学位論文要旨



No 122268
著者(漢字) 佐川,玄輝
著者(英字)
著者(カナ) サガワ,ゲンキ
標題(和) 氷盤衝突を考慮した海氷力学モデルの開発とそれを用いたオホーツク海の海氷変動数値計算
標題(洋)
報告番号 122268
報告番号 甲22268
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6473号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,一
 東京大学 助教授 多部田,茂
 東京大学 助教授 早稲田,卓爾
 東京大学 助教授 林,昌奎
 東京大学 助教授 川村,隆文
内容要旨 要旨を表示する

 海氷は地球表面の10%弱を占め、地球の現在の気候を形成、維持している重要な要素である。また、海氷生成に伴う高密度水の形成は海洋大循環の駆動力でもあるため、全球海洋の物質循環へも大きく寄与している。現在進行している地球温暖化によってそのような重要な役割を持つ海氷が著しく減少を続けており、影響が懸念されている。

 また海氷は工業面、産業面でも重要な意味を持つ。例えば日本にとって最も身近な凍る海であるオホーツク海においては、サハリン島北部沿岸で石油と天然ガスの開発プロジェクトが進んでおり、また北海道沿岸では漁業が盛んに行われている。これらにとって冬に張り出す海氷は大きなリスクとなる。一方で、北海道沿岸に押し寄せる海氷は付近の貴重な観光資源にもなっている。

 気候変動に伴って海氷変動が将来的にどのようになるかを知るため、あるいはより短期的な海氷変動を予測するためにも、数値シミュレーションが有効である。海氷の数値シミュレーションモデルには熱的な成長・融解を解く熱力学モデルと、海氷の流動や圧縮変形などを解く力学モデルの2つが含まれ、その両方が重要である。

 本研究ではそのうちの海氷力学モデルに注目し、既存の海氷モデル、いわゆる連続体的海氷モデルではあまり考慮されていない氷盤衝突物理を取り入れた新しい海氷モデルの開発を行った。モデルの開発過程においていくつかの性能評価計算を行った後に、オホーツク海における海氷変動数値計算を行った。その計算結果を観測との比較によって評価した。また本研究で導入した氷盤衝突物理を海氷力学モデルで考慮することによる計算結果の違いの考察から、海氷変動に対して氷盤衝突物理がどのような影響を及ぼしているかを調べた。

 本研究では、2つの海氷力学モデルを開発した。1つはRheem et al.(1997)により開発された海氷モデル(Distributed Mass / Discrete Floeモデル)をベースに改良を加えたものである。このモデルは、海氷を氷盤の集合体と捉えて、その内部応力を氷盤群同士の衝突相互作用として求めるような定式化を行っている。これは離散的要素の集合体という現実海氷の姿に忠実な視点に立って海氷力学を解くことを目的としたモデルであり、最近では短期の海氷数値予報などの研究に用いられている。しかしその一方で、全ての力学を氷盤衝突という物理のみで求めようとしているために、海氷が密接になって衝突氷盤群としての扱いができなくなったときに困難が生じる。筆者はこのような問題点を指摘した上で、この問題を、海氷が密集するときに起きている、氷盤衝突による内部応力モードから連続体的な応力モードへの変化を考慮していないことによるものであるとして、海氷密接時における連続体的な扱いを加えたモデルを開発した。連続体的海氷のモデルとして、海氷力学に必須とされる塑性体に、数値安定性を目的とした擬似的弾性を加えた弾塑性的なモデルを導入した。構築したモデルの検証計算として、海氷が一様風によって圧縮されるという状況を想定したシミュレーションを行い、海氷圧力場変動を調べたところ、擬似的弾性の効果による弾性波が密接海氷中を伝播し、それによって圧力は振動を起こしながらも減衰して、やがて平衡圧力場に収束するという様子が確認された。このような力学場の振動は現実的なものではなく、数値計算を陽解かつ安定に進めるためにのみ必要なものであるが、弾性パラメータを調整することで場が準定常化するまでの時間は短縮できるので、目的が要求する時間スケールに応じ適切なパラメータを選び、定常的な解を得ることが可能である。

 しかし、このモデルでは力学相互作用の定式化を1次元的に行っていて、真に2次元の海氷力学を解いてはいないという問題があり、その影響が2次元圧力場などに見られた。そのため、2つめのモデルとして、真に2次元のレオロジー(応力と歪速度の関係式)を解く連続体的海氷モデルをベースにして、それに氷盤衝突のレオロジーを導入するための手法を考え、導入した。氷盤衝突のレオロジー式形状として、1つ目のモデル開発時に導出した氷盤群衝突相互作用の理論式の特性を再評価して、連続体モデルとの結合に適した表現を考案した。この理論式については、離散要素シミュレーションの計算結果との比較によってその妥当性が検証されていて、それによる内部応力は歪速度について非線形の関数となっている。完成した新しいレオロジーモデルは、海氷密接時には粘塑性体として振る舞い、海氷が密接で無くなって離散性が強まったときに衝突氷盤群として振舞うように設計されている。

 開発した2つのモデルを、オホーツク海における海氷変動数値計算に適用した。まず1つめのモデルと3次元静力学海洋モデル(MECモデル)を合わせた結合モデルによる1海氷期のシミュレーションを行った。その結果、北部で海氷が生成され、分布が拡大して2月には南端の北海道沿岸まで達し、やがて後退して北部で消滅するという1海氷期の海氷域変動サイクルを再現でき、この様子は衛星観測とも良く一致した。特に海氷域拡大期の再現性が高いことが確認された。海氷総面積の時間変化(図1)も衛星観測による平均値に近い結果が得られた。また熱力学作用と力学作用を経て形成される海氷厚さ分布についても、観測の知見と矛盾しない現実的な結果が得られた。

 次に、2つめに開発したモデルを用いて、氷盤衝突物理の影響について調べた。そのために、氷盤衝突応力の大きさを決めるパラメータを変えた計算を行い、その結果を比較した(図2)。その比較の結果、氷盤衝突物理の影響は北海道沿岸からクリル海盆付近に広く分布する、低密接度の海氷域に顕著に見られることを見出した。この低密接度域とそれに隣接する高密接度域において氷盤衝突パラメータ変化の影響が現れ、氷盤衝突応力を比較的大きく取ったときには、低密接度域における密接度が増え、代わりに高密接度域における密接度が減るというように、低密接度域から高密接度域への密接度勾配が緩やかになる傾向が見られた。これは、従来のレオロジーモデルでは塑性時の応力に比べて無視できるほど小さいとしてきた氷盤衝突応力を重視することで、低密接度の海氷が高密接度の海氷に容易に取り込まれにくくなったことを意味する。また、計算では、図2の片方の計算で見られていた(図中Aの★で示す)高密接度海氷の氷舌(ice tongue)ともいえるような特徴的な形状が、氷盤衝突の影響度合いを強めたときには拡散して生じなくなるという顕著な違いも見られた。実際に氷盤衝突強度としてどの程度の値を用いればよいかは今後の検討課題であるが、本研究の成果により、氷盤衝突という従来あまり考慮されてこなかった物理を含めることで、氷縁や低密接度海氷域を中心とする海域での計算精度向上を図れる可能性が示された。

図1. 海洋-海氷結合計算により得られた,オホーツク海海氷面積の季節変化。赤線が計算結果,黒線が衛星観測による平年値,最小値,最大値.

図2. 海氷単体計算において,氷盤衝突レオロジーの強度パラメータを変えて行った2種類の計算(A),(B)による計算開始後約75日後(3月1日)の海氷密接度と,その差分(B)-(A).

審査要旨 要旨を表示する

 海洋の約1割が、凍る海である。海氷はその表面特性により太陽光の殆どを反射し、海氷が無い状態に比べて1桁程、太陽からの熱吸収が小さくなる。従って、気温が下がり海氷ができると、海氷の効果により更に気温を下げて海氷が広がる。逆に気温が上がると海氷は加速度的に少なくなり更に気温が上がる。この正のフィードバック効果は、地球温暖化の他、気候変動に大きく関わる重要な問題である。また、海氷の下にできる冷たく重い水は海洋の鉛直循環を引き起こし、豊かな海洋生態系の源となる他、数千年かけて地球を巡る海洋大循環の駆動力となっている。すなわち、海氷は地球温暖化問題を始めとする気候・海洋変動問題の重要なキーの一つになっている。

 海氷は、大きさ形状とも様々な無数の氷盤で構成されているが、従来、数値計算で地球規模の海氷変動を扱う場合、海氷域全体を一つの連続体として定式化することにより取り扱われてきた。中でも、1980年頃にHiblerが考案した粘塑性モデルが、広く用いられている。一方、例えば上記の様な大気・海氷・海洋間の熱収支プロセスを考えると、海氷域中に開いた狭小な開水面が極めて重要な役割を果たすことは明らかであり、高解像度計算の必要性が認識されている。また、生態系への影響プロセスの表現、氷海域での船舶や構造物への影響などの問題には、高解像度計算が不可欠である。しかし、粘塑性モデルは海氷域を大雑把に一つの特性を持つ連続体で表した物であり、高解像度計算には限界がある。本論文は、高解像度の大気・海洋・海氷計算に向けて、氷盤の衝突物理というミクロスケールの現象を丹念に追求し、その定式化に成功したものである。また、そのモデル式をオホーツク海の海氷変動計算に適用し、その実用性も確認している。以下、本論文の構成と内容を示す。

 第1章は序論であり、海氷変動計算の重要性を指摘すると共に海氷の力学的モデリングの歴史と現状を概説し、氷盤衝突を考慮した海氷力学モデルの必要性を述べている。

 第2章「海氷力学の数値モデル」では、海氷変動を数値計算する際に用いられる既存の力学的モデルについて、その特質に注目しながら解説している。海氷の既存力学モデルは前述の連続体モデルと、氷盤個々を追跡する個別要素モデルに大別される。連続体モデルで最も使われているのが粘塑性モデルであり、本論文では、その構成式の物理的意味を詳しく考察している。また、粘塑性モデルを並列計算用に改修した弾粘塑性モデルを紹介している。最後に、個別要素モデルについて解説している。

 第3章「氷盤群を要素とする海氷モデルの開発」では、氷盤衝突によるレオロジーが粘塑性モデルでは表現し得ないものであることを説明した後、Rheemらによって提案されたDMDFモデルを大幅に改良している。DMDFモデルは、計算格子内に形状・大きさとも均質な氷盤を規則的に分布させ、計算格子間の氷群の衝突の際の運動量保存則により、海氷のレオロジーを表現するモデルである。本論文では、この特徴を保ったまま、氷盤衝突物理と氷盤密接時の応力伝達を詳しく考察し、DMDFモデルをより理論的に頑健で、計算のフレキシビリティのあるものに改良している。そして、こうして導き出した理論式を、個別要素モデル計算結果との比較や、単純領域計算により、検証している。

 第4章「氷盤衝突を考慮した連続体海氷モデルの開発」では、上記とは異なるアプローチにて別の海氷モデルを考案している。上記のモデルは、氷盤の衝突物理を氷群という仮定の下で正しくかつ精密にモデル化したものであるが、そのため、氷盤が密になると氷圧が無限大に発散する。上記のモデルでは、疑似弾性を取り入れることによりそれを解決している。また、基本的に計算格子線に垂直方向の氷盤衝突を定式化しているため、氷圧が空間的に直線的に伝わる傾向があるという欠点もあった。そこで、これまで実績のある粘塑性モデルに対し、氷が密でない時には衝突物理に基づくレオロジーを取り入れるという手法を考案している。そのため、第3章で得た定式化をベースに粘塑性モデルとの親和性を考慮した新たな定式化を行い、2つのモデルの接合パラメータを見いだしている。

 第5章「氷海数値計算モデル」は、海氷・海洋連成計算を行うのに必要な他のモデル、すなわち、海洋モデル、海氷熱力学モデル、及びモデルに使用する物理パラメータについて説明している。

 第6章「オホーツク海計算に用いるデータ」では、第7章で行う計算に必要なデータを紹介している。与えるデータは気候値もしくはそれに相当するデータであるため、平年値に相当する計算結果が得られる。

 第7章「オホーツク海における海氷シミュレーション」では、第3,4章で開発した二つの海氷モデルを用いた計算をして、結果を種々考察している。まず、第3章のモデルを用いて、オホーツク海全域の海氷・海洋結合計算を行っている(7.1節)。計算は海氷の全く無い秋から始め、海氷が全て融解する春まで、1シーズンの中期計算を実施している。その結果、海氷分布、海氷総面積の時間変化とも、観測結果と良く一致することを示している。

 第7章の第2部(7.2節)は、第4章のモデルを用いた計算である。ここでは、高解像度計算を意識して、緯度経度で1/12度の解像度で計算を行っている。海洋計算は計算負荷が大きいので、第6章で示した海流データを与え、海氷単体の計算をしている。氷盤衝突応力の大きさを決めるパラメータを変えた計算を行い、その結果を比較した。その結果、氷盤衝突物理の影響を大きくすると、低密接度域における密接度が増え、代わりに高密接度域における密接度が減るという興味深い計算結果が得られた。これにより、将来の高解像度計算に供し得る海氷力学モデルが開発できたと言える。

 第8章は「まとめ」であり、本研究の結論を総括し、本研究で開発したモデルの将来性について論じている。

 以上要するに、本論文は、気候変動に対して重要な役割を果たし、また、寒冷域資源開発・輸送および水産・観光などの経済活動に重大な影響を持つ海氷の変動予測計算の研究分野において、氷盤の衝突物理を考慮した新たな海氷モデルを考案し、実際にオホーツク海にそれを適用して実用性を確かめると共に、来るべき高解像度計算への道のりを示したもので、海洋工学、環境学、海洋学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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