学位論文要旨



No 122238
著者(漢字) 原本,英司
著者(英字)
著者(カナ) ハラモト,エイジ
標題(和) 水環境中における腸管系ウイルスの挙動の定量的解析
標題(洋)
報告番号 122238
報告番号 甲22238
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6443号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 国包,章一
 東京大学 教授 滝沢,智
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 講師 片山,浩之
内容要旨 要旨を表示する

 我が国では,上下水道の整備がもたらした衛生状況の改善により,病原性細菌による水系感染症の抑制が可能となった。しかしながら,塩素に高い耐性を示すウイルスや原虫などの病原性微生物が起因となって生じる水系感染症が新たに注目されるようになってきている。

 ウイルスの水環境中における存在濃度は低いことが予想されるが,感染力が高いことが知られている。ウイルスによる水系感染症の発生を抑制するためには,信頼できる手法でウイルスを検出し,水環境中でのウイルスの存在状況を明らかにする必要がある。その結果を用いてウイルスの感染リスクを算出し,感染リスクを制御するための社会システムの構築を行うことが求められる。

 本研究の目的は,(1)水環境中に低濃度で存在するウイルスを濃縮して検出する手法を確立し,(2)その手法を用いて水環境中のウイルスの時間的および空間的な分布特性を定量的に明らかにすること,また,(3)水環境中でのウイルスの消長を測定し,(4)ウイルスのコントロールポイントとなり得る下水処理場でのウイルスの低減方法を検討することである。

 第1章「序論」には,研究の背景と目的を示した。第2章「既存の研究」には,ウイルスに関する知見,環境試料からのウイルスの検出手法や検出事例などについて示した。第3章「実験方法」には,本研究で用いた基礎的な実験手法を示し,リアルタイムPCRによるウイルスの定量的な検出法を記した。

 第4章「水試料中のウイルスの検出法の確立」では,1次および2次濃縮法によるウイルスの回収率を測定した。また,遠隔地の水試料からのウイルスの検出調査を行う場合に最適な試料の保存方法を開発した。

 陽イオン吸着・酸洗浄・アルカリ誘出法(Mg法)または陽イオン添加型陰電荷膜法(Al法)を1次濃縮法として用いた場合,MilliQ水,水道水,ボトル水,河川水,海水,池水および下水処理場の各処理段階の水試料に対して良好なポリオウイルスとノロウイルスの回収率を示した。2次濃縮法として,Centriprep YM-50(Millipore)を用いることにより,ポリオウイルス,ノロウイルスおよびQβファージに対して高い回収率が得られた。この結果より,水試料中のウイルスを検出する場合,Mg法またはAl法を用いた1次濃縮操作とCentriprep YM-50を用いた2次濃縮操作の組み合わせが適していることが分かった。

 遠隔地の水試料を対象にウイルスの検出調査を行う場合,4種類のウイルスを用いた回収率の測定結果より,濃縮液または水試料をろ過した膜を冷蔵保存することで回収率の低下の防止が可能であることが分かった。一方,室温で同様の実験を行った場合,膜を保存する系よりも濃縮液を保存する系において回収率の低下が小さかったことから,室温保存にも適した手法である濃縮液を保存する系が遠隔地でのウイルスの検出調査に最も適していることが明らかとなった。

 第5章「濃縮法によるウイルス核酸の回収率の測定」では,4種類の1次濃縮法によるポリオウイルスRNAの回収率を測定し,外套蛋白に保護されていないウイルス核酸が濃縮法によって回収される可能性を明らかにした。また,ポリオウイルス粒子の回収率も測定し,RNAの回収率と比較した。

 Mg法を用いた場合,MilliQ水,水道水,下水処理水および海水から高い粒子の回収率が得られた。RNAの平均回収率に比べ,粒子の平均回収率は6.6〜14.9倍高かった。Al法を用いた場合,RNAよりも粒子の方が高い回収率を示したが,平均回収率の差は1.4〜4.2倍と小さく,Mg法よりもRNAが回収されやすい手法であった。ビーフエキスを用いた2種類の濃縮法では,粒子の十分な回収率は得られなかった。

 これらのことより,ウイルス粒子の選択的な濃縮を行う手法としてMg法が適していることが分かった。

 第6章「水環境中におけるウイルスの季節変動の調査」では,東京都内で採取した水試料を対象に,ウイルスの分布特性を定量的に明らかにした。

 下水処理場,河川および海水を対象とした調査により,水環境中には複数種のウイルスが存在していることが明らかとなった。調査ウイルスの中では,ノロウイルスとサポウイルスが明確な季節変動を示し,下水試料中のウイルス濃度が上昇する冬期には河川水中のウイルス濃度にも上昇が見られた。このことより,下水処理場の影響を強く受けて水環境中にウイルスが存在していることが分かった。また,水環境中に存在するアデノウイルスの大部分が腸管系血清型であることが明らかとなった。

 感染者の分離報告数が少ない季節に採取した流入水からノロウイルスやサポウイルスが検出され,流入水中のウイルス濃度と感染者の分離報告数との間に相関が見られた。また,感染者が報告されていないA型肝炎ウイルスが流入水から検出された。これらの結果より,流入水中のウイルスを検査することにより,処理区域内におけるウイルス感染者の発生動向の把握が可能になると判断した。

 下水試料中の指標微生物の濃度には季節変動は見られず,ウイルスよりも除去率が低かった。河川水中においては,ウイルスの濃度と指標微生物の濃度との間に相関は見られなかった。これらの結果より,下水処理場でのウイルスの除去効果の監視および放流先である河川水中でのウイルスの濃度の監視に指標微生物を用いることには限界があることが分かった。

 第7章「降雨による海水中のウイルスの濃度変動の調査」では,東京湾内の5地点の海水を対象に採水調査を行い,降雨によるウイルスと指標微生物の濃度変動を測定した。また,お台場海浜公園で行われた海水浄化実験の効果を明らかにした。

 海水中におけるウイルス(アデノウイルス,ノロウイルス)と指標微生物(大腸菌群,大腸菌)の濃度は,降雨によって1〜2log程度増加し,降雨後に晴天時の濃度まで低下するのに数日間を要することが分かった。潮位の変動がウイルスと指標微生物の濃度変動に与える影響は,降雨に比べて小さかった。

 海水浄化実験の区域内に位置する地点では,区域外の地点よりもウイルスと指標微生物の濃度は低い値を示し,浄化実験が海水中のウイルスの濃度低下に有効であることが分かった。

 第8章「水試料中におけるノロウイルスおよび他のウイルス,指標微生物の消長」では,ノロウイルスをはじめとした微生物の水試料中における生残率(培養法により決定)と残存率(リアルタイムPCRにより決定)の経時変化を測定した。他の微生物と比較することにより,細胞培養系が確立されていないノロウイルスの水中での消長の特性を明らかにした。

 水試料中でのノロウイルスとポリオウイルスの残存率の相対的な関係は,水試料の種類によって変化した。また,ノロウイルスの残存率は,水温に大きな影響を受けるが,塩分濃度による影響は小さいことが分かった。

 ポリオウイルスの測定結果より,残存率は生残率の低下を過小評価しているものの,残存率から生残率を推定することが可能であると判断した。測定ウイルスの中でA型肝炎ウイルスが最も高い残存率を示したことより,A型肝炎ウイルスが最も高い生残率を有していることが示唆された。

 水道水,池水,河川水および下水処理水中において,大腸菌とポリオウイルスの生残率の間には一定の関係は得られなかった。NaCl溶液中では,大腸菌の増殖が見られる場合があった。これらの結果は,大腸菌とポリオウイルスの水環境中での挙動が異なることを示しており,指標微生物を用いてウイルスの生残率を把握することはできないことが分かった。

 第9章「下水処理水中のウイルスおよび指標微生物の低減手法の検討」では,添加系(試料中に対象微生物を高濃度で添加した系)と非添加系(試料中に元々低濃度で含まれる微生物の野生株を対象にした系)における下水処理水中の微生物の不活化および除去効果(塩素消毒処理,紫外線照射処理,オゾン処理,膜ろ過処理)を測定した。

 塩素消毒処理においては,大腸菌と大腸菌ファージの生残率は,添加系よりも非添加系で高い値を示し,添加系では塩素耐性を過小評価していることが示唆された。ノロウイルスG2型の残存率は,添加系と非添加系で同程度であり,添加系での測定が有効であることが分かった。

 紫外線照射処理においては,添加系および非添加系の両方で大腸菌ファージとウイルスの濃度が紫外線照射量と1次反応で低下することが分かった。ノロウイルスの場合,添加系と非添加系で同程度の残存率を示した。一方,大腸菌と大腸菌ファージの紫外線耐性は,添加系と非添加系で異なることが分かった。

 オゾン処理の場合,残留オゾン濃度が非検出あるいは低濃度である曝気開始直後にウイルスと指標微生物の濃度低下が起きていたことから,塩素消毒処理や紫外線照射処理のようにCt値を用いて処理効果を検討することはできなかった。

 膜ろ過処理においては,処理後の試料中のウイルスの濃度が増加する現象が見られ,除去率を適切に測定することができなかった。

 第10章「結論」には,本研究で得られた知見を示した。本研究で確立したウイルス検出法を用いることにより,水環境中に複数種のウイルスが存在し,ウイルスごとに異なる季節変動を示すことを定量的に明らかにした。ノロウイルスを中心に,水環境中でのウイルスの消長を明らかにした。また,下水処理場でのウイルスの低減効果を測定する場合,添加系での残存率の測定が有効であることを明らかにした。感染リスクの視点からは,各ウイルスが示す季節変動に加え,降雨による短期的なウイルスの濃度変動も考慮することが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 ウイルスによる水系感染症の発生を抑制するためには,信頼できる手法でウイルスを検出し,水環境中のウイルスの挙動を明らかにする必要がある。その知見は、感染リスクを制御するための社会システムの構築に必要不可欠である。

 本研究は、「水環境中における腸管系ウイルスの挙動の定量的解析」と題し、10章より構成されている。

 第1章「序論」は、研究の背景と目的を示している。第2章は、「既存の研究」である。第3章は、「実験方法」であり、用いた実験手法を示すと共に、リアルタイムPCRによるウイルスの定量的な検出法を説明している。

 第4章「水試料中のウイルスの検出法の確立」では、陽イオン吸着・酸洗浄・アルカリ誘出法(Mg法)または陽イオン添加型陰電荷膜法(Al法)を1次濃縮法として、MilliQ水、水道水、ボトル水、河川水、海水、池水、および、下水処理場の各処理段階の水試料に適用し、ポリオウイルスとノロウイルスの回収率を検討している。2次濃縮法としてのCentiprep YM-50(Millipore)は、ポリオウイルス、ノロウイルスおよびQβファージに対して高い回収率を示したとしている。この結果より、水試料中のウイルスを検出する場合、Mg法またはAl法を用いた1次濃縮操作とCentiprep YM-50を用いた2次濃縮操作の組み合わせが有効であると結論している。

 第5章「濃縮法によるウイルス核酸の回収率の測定」では、ポリオウイルスRNAの回収率を測定し、外套蛋白に保護されていないウイルス核酸が、濃縮法によって回収される可能性について定量的な検討を行っている。Mg法を用いた場合、MilliQ水、水道水、下水処理水および海水から高いウイルス粒子の回収率が得られ、RNAの回収率に比べ、粒子の回収率は6.6〜14.9倍高かったことを示している。結論として、ウイルス粒子の選択的な濃縮を行う手法としてMg法が適しているとしている。

 第6章「水環境中におけるウイルスの季節変動の調査」では、下水処理場、河川および海水を対象とした調査により、水環境中に存在する複数種のウイルスの検出に成功している。ウイルスの中では、ノロウイルスとサポウイルスが明確な季節変動を示すこと、下水試料中のウイルス濃度が上昇する冬期には河川水中のウイルス濃度も上昇することを見出している。

 また、流入水中のノロウイルスやサポウイルス濃度と感染者の分離報告数との間に相関があることを示している。下水処理場流入水中のウイルスを測定することにより、処理区域内におけるウイルス感染者の発生動向を推定できる可能性があるとしている。

 下水試料中の指標微生物の季節変動や除去率、および、河川水中におけるウイルスの濃度と指標微生物の濃度との相関などの調査結果より、指標微生物による下水処理場でのウイルスの除去効果の監視、あるいは、放流先である河川水中でのウイルスの濃度の監視には、限界があることを示している。

 第7章「降雨による海水中のウイルスの濃度変動の調査」では、東京湾内の5地点の海水を対象に採水調査を行い、海水中におけるウイルス(アデノウイルス,ノロウイルス)と指標微生物(大腸菌群,大腸菌)の濃度が、降雨によって1〜2log程度増加し、降雨後に晴天時の濃度まで低下するのに数日間を要する例を観測している。また、潮位の変動は降雨に比べ、ウイルスと指標微生物の濃度変動に与える影響は小さいとしている。

 お台場海浜公園の海水浄化実験の区域内に位置する採水点では、ウイルスと指標微生物の濃度が区域外の地点よりも低い値を示し、当該の浄化システムがウイルス濃度の低下に有効であるとしている。

 第8章「水試料中におけるノロウイルスおよび他のウイルス、指標微生物の消長」では、ノロウイルスをはじめとした微生物の水道水、池水、河川水および下水処理水中における生残率(培養法により測定)と残存率(リアルタイムPCRにより測定)の経時変化を測定し、細胞培養系が確立されていないノロウイルスの水中での消長の特性を明らかにしている。また、ポリオウイルスの測定結果解析により、残存率から生残率を推定することが可能であるとしている。

 第9章「下水処理水中のウイルスおよび指標微生物の低減手法の検討」では、添加系(試料に対象微生物を高濃度で添加する系)と非添加系(試料中に元々低濃度で含まれる微生物の野生株を対象にする系)における下水処理水中の微生物の不活化効果および除去効果(塩素消毒処理、紫外線照射処理、オゾン処理、膜ろ過処理)を測定している。

 塩素消毒処理においては、大腸菌と大腸菌ファージの生残率は、添加系よりも非添加系で高い値を示し、添加系では塩素耐性を過小評価していることを明らかにしている。ノロウイルスG2型の残存率に関しては、塩素消毒効果は添加系と非添加系で同程度であることも示している。

 紫外線照射処理においては、添加系および非添加系の双方で、大腸菌ファージ、ポリオウイルス、ノロウイルスG2の濃度が、紫外線照射量に対し1次反応で低下することを示している。ノロウイルスG2の場合、添加系と非添加系で同程度の紫外線耐性を示すこと、大腸菌と大腸菌ファージの場合は、添加系と非添加系で異なる紫外線耐性を示すことを明らかにしている。

 第10章「結論」には、本研究で得られた、水環境中における腸管系ウイルスの挙動に関する知見をまとめて示すと共に、感染リスク制御の観点から、各ウイルスが示す季節変動に加え、降雨による短期的なウイルスの濃度変動も考慮することが重要であることを指摘している。

 以上のように本論文は、水環境中の腸管系ウイルスの挙動に関する優れた研究成果であり、都市環境工学の学術分野の発展に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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