学位論文要旨



No 122300
著者(漢字) 澤田,桂
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,ケイ
標題(和) 凝縮系における光の動的回折理論
標題(洋) Dynamical Diffraction Theory for Optical Wave Propagation in Condensed Matter Systems
報告番号 122300
報告番号 甲22300
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6505号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 助教授 古澤,明
 東京大学 助教授 求,幸年
内容要旨 要旨を表示する

 フォトニック結晶による光の制御や高輝度X線自由電子レーザーの開発により,新しい光学現象の開拓が望まれている.そこで本研究では,こうした実験技術の進展に立脚した光学理論の構築を目的とする.

 光は電磁波であり,Maxwell方程式から導かれる波動方程式に従う:

 ここでε(〓)は媒質の誘導率,〓(〓)は磁場,ωは周波数で,cは真空中の光速である.この方程式から,電磁波の挙動は誘電率ε(〓)の情報によって支配されることがわかる.従って,新現象予言のための指針としては,誘電率ε(〓)が特殊な性質をもつ物質を考えればよい.そこでまず 特殊な物質の例として,時間反転対称性と空間反転対称性の両方が同時に破れたマルチフェロイックな物質に着目する.このような物質において発現する,光の進行方向に応じて屈折率が異なる光学効果(光学的電気磁気効果)がもたらす新現象を開拓する.また,誘電率が周期的に変化する場合に電磁波のBloch波がもたらす性質として,歪みのある結晶における波束の伝搬の様子を調べる.本論文で得られた結果は,次の3つである:

(a) フォトニック結晶における光学的電気磁気効果の増強

(b) 光に作用するローレンツ力

(c) 歪んだ結晶におけるX線波束の巨大シフト

それぞれについて以下に詳しく述べる.

(a) フォトニック結晶における光学的電気磁気効果の増強

 結晶の対称性の破れは光学効果と密接に関連している.例えば,chiralな系では光学活性が,時間反転対称性の破れた系では磁気光学効果が,これらは光の偏光状態に依存した効果である.一方,偏光に依存しない光学効果は,空間反転と時間反転の両方の対称性の破れを要求する.両方の対称性の破れたマルチフェロイクスと呼ばれる物質群では,光学的電気磁気(Optical Magneto-Electric,OME)効果と呼ばれる偏光に依存しない光学効果が存在し,光の進行方向に応じて屈折率が異なる.OME効果では,〓≡Σi〓i×〓iで表されるトロイダルモーメントが重要な役割を果たし,屈折率がn=n0+α〓・〓と書ける.ここで〓≡〓/(〓)は光の伝搬方向の単位ベクトルである.このトロイダルモーメントは物質の表と裏を区別する量であり,特に,強誘電かつ強磁性の物質に対しては,電気分極〓と磁化〓を用いて〓∝〓×〓と考えることができるため,以下では簡単のためこのような場合で議論を進める.

 OME効果は一般に非常に小さい.物質の表と裏の屈折率の差は高々n→−n←〜10(-3)程度であり,垂直入射の反射率の差に換算すると,R→−R←〜10(-5)となって測定が困難である.そこで,本研究ではフォトニック結晶を使ったOME効果の増強法を提案する.

 図1(a)に示すように,トロイダルモーメントを周期性のある方向へ向けさせたフォトニック結晶(回折格子)を作り,垂直入射光を考えた.このとき,OME効果は1次の回折光における左右の強度差として現れる.左右の回折光の反射率差R→−R←の周波数依存性を図1(b)に示す.反射率差は,回折格子の厚さLと格子の周期aの比率によって異なるが,R→−R←〜10(-2)を示し,バルクの場合の反射率差と比べて1000倍にも増強されることがわかった.

 このように,磁性と誘電性をあわせもつ物質の光学応答を増強させることは,応用に対しても有用である.外部磁場などで磁化〓の向きを変えることでトロイダルモーメント〓の向きを制御することができる.従って,図1において磁場をかけて磁化を反転させることにより,R→とR←の大きさを反転させられる.さらに,OME効果は偏光によらない光学効果であるから,このようなマルチフェロイクスによるフォトニック結晶は,無偏光の光に対して波長分解のみならずスイッチとしての機能も果たすことができる.

(b) 光の「ローレンツ力」

 電子と光のアナロジーは古くから知られている.しかし,光子は電荷をもたないため,磁場中の荷電粒子に働くローレンツ力に対応するような力は,知られていなかった.本研究では,OME効果を用いることで,光線の進行方向に対して横向きに作用する「ローレンツ力」が実現できることを理論的に示す.

 OME効果は偏光によらない光学効果であるから,光の伝搬を記述するには幾何光学が有用である.トロイダルモーメントが空間変化するとき,幾何光学における光線の方程式

が得られる.〓をベクトルポテンシャルとみなせば,右辺第3項はローレンツ力に他ならない.従って,〓の空間変化が光に対するローレンツ力を生み出す.このような空間変化をもつトロイダルモーメントは図2のようなドメイン壁で実現され,ドメイン壁を通過する光は向きを逆転させても元の軌跡をたどれなくなる.図2における曲がり具合δは,ドメイン壁の幅をh,厚さをl,OME効果の大きさをa=(n→−n←)/n0とすると,δ〜〓aと評価できる.典型的な物質としてGaFeO3では,δ〜1μmと見積もれる.従って,ドメイン壁を通る光による濃淡(図2)は,光学顕微鏡で見えるオーダーであると期待される.

(c) 歪んだ結晶におけるX線波束の動的回折理論

 X線回折理論において,結晶中で多重散乱過程を考慮するX線回折理論は動的回折理論と呼ばれる.動的理論ではX線はBloch波として記述される.

 周期性のある誘電率をもつ物質中を伝搬すると電磁波はBloch状態として振舞う.誘電率の周期を〓であらわすと,ε(〓+〓)=ε(〓)である.このとき,電磁場ベクトルは周期関数〓(〓)=〓(〓+〓)を用いて〓(〓)≡〓(〓),=c(i〓・〓)〓(〓)と表される.このBloch状態を重ね合わせて,波数空間に鋭いピークをもつような波束を作り,波束の重心運動に対する解析力学を考える.波束は実空間と波数空間の両方に広がりをもつため,波束の力学を記述するには,重心の位置〓と波数の重心〓に関する運動方程式が便利である.そこでこれらに関する運動方程式をたてると,次式を得た.

ここでΩ(〓〓)などはBerry曲率と呼ばれ,(Ω(〓〓))(αβ)≡i〈∂rα〓zc|∂kβ〓zc〉−i〈∂kβ〓zc|∂rα〓zc〉.〓r,kはBerry接続と呼ばれ,波束を構成するBloch波の偏光をλで指定すると,次式で定義される:[〓r,k](λλ')≡i(〓nλ〓crc|∇〓c,〓c〓nλ〓crc).また,|zc)は波束の偏光状態を表す.(2)式と(3)式の右辺第1項が波面の電波を表し,通常の幾何光学を再現する.右辺第2項以降及び(4)式が今回新しく得られたもので,Bloch波で波束を作ったことにより幾何光学に補正が加わることを示している.この補正は数学的にはBloch関数のもつBerry曲率に起因する.

 実際にBerry曲率が有限になる場合として,ここでは図3のように結晶格子において原子の位置が〓から〓+〓(〓)へと歪んだ場合を考えた.このとき,波束の運動方程式は〓cに関する方程式が非自明な意味をもち,次式のように書ける:〓c=〓g−Ω〓〓・〓c.右辺第1項〓g=∇(κω)は群速度を表す.第2項が今回新しく得られた群速度へのBerry位相による補生項であり,結晶ゆがみと関係している.Bragg条件近傍で2波近似により運動方程式を解いた結果,次式を得た:

ここで,ΔωはBragg散乱による分散関係のギャップの大きさである.この結果は,歪んだ結晶中を伝搬する波束の重心は群速度から予測される位置からシフトし,そのシフトはBerry曲率で記述されることを意味する.Δ〓cの大きさは,ギャップの大きさΔωに反比例し,特にX線の場合にはω/Δω〜106であるから,100万倍もの増強因子を与える.従って,例えば0.1nmの歪みに対して波束がその100万倍の0.1mmシフトする.つまり,ミクロな歪みの情報が,波束のマクロなシフトとして観測できることを示している.

まとめ

 本論文では,時間・空間の対称性の破れた物質での光学効果を用いた新現象と,物質の周期構造を反映した新現象を理論的に発見した.

 空間反転と時間反転の両方の対称性の破れたマルチフェロイクスにおける光学現象では,光の進行方向に応じて屈折率が異なるという光学的電気磁気(OME)効果に着目し,フォトニック結晶を工夫することで,OME効果が数桁増強できることを見出した.

 さらに,OME効果で物質の裏表を規定するトロイダルモーメントの光学的意味を考察し,光にとってのベクトルポテンシャルの役割を果たすことを示した.特に,トロイダルモーメントのドメイン壁では光が同じ軌跡を逆にはたどれないという現象が起きることを発見した.

 また,結晶の周期性に着目した現象として,X線波束の運動方程式を導き,Bloch関数のもたらすBerry曲率が幾何光学の方程式に補正として加わることを指摘した.特に,歪みのある結晶中ではこのようなBerry曲率の影響で波束の重心位置がシフトし,その大きさは歪みの100万倍にも及ぶことを見出した.このようなBerry曲率は分散関係におけるギャップに反比例するので,X線ではBerry曲率のもたらす現象が巨大な応答として得られ,X線光学における理論的手法としてBerry位相によるアプローチが有用であることを示唆する.

図1: (a)マルチフェロイクスで作ったフォトニック結晶.周期性のある方向と〓の方向を一致させる.回折格子の周期をa,厚さをLとする.(b)R→−R←の周波数依存性.

Fig.2 トロイダルモーメントのドメイン壁における光の屈折.

図3 歪みのある結晶中を伝わるX線波束.波束は群速度から期待される位置から〓の方向へシフトし,シフトの大きさは歪みの100万倍に及ぶ.

審査要旨 要旨を表示する

 光は波動であるが、その波長が短い極限で幾何光学によって良く記述され、それが各種の光学器機の設計原理となっている。物質の光学的性質は通常誘電率テンソルで表され、それが分散、複屈折などの結晶特有の現象を記述する。しかし、一方で波動としての性質が顕に現れる場合もあり、光の回折現象はその代表的なものである。沢田氏は、新しい機能-マルチフェロイック-を持つ物質においては、通常の場合とは異なり、光の波数ベクトルの方向に依存した誘電率を持つことに着目し、そこでの光学現象を理論的に調べた。具体的には、(i)マルチフェロイック物質のフォトニック結晶により非相反光学効果が約1000倍増強されること、(ii)マルチフェロイック物質における幾何光学の方程式を導出すると、光に働く「ローレンツ力」が現れること、を見出した。さらに、幾何光学の方程式に対する波動力学的補正を求め、それが実空間と波数空間を合わせた6次元空間におけるベリー位相曲率で書けることから、歪んだフォトニック結晶中における光線の伝播に、増強されたシフトが生じることを見出した。この結果をX線に適用すると、X線のビームがブラッグ条件近傍で歪みの大きさの10の6乗倍もシフトすることが予言された。

本論文はprefaceと5つのChapter, Appendix A,Bからなる。

 Prefaceで論文の全体像を簡潔に述べてある。

 Chapter1は"Introduction"として光学に関する基本的な予備知識をまとめている。Maxwell方程式による波動光学の説明から始まって、幾何光学近似、そして電子系との類似点を述べた後、フォトニック結晶、X線回折の運動学的理論と動的理論などを解説している。特に、Chapter 4に関連して、X線の動的理論に関し、Takagi-Taupin方程式や、加藤範夫によるアイコナール理論を概観している。最後に、Chapter 2,3 に関連して、多重極展開による結晶の対称性の議論と光学応答の分類を行っている。

 Chapter2は"Multiferroic Photonic Crystals"として、マルチフェロイック物質で作ったフォトニック結晶における光学的電気磁気効果の増強を論じた。層状構造と、グレーティング構造の双方について、反射光の回折方向による強度差を転送行列法・平面波展開法で計算し、フォトニック結晶を作らない場合に比べて1000倍にも及ぶ増強効果が得られることを示した。これに対応する実験結果も紹介されている。

 Chapter3は"Lorentz Force Acting on Light"として光学的電気磁気効果による光のローレンツ力について論じてある。誘電率が光の波数ベクトルの方向に依存する場合に幾何光学の方程式を解くことで、光にあたかも「磁場」が作用するような光線の軌跡が得られることを示した。応用としてマルチフェロイック物質におけるドメイン壁のイメージングを提案している。

 Chapter4は"Berry Phase Theory for Dynamical Diffraction"で、フォトニック結晶中の波束に対する、位置と運動量の半古典的運動方程式を求め、幾何光学の方程式に対する補正を波数に関する最低次のところまで求めた。この補正は実空間と波数空間を合わせた6次元空間におけるベリー位相曲率で書ける。これを、歪んだフォトニック結晶中における光線の伝播に適用し、その軌跡に大きなシフトが生じることを見出した。通常の結晶格子はX線にとってはフォトニック結晶として作用するので、このアイデアはそのまま歪のある結晶に対するX線の動的回折理論へと適用できる。この場合、X線のビームがブラッグ条件近傍で歪みの大きさの10の6乗倍もシフトすることが予言された。

 Chapter5は"Summary and Discussion"で、論文全体を総括し、そこからみえる今後の展望について述べられている。

 付録としてAppendix AではChapter2でのMaxwell方程式を解くための転送行列法・平面波展開法の詳細について、Appendix BではChapter4におけるBerry位相の計算の詳細について述べている。

 以上をまとめると、本論文では新しい物質機能・原理に基づく新しい光学現象とその巨大化を理論的に研究し、新奇な効果の予言・提案を行った。さらにそれが少なくとも部分的には実験的にも検証されている。本論文の研究により、マルチフェロイック物質やフォトニック結晶を用いた光学の基礎・応用に関する理解が進展し、今後の物理工学へ寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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