学位論文要旨



No 122308
著者(漢字) 竹中,陽子
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,ヨウコ
標題(和) 微生物への金属の吸着に関する研究
標題(洋)
報告番号 122308
報告番号 甲22308
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6513号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 長崎,晋也
 東京大学 助教授 工藤,久明
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景と目的

 高レベル放射性廃棄物処分場の多くは地下500〜1000メートルに建設が計画されている。このような地下深部にも地表付近と同様に膨大な数の微生物が存在する。そのため,地下深部での放射性核種の移行におよぼす微生物の影響は無視できないと考えられる。しかし,放射性廃棄物処分場近傍での微生物が放射性核種の地層中での挙動に与える影響はほとんど解明されていない。微生物と放射性核種との相互作用に関する基礎的知見を得ることは,環境中での放射性核種の挙動を正確に評価するために重要である。本研究では,放射性廃棄物に含まれる元素のうちAm(III),Cm(III)およびそれと類似した化学的性質を有するEu(III)の微生物細胞への吸着におけるイオン強度,pHおよび金属濃度の影響を解析し,さらに基本的細胞表層特性と元素の吸着挙動との関連を解明することを目的とする。

 まず,イオン強度が金属の吸着に及ぼす影響について検討した。各国の地層処分予定地の中には岩塩層が複数含まれている。例えば米国の廃棄物隔離パイロットプラントWIPP(The Waste Isolation Pilot Plant)の地下650mの岩塩層からも好塩性微生物が見つかったという報告がある。また日本における地層処分に当たっても,海水などによるイオン強度の影響を考慮する必要がある。こうしたイオン強度が高い環境,あるいはイオン強度が変化しやすい環境において,微生物が放射性核種の移行に及ぼす影響を調べる必要がある。本研究では地下環境中での重金属の地層中移行に関する基礎的知見を得るため,Curium-244およびEuropium-152の好塩菌 Halomonas elongataに対する吸着挙動について,幅広いイオン強度で実験を行った後,吸着メカニズムの解明に向けて主に分子生物学的手法による研究を行った。

 次に, pHおよび金属濃度が金属の吸着に及ぼす影響を検討した。本研究ではグラム陰性の土壌細菌Pseudomonas fluorescens Migula (ATCC 55241)へのAm(III),Eu(III),Ca(II),およびCu(II)について,バッチ法により,異なるイオン強度,pH,および金属濃度での微生物への吸着測定,ならびに吸着メカニズムの解明に向けて主に化学的手法による研究を行った。

2. イオン強度の影響

 高度好塩性微生物の一種であるHalomonas属は海洋中や地層中等,地球上で広くみられる極めて一般的な微生物である。また,アメリカのWIPP(Waste Isolation Pilot Plant)など高レベル放射性廃棄物処分場のある地層からも Halomonas属が単離されている。本研究で用いたHalomonas elongataは0.1〜5.2 M NaClという幅広いイオン強度範囲に適応でき,急激な浸透圧変化にも強い耐性を示す。また嫌気的環境下でも生育できるため,無酸素状態が予想される深部地下環境でも生育が可能である。微生物への金属吸着におけるイオン強度の影響を調べるために,微生物細胞への(244)Cm(III)および(152)Eu(III)吸着実験による分配係数測定,溶媒抽出法による細胞表層の疎水性測定,酸塩基滴定法による細胞表層の官能基発現状況解析,電気泳動法による細胞表層高分子発現状況解析(リポ多糖,糖タンパク質,総タンパク質),PCR法等による細胞表層特性の変化をもたらす浸透圧ストレス応答遺伝子の存在確認,を行った。

 細胞へのCm(III)およびEu(III)の吸着実験の結果,Halomonas elongataは吸着溶液中のNaCl濃度(生育溶液と同じ)によらず,Cm(III)とEu(III)への高い親和性を示し,また2.6 Mより高いNaCl濃度で生育した細胞へのCm(III)とEu(III)の分配には大きな差が見られるという結果が得られた。

 疎水性測定の結果,高いNaCl濃度溶液中で生育した細胞ほど高い親水性を示し,親水性の度合いの増大は水和金属イオンとの相互作用の増加につながると考えられ,このことが吸着溶液中のイオン強度の増大にもかかわらずCm(III)およびEu(III)の分配係数が低下しない原因の一つであると推測された。Halomonas elongata は,水の活量の小さい高イオン強度下でも生存に必要な水およびイオン性分子を得るために,細胞表層の構造を変化させ環境に適応する機構を有すると示唆された。

 酸塩基滴定法による細胞表層の官能基発現状況解析結果から,細胞上にはカルボキシル基,リン酸基,アミノ基が存在すると示唆された。またスルホヒドリル基が存在する可能性もある。高いNaCl濃度下(5.1 M)で生育した細胞では,pKa値7付近〔リン酸基(およびスルホヒドリル基)〕の官能基が多く発現することが示された。

 電気泳動法による細胞表層高分子発現状況解析の結果から,細胞表層のリポ多糖は,細胞生育溶液中のイオン強度により発現量が変化することがわかった。とくに分子量50 kDa付近のリポ多糖の発現量に特に大きなイオン強度依存性がみられ,Cm(III) およびEu(III)の分配係数の差および生育溶液中のNaCl濃度と正の相関がみられた。また細胞表層糖タンパク質の解析結果から,細胞生育溶液中のイオン強度により発現量に変化が見られ,Cm(III)とEu(III)の分配率の差と40 kDaの糖タンパク質の発現の間に正の相関が見られた。リポ多糖およびタンパク質電気泳動の結果より,Cm(III)およびEu(III)の主要な吸着部位は糖鎖であることが示唆された。

 PCR法他による細胞表層特性の変化をもたらす浸透圧ストレス応答遺伝子の存在確認の結果,浸透圧ストレス応答遺伝子として知られるRpoS遺伝子がHalomonasにも存在することが確認され,さらにRpoS遺伝子の部分配列を解読した。イオン強度の違いによる細胞表層の変化は,浸透圧ストレス応答タンパク質の発現量変化によるものであると考えられ,RpoS遺伝子が表層特性の変化において重要な役割を果たしている可能性が高い。

3. pHおよび金属濃度の影響

 土壌細菌Pseudomonas属は広範な環境に見出され,高レベル放射性廃棄物処分場の地層からも単離されている.本研究ではグラム陰性の土壌細菌Pseudomonas fluorescens Migulaを用いて,微生物への金属吸着におけるイオン強度,pH,および金属濃度の影響を調べるために,バッチ法による細胞へのEu(III), Ca(II), Cu(II), およびAm(III)の吸着実験,細胞漏出有機物のTOC(全有機体炭素)測定,酸塩基滴定,ATR(全反射測定)法による細胞への金属の吸着状態の解析を行った。

 細胞へのEu(III), Ca(II), Cu(II), およびAm(III)の吸着実験では,Ca(II)をのぞいてイオン濃度が上昇するにつれて吸着量が増大した。また,Eu(III)のP. fluorescensへの吸着量は平衡Eu(III)濃度が増加するにしたがい増加すること,およびEu(III)濃度の低い領域ではすべての塩濃度でpHの減少に従ってEu(III)の吸着量が増加するpH依存性があるという結果が得られた.また,吸着等温線の傾向にイオン強度依存性はみられなかった.この結果は,pH変化によりEu(III)への高い親和性を有する構造が生じたか,pHに依存した何らかの競合的なプロセスが存在することを示唆している.TOCによる漏出有機物の測定結果から,本研究で観察された低濃度のEu(III)の吸着におけるpH依存性は,細胞からの漏出有機物の影響ではなく,細胞表面そのものとEu(III)との相互作用によってもたらされる可能性が高いことがわかった。また,このpH依存性については細胞表面の官能基の中でもカルボキシル基が果たす役割が大きいことも示唆された。

4. 結論

 微生物細胞への金属の吸着に及ぼすイオン強度,pHおよび金属濃度の影響を解明するために本研究で実施した研究についての結論は次のようにまとめられる。イオン強度の変化によりHalomonas elongataの細胞表層の特性(疎水性,官能基発現,高分子発現)は大きく変化し,この変化がアクチニド・ランタニドの吸着挙動に影響すると考えられる。また,特定の分子量の糖鎖の発現量とCm(III)・Eu(III)の分配の差に正の相関がみられた。Halomonasの細胞表層の糖鎖上の吸着構造がCm(III)とEu(III)との親和性の差をもたらすと考えることができる。3価のf-元素の環境中挙動で,Halomonas elongata はランタニドよりアクチニドに大きな影響を与える可能性がある。またイオン強度の変化に応じて膜構造を変化させる遺伝子およびタンパク質を特定すれば,HalomonasへのCm(III)およびEu(III)の吸着・分離能を遺伝子工学的手法を用いて制御しうると考える。

 Pseudomonas fluorescens におけるEu(III) の吸着等温線はpH依存的傾向を示したが, Eu(III)の吸着等温線において,イオン強度依存性は無かった.環境中での金属濃度が一定値以下の場合,微生物と金属との吸着挙動は変化する可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 高レベル放射性廃棄物は地下300メートル以深に埋設処分される。このような地下深部にも地表付近と同様に膨大な数の微生物が存在する。微生物と放射性核種との相互作用に関する基礎的知見を得ることは,環境中での放射性核種の挙動を正確に評価するために重要である。本論文は,放射性廃棄物に含まれる元素のうちAm(III),Cm(III)およびそれと類似した化学的性質を有するEu(III)の微生物細胞への吸着におけるイオン強度,pHおよび金属濃度の影響を評価し,さらに基本的細胞表層特性と元素の吸着挙動との関連を解明することを目的としている。

 本論文は5章より構成されている。

 第1章では研究の背景と目的が述べられている。

 第2章ではイオン強度が金属の吸着に及ぼす影響についての研究結果が述べられている。ここでは(244)Cm(III)および(152)Eu(III)の好塩菌 Halomonas elongataに対する吸着挙動について,幅広いイオン強度で実験を行った後,吸着メカニズムの解明に向けた研究を行っている。Halomonas elongataは0.1〜5.2 M NaClというイオン強度範囲に適応でき,急激な浸透圧変化にも強い耐性を示すものである。微生物への金属吸着におけるイオン強度の影響を調べるために,微生物細胞への(244)Cm(III)および(152)Eu(III)吸着実験による分配係数測定,溶媒抽出法による細胞表層の疎水性測定,酸塩基滴定法による細胞表層の官能基発現状況解析,電気泳動法による細胞表層高分子発現状況解析(リポ多糖,糖タンパク質,総タンパク質),PCR法等による細胞表層特性の変化をもたらす浸透圧ストレス応答遺伝子の存在確認を行っている。吸着実験の結果,Halomonas elongata は吸着溶液中のNaCl濃度(生育溶液と同じ)によらず,Cm(III)とEu(III)への高い親和性を示し,また2.6 Mより高いNaCl濃度で生育した細胞へのCm(III)とEu(III)の分配には大きな差が見られるという結果が得られている。疎水性測定の結果,高いNaCl濃度溶液中で生育した細胞ほど高い親水性を示し,親水性の度合いの増大は水和金属イオンとの相互作用の増加につながると考えている。酸塩基滴定法による細胞表層の官能基発現状況測定結果から,細胞上にはカルボキシル基,リン酸基,アミノ基が存在すると考えている。高いNaCl濃度下(5.1 M)で生育した細胞では,pKa値7付近〔リン酸基(およびスルホヒドリル基)〕の官能基が多く発現することが示されている。電気泳動法による細胞表層高分子発現状況測定の結果から,細胞表層のリポ多糖は,細胞生育溶液中のイオン強度により発現量が変化することが示されている。リポ多糖およびタンパク質電気泳動の結果より,Cm(III)およびEu(III)の主要な吸着部位は糖鎖であることが示唆されている。PCR法他による細胞表層特性の変化をもたらす浸透圧ストレス応答遺伝子の存在確認の結果, RpoS遺伝子が表層特性の変化において重要な役割を果たしている可能性が高いことを示している。

 これらの結果から、イオン強度の変化によりHalomonas elongataの細胞表層の特性(疎水性,官能基発現,高分子発現)は大きく変化し,この変化が吸着挙動に影響すると結論付けている。

 第3章ではpHおよび金属濃度が金属の吸着に及ぼす影響が述べられている。ここではグラム陰性の土壌細菌Pseudomonas fluorescens Migula (ATCC 55241)へのAm(III),Eu(III),Ca(II),およびCu(II)について,バッチ法により,異なるイオン強度,pH,および金属濃度での吸着実験を行っている。ならびに、吸着メカニズムの解明に向けて、細胞漏出有機物のTOC(全有機体炭素)測定,酸塩基滴定,ATR(全反射測定)法による細胞への金属の吸着状態の解析を行っている。

 細胞へのEu(III), Ca(II), Cu(II), およびAm(III)の吸着実験では,Ca(II)をのぞいてイオン濃度が上昇するにつれて吸着量が増大するという結果が示されている。また,Eu(III)のP. fluorescensへの吸着量は平衡Eu(III)濃度が増加するにしたがい増加すること,およびEu(III)濃度の低い領域ではすべての塩濃度でpHの減少に従ってEu(III)の吸着量が増加するpH依存性があるという結果が得られている。これの結果は,pH変化によりEu(III)への高い親和性を有する構造が生じたか,pHに依存した何らかの競合的なプロセスが存在するためとしている。TOCによる漏出有機物の測定結果から,本研究で観察された低濃度のEu(III)の吸着におけるpH依存性は,細胞からの漏出有機物の影響ではなく,細胞表面そのものとEu(III)との相互作用によってもたらされる可能性が高いことが示されている。また,このpH依存性については細胞表面の官能基の中でもカルボキシル基が果たす役割が大きいことも示している。

 このような結果から、微生物細胞と金属イオンの相互作用においては,pH,イオン強度,金属濃度の違いによって吸着メカニズムにも違いが生じること、及び環境中における微生物と金属との相互作用を考えるにあたっては,環境条件を詳細に調査してその条件における微生物の影響を検討する必要があることを結論付けている。

 第4章は結論であり、第5章は今後の展開が述べられている。

 以上要するに、本論分は微生物への金属の吸着について、イオン強度、pHおよび金属濃度、他イオンの影響の観点から実験的研究を行い、吸着メカニズムについて多くの貴重な知見を得たものである。これらは、システム量子工学、特に高レベル放射性廃棄物処分安全評価に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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