学位論文要旨



No 122323
著者(漢字) 田中,倫子
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ミチコ
標題(和) 第一原理計算によるナノ構造キャパシタンスの解析と走査プローブ顕微鏡を用いた計測結果の理論的解明への応用
標題(洋) First-Principles Analyses of Capacitance of Nanostructures and Their Applications to Interpretations of SPM Measurements
報告番号 122323
報告番号 甲22323
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6528号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 助教授 近藤,高志
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

近年、ナノスケール構造の作製や物性計測技術が急速に進展し、ナノ構造の諸物性に対し、量子効果を考慮する必要がでてきている。静電容量はデバイスの動作や走査プローブ顕微鏡(SPM)で得られる測定量と密接に関係する物理量であるため、精力的に研究が行われている。

 例えば半導体デバイスのMIS構造に対し走査容量顕微鏡(SCM)を用いると、試料中のキャリア分布の評価などが可能である。また、走査トンネル顕微鏡(STM)や原子間力顕微鏡(AFM)を用いて探針-試料間静電容量を調べることもでき、SPMを用いた静電容量計測は活発化している。ところが実験では、測定条件などにより静電容量が敏感に変化するため、報告例により異なる振舞いを示すことが多く、ナノスケールでの静電容量について基本的な理解は進んでいない。

 一方、理論的にはメゾスコピックサイズキャパシタの静電容量が電子の電極間トンネル確率と電極の状態密度に依存するというButtikerによる理論があるが、これは電極表面原子構造など原子レベルの効果を考慮していない。Langらは電子の電極表面から外部へのしみ出しが有効電極間距離減少の効果をもたらすと指摘したが、定量的な評価は行っていない。原子構造を陽に考慮して電圧印加下でのナノ構造の静電容量を計算した例もあるが、トンネル効果や原子の構造緩和を無視しており、不十分な研究といえる。よってナノスケールでの静電容量の振舞いをより深く理解するための理論研究が望まれている。

 そこで本研究では、電圧印加下のナノ構造の静電容量を原子レベルで解析し、電極表面原子構造や電子状態と静電容量の関係を解明することを目的とした。また、静電容量の結果を応用し、SPMの測定から得られた解釈の困難な振舞いを理論的に解明することを試みた。

2.研究方法

静電容量の振舞いを原子レベルで評価するには、半無限電極に接続した系に対し、バイアス電圧非印加時、印加時の電子状態を、半無限電極中の状態を正しく考慮しながら自己無撞着に計算する必要がある。本研究では、散乱理論を基にした境界マッチング密度汎関数(BSDF)法を用いる。この手法は、電極表面と電極真空部分を含む領域の波動関数を、解析的に波動関数を求められる二電極の十分奥との境界で波動関数の接続条件を満足するように決定する。BSDF法では半無限電極をジェリウム模型で表し、その正電荷密度はWigner-Seitz半径rsによって指定する。電極表面原子構造は局所擬ポテンシャルを用いて考慮する。電子間交換相関ポテンシャルは局所密度近似を採用する。静電容量は、バイアス電圧印加によって電極表面に誘起された電荷量を計算し、(誘起電荷量)/(バイアス電圧)から求める。

3.平行平板コンデンサの静電容量

本研究の前段階として電極間が真空の電極平行平板キャパシタの静電容量を評価した。図1に、静電容量の電極間距離依存性を、古典電磁気学から得られる値(点線)と共に示す。計算した静電容量は、距離が十分に広い領域では古典値と一致するが、若干狭い領域では、電極表面からの電子のしみ出しによる有効電極間距離の減少により古典値よりも大きくなった。極端に狭い領域では、古典的な静電容量が距離0で発散するのに対し、計算による静電容量は距離の減少と共に急激に減少した。また、静電容量はrsが小さいほど大きくなった。この理由は、rsが小さいほど真空領域への電子のしみ出し量(有効距離の減少)が大きくなり、rsが小さくなると仕事関数の増大により電子の透過率が小さくなるためである。

4.NC-AFM探針-試料間に誘起する変位電流によるジュール熱散逸

非接触AFM(NC-AFM>は原子分解能を有する顕微鏡であるが、これを利用した測定法の一つに探針振動エネルギーの散逸量計測がある。探針と試料が接近していくと、通常は両者の相互作用の増加により散逸量が増加するのに対し、Araiらは、探針-試料間距離が非常に短い領域で散逸量が急激に減少するという未解明の振舞いを報告した。一方、散逸の起源として、探針の振動による探針-試料間静電容量の変化から生じる変位電流が誘起するジュール熱が挙げられる。そこで本研究では、ジュール熱が静電容量と密接な関係にあることに注目し、静電容量から変位電流を計算してジュール熱を評価した。探針と試料は平行平板ジェリウム模型で表した。

 計算結果を図2に示す。探針の振動振幅(z1)が小さい場合、距離が極端に短い領域でジュール熱が減少するという非古典的振舞いを示した。また、ジュール熱はrsに依存した。これらの結果は、静電容量に現れる量子効果をそのまま反映したものである。よってAraiらの実験で測定された散逸量が減少する振舞いは、静電容量の減少によるジュール熱の減少から説明ができる可能性がある。

5.STM探針-試料間静電容量

WangらはSTM探針-試料間の静電容量を計算し、探針-試料間距離が短い領域では、距離の減少に伴い静電容量が減少するという振舞いを報告した。しかし彼らは電圧印加時の電子状態を自己無撞着に計算しておらず、結果の信頼性は低い。STMを用いてWangらの振舞いを再現したものにHouらの実験があるが、この結果は他の実験によって再現されておらず、Wangらの系とは異なるために単純な比較ができない。そこで本研究では、Wangらの結果の妥当性を検証するため、彼らと同様のAl探針-試料の系に対し静電容量を評価した。なお、探針の構造緩和が静電容量に及ぼす影響と探針-試料の物質依存性も調べたが、これらの影響はほとんど見られなかった。

 計算の結果、距離が非常に短い領域でも静電容量が増加をし続けるという、Wangらの結果とは定性的に異なる振舞いを得た(図3(a))。一方、バイアス電圧印加時の電子状態を非自己無撞着に計算すると、定量的には異なるものの定性的にWangらと同様の振舞いを得た(図3(b))。さらに、非自己無撞着計算では電子間相互作用がうまく取り込めず、誘起電荷が正しく評価できていないことがわかった。また、距離が短い領域でも静電容量が増加をし続ける理由は、誘起電荷分布から説明できる。距離が長い場合、誘起電荷は探針先端に局在するが、短い場合は探針を取り巻くように分布する。よってトンネル電流の影響が平行平板の場合に比べ小さく、誘起電荷が減りにくいためと考えられる。

 なお、本研究では探針と試料のフェルミ準位の差をバイアス電圧としているが、トンネル電流が流れる場合、探針と試料の内部で電荷中性条件を満たすようにフェルミ準位を調整する。この調整量はトンネル電流が大きいと大きくなることがわかった。この調整の効果は一般的な散乱状態を取り扱う電子状態計算ではあまり考慮されておらず、今後議論を要する点である。

6.量子点接触の電気特性

量子点接触などの原子サイズ伝導体は、電極と伝導体の接合状態や原子構造などによりその電気特性を敏感に変化させる。これまでに量子点接触のコンダクタンスについては多くの研究が行われているものの、それらを破断させた際の静電容量の振舞いは解明されていない。そこで、量子点接触の電気特性を解明するため、電極表面原子構造も陽に取り入れた3つのモデルについて電極間距離の変化に伴う静電容量とコンダクタンスの変化を評価した。

 計算結果の静電容量とコンダクタンスの変化を図4に示す。静電容量は表面構造により、電極の引き伸ばしと共にはじめ増加を示した後に減少する場合と、古典的に単調に減少する場合にわかれることがわかった。これらの振舞いは全て誘起電荷量分布から説明ができる。コンダクタンスは接触部破断後、距離の増加に伴い指数関数的に減少するが、表面構造によっては実験で得られる破断直後にピークの値を示す振舞いを示した。

7.結論

本研究では、電圧印加下でのナノ構造の静電容量を第一原理計算によって評価し、その結果をSPMで計測された実験結果の解釈に応用した。まず、NC-AFM探針-試料間静電容量と深く関係する量である変位電流とジュール熱を計算した。距離が非常に短い領域では静電容量の減少を反映してジュール熱も減少する結果を得た。よって、実験で得られた散逸量の減少は、静電容量に現れる量子効果を反映している可能性があるといえる。次に、STM探針-試料間静電容量を評価すると、距離が非常に短い領域でも静電容量は増加をし続けた。結果はWangらの既報の結果と異なるが、これは彼らが電圧印加時に電子状態を非自己無撞着に計算しているためである可能性を示唆する結果を得た。最後に量子点接触構造の静電容量を評価し、原子構造により異なる振舞いを得た。また、原子鎖的な構造のコンダクタンスは、実験で測定された振舞いと定性的、定量的に一致した。本研究の成果は、新奇デバイスの開発、SPMによって得られるデータの解釈に大きく貢献すると期待される。

図1.平行平板キャパシタの静電容量の電極間距離依存性

図2.ジュール熱の探針-試料間距離依存性。rs=(a)2.0a.u.、(b)4.0a.u.の場合。

図3.STM探針-試料間静電容量の距離依存性。(a)自己無撞着、(b)非自己無撞着計算の場合。

図4.3つの量子点接触構造の(a)静電容量と(b)コンダクタンス。

審査要旨 要旨を表示する

 静電容量は、電子デバイスの動作を大きく左右する重要な物理量である。近年の半導体デバイス微細化に伴い、ナノスケールでの静電容量の振る舞いへの関心が高まってきており、走査プローブ顕微鏡等を用いてこれを計測する試みも活発化している。しかし、静電容量が測定条件などに敏感であることや、計測量と静電容量との関連が必ずしも明確になっていないこと等から、ナノスケールでの静電容量についての理解はまだ十分でない。理論的にも、メゾスコピック系において量子効果まで考慮した静電容量の理論が確立しているものの、ナノスケールでの振舞いは十分調べられてはいない。本論文は、このような現状に鑑み、近年可能になってきた電圧印加第一原理計算を用いてナノ構造の静電容量を原子レベルで解析し、電極表面の原子・電子構造と静電容量の関係および走査プローブ顕微鏡を利用した物性計測結果と静電容量との関係を解明しようとしたものである。本論文は7章からなる。

 第1章は緒言であり、静電容量について、走査容量顕微鏡を用いた試料中キャリア分布の評価、原子間力顕微鏡を用いた探針-試料間静電容量の評価等の実験的研究、およびメゾスコピック系の静電容量理論やカーボンナノチューブの静電容量計算等の理論的研究を概観し、実験データ解析の困難さと既存の理論計算の方法論等の不十分さを指摘して、本研究の目的を明確にした。

 第2章では、本研究の計算方法を述べている。静電容量の振舞いを原子レベルで評価するために、半無限電極とバイアス電圧印加とを考慮した自己無撞着計算法である境界マッチング密度汎関数法を用いている。この手法を用いた計算により、バイアス電圧印加による誘起電荷量を評価し、これを用いて静電容量を計算している。この静電容量評価法の概要を述べるとともに、その基盤となる密度汎関数法および境界マッチング密度汎関数法の概略を述べている。

 第3章では、本論文の研究の前段階として行われ、本論文研究の理解に重要な、平行平板キャパシタの静電容量評価の研究について概観している。前章で述べた方法論を用い、ジェリウム電極が対向している系について静電容量の電極間距離依存性を評価した。その結果、距離がナノメートル程度になると古典電磁気学で得られる値と明らかな違いが生じたが、この結果が電極中の電子の真空領域へのしみ出しと対向電極への電子の透過による実効的な誘起電荷量の減少とから理解できることを述べている。

 第4章では、非接触原子間力顕微鏡を用いた探針振動エネルギーの散逸量計測について解析した結果を述べている。この計測では通常探針-試料間の接近とともに散逸量が増加するのに対し、ごく短距離で散逸量が急激に減少するという結果が最近報告されているが、その原因は未解明である。そこで、第3章の結果を基にその原因を考察した。すなわち、散逸の起源として探針振動による探針-試料間静電容量の変化から生じる変位電流が誘起するジュール熱が挙げられるが、静電容量における前記の量子的振舞いを考慮してこのジュール熱を評価した。その結果、探針の振動振幅が小さい場合には、距離が極端に短い領域で距離の減少とともにジュール熱が減少するという非古典的振舞いが現れることを見出した。問題としている実験結果の振舞いにおいてこのジュール熱の寄与が支配的であるか否かについてはさらに検討が必要であるものの、ジュール熱散逸がこのような非古典的振舞いを示す可能性を初めて指摘した。

 第5章では、STM探針-試料間の静電容量について検討した結果を述べている。第3章で述べたものと同様の静電容量の振舞いを、一方の電極に微小な突起を乗せた対向電極系に対する計算で得ている先行研究があるが、この先行研究では電圧印加時の電子状態を自己無撞着に計算していなかった。そこで本研究で同様の計算を試みたところ、距離が非常に短い領域でも距離減少とともに静電容量が増加し続けるという、先行研究とは定性的に異なる振舞いを得た。この違いの原因を検討し、非自己無撞着な計算で先行研究を定性的に再現する結果を得て、先行研究が不十分な方法論を用いたために定性的に誤った結果を得ている可能性を指摘した。

 第6章では、第3章と第5章とで静電容量の距離依存性に定性的に異なる振舞いが見られること等を受け、量子点接触について静電容量の評価を行った。この系については伝導度について実験・理論の先行研究多数あることを踏まえ、伝導度の振舞いについてもあわせて評価している。その結果、静電容量については電極表面の形状により非古典的振舞いが見られる場合とそうでない場合があることを見出し、その違いの原因について誘起電荷量分布から説明を試みている。伝導度については、電極間距離を引き伸ばしていった際に、伝導度が一旦上昇してからゼロに落ちる場合があることを見出した。これは実験で見られる振舞いとも一致するが、この振舞いを説明するために先行理論研究では湾曲した原子鎖構造が引き伸ばしとともに直線的になると考えていた。本研究は、より自然な過程で実験結果を説明しうることを示した点で重要である。

 第7章は総括である。

 以上のように、本論文は、ナノ構造の静電容量を第一原理計算により解析した。静電容量の電極間距離依存性とその電極表面構造による変化、および走査プローブ顕微鏡等による実験計測との対応に注目した解析を行うことにより、ナノスケール構造の電気特性を制御・設計する上で有用な知見を得た。よって本論文のナノマテリアル物性工学、計算マテリアル工学への寄与は大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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