学位論文要旨



No 122337
著者(漢字) 高橋,幸奈
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ユキナ
標題(和) 還元および酸化エネルギー貯蔵型光触媒の開発
標題(洋)
報告番号 122337
報告番号 甲22337
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6542号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 立間,徹
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 助教授 石井,和之
 東京大学 講師 組頭,広志
 東京大学 講師 入江,寛
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

 酸化チタン(TiO2)光触媒は、紫外光照射下で励起電子と正孔を生じ、それぞれ還元反応と酸化反応を引き起こす。これによって、防汚、有害物質の分解、抗菌・殺菌、防錆など、種々の有益な効果が得られる。しかし、夜間など光の当たらない条件下では機能しない。その制限を補うのがエネルギー貯蔵型光触媒である。当研究室では今までに、TiO2光触媒にエネルギー貯蔵材料としてn型半導体である酸化タングステン(WO3)などを組み合わせ、還元エネルギー貯蔵型光触媒を開発した(Fig. 1)。これによって、光触媒の昼間の余剰な励起電子エネルギーを蓄え、夜間にもその還元力で、防錆、抗菌・殺菌等、光触媒の還元反応に基づく効果の一部を持続できることを報告した。

 本研究では、TiO2光触媒のより多くの効果の持続を目的とし、まず還元エネルギー貯蔵型光触媒に関して、WO3とは特性の異なる貯蔵材料を用いることで応用範囲の拡大を目指した。次に酸化エネルギーの貯蔵を実現することで、光触媒の酸化反応に基づく効果も夜間に持続させることを目指した。

2. 還元エネルギー貯蔵型光触媒

 還元エネルギー貯蔵材料に必要な性質は、安定な酸化還元活性等を持つこと、その電位がTiO2の光電位より正で、目的とする還元反応の電位よりは負であること、などである。これらの条件を満たす酸化モリブデン(MoO3)を貯蔵材料として選択した。MoO3は、式1のような酸化還元反応を示す。

[実験] 薄膜はITO被覆電極上にスピンコートして得た。MoO3とWO3は微結晶をアルコキシシランバインダーで固定した。TiO2はbis(2,4-pentadionato)titanium oxideを焼成して得た。電気化学測定では、参照極にAg/AgCl、対極にPt線、電解液には3wt% NaClaq(pH5)を用いた。

[結果と考察] 同じ膜厚のMoO3膜とWO3膜を定電位で還元(充電)、その後定電流で再酸化(放電)したときの放電電気量を比較した(Fig. 2)。TiO2の光電位である-0.4 Vでは、MoO3の方が電気量が大きく貯蔵材料としてより大きな電気容量を持つことが示された。

 そこで、TiO2にMoO3を組み合わせた混合薄膜、二層薄膜、分離型薄膜の3種類を作製し(Fig. 3)、電解液中で紫外光照射中および消灯後の自然電位の変化を測定した(Fig. 4)。その結果、いずれにも還元エネルギーを貯蔵でき、中でも分離型薄膜が負の電位を最も長時間保持できた。しかしWO3に比べ、容量が大きいにもかかわらず負の電位の保持時間は短かった。正側への電位シフトが溶存酸素による再酸化に起因することから、MoO3の方が酸素還元反応が速いことが示唆される。つまり、抗菌・殺菌など、酸素の還元に伴う過酸化水素の発生(O2 + 2e- + 2H+ → H2O2)が望まれる用途に適しているといえる。一方、防錆のように負の電位を長く保つ必要がある用途には、酸素還元反応が遅いリンタングステン酸(PWA)の方が適している。

 以上より、これらの貯蔵材料の選択・組み合わせによって、種々の用途に対応する還元エネルギー貯蔵型光触媒を設計できると考えられる。

3. 酸化エネルギー貯蔵型光触媒

 TiO2はn型半導体であり、電子に比べて正孔の移動度が低いため、酸化エネルギー貯蔵は還元エネルギー貯蔵に比べて困難と考えられるが、これを可能にする二つのモデルを考えた(Fig. 5)。

 一つは、直接電荷移動のモデルであり、光触媒と貯蔵材料の界面でp-n接合などに基づく電荷分離により、直接正孔が貯蔵材料に移動する機構である。もう一つは間接的なモデルである。これは、水や酸素が光触媒上で酸化または還元されて生じた活性酸素種などがメディエータとして拡散し、間接的に貯蔵材料を酸化する機構である。

本研究では、いずれのモデルにも適合する貯蔵材料の候補として、まず水酸化ニッケル(Ni(OH)2)を用いた。Ni(OH)2はp型半導体であるといわれ、式2のような安定な酸化還元活性を示す。

[実験] TiO2薄膜は、スピンコートしたチタンアルコキシドを焼成して得た。Ni(OH)2薄膜はITO電極またはTiO2被覆ITO(ITO-TiO2)を基板としてNi(NO3)2aqから電解析出法で製膜した。電解液には炭酸緩衝液(pH 10)を用いた。

[結果と考察] 作製した二層薄膜(ITO-TiO2-Ni(OH)2)に紫外光を照射すると茶色に着色した(Fig. 6)。これは、NiOx(OH)2-xの色であり、TiO2の酸化エネルギーが貯蔵されたことを示している。この貯蔵した酸化エネルギーを定電流電解で放電し、放電曲線を得た(Fig. 7)。このグラフより、+0.5 - +0.6 V vs. Ag/AgCl付近で酸化エネルギーが貯蔵されていることがわかる。また、酸化エネルギーを貯蔵した状態の膜と、種々の化学種との反応性を調べたところ、アルコール類、アルデヒド類、ギ酸、アセトン、フェノール、H2O2、I-等の酸化が可能であることもわかった。

 以上より、貯蔵した酸化エネルギーによって、夜間にも、例えばシックハウス症候群の原因となるホルムアルデヒドやフェノールの酸化除去効果が持続できる可能性が示唆された。

4.非接触系での酸化エネルギー貯蔵

 上述のとおり、酸化エネルギーの貯蔵と利用が可能になったが、その貯蔵の詳細な機構は明らかになっていない。そこで、間接的な電荷移動の寄与について調べるため、非接触状態で貯蔵を試みた(Fig. 8)。

[実験] TiO2ゾルをスピンコートしてTiO2薄膜を得た。必要に応じてH2PtCl6aqから、光触媒析出法でPtを担持した。

[結果と考察] 別々に製膜した光触媒膜とNi(OH)2膜を、気相中で12.5 mm離して向かい合わせ紫外光を照射したところ、非接触系でも酸化エネルギーが貯蔵された。つまり気相中では、間接的な機構が酸化エネルギー貯蔵に寄与し得ることがわかった。またその際、メディエータとして、HO・、HO2・、O3などのいずれかが寄与していると推察された(Fig. 9a)。100 mW cm(-2)照射時のエネルギー貯蔵速度は、TiO2-Ni(OH)2二層薄膜(気相中)の場合より1-2桁小さかった。光触媒と貯蔵材料との分離が、直接酸化やメディエータの拡散に不利に働くためと考えられる。

 一方、電解液中では、Ni(OH)2膜側は酸化着色しなかった。しかし、光触媒膜側にはNiOx(OH)(2-x)の析出が観察された。このことから、電解液中では、Ni(OH)2から溶出したNi(2+)が、光触媒上にNiOx(OH)2-xとして酸化析出するという自己メディエーション的な反応が、酸化エネルギー貯蔵に寄与している可能性が示された(Fig. 9b)。

5.酸化エネルギー貯蔵型光触媒の性能の向上

より強い効果を持続するために、Ni(OH)2よりも正の電位での貯蔵が必望まれる。そこで次に、イリジウム酸化物(Ir oxide)とルテニウム酸化物(Ru oxide)を貯蔵材料に用いた。これらの材料はNi(OH)2同様、エレクトロクロミック材料として安定な酸化還元活性を持つことが知られている。

[実験] Ir oxide膜はスピンコートしたIrCl3aqの熱分解により、Ru oxide膜はRuCl3aqからの電解析出により製膜した。電解液には0.1 M NaNO3aqを用いた。

[結果と考察] 作製した膜のサイクリックボルタモグラム(CV)から、いずれもNi(OH)2よりも正の酸化還元電位を持つことがわかった(Fig. 10)。

 そこで、これらの膜に非接触系で酸化エネルギーを貯蔵し、その後の放電曲線を比較した(Fig. 11)。すると、それぞれNi(OH)2の放電開始電位(Fig. 7, ca. +0.6 V)よりも正である、+0.8,+0.7V vs. Ag/AgClから放電ができた。以上より、Ir oxideやRu oxideを用いることで、Ni(OH)2より多様な酸化反応を持続できる可能性が示された。実際に、Ir oxideに貯蔵した酸化エネルギーによって、Br-など、Ni(OH)2を用いては酸化できない基質を酸化できる可能性が確認された。

 なお、二層薄膜(ITO-TiO2-Ir oxide)では、気相中でわずかに酸化エネルギーが貯蔵されたが、非接触の系には及ばなかった。これはNi(OH)2とは逆の傾向である。光触媒と貯蔵材料が接触することで、直接酸化やメディエータの拡散に有利になる以上に、直接還元の影響を受けるためと推察される。

6. まとめ

 還元エネルギー貯蔵材料としてMoO3が利用でき、WO3やPWAとは異なる目的に適していることを明らかにした。また、貯蔵材料にNi(OH)2を用いて、酸化エネルギー貯蔵型光触媒を開発した。これによって、夜間にも一部の酸化反応が持続できることを明らかにした。さらに、酸化エネルギー貯蔵は、光触媒と貯蔵材料が非接触状態でも可能であり、Ir oxideやRu oxideを貯蔵材料として用いることで、より正の電位での酸化エネルギー貯蔵が可能になった。

 酸化エネルギー貯蔵機構については、現時点で直接電荷移動過程の寄与は不明だが、少なくとも気相中では、活性酸素種をメディエータとした間接電荷移動が、液相中では自己メディエーション的な間接電荷移動が、酸化エネルギーの貯蔵に寄与していることがわかった。

Fig. 1. Concept of photocatalysts with energy storage abilities.

Fig. 2. Discharging capacities of MoO3 and WO3 coatings on ITO electrode when the coatings are charged at a constant potential (1 h).

Fig. 3. TiO2-MoO3 composite films on an ITO electrode.

Fig. 4. Changes in the potential of an ITO electrode coated with TiO2-MoO3 composite films. The films are irradiated with UV light (10 mW cm(-2)) for the first 1 h.

Fig. 5. Models for the oxidative energy storage photocatalysts. (a) The p-n junction model and (b) the mediation model.

Fig. 6. TiO2-Ni(OH)2 bilayer film before (a) and after (b) the UV-irradiation for 2 h in a pH 10 buffer.

Fig. 7. Electrochemical discharging curves of the TiO2-Ni(OH)2 bilayer films after photooxidation by UV-irradiation (10 mW cm(-2)) for 2 h in a pH 10 buffer.

Fig. 8. Experimental setup of remote oxidative energy storage in Ni(OH)2 with a photocatalyst by UV-irradiation.

Fig. 9. Detailed models for the indirect oxidative energy storage.

Fig. 10. Cyclic volatammograms of the Ir oxide (a) and Ru oxide (b) films (50 mV s(-1)).

Fig. 11. Electrochemical discharging curves (at 500 nA cm(-2)) of the Ru oxide and Ir oxide films in which oxidative energy was stored by UV irradiated Pt-TiO2 with an intervening gap of 7.5 gm in air (light intensity, 100 mW cm(-2)).

審査要旨 要旨を表示する

 光触媒は、太陽光に含まれるUVのエネルギーによって種々の有益な効果が得られることで注目されている材料である。しかし、光触媒にはいくつか欠点もある。本研究では、その光触媒の欠点のうち、夜間には効果が得られないという根本的な欠点を補うことを目的とし、そのために還元または酸化エネルギー貯蔵型光触媒の開発に取り組んだ。まずは、従来の還元エネルギー貯蔵型光触媒の実用性を向上し、その後に、従来は実現できていなかった酸化エネルギー貯蔵型光触媒の開発に取り組んだ。その貯蔵機構を明らかにしつつ、さらなる特性の向上も試みた。本論文では、これらの内容を全6章にまとめた。

 第1章は序論である。まず、光触媒一般についてその仕組みを説明し、光触媒の欠点について述べている。それらの欠点に対して現在取り組まれている対策について述べ、特に夜間には機能しないという光触媒の欠点を補うための研究の重要性について説明している。また、エネルギー貯蔵型光触媒という手法を用いることによって、その欠点を補うことができる可能性について述べている。

 第2章では、還元エネルギー貯蔵型光触媒に用いる貯蔵材料として、従来の貯蔵材料である酸化タングステンやリンタングステン酸とは異なる特性を持つ酸化モリブデンに着目し、その特性について評価した。還元エネルギー貯蔵材料として、酸化モリブデンは従来の貯蔵材料よりも容量が大きく、酸素還元速度も速いということを明らかにし、実際に酸化チタンと酸化モリブデンを組み合わせた系で、UV照射による還元エネルギー貯蔵が可能であることを報告している。特に酸化チタン上に酸化モリブデンを積層した二層薄膜に関して、太陽光レベルの弱いUVでも還元エネルギーの貯蔵が可能であり、繰り返し特性があることや、気相中でも湿度80%で還元エネルギーの貯蔵が可能であることを明らかにした。

 第3章では、酸化エネルギー貯蔵型光触媒の開発に取り組んだ。従来は還元エネルギーのみしか貯蔵できなかったが、エネルギー貯蔵材料としてp型半導体である水酸化ニッケルを用いることによって、初めて光触媒の酸化エネルギーを貯蔵することに成功した。酸化チタン膜上に水酸化ニッケルを積層して作製した二層薄膜では、UV照射によって膜が褐色に着色することを確認し、酸化エネルギー貯蔵反応が進行することを明らかにした。この水酸化ニッケルに貯蔵した酸化エネルギーによって、アルコール類やアルデヒド類、ギ酸、過酸化水素、フェノール、KIなどといった基質の酸化が可能であることを示した。またこのUV照射による二層薄膜の着色および還元脱色の反応は可逆であることから、作製した二層薄膜がフォトクロミック材料としても利用できることを明らかにした。

 第4章では、第3章で開発した酸化エネルギー貯蔵型光触媒について、酸化エネルギー貯蔵機構の検討を行った。気相中で、光触媒と貯蔵材料が非接触の系において酸化エネルギー貯蔵反応を試み、これが可能であることを明らかにした。これにより、少なくとも気相中では、UV照射下の光触媒上で生成・飛散する活性酸素種がメディエータとして酸化エネルギー貯蔵反応を担う、間接的な電荷移動による貯蔵機構が存在することを明らかにした。さらに、電解液中で同様の実験を試みた結果から、貯蔵材料が溶出したNi2+が光触媒上で酸化される自己メディエーション的な機構が寄与している可能性を示した。

 第5章では、第3章および第4章で開発した酸化エネルギー貯蔵型光触媒の、酸化エネルギー貯蔵電位の向上について、新たな酸化エネルギー貯蔵材料を用いることで取り組んだ。貯蔵材料として、水酸化コバルト、酸化ニッケル、ルテニウム酸化物、酸化イリジウムの利用可能性を比較検討した結果、気相中の非接触系でルテニウム酸化物や酸化イリジウムを貯蔵材料として用いることで、従来の水酸化ニッケルよりも正の電位で酸化エネルギーを貯蔵できることを示した。また、酸化イリジウムに貯蔵した酸化エネルギーによって、水酸化ニッケルを用いた場合には酸化が遅かったアセトンや酸化できなかったKBrなどの基質を速やかに酸化できることを明らかにした。

 第6章では全体の総括と今後の展望について述べた。

 このように本研究では、還元エネルギー貯蔵型光触媒の特性の向上に成功し、また光触媒の酸化エネルギーの貯蔵に初めて成功し、さらにその機構の一部について明らかにした。こうして得られた成果は、今後のエネルギー貯蔵型光触媒の材料設計や実用性の向上、一般の光触媒の機構解明などに大きく影響を与えるものと期待される。以上のように本研究は、光電気化学、材料化学などの進展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク