学位論文要旨



No 122255
著者(漢字) 山田,雄士
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,タケシ
標題(和) Immersed-Boundary法による微小流路中に分散するベシクルの流動解析
標題(洋)
報告番号 122255
報告番号 甲22255
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6460号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高木,周
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 川村,隆文
内容要旨 要旨を表示する

 血液循環は人体の各組織との物質輸送経路として医学的に重要であり,そこでの流動構造を高精度,低コストで再現できるシミュレーション技術の開発は重要な意義をもつ.本研究では,血液循環の中でも体組織との物質交換が盛んに行われている,医学的に特に重要な微小循環に着目する.微小循環では,血液中に混在する赤血球などのベシクルの大きさが管径に比べ無視できないため,ベシクルを分散体とみなした分散混相流として捉える必要がある.特に赤血球のように大きな変形を伴うベシクルの計算を行うためには,変形するベシクルの構造問題と周囲の流体問題を連成して解く必要がある.従来の研究では,血液中に最も多く含まれるベシクルとして,赤血球が主な研究対象とされてきた.近年では,Boryczkoら(2003)が粒子法を用いて赤血球を含む流れの大規模計算を行い,様々な複雑形状をもつ血管内において,数百個の赤血球がクラスターを形成しながら流動する様子を再現した.しかしながら彼らの方法では,赤血球内部を固体として表現し,内部の流体を無視するなど,モデルに関しては単純なものとなっている.赤血球個々の流動を再現よく計算することを試みた研究として,Pozrikidis(2003)によるBoundary-Integral法を用いた計算がある.彼は1個の赤血球の単純せん断流中での非定常挙動を再現し,解析を行った.しかし計算途中で数値不安定が発生するなど,解決すべき問題は多い.その他多くの研究者により数値解析が行われているが,未だ十分な成果が得られているとは言い難い.一方で,リポソームと呼ばれる脂質二分子膜で構成された人工カプセルが注目されている.リポソームはドラッグデリバリーシステム用カプセルや人工酸素運搬体などの材料として使用されているベシクルであり,医療応用としてだけでなく,様々な分野でその応用が期待されている.そのため,流動場中でのリポソームの挙動を解析することは重要であり,近年基本的な流れ場中におけるリポソームの流動実験が行われている.そこで本研究ではリポソームと赤血球を対象に,数値計算を用いてこれらベシクルの流動解析を行うことを目的とする.

 ベシクルと流体との連成解析手法として,Peskinら(1977)のImmersed-Boundary法(IB法)を用いた.IB法は流体を固定矩形格子でオイラー的に,ベシクルは非構造格子を用いてラグランジュ的に表現する手法である.単純な手法であり,複数個のベシクルの計算,複雑な血管形状の計算,壁面との相互作用を考慮した計算などを比較的容易に扱えるという利点をもつことから,微小循環の計算に適していると考えられる.

 ベシクルは直径数ミクロンに対して厚さが数ナノの非常に薄い膜であるため,本研究では厚さゼロの膜として非構造格子で表現する.リポソームと赤血球は,その構造の違いから異なる応力モデルで表現した.リポソームは,脂質二分子膜のみから構成されるベシクルであり,流体膜の性質をもつことから,せん断歪みに対する抵抗をもたないとしてモデル化される.一方で,赤血球は脂質二分子膜と複雑な膜骨格蛋白質によって構成されており,赤血球膜は膜骨格蛋白質の影響を考慮して,せん断変形に対して抵抗をもつ膜としてモデル化される.また両ベシクルに共通する脂質二分子膜の特性として,表面積変化に対する応力と曲げ応力を考慮した.表面積については,ベシクルは微小循環での流れのせん断に対してほとんど変化しないことが知られている.曲げについては,実際の膜は有限な厚さのため応力をもち,ベシクルの変形に影響を与える.脂質二分子膜を透過する溶液の量は無視できるほど小さいため,ベシクルの体積は一定とした.以上よりベシクルの表面積と体積が一定とみなせるため,表面積と体積のみで定義される,ベシクルのしぼみ具合を表す膨潤率と呼ばれる形状パラメータは,ベシクルにより一定値をとる.

 本研究では,リポソーム膜については曲げ応力と総表面積の変化分に対する応力をもつ膜として表現した.リポソームの曲げ応力に関しては,Helfrich(1973)による曲げエネルギーの変分として簡易な表現を用いた.一方,赤血球膜については曲げ応力と表面積変化に対する応力,せん断変形に対する応力をもつ超弾性体膜として表現した.

 リポソームの流動解析を行った結果について示す.様々な膨潤率をもつ楕円形状のリポソームを,静水場中に十分な時間緩和させ平衡形状を得た.球形状からそれほど大きくしぼませていない膨潤率の大きなリポソームについては,棒状形状の平衡形状となり,大きくしぼんだ低膨潤率のリポソームでは,平衡形状は中央が窪んだひょうたん型形状であった.これらの形状は,Seifertら(1991)によって計算された形状によく一致している.

 これらの形状を初期形状として,x軸方向に速度をもつ単純せん断流中でのリポソームの解析を行った.まずはリポソーム内外の粘性係数が同じ場合の解析を行ったところ,リポソームは流れのせん断によって引き伸ばされ,最終的に長軸をある方向に向けた状態で一定の形状を保ったまま,膜のみが回転するtank-treading挙動と呼ばれる定常挙動が得られた.tank-treading挙動におけるリポソームの形状は,畠中ら(2005)の実験で観察された形状と良好な一致を示していた.Tank-treading挙動において膨潤率と,長軸のx軸とのなす角度の関係について調べると,低膨潤率のリポソームほど長軸の向きがx軸に近づく結果が得られ,この結果は畠中らの実験結果やAbkarianら(2005)の実験結果,Krausら(1996)の計算結果と定量的によい一致が見られた.この結果からtank-treading挙動におけるリポソームの形状には,膜の局所での表面積一定の効果はほとんど影響しないという知見が得られた.次に,内部の粘性係数を変えたときの挙動の違いを調べた結果,内部粘性係数が大きくなるにつれ長軸の向きがx軸に近づき,さらに内部粘性係数を大きくすると長軸の向きがx軸を越え,リポソームの形状が回転する非定常挙動が得られた.非定常挙動においてリポソームは,回転途中で短軸方向に引き伸ばされる効果によって,90度回転する毎に棒状形状から円盤形状に交互に変形する挙動が観察された.リポソームのtank-treading挙動については,任意の回転断面で相似な形状となっており,流れ場は各断面で二次元的な流動が観察された.任意の回転断面について二次元膨潤率と,長軸のx軸とのなす角度の関係について二次元数値計算結果と比較すると定量的な一致が見られ,次元の異なる両結果が統一的に議論できるという知見が得られた.

 次に,微小流路中における複数個のリポソームの挙動を調べた.赤血球と同じ両凹円盤型形状のリポソームを軸対称に配置して計算を開始したところ,リポソームは流れのせん断によって後方にせん断変形を生じるものの,軸対称性と膨潤率一定の拘束によってせん断変形は抑えられ,微小血管内の赤血球の形状として知られるパラシュート形状が得られた.一方,非軸対称に配置したリポソームは,管壁に近い側がせん断変形によって大きく引き伸ばされるスリッパ形状が得られた.

 赤血球の流動解析を行った結果について示す.まずは両凹円盤形状の赤血球について単純せん断流中の計算を行ったところ,赤血球は単純せん断流中で非定常挙動を示した.このような非定常挙動はFischerら(1978)によって実際に実験で観察されている.赤血球はせん断応力をもつため,リポソームのように大きなせん断変形は生じないものの,回転の途中で周期的に変形する様子が見られた.また,膨潤率と外部流体の粘性を上げると,赤血球モデルでもtank-treading挙動をする結果が得られた.

 次に微小円管内の計算を行った.固定矩形格子上で流体を扱うIB法では,円管の壁面と格子が一致しないため,壁面における境界条件を壁面周囲の格子上に外挿することによって与えた.軸対称1個の赤血球の計算を行い,赤血球が管軸上をパラシュート形状に変形して流動する結果が得られた.管の流速を変えて計算を行った結果,管の流速が大きいほど赤血球は大きく変形する結果が得られた.また,管の中心速度は赤血球が存在しないときの結果と比べて減少し,管の流速が大きいほど管の中心速度の減少率は小さくなることを示した.次に,軸対称に配置した複数個の赤血球のうち,1個だけ軸からわずかにずらした状態で計算を行ったところ,軸からずらした赤血球はさらに軸からずれる方向に移動し,軸対称に配置されていた残りの赤血球も,赤血球を介した相互作用によって軸対称性が崩れていく結果が得られた.この結果から,複数の赤血球は軸からずれた状態の方が安定であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「Immersed-Boundary法による微小流路中に分散するベシクルの流動解析」と題し,5章より構成されている.

 人体の微小循環では,血液中に混在する赤血球や白血球などのベシクルの大きさが管径と同オーダであり,個々のベシクルの変形やベシクル間の相互作用が流れ場全体の流動構造に大きな影響を及ぼしている.微小循環の流動構造を数値解析によって解明せんとする研究では,血液中に最も多く存在する赤血球を主な対象としてその変形や相互作用の解析が行われており,多くの研究者によって着実に進展してきた.しかし現状では,大規模シミュレーションによって数百個の赤血球の流動解析を行った報告例はあるものの,赤血球1個の流動ですら,よく知られるtank-treading運動やtumbling運動を十分安定かつ高精度に解析できる計算手法が構築されたとは言えない状況である.

 そこで本論文では,界面追跡手法の一つである Immersed-Boundary法を用いて,個々のベシクルの変形及び,複数のベシクルが相互作用する流路内の流動構造について解析を行うことを目的としている.Immersed-Boundary法は,複数のベシクルの解析や複雑な血管形状の計算への適用が容易であることから,微小循環の計算に適した手法であると考えられている.対象とするベシクルとして赤血球だけでなく,近年医療応用の場で注目されているリポソームについて解析が行われている.

 第1章は「緒論」であり,研究背景及びベシクルの流動に関する従来の研究,本論文の目的について述べられている.

 第2章は「流体・構造連成解析の基礎式」であり,流体及びベシクルの基礎方程式について記述されている.ベシクルの基礎方程式として,本論文で対象とするリポソームと赤血球について,流体膜としての特性を持つリポソームと弾性膜としての特性を持つ赤血球の違いに着目して,それぞれ異なる基礎方程式で記述されている.

 第3章は「数値計算手法」であり,本論文で行う計算手法について詳細に述べられている.まず,本論文で用いるImmersed-Boundary法について記述されている.次に円管内の流れ場を矩形格子を用いて解析するため,壁面の境界条件を与える手法について述べられている.最後にベシクル膜を非構造格子で分割する手法及び,非構造格子上の離散的な位置情報から膜に生じる応力を計算する手法について述べられている.

 第4章は,「せん断流中におけるベシクルの流動解析」であり,本論文で行われた計算の結果及びその考察が述べられている.以下に得られた成果について重要なものをまとめる.

 まずは単純せん断流中の1個のベシクルの流動解析を行い,内部流体と外部流体の粘性係数の比の違いによって,両ベシクルはtank-treading運動やtumbling運動をする結果が得られている.また,従来の実験結果や数値計算結果との比較を通じて,本数値計算手法の妥当性が示されている.さらにtank-treading運動におけるベシクルの変形量と長軸の傾きについて,リポソームでは内部体積と表面積一定の条件がこれらの物理量に支配的であるのに対し,赤血球では膜のせん断応力と流れのせん断の比がこれらの物理量に支配的であることが示されている.

 次に微小矩形流路内の複数のリポソームの流動解析を行い,リポソームが流れのせん断によってパラシュート形状やスリッパ形状に大きく変形する結果が得られている.

 最後に微小円管内の複数の赤血球の解析が行われている.微小円管内で軸対称な赤血球が,周囲の非軸対称な赤血球との相互作用によって,軸対称を崩した形状に変形する結果が得られている.また,赤血球の存在によって円管内の見かけの粘性が大きくなること,赤血球膜のせん断応力係数や赤血球のヘマトクリットが大きくなる程,見かけの粘性の増加量は大きくなることが示されている.また,赤血球のヘマトクリットが十分に大きくなると,周囲の赤血球の存在によって膜のせん断変形が抑えられるために,せん断応力係数を大きくしても見かけの粘性の増加量に変化が見られなくなることが示されている.

 第5章は「結論」であり,本研究で得られた上記の結果についてまとめられている.

 本論文で,二種類のベシクルの流動解析を行い,両ベシクルの構造の違いが流動に与える影響について明らかにしたこと,また,複数個のベシクルの解析が比較的容易なImmersed-Boundary法を用いて,これまで十分な解析が行われていない複数個の赤血球の流動について,ヘマトクリットや膜のせん断応力係数が管内の見かけの粘性に与える影響について新たな知見を得たことは重要な成果である.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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