学位論文要旨



No 122250
著者(漢字) 須崎,光太郎
著者(英字)
著者(カナ) スザキ,コウタロウ
標題(和) レーザ吸収分光法を用いたDME低温酸化機構に関する素反応研究
標題(洋)
報告番号 122250
報告番号 甲22250
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6455号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 高木,周
 東京大学 助教授 戸野倉,賢一
 富山大学 教授 手崎,衆
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 炭化水素の自着火に影響を及ぼすとされる低温酸化反応(T<1000K)の詳細な反応メカニズムは、内燃機関における自着火問題、ノッキング現象、予混合圧縮自着火機関制御といった問題を検討していくうえで、近年非常に注目を浴びている。

 低温酸化反応は一般的に炭化水素から水素原子が引き抜かれたアルキルラジカル(R)と酸素分子の再結合反応によりアルキルペルオキシラジカル(RO2)が生成する反応により始まる。その後、RO2の内部異性化と酸素第二付加の経路から生成するOHの再生が、消費を上回ることから連鎖的に反応が進むとされる。その一方、温度の上昇に伴いHO2の生成も重要になり、HO2の自己消費反応により低温酸化過程中に蓄積されるH2O2が自着火を引き起こす。低温酸化過程の進行においてはHO2生成経路と反応を促進させるOH生成経路への分岐比が重要な要素となる。HO2の生成経路に関して、近年近赤外領域におけるHO2の選択的高感度検出の実現により炭素数の少ないエチル、プロピルラジカルと酸素分子の反応については明らかになった。それらによるとHO2の生成過程はRとO2の反応からRO2に蓄積することなく、見かけ上直接的に生成するもの(R1)と、一旦RO2で蓄積し、RO2の熱分解反応により生成するもの(R2)が存在することが明らかになった。

R+O2→HO2+alkene(R1)、R+O2⇔RO2→HO2+alkene(R2)

 本研究では炭化水素に酸素原子を含むエーテル系で最も単純なジメチルエーテル(DME、CH3OCH3)を用いた。DMEは自着火性が高く、次世代の燃料の一つとしても検討されている。DMEの低温酸化反応はメトキシメチルペルオキシラジカル(CH3OCH2O2)の内部異性化を経由したOHの生成が有利で、OHの再生による連鎖反応であることがモデルの上では示されているが、素反応レベルでは検証されていなかった。またHO2の生成経路についてもこれまで実験的には全く検討されていなかった。

 そこで本研究ではHO2、OHを近赤外周波数変調分光法とHerriott型長光路吸収セルを組み合わせた装置により観測し、さらに同一のセルにおいてRO2を紫外吸収分光法により観測することによりDME低温酸化過程を素反応レベルで検討を行い、HO2の生成経路を明らかにすることを目的とした。

2.実験

 HO2、OHの高感度検出を行うため、周波数変調分光法とHerriott型長光路吸収セルを用いた。実験装置の概略図をFig.1に示す。1.4μmのダイオードレーザから発した近赤外光はEOMにより600±2.6MHzに変調され、Herriottタイプのセルを透過した後、フォトディテクターにより検出される。位相変調を受けた搬送波とサイドバンドとの吸収強度差により、ディテクターで検出されたシグナルには吸収量に比例したビートが現れる。副変調周波数の2倍の周波数成分(5.2MHz)であるそのビート信号を検波回路により取り出し、デジタルオシロスコープで積算し、シグナルを取り込んだ。さらにCH3OCH2O2の観測を行うため、同じセルに紫外吸収光学系を構成した。光源に重水素ランプを用い、2枚のレンズでコリメートした紫外光を、同じセル内に、近赤外光が出射する部分から入射した。セル内を透過した紫外光を、分光器に入射し、光電子増倍管により検出した。反応はDME/O2/Cl2の閃光分解法を用い、酸素濃度を過剰にすることで、塩素分子の2次反応が無視できる条件で行った。HO2、OHの初期塩素原子濃度に対する生成割合はCH3OH/O2/Cl2、CH3OH/O2/Cl2/NOの混合気体から得られる信号を参照して得た。温度は298Kから625Kまで、圧力を20torrから90torrまで変化させた。典型的な実験条件は[Cl2]=2×10(14)、[O2]=1.2×10(16)、[CH3OCH3]=1×10(15)mdecule cm(-3)とし、このとき、初期塩素原子濃度はおよそ5×10(13)molecule cm(-3)であった。

3.結果・考察

 Figure2に600K及び298Kにおける(a)HO2、(b)OH、(c)CH3OCH2O2の時間プロファイルを示した。600KではHO2は徐々に生成し、OHは反応開始直後に急激に生成し、その後減衰する。OHの収率は直鎖の炭化水素に比べおよそ20倍であり、OH生成経路がより有利であることがわかる。CH3OCH2O2は反応開始後に急激に生成し、その後減衰して時間変化がなくなるという結果を得た。298KではHO2は反応開始直後に微量生成し、その後減衰せず一定のシグナルを示した。OHは298Kにおいても生成し、反応開始直後に生成し、その後減衰した。また、CH3OCH2O2は反応開始直後に生成し、およそCH3OCH2O2の自己消費反応の速度定数に従い減衰した。

 既存のメカニズムにおいて600K近辺でのHO2の生成経路は、以下の反応経路で示されている。

CH3OCH2+O2(+M)⇔CH3OCH2O2(+M) (R3)

CH3OCH2O2(+M)⇔CH2OCH2OOH(+M) (R4)

CH2OCH2OOH(+M)→2HCHO+OH(+M) (R5)

HCHO+OH→HCO+H2O (R6)

HCO+O2→HO2+CO (R7)

600Kでは(R3)とCH3OCH2の熱分解反応が競合する。

CH3OCH2(+M)→CH3+HCHO(+M) (R8)

 ところがこの既存のモデルでは本実験で得られた時間変化は再現されない。既存のモデルは常圧以上の条件に最適化されているため、圧力依存を示す単分子反応の速度定数は高圧極限の値が採用されている。そこで圧力依存を示す(R3)〜(R5)及び(R8)の速度定数を(R3)〜(R5)はYamadaらの理論計算値を用いて、(R8)は本実験装置を用いて実測し、Troeの式で表現した。その値をTable 1に示す。本実験条件ではこれらの反応はほぼfall-off領域にあることがわかる。しかし、これらの修正のみでは、どの時間変化も再現されない。

 そこで、HO2、OHの時間変化を再現するために以下の反応を考慮した。

CH3OCH2+O2→OH+2HCHO (R9)

CH3OCH2+O2→HCO+HCHO+H2O (R10)

CH3OCH2O2+OH→HO2+CH3OCH2O (R11)

このとき、各速度定数をk9=4.0×10(-13)、k(10)=5.8×10(-14)、k(11)=4.0×10(-11)cm3 molecule(-1)s(-1)としたとき、HO2,OH,CH3OCH2O2の時間プロファイルはFig.2に示した通りほぼ再現された.Fig.3にG2M(UCC1)法により得たCH3OCH2+O2反応のポテンシャルエネルギーダイヤグラムを示す。直鎖の炭化水素で示されたRO2からのHO2生成経路はDMEにおいては反応障壁が高く、本温度域ではほぼないと考えられる。本計算により新たにCH2OCH2OOHの内部異性化後、HOCH2OCH2OからHCOが生成する経路が存在することが示された。HCO生成後は(R7)によりHO2が生成する。600KにおいてHO2は主にHCOを経由して生成することが明らかになった。HCOは既存のモデルにおけるHCHO+OHから生成するがそれだけではHO2生成の全てを説明できず、HCO生成の一部はQOOHからHOQOへの内部異性化を経由する新たな反応経路によりCH3OCH2+O2から直接的に生成することが明らかになった。またOHも反応開始直後に生成し、それらはCH3OCH2+O2から直接的に生成してくるものであることが示された。

 298Kにおいては既存のメカニズムでは以下の反応によりHO2が生成するとされている。

CH3OCH2+O2(+M)⇔CH3OCH2O2(+M) (R3)

CH3OCH2O2+CH3OCH2O2→2CH3OCH2O+O2 (R12-a)

CH3OCH2O2+CH3OCH2O2→CH3OCHO+CH3OCH2OH+O2 (R12-b)

CH3OCH2O(+M)→CH3OCHO+H(+M) (R13)

CH3OCH2O+O2→HO2+CH3OCHO (R14)

H+O2(+M)→HO2(+M) (R15)

しかし、既存のモデルだけではプロファイルは再現されず、600K同様に(R9)〜(R11)の反応を考慮したとき、Fig.2に示したとおり、3つの化学種のプロファイルを再現することができた。このとき、(R11)の速度定数は温度に依存しないとし、k(11)=4.0×10(-11)cm3 molecule(-1)s(-1)とした。(R9)、(R10)の速度定数は各温度におけるプロファイルから、k9=1.55×10(-13)×exp(4.7kJ/mol/RT)、k(10)=1.1×10(-13)×exp(-3.2kJ/mol/RT)cm3 molecule(-1)s(-1)とした。本温度域ではHO2はCH3OCH2O2の自己消費反応から始まる一連の反応から生成するが、反応開始直後のHO2はCH3OCH2+O2からのHCOの直接生成経路とOH+CH3OCH2O2の反応により生成することが明らかになった。

4.結論

 本研究により、DMEにおける低温酸化過程のHO2生成経路は500K近辺を境界とし、600K近辺ではHCOを経由する経路から生成し、298K近辺ではRO2の自己消費反応から主に生成し、これまで明らかにされている炭化水素とは異なる経路で生成することが明らかになった。素反応レベルで新たなHO2生成経路を明確にした点において、炭化水素の燃焼モデル構築に適用可能な知見を得ることができた。

Fig.1 Experimental apparatus.

Table 1 Rate constants of unimolecular reactions. T(***),T* and α are the parameters of Troe formula,F(cent)=(1-α)exp(-T/T(***))+α exp(-T/T*),where T is the temperature.

Fig.2 Time profiles of HO2, OH and CH3OCH2O2 at 298K and 600K, [M]=1.1 × 10(18)molecule cm(-3).

Fig.3 Potential energy diagram of CH3OCH2+O2 reaction.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「レーザ吸収分光法を用いたDME低温酸化機構に関する素反応研究」と題し,自着火問題の解決に向け注目されている低温酸化過程の詳細反応機構を明らかにするため,着火特性が実用燃料と比較的近く,単純な構造を持つジメチルエーテル(DME)を対象とし,低温酸化反応において重要な役割を果たすとされながら,これまで明らかにされていないヒドロペルオキシラジカル(HO2)の生成経路を,反応流通管を用いた低圧条件において高感度レーザ吸収分光法により,実験的に素反応レベルで明らかにすることを試みたものであり,それに伴う重要な二つの化学反応,メトキシメチルラジカル(CH3OCH2)の熱分解反応およびメトキシメチルペルオキシラジカル(CH3OCH2O2)の自己消費反応の速度定数計測も含め,論文は全7章よりなっている.

 第1章は,「序論」でありDME低温酸化過程の既往研究及び未解決問題を検討し,本論文の研究目的を述べている.また,本研究と関連して,既往のHO2計測法及びその問題点,HO2の選択的高感度検出による既往の反応解析研究に関しても述べている.

 第2章は,「実験装置」であり,本研究で用いた実験装置について述べている.HO2の高感度検出に用いた近赤外光周波数変調分光法及びHerriott型長光路吸収セルという特殊な分光装置について述べ,さらに同一セルに紫外光を,近赤外光による観測場と同一場の観測ができるように透過させ,単純な吸収分光法による紫外観測も行い,これまで行われていない,同一反応場における近赤外及び紫外という2波長領域の観測を初めて実現している.

 第3章は,「実験方法・装置評価」であり,第2章で述べた実験装置による化学種観測及びその検出限界を検討し,HO2高感度検出の実現とともに,検出用に用いた近赤外領域のダイオードレーザの可変波長域内において低温酸化過程で重要な化学種ヒドロキシラジカル(OH)の観測も実現している.さらに紫外領域においても低温酸化過程の創始化学種として重要なアルキルペルオキシラジカル(RO2)の観測を実現し,低温酸化過程の素反応メカニズム検討に適応した実験装置であることを示している.

 第4章は,「DME低温酸化過程におけるHO2生成過程」であり,HO2のみの観測だけではなく,実験装置の能力を生かし低温酸化過程検討に重要なOH及びRO2の観測も行うことから,DME低温酸化過程中のHO2生成過程は反応温度により生成メカニズムが異なることを初めて確認し,既往の反応メカニズムだけでは説明されず,新たな反応経路がHO2生成に寄与することを示している.

 第5章は「CH3OCH2熱分解速度定数の計測」であり,低温酸化反応が起きる600K近辺においてHO2生成経路の検討に強く影響を及ぼす反応であるが,本実験の圧力条件(20〜90torr)における正確な速度定数の既存値は存在しないため,その速度定数を本圧力条件下で初めて計測した.

 第6章は「CH3OCH2O2自己消費反応速度定数の計測」であり,298〜400Kといった常温から低温酸化反応が起き始める温度領域においてHO2生成経路の検討に強く影響を及ぼす反応であるが,本温度域での速度定数は計測されておらず,本装置を用いて,初めて速度定数の計測を行った.

 第7章は「結論」であり,上記の研究結果をまとめたものである.

 以上を要するに,本論文では低圧条件における反応流通管を用いた実験により,素反応レベルにおいてDME低温酸化過程におけるHO2生成経路を明らかにし,さらに,これまで計測されていないCH3OCH2熱分解速度定数,CH3OCH2O2自己消費反応速度定数の計測を行い,より正確な燃焼シミュレーションを行う素反応モデル構築に寄与する知見を得ており,燃焼分子工学の発展に寄与するものであると考えられる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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