチドマイクロアレイの作製を行っている。まず、特異的なプローブ設計のために、ターゲットに対し相同塩基数が58/60bp以上、ノンターゲットに対する相同塩基数が54/60bp以下かつストレッチ長が20bp以下という条件を設定して、99種類のプローブによるアレイAを作製している。このアレイAを用いて、プローブのターゲットとする配列を有する純菌株のDNAを用いたハイブリダイゼーション試験の結果、SNR(シグナルノイズ比)≧3を陽性とする一般的な判定法では、サンプル中に含まれる配列をターゲットとするプローブは全て陽性を示し、偽陰性は観察されなかったことを報告している。しかし、偽陽性を示したプローブが約2.7%と僅かながら観察された。偽陽性を示したものは1つの例外を除きSNRが低く20以下であったことから、3<SNR≦20の範囲のシグナル強度を陽性の中でも亜陽性と定義し、判定の信頼性を表すことを提案している。

 次に、アレイAの結果を踏まえ、ターゲットに対し相同塩基数が57/60bp以上、ノンターゲットに対する相同塩基数が56/60bp以下、ストレッチが25bp以下の条件において全ての配列を網羅するプローブ設計を試みている。その結果、モノオキシゲナーゼ配列に対し、新たに12種類のプローブを設計し、ジオキシゲナーゼ配列の解析結果に対し、53種類のプローブをさらに設計した。解析を行ったベンゼンオキシゲナーゼ全ての配列を網羅するようにアレイBを作製している。

 第6章では、マイクロアレイBを用いて、様々なベンゼン分解土壌および石油汚染土壌中のベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子の網羅的検出を行った結果、複数の土壌において陽性を示すプローブが観察され、かつそのプローブの標的配列はベンゼン分解実験において培養とともに相対的にその割合が増加した配列であったことから、ベンゼン分解に関与している可能性を示している。今後、リアルタイムPCR法などを用いて定量を行い、さらに分解との関連を調べていくことで、ベンゼン分解評価のための指標としての利用可能性を指摘している。

 また,マイクロアレイによる検出パターンを元にしたクラスター解析を行い,土壌サンプルをベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子構成により分類できることを示している。今後,さらに様々な土壌中のベンゼンオキシゲナーゼ遺伝子の情報集積を行うとともに、データベースに蓄積される配列情報を解析しながらアレイを改良する必要があるとしている。このようなマイクロアレイの改良を通じて、ベンゼン分解に関与する遺伝子をより詳細に推定を行うことや、浄化力と関連付けて様々なベンゼン分解特性を持つ土壌の検出パターンを蓄積することにより,土壌の浄化力を評価できる手法に発展すると結論付けている。

 第7章では、上記の研究成果から導かれる結論と今後の課題や展望が述べられている。

 以上の成果では、ベンゼンの好気分解における初発酸化酵素遺伝子(オキシゲナーゼ)を対象として,土壌サンプル中におけるその配列の多様性を詳細に解析し,その結果をもとにオリゴヌクレオチドマイクロアレイを作製している。作製したマイクロアレイは非常に感度よく土壌試料中のベンゼンオキシゲナーゼ配列を捉えることができ、このマイクロアレイを用いることで特定の配列の有無の評価,土壌中の分解遺伝子全体像の評価の双方が可能であると考えられる。これらの知見は、遺伝情報の網羅的解析による汚染土壌の浄化力の評価手法の開発に役立つだけでなく、土壌環境中の遺伝子の多様性を解析するにも非常に有用なデータや知見を提供しており、都市環境工学の学術の進展に大きく寄与するものである。

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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