学位論文要旨



No 122305
著者(漢字) 米澤,英宏
著者(英字)
著者(カナ) ヨネザワ,ヒデヒロ
標題(和) 高フィデリティ量子テレポーテーション実験と量子トモグラフィの研究
標題(洋)
報告番号 122305
報告番号 甲22305
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6510号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 古澤,明
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 助教授 井上,慎
内容要旨 要旨を表示する

 量子情報処理は、古典力学に基づき構築されてきた情報処理技術を量子力学の枠組みで捉え直すものである。量子力学のもつ特異な性質は、情報処理に新しい道を開き、量子計算・量子暗号・量子通信等様々な応用が期待されている。例えば量子暗号では、量子力学の原理によって安全性が保障された通信(量子暗号鍵配布)が実現出来る。また量子通信では、古典通信路ではリソースが二倍になったとき通信路容量も二倍にしかならないが、量子通信路ではその限界を超えることが出来る(通信路容量の超加法性)。さらには、量子計算では幾つかのアルゴリズム(素因数分解、検索等)に関して古典計算機をはるかに凌ぐ高速計算が達成できる。

 これら量子情報処理において重要なリソースとなるのが量子エンタングルメントである。量子エンタングルメントは二つの量子系が個々の量子系の積に分離して記述できない状態を指し、このような状態には非局所的な相関が存在する。つまり、片方の量子系への測定がもう一方の量子系に影響を及ぼすことになる。この量子エンタングルメントをリソースとして用いることで、様々な処理が可能となってくる。その意味で量子エンタングルメントの生成と制御は非常に重要な問題といえる。

 量子テレポーテーションは量子エンタングルメントを用いることで達成される、非常に基本的かつ重要なプロトコルである。量子テレポーテーションとは、二者間で量子エンタングルメントを共有することで可能となるプロトコルで、情報のキャリアを直接伝送することなく、任意かつ未知の量子状態を原理的には完全に伝送することが出来る。特に量子テレポーテーションは、量子ネットワークや量子計算機を構成する基本要素に用いることができ、応用上の観点からも重要といえる。

 量子テレポーテーションは、まず光による実験が行われ、それに続いて近年では原子間での量子テレポーテーション、光と原子の間での量子テレポーテーションが実現されている。これらの実験は扱う物理量によって離散変数と連続変数に分けられ、特に本研究で扱うのは連続変数の光による量子テレポーテーションである。

 量子光学では光の直交位相振幅x、pは消滅演算子の実部と虚部に対応し(a=x+ip) 、位置と運動量のような交換関係([x,p]=i/2)を満たす。連続変数の量子テレポーテーションはこのような物理量を対象としている。これまでの実験は主にコヒーレント状態を入力としたものであるが、量子エンタングルメントやスクイーズド状態といった非古典的な状態を入力とした実験も行われている。

 量子テレポーテーションは原理的には任意かつ未知の量子状態の完全な伝送を可能とする。しかし、実際の実験条件下では完全な量子テレポーテーションは不可能である。これはリソースとして用いている量子エンタングルメントが完全ではなく、有限の相関しか持ち得ないためである。通常量子テレポーテーションの精度、つまり入力がどの程度出力で再現されるかはフィデリティという量で評価される。フィデリティは二つの量子状態がどの程度近いかを示す量で、完全に等しければ1、完全に異なれば0となる。フィデリティはその定義から入力状態に依存する量なので、量子テレポーテーション装置自体を評価する場合には入力がコヒーレント状態の場合で比較するのが一般的である(以降、特に断らない限りフィデリティは、コヒーレント光をテレポーテーションした際の入出力状態のフィデリティを指すものとする。)。このとき、古典的に達することの出来る限界(すなわち量子エンタングルメントを用いない)は0.5であることが示されている。これまで報告されているフィデリティの最大値は0.70であり、古典限界を超えて成功が確かめられているが、より高いフィデリティを得ることが量子テレポーテーションを応用していく上では重要であり、本研究ではフィデリティの向上をめざし実験を行った。

 量子テレポーテーションは任意の状態が伝送できることが重要な点であり、原理的には非古典的状態の伝送も可能である。非古典的状態をテレポーテーションし、出力側でもその非古典性を観測するためにはフィデリティが少なくとも2/3以上でなければならないことが知られている。これまで、エンタングルメントの量子テレポーテーションが実現されており、これはフィデリティ0.70の実験系で行われた。しかし、この実験では、テレポーテーションの入力は量子エンタングルした2つの系のうち一つであり、非古典性はこの二つの系に保持されており、厳密な意味での非古典状態のテレポーテーションは実現されていない。また、過去に行われたスクイーズド状態の量子テレポーテーション実験では、出力側でスクイーズを観測するには至っていない。これは、フィデリティが2/3の場合、入力が無限大のスクイーズでなければ出力側でスクイーズを観測することが出来ないためである。このように、現実的には非古典的状態(スクイーズド状態、単一光子状態、シュレディンガーの猫状態、等)をテレポーテーションするためにはより高いフィデリティが望まれる。例えばスクイーズド光のテレポーテーションではおよそ0.75程度のフィデリティが現実的には必要と考えられる。本研究ではテレポーテーションの高フィデリティ化を行い、特にスクイーズド状態のテレポーテーションの実現を目指した。

 量子テレポーテーションのフィデリティは、量子エンタングルメントの強さによって決まる。実際の実験では実験系の安定度やロスの存在等も重要な点であるが、支配的な要因はリソースである量子エンタングルメントである。量子エンタングルメントは実験的には、2つの直交位相スクイーズド状態を部分透過ミラーで重ね合わせることで生成される。このとき用いるスクイーズド光のスクイージングレベルが量子エンタングルメントの強さを決めることになり、つまり高レベルのスクイーズド光を生成することが、テレポーテーションの高フィデリティ化に最も重要である。本研究では、非線形光学結晶として周期分極反転燐酸酸化チタンカリウム(Periodically-Poled KTiOPO4)を用いた光パラメトリック発振器(OPO)を閾値以下で駆動することによって、スクイーズされた真空場を生成した。従来の実験では非線形結晶としてニオブ酸カリウムを用いていたが、ニオブ酸カリウムにはBLIIRA (Blue Light Induced IR Absorption)とよばれるポンプ光誘起のロスがあった。スクイーズド光は非常にロスに敏感なため、このBLIIRAによるロスが高レベルのスクイーズド光を生成する妨げとなっており、ひいてはテレポーテーションの高フィデリティ化を困難としていた。しかし、PPKTP結晶では、本実験条件下においてBLIIRAが観測されず、OPO内部ロスを大きく低減することができた。その結果従来最大-4.7dB程度であったものを-7.4dB程度まで改善することに成功した。これにより量子テレポーテーションのフィデリティは0.76を得るに至った。さらにこの高フィデリティの量子テレポーテーション装置を用いて、スクイーズド状態を入力としたテレポーテーション実験を行った。このとき、出力側で-0.8dBのスクイーズを観測することに成功した。これは入力状態の非古典性が出力側でも保持されていることを示し、初めて非古典的状態のテレポーテーションに成功した。

 また、本研究では量子トモグラフィの手法を導入した。量子状態に対し我々が知りうる情報の全ては、密度行列またはWigner関数のような位相空間における準確率分布関数で表される。つまり、密度行列またはWigner関数が与えられれば、ある測定を行ったとき、どのような結果が得られるかを統計的に予測することが出来る。特に、光の直交位相成分をホモダイン測定し、その結果から量子状態を再構成する手段を光ホモダイントモグラフィという。本研究では量子トモグラフィを用いて量子テレポーテーションの入出力を表現することを試みた。これにより、従来と異なる量子テレポーテーションのより詳細な検証を行った。

審査要旨 要旨を表示する

 量子情報科学は、古典力学に基づき構築されてきた情報科学を量子力学の枠組みで捉え直すものである。量子力学の持つ持異な性質は、情報処理に新しい道を開き、量子計算・量子暗号・量子通信等様々な応用が期待されている。これら量子情報科学において重要な課題が量子エンタングルメントの生成と制御である。この中で、量子テレポーテーションは量子エンタングルメントを用いて達成される、基本的かつ非常に重要な基本操作である。量子テレポーテーションは、2者間で量子エンタングルメントを共有することで可能となり、情報のキャリアを直接伝送することなく、任意かつ未知の量子状態を伝送することが出来る。量子テレポーテーションは、量子ネットワークや量子計算機を構成する基本要素に用いることができ、応用上の観点からも重要といえる。本研究は量子光学の手法を用い、連続変数を扱う系において、その量子テレポーテーションの研究に取り組んだものである。

 量子テレポーテーションのより高性能化を目指し、本研究ではまず直交位相スクイーズド状態の高レベル化を行った。さらに量子トモグラフィの手法を導入し量子テレポーテーションの入出力状態の表現、評価を試みた。また、コヒーレント状態の転送実験の高性能化を行い、さらに2段階の量子テレポーテーション実験、さらにはスクイーズド状態の転送の実験を行った。

 本論文は以下の8章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、量子情報処理及び量子テレポーテーションに関する研究など、本研究の背景について述べ、その上で本研究の目的を示し、さらに本論文の構成について述べている。

第2章では、量子テレポーテーション実験を行うために用いた量子光学の理論について述べている。まず電磁場を量子化し、光の量子状態について述べている。次にそのような量子状態の測定方法を解説している。次に本研究で用いるスクイーズド状態の生成理論について解説している。

第3章では、スクイーズド状態生成実験について述べている。まず、実験系について述べ、次に第二高調波生成用外部共振器、光整形用外部共振器、光パラメトリック発振器についてそれぞれ述べている。次に、複数の光の相対位相をロックする方法について述べ、その上でスクイーズド状態を生成した結果について述べている。さらに実験結果と理論との比較をしている。本研究では、従来を上回る-7.4dBのスクイーズド状態の生成を実現している。

第4章では量子トモグラフィについて述べている。まず、量子状態を再現する手法である逆Radon変換と最尤推定法に関して説明している。次に実験方法を述べ、さらに実験結果について述べている。

第5章では本研究で行った量子テレポーテーションについてその基本事項を述べている。まず、量子エンタングルメントについて説明し、その生成法及び判別方法を説明している。次に量子テレポーテーションの理論について説明し、さらに量子テレポーテーションの評価に用いられるフィデリティについて説明し、古典限界や非古典状態のテレポーテーションに関して述べている。さらに、実験上考慮しなければならない点について説明している。

第6章ではコヒーレント状態の量子テレポーテーション実験について述べている。まず、実験系の構築と実験方法について説明している。次に実際にコヒーレント状態をテレポーテーションした結果について述べている。特に従来と同様の測定方法に加え本研究では量子トモグラフィの手法でテレポーテーションの入出力を表現、評価している。本研究では、スクイーズド状態の高レベル化及び系の安定化により従来を大きく上回る0.76というフィデリティを得ている。さらに、テレポーテーション装置を2つ構築し2段階の量子テレポーテーション実験についても述べている。この実験では2回テレポーテーションした後でも0.57というフィデリティを得ており、古典限界を上回っていることが示されている。

第7章ではスクイーズド状態のテレポーテーション実験について述べている。まず実験方法について述べ、次に実験結果を示している。本研究ではスクイーズド状態をテレポーテーションし、出力側でも-0.8dBのスクイーズド状態を測定することに成功している。さらに、入力の持つ非古典性が出力側でも保持されているということを、量子エンタングルメントという点から解釈し評価している。

第7章では、本研究の結果をまとめ、最後に課題と今後の展望を述べている。

 以上のように、本研究では量子光学を用いて連続変数の量子テレポーテーション実験を行った。まず、量子テレポーテーションのリソースとなるスクイーズド状態の生成実験では従来を大きく上回る結果を得た。これを用いたコヒーレント状態のテレポーテーション実験では系の改善等により、フィデリティ0.76とこれまでの最高値を得た。また、量子トモグラフィの手法により、従来とは異なる角度から実験を検証した。次に、2段階の量子テレポーテーション実験を行い、量子状態を二度続けて転送できることが実証した。さらに、スクイーズド状態のテレポーテーション実験を行い、出力側でもスクイーズを観測することに成功し、非古典状態のテレポーテーションについて検証した。これらの研究は、量子テレポーテーションの性能を高め、非古典的な量子状態の転送を可能とすると共に、その実験において従来とは異なる評価方法を与え、量子情報科学の新たな知見を与えた点で重要な意義があり、物理工学の発展への寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

UTokyo Repositoryリンク