学位論文要旨



No 122302
著者(漢字) 藤岡,伸秀
著者(英字)
著者(カナ) フジオカ,ノブヒデ
標題(和) 2次元擬似位相整合素子を用いたフェムト秒光パルスの波長変換
標題(洋)
報告番号 122302
報告番号 甲22302
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6507号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 宮野,健次郎
内容要旨 要旨を表示する

 フェムト秒光パルスの波長変換は非常に基礎的であるが、重要な光源技術である。なぜなら、高速分光、コヒーレント制御、レーザーアブレーション、光通信といったフェムト秒光パルス応用には、さまざまな波長域のフェムト秒光パルスが必要になるからである。実際、チタンサファイアレーザー(動作する中心波長〜800nm)をはじめとするフェムト秒レーザーだけで全ての波長域の光パルスを生成することは不可能であり、波長変換は必須の技術なのである。また、フェムト秒波長変換技術は、単に波長を変換するという意義に加え、パルス幅を変える(もう少し正確に言えば、パルスの特性を変える)ことも可能であり、大変興味深い。後者はカスケード2次非線形光学効果と呼ばれる技術で、位相不整合条件下で波長変換を行うことにより、伝搬する光波に非線形位相シフトが付加されることを利用する。つまり、3次非線形光学効果の非線形屈折率効果に相当する効果を2次非線形光学効果で誘起する技術である。フェムト秒カスケード2次非線形光学効果によって、ソリトンパルス圧縮、時空間ソリトンの生成、周波数シフト、群速度制御、数サイクルパルスの発生が可能となる。

 このようにフェムト秒波長変換は、多彩な応用が期待されるのであるが、群速度不整合という本質的な問題を抱えている。群速度不整合とは、非線形光学結晶において、波長変換パルスとポンプ光パルスとの群速度が一致しないことである。このため、伝搬にともなって波長変換パルスのパルス幅拡がりが起きてしまうのである(周波数領域では、スペクトル狭帯域化が起きることに相当する)。群速度不整合の効果のある状況下では、短いパルス幅をもつ波長変換パルスを得るためには、パルス幅拡がりの起きる前に波長変換を打ち切る以外に方法はなく、したがって、効率の低い波長変換しか行えない。確かに、高い強度で波長変換を行えば、非線形性が大きくなるため波長変換効率の増加が期待される。しかし、フェムト秒波長変換ではピーク強度がもともと十分に大きいケースが多々あり、高い強度を使用することは、むしろ、自己収束による結晶へのダメージ、非線形屈折率効果による位相整合条件のずれや時間プロファイルの劣化、2光子吸収によるロスの生成といった新たな問題を引き起こすことにつながる。

 そこで本研究では、群速度不整合を補償し、この問題を根本的に解決したフェムト秒波長変換法の開発を目的とした。波長変換素子としては、非線形光学定数の任意のテンソル成分を利用でき、設計の自由度を有する擬似位相整合素子に注目した。この波長変換法を用いることにより、波長変換パルスのパルス幅拡がりがなく、高効率にフェムト秒波長変換を行うことが可能になる。

 本論文では、(1)擬似位相整合素子を用いたフェムト秒第2高調波発生、(2)2次元擬似位相整合素子を用いたフェムト秒カスケード第3高調波発生、(3)非平行1次元擬似位相整合素子を用いたフェムト秒カスケード第3高調波発生、以上3種類の波長変換における群速度不整合補償法について、その研究内容を詳細にまとめた。本研究では、これらの方法の原理を提案するだけでなく、これらの方法を使用した場合の波長変換特性についても実験・理論の両面から調べ、高効率に波長変換を行えることを実証した。以下、これら個々の研究内容について、その要旨を述べる。

(1)擬似位相整合素子を用いたフェムト秒第2高調波発生

 本研究における群速度不整合補償法に共通する基本的な考え方は、(非線形結晶において)群速度不整合により引き起こされる時間ウォークオフの効果を、空間ウォークオフとパルス面傾斜の組み合わせにより実効的に無くすことである。入射基本波パルスの伝搬方向に対して擬似位相整合素子(背景の格子模様)を傾斜して配置すると、基本波と第2高調波パルス間に空間ウォークオフが生じる。このとき、基本波のパルス面に適切な角度の傾斜を与えていれば、第2高調波との時間的なずれは実効的に無くなる。このようにして、群速度不整合を補償する手法を提案した。以上は時間領域における群速度不整合補償の説明であったが、等価的に周波数領域における説明も可能である。ここでは詳細は述べないが、群速度不整合補償は、広帯域な(擬似)位相整合条件と同じことになる。

 擬似位相整合素子の材料には、最も広く使用されているニオブ酸リチウムを用いた。周期8.9μmの分極反転構造を、電子線リソグラフィーと電場印加によって自作した。相互作用長3.0 mmの素子でフェムト秒第2高調波発生実験を行ったところ、中心波長1.55μmの基本波と同程度のパルス幅100fsの第2高調波パルスを得ることができ、群速度不整合補償を確認した。また、この実験において、変換効率50%を達成した。

 さらに、数値シミュレーションによって従来の第2高調波発生法との変換効率を比較した。ここで、従来法とは、群速度不整合補償はなされておらず、第2高調波のパルス幅が基本波のそれと同程度になるような、短い相互作用長を用いた場合のことを指す。本手法を用いた場合には、1/30〜1/200倍のピーク強度でも、従来法と同程度の変換効率を得られることがわかった。

(2)2次元擬似位相整合素子を用いたフェムト秒カスケード第3高調波発生

 2次元擬似位相整合素子とは、2次非線形光学感受率の符号の反転を2次元的に周期的に行った素子のことを言う。このとき、2次元的な周期構造に対応した2つの基本格子ベクトルができ、複数の(擬似)位相整合条件を同時に満たすことが可能になる。一方、カスケード第3高調波発生とは、第2高調波発生および、基本波と第2高調波による和周波発生を同時に行って第3高調波を得るような波長変換のことを指す。本研究では、2次元擬似位相整合素子を適切に設計することで単にカスケード第3高調波発生を行うだけでなく、基本波、第2高調波、第3高調波パルスにおける群速度不整合を全て同時に補償するような波長変換法を提案する。これによって、単一の波長変換素子で2つのフェムト秒波長変換を同時に行うことが可能になり、ディレイや偏光回転の光学系が必要なくなり、非常にコンパクトなフェムト秒カスケード第3高調波発生の光学システムを構築することが可能となる。

 フェムト秒カスケード第3高調波発生における群速度不整合補償の原理は、第2高調波発生のときの原理を非常に素直に拡張させたものである。つまり、群速度不整合を補償した第2高調波発生に加えて、第3高調波パルスへも適切な空間ウォークオフを加えることで、3光波パルス間の群速度不整合を全て同時に補償するというものである。

 ニオブ酸リチウムを用いた設計と2次元的な分極反転パターンに関する考察を行い、素子を作製した。相互作用長2.0 mmの素子でフェムト秒カスケード第3高調波発生実験を行ったところ、中心波長1.57μmの基本波と同程度のパルス幅110〜120fsの第2・第3高調波パルスが得られ、群速度不整合補償を確認した。また、この実験において、第2高調波発生効率25%、第3高調波発生効率7%を達成した。

 さらに、基本波のパルスエネルギーがnJレベル以下のような小さい場合には、ピーク強度をできるだけ大きくし、最大の変換効率を得るような最適なビームフォーカスが存在するはずである。第2高調波発生の解析を行った先行研究をさらにカスケード第3高調波発生へ拡張し、最適ビームフォーカスに関する議論をまとめた。

(3)非平行1次元擬似位相整合素子を用いたフェムト秒カスケード第3高調波発生

 1次元擬似位相整合素子、なかでもとりわけ周期分極反転強誘電体素子の作製技術は非常に成熟してきており、商用の製品が手に入るほどである。さきのフェムト秒カスケード第3高調波発生では2次元擬似位相整合素子を使用したが、これと同じような波長変換を1次元擬似位相整合素子でも行えないか、というのが本研究の動機である。そして、実際にそれが可能であることを提案した。

 原理として、周期分極反転構造の格子ベクトルの1次成分Kおよび、その3次成分3Kを使って第2高調波発生と和周波発生の(擬似)位相整合条件を同時に満たすことを考える。このとき、パルス面傾斜を使うことで3光波パルス(基本波、第2高調波、第3高調波パルス)のうち2光波パルス間の群速度不整合の補償が可能になる。そこで、基本波と第3高調波パルスにおける群速度不整合を補償するようなパルス面傾斜を選んだ。

 中心波長〜1.25μmのフェムト秒固体レーザーであるCr:Forsteriteレーザーのカスケード第3高調波発生を行うことを想定し、ニオブ酸リチウムによる素子設計を行った。数値シミュレーションを行った結果、第2高調波は群速度不整合補償がなされていないためにパルス幅拡がりが見られたが、第3高調波パルスについては、基本波と同程度(〜100fs)のパルス幅が得られ、群速度不整合の補償を確認した。

 以上の研究を通して、群速度不整合の問題を根本的に解決した、パルス幅拡がりのない高効率のフェムト秒第2高調波発生法、カスケード第3高調波発生法を確立した。これまで、擬似位相整合素子の2次元的な設計自由度はほとんど活用されることはなかったが、本研究ではその恩恵を生かした、新規なフェムト秒波長変換法の一例を開拓した。本研究を基に、コンパクトなフェムト秒波長変換システムの構築のほか、フェムト秒カスケード第4高調波発生、高次のスペクトル角度分散をも制御した超広帯域フェムト秒第2高調波発生、フェムト秒カスケード2次非線形光学効果を利用したパルス圧縮などの拡張応用への展開が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 レーザー光の短パルス化技術はレーザー発明以来着実に進歩してきた。可視域では,単一サイクルに近い極限的なパルスが実現している。一方,応用の観点からは,数10フェムト秒(fs)から数100fs程度のパルス幅を持ち,中心波長が所望の値を取る光パルスに対する需要が高まっている。しかし短パルス光を直接発生できるレーザー光源は限られているから,広い波長域をカバーするためには,非線形光学を用いた波長変換技術の開発が不可欠となっている。波長変換技術は各種の位相整合法の発明により,連続光やナノ秒程度のパルス光に対しては成熟してきている。ところが,フェムト秒領域では,群速度不整合の補償が解決すべき問題として残されている。これは,入射波と波長変換された波の群速度が一致しないときに生じる不都合で,相互作用するパルスは媒質中を異なる速度で進むことになるから,光軸上でパルスが分離してしまう時間的ウォークオフという現象を引き起こす。この現象は周波数領域では位相整合条件を満たすスペクトル帯域の不足と等価である。すなわち,パルス幅を短くするためにはスペクトル帯域を拡げなくてはならない。ところが,位相整合条件を満たすスペクトル帯域は媒質の分散のため制限を受ける。このため,入射波の持つスペクトル全体にわたって波長変換を行うことができず,波長変換された波にスペクトルの狭帯域化が起こり,従って,時間幅が拡がる結果となる。

 本論文は,擬似位相整合素子を用いた短パルスの波長変換における群速度不整合補償に関する著者の研究をまとめたものである。具体的には,100fs前後のパルス幅をもつ近赤外光の第2高調波発生において,非平行擬似位相整合配置を用いて群速度不整合を補償できることを実験的に示した。さらに,第2・第3高調波のカスケード波長変換過程において,2次元擬似位相整合素子を用いることにより群速度不整合をまとめて補償することが可能であることを理論と実験の両面から確かめた。

 本論文は6章からなる。

 第1章「序論」では,研究の背景と目的,本論文の位置づけと構成が述べられる。

 第2章「2次非線形光学効果とフェムト秒光パルスの伝搬」では,本論文を理解するのに必要となる基礎的な事項が簡潔に説明されている。はじめに,擬似位相整合法の概略が紹介される。続いて,フェムト秒パルスに対する第2高調波発生過程を記述する結合波方程式を導き,近似解を求めることにより,その基本的な性質が明らかにされる。最後に,本研究で本質的な役割を果たすパルス面傾斜について,その生成法と伝搬特性が論じられる。

 第3章「擬似位相整合フェムト秒第2高調波発生における群速度不整合補償」では,擬似位相整合格子に対し基本波を斜めに入射する非平行配置の第2高調波発生において,群速度不整合をパルス面傾斜により補償する方法が有効に働くことを実験的に確かめている。非平行配置では,基本波と第2高調波の群速度ベクトルは大きさが異なるが,同時に方向も異なる。よって,2つのベクトルの先端を結ぶ線に平行になるようにパルス面を傾ければ,2つのパルスは重なりを保ったまま伝搬し,群速度の不一致は解消される。実験では,非線形光学材料にニオブ酸リチウムを用い,波長1.55μm,パルス幅80fsの入力光に対し50%を超える第2高調波変換効率を達成した。このときの第2高調波のパルス幅は約100fsであった。本論文で導入された群速度不整合補償を用いることにより,同じ条件で従来法を用いたときに比べ素子長をおよそ10倍伸ばすことが可能になった。このことは,第2高調波発生の効率は長さの2乗に比例するから,従来法に比べ100倍の変換効率が得られることを意味する。

 第4章「2次元擬似位整合素子を用いたフェムト秒カスケード第3高調波発生における群速度不整合補償」では,前章の方法を,カスケード波長変換により第2・第3高調波の同時発生に拡張した結果が述べられる。ここで第3高調波は基本波と第2高調波の和周波発生により生成される。複屈折を用いた角度位相整合法では同時に2つの過程で位相整合を満たすことは一般に不可能である。ところが,非平行擬似位相整合法を用いればそれは可能になる。ただし,そのためには市松模様に分極反転した2次元擬似位相整合素子が必要になる。著者は,この場合でもパルス面傾斜を用いて3光波の群速度不整合を補償することが可能であることを発見し,実験的に確かめた。実際,著者はニオブ酸リチウムの2次元周期分極反転素子を作成し,前章と同様の基本波に対し,第2高調波発生で25%,第3高調波発生で8%の同時変換効率を達成した。パルス幅は,120fsの入力に対し,第2・第3高調波は約100fsであった。2次元周期分極反転素子はしばしば非線形フォトニック結晶と呼ばれる。本実験は,非線形フォトニック結晶の実用的に意味がある最初の応用例であるといえる。

 第5章「1次元擬似位相整合素子を用いたフェムト秒カスケード第3高調波発生における群速度不整合補償」は,2次元擬似位相整合素子の代わりに1次元の素子でも,第2・第3高調波同時発生を可能にする配置があることを発見し,その理論的な予測を述べたものである。ただし,パルス面傾斜法を適用しても,3光波同時に群速度不整合を補償することはできない。著者は,基本波と第3高調波の群速度不整合を補償した場合に,シミュレーションにより変換効率やパルス幅を求めた。

 第6章「まとめ」は,本論文の総括に充てられている。

 以上を要するに,本論文の意義は,パルス幅100fs程度の短パルスを擬似位相整合素子で波長変換する際に不可避となる群速度不整合の問題を,非平行配置とパルス面傾斜法の導入により解決したことにある。本方法の導入によりコンパクトで高効率の波長変換が可能になった。また,本方法を第2・第3高調波の同時発生に拡張し,従来法では不可能であった,単一の2次元擬似位相整合素子による群速度不整合を補償した波長変換を実現した。この研究は2次元非線形フォトニック結晶の新しい応用法を開拓したものでもある。このように本論文の成果は短パルス波長変換法を飛躍的に発展させるもので,物理工学へ寄与するところ大であり,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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