学位論文要旨



No 122324
著者(漢字) 南部,将一
著者(英字)
著者(カナ) ナンブ,ショウイチ
標題(和) 構造物ヘルスモニタリングのための損傷記憶スマートパッチ
標題(洋)
報告番号 122324
報告番号 甲22324
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6529号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 榎,学
 東京大学 教授 香川,豊
 東京大学 教授 小関,敏彦
 東京大学 教授 武田,展雄
 東京大学 教授 酒井,信介
内容要旨 要旨を表示する

 構造物の信頼性確保は様々な意味での生活の安全性を保障するための重要な課題であり,信頼性確保のための研究として,これまで2つのアプローチがあった.ひとつは材料特性の優れた材料を開発し,使用する力学的環境に耐えうる構造物を製造することであり,もうひとつは定期的に検査を行い,損傷が発見された場合に補修などを施すことである.材料開発の研究が行われ,優れた力学特性を持つ材料が得られてはいるが,設計外の応力の発生により損傷が生じることもある.また,もうすでに多くの構造物が存在しており,これら既存の構造物の信頼性確保が直面している重要な課題であり,最適な検査手法が望まれている.橋梁や船舶といった構造物における疲労損傷のモニタリング手法として,貼付型疲労センサが開発されている.オフラインでモニタリングができ,なおかつ安価,簡易な手法として提案されているが,使用範囲が限定されるなど問題点が残る.そこで本論文では,まず新たなセンシング手法として,損傷記憶スマートパッチの提案を行う.このパッチは疲労センサ同様,配線を使用しないため,オフラインで長期間にわたってモニタリングが可能である.また,これまでの疲労センサは疲労損傷度を直接推定するものであったが,このパッチでは,最大応力,繰返し回数,応力振幅について推定を試みる.最大応力はAE法のカイザー効果を利用し,繰返し回数および応力振幅は破壊力学的考察に基づき,き裂長さから推定することができると考えられる.この損傷記憶スマートパッチを提案するにあたり,使用する材料の特性を把握することは非常に重要である.しかしながら,薄板の試験片のAE発生挙動や疲労き裂進展挙動についての研究はあまりないのが現状である.そこで,本論文ではパッチに使用するような小型で薄板の試験片に対して,AE測定および疲労試験を行い,それぞれの特性を明らかにすることを目的とした.

 第二章では,本論文で提案した損傷記憶スマートパッチについてその概要について詳述した.最大応力の推定するためのAE法およびそのカイザー効果について原理を述べた.繰返し回数および応力振幅を推定するため,き裂進展におけるParis則を利用し,さらに特性の異なる2つのセンサを利用することで,き裂進展挙動おいて未知数であった繰返し回数と応力振幅がき裂長さの関数としてあらわすことができる.パッチの設計についは,材料・形状・接着について検討した.まず材料は安定き裂成長すること,耐食性に優れていること,AEが発生しやすいことなどから純銅,純Ti,純NiそしてSUS304を用意した.それぞれの材料について,き裂が発生する応力,き裂長さの観察しやすさ,同じ応力拡大係数におけるき裂進展速度を比較した結果,純銅が最も低い応力でき裂が発生し,またき裂長さも観察しやすかった.よって,本パッチでは純銅を使用することに決定した.つぎに形状については,初期き裂長さにおいて最も応力拡大係数の大きいSECT試験片をセンサの形状とした.接着方法についてはパッチを着脱可能にするために,低融点のワックスで接着する方法と対象物に土台を固定し,ねじ止めする方法について検討した.接着力や接着面積を考慮した結果,土台を構造物に固定し,ねじ止めする方法を採用した.

 第三章では,純銅の薄板試験片におけるAE挙動について調べた.本パッチに使用する試験片が小さいためAEの活動度は非常に小さい。また純銅のAE挙動についてはこれまでに多くの報告があるが,そのほとんどが粒径の大きいもの(数十ミクロン以上)であり,本論文で扱う電着銅の粒径(数ミクロン)でのAE挙動については明らかにされていない.そこで,センサに使用する純銅の薄板試験片のAE特性として,まず波形およびAEパラメータについて検討した.電着銅のAE波形は連続型であり従来の純銅のAEと同様な波形であったが,AE信号は非常に小さい.またfcc金属のAE挙動は引張負荷されるとともにAEエネルギーは増加するが,電着銅試験片の場合,ある程度引張負荷を受けてからAEのエネルギーが変化した.このように電着銅の場合ではAEが発生する応力が存在するため,そのAE開始応力の降伏応力およびノッチ長さ依存性について調べた.それぞれのAE挙動を調べたところ,降伏応力に相当するAEピーク応力が低下するにつれ,AE開始応力は低下し,ある程度AEピーク応力が低下するとAE開始応力はほぼゼロになった.これは転位運動と関連しており,ある程度降伏応力が低下する,つまり粒径が大きい,初期転位密度が低いことは転位運動を容易にする.検出されるAEは転位の移動と密接に関連しているため,AEの活動度が上昇し,AE開始応力がゼロになったと思われる.実際,超微細粒の純銅試験片においては,その粒径の大きさ(200nm)から転位運動がほとんど起きないため,AEが検出されないことが報告されている.また,ノッチ長さ依存性を調べた結果,ノッチ長さによってAE開始応力を制御できることがわかった.そこで,本パッチで測定する応力範囲と思われる30MPaから50MPaよりも低いAE開始応力の試験片を用いてカイザー効果が成立するかを確かめたところ,圧延銅のようにAE開始応力がほぼゼロの場合ではカイザー効果が見られなかった.一方,熱処理した電着銅の場合ではカイザー効果が成立し,あらかじめ与えた応力を推定することができた.さらにカイザー効果が成立した条件の試験片に対して,あらかじめ疲労負荷を与え,その最大応力を推定することを試みた.その結果,RMS電圧が変化しはじめたAE開始応力ではなく,RMS電圧曲線におけるノイズ部分と勾配部分の交差するときの応力によって最大応力を推定できることがわかった.

 第四章では,まず純銅の薄板試験片における疲労き裂進展挙動について調べた.本パッチのように板厚が数百ミクロン,幅が数ミリという形状の疲労き裂進展挙動についての研究はあまり見られない.そこで,疲労裂進展に対する板厚,粒径,最大応力,応力比の影響について検討した.用意した材料は大きな粒径をもつ圧延銅および小さな粒径を持つ電着銅である.電着銅は熱処理条件を変えることで,さらに粒径を変化させた.疲労き裂進展挙動を調べた結果,それぞれの条件においてParis則に従うが,最大応力,応力比によってき裂進展速度は大きく異なった.このようにき裂進展挙動は最大応力および応力比の影響を受けるが,従来使用されているき裂閉口を考慮した有効応力拡大係数を用いて補正することを試みた.ここでは,き裂閉口のモデルのなかでも応力比だけでなく最大応力の影響を含んだNewmanのモデルにおける有効応力拡大係数を用いた.しかし,このき裂閉口の効果を補正しても,最大応力および応力比の影響を取り除くことはできなかった.またParis則の傾きがバルク材と比較して小さいという結果が得られたが,これはき裂進展量の割合に対してき裂進展速度が増加していないことを示している.さらにこれまで用いた応力拡大係数は線形弾性破壊力学に基づいているが,使用した試験片は十分小さく,小規模降伏条件を満たしていない.そこで,本パッチに適用できる修正応力拡大係数を導入した.これは応力拡大係数を求める際に使用する形状係数を補正したパラメータである.この修正応力拡大係数を用いたき裂進展挙動は,最大応力や応力比によらず一本の直線で近似できることがわかった.このマスターカーブにおいて,き裂進展特性であるParis則のmとlogCが決定される.これら値を用いることで繰返し回数と応力振幅を推定することができる.また,このmとlogCの関係は線形であった.さらにmと降伏応力の関係を調べたところmは降伏応力によって決定できることがわかった.以上より,降伏応力を制御することによってき裂進展特性を決定できることが示唆された.

 第五章では,損傷記憶スマートパッチの測定精度について調べた.まずき裂進展において避けられない問題であるばらつきを統計的に評価した.確率過程論を用いた解析の結果,本パッチのように十分薄い試験片におけるき裂進展挙動のばらつきは板厚ではなく粒径に強く依存することがわかった.この結果より,測定誤差の小さいセンサを作製するためには粒径の小さい材料を使用すればよいことが示された.次に実際の使用において受けるであろう変動振幅荷重の影響について検討した.応力頻度分布が対数正規分布に従う場合,一定振幅応力による疲労試験結果より求めたa-N曲線を適用できることがわかった.さらに温度や湿度といった環境による影響について検討した.非常に低い温度ではき裂進展速度が遅くなることが報告されており,また湿度が非常に高くなると若干ではあるがき裂進展速度が上昇した.そのため,そのような環境において使用する際にはこれらの影響を考慮する必要がある.

 本論文では,以上のように構造物の疲労損傷を測定するための新たなセンシング手法である損傷記憶スマートパッチを提案し,そのセンサとして使用する材料の特性について研究した.得られた結果から本パッチを用いることで最大応力,繰返し回数,応力振幅を推定可能であることが示された.また使用するセンサの材料についても選択の指針を示した.このスマートパッチの概念と薄板試験片の特性を利用することで,構造物の信頼性を確保する新たな手段として利用されることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,社会基盤を支える構造物である鉄橋などの疲労負荷をモニタリングするための新たな手法である損傷記憶スマートパッチを提案し,その特性を詳細に評価し,さらにパッチの作製指針について検討したものであり,全6章より構成されている.

 第1章は序論であり,構造物ヘルスモニタリングのために現状どのような手法が使用されているかを示し,新たに提案した損傷記憶スマートパッチの疲労負荷のモニタリングにおける位置付けを明確にしている.特に長期にわたって繰返し負荷を受ける構造物への適用が期待されているオフラインモニタリング手法である疲労センサについて詳細に示し,その特徴と問題点について述べるとともに,その問題点を克服する新たなセンシング手法である損傷記憶スマートパッチを提案している.

 第2章は,損傷記憶スマートパッチの原理および設計について述べたものであり,最大応力,繰返し回数,応力振幅推定の原理を示すとともに,材料や形状,接着方法についての検討を行っている.最大応力の推定にはAEのカイザー効果を用い,繰返し回数および応力振幅の推定には複数のセンサのき裂進展挙動を用いることを提案している.また25MPa程度の応力を検出するためには,センサとして純銅の片側き裂引張試験片が適当であり,また着脱可能にするために土台とねじで固定する方法を選択したことを述べている.

 第3章では,最大応力を評価するために必要となる,純銅の薄板試験片のAE挙動について詳細に検討している.連続波形計測装置を用いることにより,粒径の小さな電着銅のAE挙動の解析を行っている.熱処理を行い組織を変化させることにより,AE開始応力も制御可能であることを示しており,またAE開始応力の材料組織やノッチ長さに対する依存性について検討している.その結果,AE開始応力は降伏応力で制御できることを明らかにしている.また圧延銅ではカイザー効果が成立せず以前負荷した応力を推定できないが,電着銅ではカイザー効果が成立し以前負荷した最大応力を推定できることを示している.さらに疲労負荷を与えた場合についてもAE測定を行っており,組織を変化させた電着銅を用いて疲労負荷の最大応力が推定可能であると結論している.

 第4章では,繰返し回数および応力振幅を評価するために必要となる,純銅の薄板試験片の疲労き裂進展挙動について検討している.まず破壊力学的評価方法に従って,応力拡大係数を用いてき裂進展挙動を整理したところ,それぞれの負荷条件においてParis則で整理できるものの,応力振幅や応力比によってき裂進展挙動が異なることを示している.またき裂開閉口を考慮した有効応力拡大係数を用いても,応力振幅や応力比の裂進展挙動に及ぼす影響を補正できないことを述べている.そこで新たに薄板金属試験片に適用可能な修正応力拡大係数を提案することにより,応力振幅や応力比に影響をうけないき裂進展挙動を示すマスターカーブを導出に成功している.またこのマスターカーブを特徴付けるパラメータは降伏応力に依存することを明らかにし,き裂進展挙動を降伏応力によって制御できる可能性を示している.さらに得られたき裂進展のマスターカーブを用いて繰返し回数および応力振幅を推定するマップを作成しており,これを用いて2つのセンサのき裂長さを測定することによって繰返し回数および応力振幅を推定可能であると結論している.

 第5章では,損傷記憶スマートパッチの測定精度を考慮するために,き裂進展におけるばらつきや変動振幅荷重など環境の影響について検討している.まずParis則に確率変数を導入した確率論モデルを用いてき裂進展のばらつきを評価しており,確率変数は対数正規分布に従い,その分散は粒径に強く依存することを明らかにしている。したがって測定精度を向上させるためには粒径を小さくすることが必要であることを述べている.つぎに変動振幅荷重の影響を考慮するために,実際の構造物で想定される対数正規分布に従う応力頻度分布を与えた際のき裂進展特性について検討している.低応力側から高応力側へブロック荷重を与える極端な荷重パターンにおいては,一定振幅荷重の場合に比べてき裂進展量が大きいという結果になるが,ランダムに近い荷重パターンの場合では一定振幅荷重の場合との差は小さいことを明らかにしている.

 第6章は結論であり,本論文の成果についてまとめを行っている.本論文で提案した損傷記憶スマートパッチの測定原理を用いて最大応力,繰返し回数,応力振幅を推定できることを述べるとともに,センサ作製の指針についても示している.すなわち,センサ材料の降伏応力やノッチ長さにより,最大応力推定に必要なAE開始応力や繰返し回数および応力振幅推定に必要なき裂進展特性が制御可能であり,さらに測定精度に影響を与えるき裂進展のばらつきは粒径により制御可能であると結論している.

 以上要するに,本論文は構造物ヘルスモニタリングにおける新たなセンシング手法として損傷記憶スマートパッチを提案しており,またそのセンサ特性と材料特性の関係を明らかにすることにより適用範囲の広いセンサ作製への指針を示している.ここで得られた結果を利用することにより,構造物の疲労現象のオフラインモニタリングが広く行われるようになることが期待され,マテリアル工学の発展への寄与が大きいと判断できる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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