学位論文要旨



No 122301
著者(漢字) 馬場,輝久
著者(英字)
著者(カナ) ババ,テルヒサ
標題(和) 光電子分光によるホウ酸炭化物超伝導体の研究
標題(洋)
報告番号 122301
報告番号 甲22301
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6506号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 吉澤,英樹
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 藤森,淳
内容要旨 要旨を表示する

[はじめに]

 1994年に発見されたホウ素炭化物RNi2B2C(R=rare earth)は希土類Rを変えることで磁性と超伝導が複雑に織り成し、超伝導秩序,磁気秩序,そしてそれらの秩序が共存するといった様々な状態をとることが知られている[1,2]。そして非磁性ホウ素炭化物超伝導体(R=Y, Lu)においては、フォノンを媒介としてCooper対を組むにもかわらず、超伝導ギャップにノードを持つような非常に大きな異方性があることが様々な実験から示唆されている。また磁性ホウ素炭化物超伝導体(R=Dy, Ho, Er, Tm)においては、超伝導と反強磁性が共存し、Tc>>TNからTc

 本論文ではこれらのホウ素炭化物超伝導体のうち,(1)非磁性ホウ素炭化物超伝導体YNi2B2Cにおける超伝導ギャップ異方性,(2)磁性ホウ素炭化物超伝導体ErNi2B2Cにおける磁性と超伝導の相関,について光電子分光法を用いて研究を行った。

[YNi2B2Cの角度分解光電子分光]

 YNi2B2C (Tc〜15K)は、Bの同位体効果などからフォノンを媒介としてCooper対を組むことがわかっている。これまでフォノン媒介超伝導体においては等方的な超伝導ギャップが開くと考えられてきた。しかしながら比熱の磁場依存性[3]や光電子スペクトル[4]における不純物効果から、YNi2B2Cは超伝導ギャップにノードを持つような非常に大きな超伝導ギャップ異方性を持つ異方的s波超伝導体であることがわかった。近年においては超伝導ギャップ構造までが議論されるようになり、熱伝導率の磁場角度依存性[5]や全弾性モードに対する超音波吸収係数の温度依存性[6]からはポイントノード(s+g波)を持つ超伝導ギャップ構造が示唆されている。しかしその一方で比熱の磁場角度依存性[7]からはラインノードを持つ超伝導ギャップ構造が示唆されている。また最近では比熱の温度依存性[8]などからMgB2と同様に2ギャップ超伝導体であるといった報告もなされるようになった。このように超伝導ギャップ異方性の起源を解明する上で重要な超伝導ギャップ構造は決着がついていない。そして超伝導ギャップ異方性の起源も解明されていない。

 角度分解光電子分光(ARPES)は波数に分解して電子状態を観測できる唯一の手法である。バンド分散やフェルミ面形状、超伝導ギャップ測定を行うことで、超伝導ギャップ異方性の起源を解明することができると考えられる。

 しかしYNi2B2Cは3次元的電子構造をしており劈開性がない。ARPES測定には原子レベルで清浄かつ平坦な表面の作製が必須となる。これまで国内外で多くの研究者がYNi2B2CのARPESを試みてはいたが成功した例はない。

■単結晶清浄試料表面作製

 本研究で私は、まずイオンボンバード・アニーリング・表面の評価が行える装置の設計・建設を行った。これまでのBやCを含む金属間化合物における表面研究では清浄表面を得るために千数百度C以上まで上げている例が多い。そのためエレクトロンボンバード法による加熱機構を設計し、加熱温度1800℃を達成した。一方、清浄表面作製において残留ガスの表面吸着を減らすため、直列二重連結したターボ分子ポンプ、カートリッジポンプ、チタンゲッターポンプを用い、到達真空度3×10(-11)Torrを達成した。

 完成した単結晶清浄試料表面作製装置を用いて、清浄表面作製法の確立していないYNi2B2C (001)単結晶の清浄表面作製を行った。その結果、Arイオンボンバード数時間と約1200℃のフラッシュアニーリングを繰り返し行うことで、Auger電子分光(AES)により表面吸着元素の除去(図1)、及び低速電子線回折(LEED)によりバルク回折パターン(図2)を確認した。これによりYNi2B2C (001)単結晶の清浄表面作製法を世界で初めて確立することに成功した。

■角度分解光電子分光

 得られたYNi2B2C (001)単結晶の清浄表面を用いてARPES実験を行った。励起光源にはHeIα(21.218eV)を用い、まずΓ-X方向に沿って価電子帯を測定を行った。その結果、バンド分散(図3)、及びフェルミ面形状(図4(a))の観測に世界で初めて成功した。これらの結果とバンド計算とを比較すると良い一致を示しており、バルク電子状態を反映したスペクトルが得られていることを確認した。

 次に、超伝導ギャップ異方性の起源を調べるため、HeIαの励起光を用いて測定できる第1Brillouin域におけるFermi面上の全ての点において低温・超高分解能ARPES測定を行った。超伝導状態(6K)における光電子スペクトルを見てみると、全ての測定点において超伝導ギャップが開き、それにともない準粒子ピークが立っているのが観測された(図4(b))。このように波数に分解してYNi2B2Cの超伝導ギャップを観測したのも世界で初めてである。測定した点全てのスペクトルで超伝導ギャップが開いているということはラインノードがないことを意味している。従ってこの実験により超伝導ギャップ構造がラインノードでないことを直接的に確認することができた。さらに超伝導ギャップの波数依存性を調べるため、観測した超伝導スペクトルをBCS関数を用いてフィッティングを行った。その結果、一番小さいところで1.5meV、一番大きいところで3.2meVと、2倍強の比を持つ大きな異方性があることを確認した(図4(c))。また超伝導ギャップの大きさは、Fermiシートごとに異なるというより、面内での異方性が顕著であり、2ギャップのモデルと一致しないことが確認された。さらに詳しく見てみると、バンド計算や非弾性中性子散乱で指摘されているネスティングベクトルに極めて近いところ(図4(c)C)で超伝導ギャップが最小値をとることがわかった(図5)。従って、Fermi面のネスティングと超伝導ギャップが最小値が何らかの関連があることがわかった。またこの結果は、強電子-フォノン結合と反強磁性揺らぎが共存し、反強磁性揺らぎはネスティングベクトルで結ばれる部分で起こる場合、ネスティングベクトルで結ばれる部分で超伝導ギャップが最小値を取ると指摘する理論[9]と良い一致を示した。これらからYNi2B2Cにおける超伝導ギャップ異方性は反強磁性揺らぎに由来するものである可能性を指摘した。

[ErNi2B2Cのレーザー光電子分光]

 超伝導と磁気秩序の共存は、シェブレル化合物やロジウム・テトラボライドなどで以前から発見され、多くの研究がなされている。しかし、これらの物質群は転移温度が低く、光電子分光による電子状態の研究は、装置のエネルギー分解能や冷却温度の制約からなされておらず、磁性超伝導体の詳細な電子状態、特に超伝導ギャップの温度依存性については良くわかっていない。

 しかし1994年のホウ素炭化物超伝導体の発見により、より高い転移温度での超伝導と磁気秩序の共存が様々な実験から明らかになった[1,2]。また一方で光電子分光装置の性能も格段に向上し、真空紫外レーザー(hυ=6.994eV)を励起光源とし、冷却機構及びその制御精度を改良した低温・超高分解能光電子分光装置では、エネルギー分解能〜360μeV、到達冷却温度〜3K(各々世界最高値)にまで達するようになった[10]。また励起エネルギーが低いためバルク敏感な測定ができるという利点もある。

■レーザー光電子分光

 そこで磁性超伝導体の電子状態を調べるために磁性ホウ素炭化物超伝導体の中で一番高い共存温度を有するErNi2B2C (Tc=9.3K, TN=6.0K)のレーザー光電子分光実験を行った。図6にErNi2B2Cの光電子スペクトルの温度変化を示す。観測したスペクトルはEF上に有限の状態密度を持ち準粒子ピークもほとんど立っていない。これは非磁性ホウ素炭化物超伝導体の振る舞いと明らかに異なっており、超伝導ギャップの異方性や不純物散乱だけでは説明できない。Abrikosov-Gor'kov理論によると、磁性不純物を含む超伝導体は磁気モーメントの散乱によりCooper対が有限の寿命を持ちスペクトルはブロードになるとされる[11]が、実験結果はそれを良く反映していると考えられる。また図7は各々の温度についてBCS関数を用いてフィッティングを行って超伝導ギャップを見積もり、その温度変化を示したものである。超伝導ギャップの温度依存性において、Neel点直下でBCS理論からの大きな逸脱を観測し、世界で初めて磁性超伝導体のバルク電子状態密度の温度変化の詳細を明らかにすることに成功した。理論的には、反強磁性転移温度でスピン密度波ギャップを生成する反強磁性分子場の急速な発達により超伝導が弱められ超伝導ギャップの値が一度小さくなり、更に温度が下がるにつれ磁化が飽和・超伝導凝集エネルギーが増加するため、超伝導ギャップの値が回復することにより、その温度依存にくぼみができることが予想されていた[12]。実験結果と理論との比較を行ったところ、他の実験結果から得られているパラメータと矛盾しない値で実験結果を再現することができた(図7:橙破線)。これにより反強磁性超伝導体における超伝導ギャップの温度変化における理論的検証を25年の時を経て実験的に証明することに成功した。

[参考文献][1] R. J. Cava, H. Takagi, B. Batlogg, H. W. Zandbergen, J. J. Krajewski, W. F. Peak, Jr., R. B. van Dover, R. J. Felder, T. Siegrist, K. Mizahashi, J. O. Lee, H. Eisaki, S. A. Cater, and S. Uchida, Nature (London) 367, 146 (1994)[2] K. -H. M?ller and V. N. Narozhnyi, Rep. Prog. Phys. 64, 943 (2001).[3] M. Nohara, M. Isshiki, H.Takagi, and R. J. Cava, J. Phys.Soc. Jpn. 66, 1888 (1997).[4] T. Yokoya, et al.,Phys. Rev. Lett. 85,4952 (2000).[5] K. Izawa et al.,Phys. Rev. Lett. 89, 137006 (2002).[6] T. Watanabe, M. Nohara, T. Hanaguri, H. Takagi, Phys. Rev. Lett. 92, 147002 (2004).[7] T. Park, et al., Phys. Rev. Lett. 90, 177001 (2003).[8] C. L. Huang et al., Phys.Rev. B 73, 012502 (2006).[9] H. Kontani, Phys. Rev. B 70, 1 (2004).[10] T. Kiss, et al., Phys. Rev. Lett. 94, 057001 (2005).[11] A. A. Abrikosov and L. P. Gor'kov, Zh. Eksperim. I Teor. Fiz. 39, 1781 (1960) [English transl.: Soviet Phys. JETP 12, 1243 (1961)].[12] K. Machida, K. Nokura and T. Matsubara, Phys. Rev. B 22, 2307 (1980).

図1:YNi2B2CのAuger電子スペクトル

図2:YNi2B2C (001)のLEEDパターン(128eV)

図3:YNi2B2Cのバンド分散

図4(a)Fermi面,(b)ARPESスペクトル,(c)超伝導ギャップの大きさ

図5:超伝導ギャップ最小とネスティングベクトル

図6:ErNi2B2Cのレーザー光電子温度変化スペクトル

図7:超伝導ギャップの温度依存性と理論との比較

審査要旨 要旨を表示する

 ホウ素炭化物RNi2B2Cは希土類Rを変えることで磁性と超伝導が複雑に織り成し、超伝導秩序,磁気秩序,そしてそれらの秩序が共存するといった様々な状態をとることが知られている。非磁性ホウ素炭化物超伝導体(R=Y, Lu)においては、フォノンを媒介としてCooper対を組むにもかわらず、超伝導ギャップにノードを持つような非常に大きな異方性があることが様々な実験から示唆されている。また磁性ホウ素炭化物超伝導体においては、超伝導と反強磁性が共存し、様々な相図が存在している。

 本論文の目的は、超高分解能光電子分光法を用いて、これらのホウ素炭化物超伝導体のうち,(1)非磁性ホウ素炭化物超伝導体YNi2B2Cにおける超伝導ギャップ異方性,(2)磁性ホウ素炭化物超伝導体ErNi2B2Cにおける磁性と超伝導の相関について研究を行うことである。

第1章は実験手法について述べている。使用した2つの光電子分光装置についての概観を述べた後に、論文提出者が主として行ったイオンボンバード・アニーリング・表面の評価が行える装置について述べた。これまでのBやCを含む金属間化合物における表面研究では清浄表面を得るために千数百度C以上まで上げている例が多い。そのためエレクトロンボンバード法による加熱機構を設計し、加熱温度1800℃を達成した。完成した単結晶清浄試料表面作製装置を用いて、清浄表面作製法の確立していないYNi2B2C (001)単結晶の清浄表面作製を行った。その結果、Arイオンボンバード数時間と約1200℃のフラッシュアニーリングを繰り返し行うことで、Auger電子分光(AES)により表面吸着元素の除去、及び低速電子線回折(LEED)によりバルク回折パターンを確認した。これによりYNi2B2C (001)単結晶の清浄表面作製法を世界で初めて確立することに成功した。

第2章は超伝導の基礎理論について、第3章は超伝導ギャップ異方性について、第4章は非磁性ホウ素炭化物超伝導体について、概観を述べている。

第5章はYNi2B2Cの角度分解光電子分光について述べられている。YNi2B2C (001)単結晶の清浄表面を用いてARPES実験を行った。励起光源にはHeIα(21.218eV)を用い、まずΓ-X方向に沿って価電子帯の測定を行った。その結果、バンド分散、及びフェルミ面形状の観測に世界で初めて成功した。これらの結果とバンド計算とを比較すると良い一致を示しており、バルク電子状態を反映したスペクトルが得られていることを確認した。次に、超伝導ギャップ異方性の起源を調べるため、HeIαの励起光を用いて測定できるBrillouin域におけるFermi面上の全ての点において低温・超高分解能ARPES測定を行った。超伝導状態(6K)における光電子スペクトルを見てみると、全ての測定点において超伝導ギャップが開き、それにともない準粒子ピークが立っているのが観測された。このように波数に分解してYNi2B2Cの超伝導ギャップを観測したのも世界で初めてである。測定した点全てのスペクトルで超伝導ギャップが開いているということはラインノードがないことを意味している。従ってこの実験により超伝導ギャップ構造がラインノードでないことを直接的に確認することができた。さらに超伝導ギャップの波数依存性を調べるため、観測した超伝導スペクトルをBCS関数を用いてフィッティングを行った。その結果、一番小さいところで1.5meV、一番大きいところで3.2meVと、2倍強の比を持つ大きな異方性があることを確認した。また超伝導ギャップの大きさは、Fermiシートごとに異なるというより、面内での異方性が顕著であり、2ギャップのモデルと一致しないことが確認された。さらに詳しく見てみると、バンド計算や非弾性中性子散乱で指摘されているネスティングベクトルに極めて近いところで超伝導ギャップが最小値をとることがわかった。従って、Fermi面のネスティングと超伝導ギャップの最小値が何らかの関連があることがわかった。またこの結果は、強電子-フォノン結合と反強磁性揺らぎが共存し、反強磁性揺らぎはネスティングベクトルで結ばれる部分で起こる場合、ネスティングベクトルで結ばれる部分で超伝導ギャップが最小値を取ると指摘する理論と良い一致を示した。これらからYNi2B2Cにおける超伝導ギャップ異方性は反強磁性揺らぎに由来するものである可能性を指摘した。

第6章は磁性と超伝導について、第7章 磁性ホウ素炭化物超伝導体 について、概観を述べている。

第8章はErNi2B2Cのレーザー光電子分光について述べている。磁性超伝導体の電子状態を調べるために磁性ホウ素炭化物超伝導体の中で一番高い共存温度を有するErNi2B2C (Tc=9.3K, TN=6.0K)のレーザー光電子分光実験を行った。観測したスペクトルはEF上に有限の状態密度を持ち準粒子ピークもほとんど立っていない。これは非磁性ホウ素炭化物超伝導体の振る舞いと明らかに異なっており、超伝導ギャップの異方性や不純物散乱だけでは説明できない。Abrikosov-Gorkov理論によると、磁性不純物を含む超伝導体は磁気モーメントの散乱によりCooper対が有限の寿命を持ちスペクトルはブロードになるとされるが、実験結果はそれを良く反映していると考えられる。超伝導ギャップの温度依存性において、Neel点直下でBCS理論からの大きな逸脱を観測し、世界で初めて磁性超伝導体のバルク電子状態密度の温度変化の詳細を明らかにすることに成功した。理論的には、反強磁性転移温度でスピン密度波ギャップを生成する反強磁性分子場の急速な発達により超伝導が弱められ超伝導ギャップの値が一度小さくなり、更に温度が下がるにつれ磁化が飽和・超伝導凝集エネルギーが増加するため、超伝導ギャップの値が回復することにより、その温度依存にくぼみができることが予想されていた。実験結果と理論との比較を行ったところ、他の実験結果から得られているパラメータと矛盾しない値で実験結果を再現することができた。これにより反強磁性超伝導体における超伝導ギャップの温度変化における理論的検証を25年の時を経て実験的に証明することに成功した。

 以上、YNi2B2CとErNi2B2Cについて、高分解能光電子分光を行い、超伝導の異方性と磁性の関係についてについて議論し、これにより、ホウ素炭化物RNi2B2C(R=rare earth)の豊富な物性について理解を得ることができた。この研究は物理工学に大きく寄与するものであり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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