学位論文要旨



No 122285
著者(漢字) 秋山,芳広
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,ヨシヒロ
標題(和) 微傾斜GaAs基板上へのInGaAs結合量子細線および量子ドット構造の形成とその電子伝導特性の研究
標題(洋)
報告番号 122285
報告番号 甲22285
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6490号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 高木,信一
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 田中,雅明
 東京大学 助教授 高橋,琢二
内容要旨 要旨を表示する

 半導体結晶をナノスケールで設計し、電子の量子力学的な波動性を人工的に制御することができれば、半導体デバイスの性能向上や新しい素子機能の創出が可能となる。既に、エピタキシー技術による2次元電子系(量子井戸)の形成手法は確立され、電子物性の調査・解明が十分に進展し、さらに、高電子移動度トランジスタや量子井戸レーザなどの高性能デバイスが今日の社会の中で広く利用されている。他方、1次元電子系(量子細線)や0次元電子系(量子ドット)も、最先端の物理学や次世代のエレクトロニクス技術において重要な役割を果たすものと期待されているが、形成手法や物性理解に課題がある。

 本研究では、微傾斜(111)B GaAs基板上の多段原子ステップを利用したInGaAs結合量子細線構造の形成手法の改良と電子物性の解明を目的として、一連の研究を開始した。ただし、研究の過程で、微傾斜(111)B GaAs基板上の多段原子ステップの上にInGaAs結合「量子ドット」構造が形成される現象を新たに発見したため、研究の範囲が、InGaAs結合量子細線の形成手法と電子物性にまで拡張された。

 本研究の主な成果を、以下にまとめる。

微傾斜(111)B基板上の結晶成長によるInGaAsナノ構造の形成:

 [-1 0 -1]方向に8.5度傾斜した微傾斜(111)B GaAs基板上に、適切な分子線エピタキシー(MBE)の成長条件によって、GaAs多段原子ステップ構造を形成し、その上に薄いInGaAs「量子井戸」層を堆積し、InGaAs結合量子細線構造の形成を行った。In組成が0.1程度の場合には、平均膜厚3nmのInGaAs層の上側表面はほぼ平坦になるため、下側のGaAs多段原子ステップの凹凸によって、InGaAs層の膜厚が準周期的に変調されることを明らかにした。一方、In組成が0.3程度の場合には、平均膜厚3nmのInGaAs層を堆積すると、3次元島(自己形成量子ドット構造)が形成され、しかも多段原子ステップに沿って高密度に配列されることを発見した。

微傾斜(111)B面上でのInGaAs量子ドット構造の形成機構:

 InGaAs量子ドット構造が、微傾斜(111)B GaAs基板上の多段原子ステップに沿って形成されたという報告は、我々が知る限り、他にはなく、材料科学的な観点で興味深い。また、自己形成法による量子細線-量子ドット複合系(デバイス)の実現可能性を示したという点でも意義がある。このInGaAs量子ドット構造の形成条件に関する調査を、堆積するInGaAs層の平均膜厚やIn組成を適宜変更し、その表面形態を原子間力顕微鏡(AFM)で観察することにより行った。その実験結果に基づいて、GaAs多段原子ステップの存在する微傾斜(111)B面上にInGaAs層を堆積させた際の、歪みのエネルギーの蓄積・解放過程を考察し、仮想的な配列ドット形成モデルを提示した。そのモデルでは、隣り合うGaAs多段原子ステップの上に形成される二本のInGaAs細線構造がコヒーレントに接続した際に、それぞれのコヒーレントな変形が部分的に抑制され、エネルギー的に3次元島の形成が(ミスフィット転位の発生よりも)好まれる状況が作られることが、重要である。

InGaAs結合量子細線および量子ドット構造における巨視的な伝導特性:

 InGaAs結合量子細線および量子ドット構造が伝導チャネルに埋め込まれた変調ドープ構造を用いて作製した、平行配置および垂直配置のホールバー型FETにおいて、低温で磁気抵抗測定を行った。In(0.1)Ga(0.9)As結合量子細線構造の測定で電子の2次元的な運動を反映するホール効果や量子ホール効果が観測された。さらに、ホール移動度の異方性などが明らかにされた。また、磁場によって引き起こされる金属-絶縁体転移の特徴が見出された。In(0.3)Ga(0.7)As結合量子ドット構造の測定では、キャリア面密度が比較的高い状況で、ホール効果や量子ホール効果が観測された。また、磁場によって引き起こされる金属-絶縁体転移の特徴も見出された。キャリア面密度を減少させていくと、キャリア面密度が十分に高いにも関わらずコンダクタンスが著しく減少する現象や、キャリア面密度が見かけの上で増加に転じる現象が見出された。キャリア面密度が特に低い領域では、ホール抵抗が消失する磁場領域の出現が見出された。実験結果を基に、古典散乱時間と量子散乱時間を算出し、議論を行った。

波状凹凸界面を持つ量子細線FETにおける局所的な伝導測定:

 In(0.1)Ga(0.9)As結合量子細線構造が埋め込まれた変調ドープ構造の伝導領域を、電子線リソグラフィで狭窄することによって作製されたユニークな量子細線FETにおいて、少数の多段原子ステップが関与する電子伝導特性を調べた。低温で測定されたコンダクタンスのゲート電圧依存性(G-Vg曲線)には、通常の量子コンダクタンスの値(2e2/h)の10%程度の高さのプラトー的の構造や、局所的な山や谷など、興味深い特徴がいくつか現れた。ゲート電圧を固定した場合のコンダクタンスの温度依存性(G-T特性)を抽出すると、ある(臨界)温度以上では、コンダクタンスが温度のベキ乗にほぼ比例して変化するのに対し、その(臨界)温度以下では温度依存性が消失する様子が明らかになった。このような温度特性が、OgataとFukuyamaの、不純物散乱と電子間クーロン相互作用のある1次元系を記述する「汚れた朝永-ラッティンジャー液体」の理論において予測されている特徴に類似していることを見出し、両者の関連性について検証を行った。パラメータを適当に選ぶと、測定された臨界温度以上のG-T特性に一致する、OgataとFukuyamaの理論式の近似式を描くことができた。ここで特に重要な点は、理論式にプリファクターとして現れるKρとベキ指数に現れるKρの二つに対して、同じ値を用いたことである。このような一致は、我々の「乱れているが準弾道的な量子細線」において、クーロン相互作用が後方散乱に与える影響が、「非常に乱れの少ない量子細線」の場合よりも、ずっと顕著に現れることを示唆している。

 以上の成果は、微傾斜(111)B GaAs基板上の多段原子ステップを利用したInGaAsナノ構造の形成法の改良とその電子物性の解明に資するものである。また、ナノスケールの材料科学、低次元電子系の物理学、半導体デバイス工学と呼ばれる学問分野の進展にも貢献することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 先端的な電子素子や光素子の実現に、10ナノメートル(nm)程の寸法の半導体細線(量子細線)や微粒子(量子ドット)を活かす試みが進んでいる。量子細線やドットでは、電子の流れの方向や位置を固定できるだけでなく、運動の自由度が1次元や零次元に低下するため、電子の状態密度の尖鋭化や電子間の相互作用の増大が生じ、新機能の実現に繋がる可能性もある。本論文は、「微傾斜GaAs基板上へのInGaAs結合量子細線および量子ドット構造の形成とその電子伝導特性の研究」と題し、主軸から傾いた基板上に生じる準周期的な凹凸の上にInGaAs薄膜を堆積することによって多数の結合した量子細線や量子ドット列を自然に形成させるための系統的研究について述べるとともに、これらの結合量子細線やドット列を介する電子伝導特性に関する実験的な研究を記しており、6章よりなる。

 第1章は「序論」であり、本研究の背景と目的を記している。

 第2章は、「微傾斜(111)B GaAs基板上の結晶成長によるInGaAsナノ細線と関連構造形成」に関する研究を記している。(111)B面から約8度傾いたGaAs基板上では、原子ステップが集合し、平均周期が20-30nmで深さが2nmほどの波状の凹凸構造が自発的に形成される。この表面に厚さ3nm程のInGaAs薄膜を堆積すると、In組成xが10%程の場合には、InGaAsが溝を埋める形で成長が進み、膜厚が準周期的に変調された構造となることを見出した。このInGaAs構造をGaAs障壁で埋め込むと、電子の存在確率が膜の厚い溝部分で高まるため、結合した量子細線構造となることが予測される。また、In組成を30%とした試料では、溝に沿ってドットが整列した構造が得られることを見出した。さらに、ドットの形状を観測し、前述の溝1本毎にドットが並ぶこともあるが、多くの場合には溝2本毎にドット列が形成されることなども見出している。

 第3章は「微傾斜(111)B面上でのInGaAs量子ドット構造の形成機構」と題し、第2章で述べた整列ドットがどのような仕組みで形成されるかを探るための一連の実験について述べ、一つのモデルを提示している。特に、In組成20%で2nmのInGaAsを堆積した場合、(100)面上ではドットが形成されないが、微傾斜(111)B面の上では、面内寸法が20nm程のドットが溝に沿って整列することを見出した。また、In組成を50%まで高めた場合、(111)B面上では、ドットは形成されずにステップに沿った細線的構造となることも見出している。これらの観測から、準周期的なステップの存在は、堆積されたInGaAs層の歪みの緩和過程に影響を与え、ドットの形成を誘発しているとのモデルを提言している。

 第4章では、「InGaAs結合量子細線および量子ドット構造における巨視的な伝導特性」に関する研究を記している。まず、前に述べた手法で結合量子細線や整列したドット構造を作り、これらをn-AlGaAs/GaAsヘテロ接合のチャンネル部分に埋め込んだ電界効果トランジスタ(FET)を作り、その伝導特性を種々の温度で磁界やゲート電圧の関数として詳細に調べている。まず、In組成10%の結合細線を埋め込んだ試料では、ステップに平行か垂直かによって移動度が明瞭な異方性を示すこと、電子密度の低い状況では、局在効果に伴う絶縁体的な状態が出現すること、磁場の印加によって局在効果が解消され、金属的な状態と絶縁体的な状態の間を転移することなどを見出した。また、In組成30%の試料で、ドット列を埋め込んだ試料では、ステップに平行か垂直かで10倍以上の伝導度の異方性が生じることや、電子密度の低い状況では、ドットによって電子が捕縛されて、伝導度が激減するなど、特異な伝導特性を見出し、その機構を考察している。

 第5章では、「波状凹凸界面を持つ量子細線FETにおける局所的な伝導特性」の研究を記している。まず、In組成10%のInGaAs結合量子細線を埋め込んだチャネルを持つウェーファに電子ビームリソグラフィーによる微細加工を施し、伝導チャンネルの実効幅が100nm以下で、長さが2μm程のユニークなFETを作成している。この素子では、ゲート電圧によって、電子は1本から数本のInGaAs細線内を通って流れるが、そのコンダクタンスGを極低温域で温度Tやゲート電圧の関数として調べた。この結果、ゲート電圧の増加に伴なってGは振動的に増加すること、また温度を下げると、Gがある範囲でTのべき乗で減ることなどを見出した。こうした伝導特性を考察し、1次元電子系における多体効果と散乱効果を同時に考慮した朝永-ラティンジャー液体に対する伝導理論の予測に近い部分が多いことを指摘している。

 第6章では、本研究で得られた主要な知見をまとめ、結論を述べている。

 以上述べたように、本論文は、微傾斜GaAs (111)B面上で準周期的な凹凸構造を作り、その上に堆積したInGaAs結晶の成長を系統的に調べ、凹凸に沿って20-50nm程の寸法の結合量子細線構造や量子ドット列構造が自己形成されることを見出すとともに、それらのナノ構造を介して流れる電子が一連の特異な伝導特性を示すことを明らかにしたものであり、電子工学に寄与するところが少なくない。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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