学位論文要旨



No 122342
著者(漢字) 後藤,直之
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,ナオユキ
標題(和) 高エネルギー物質の静的圧力応答
標題(洋)
報告番号 122342
報告番号 甲22342
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6547号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 新井,充
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 助教授 堀,恵一
 東京大学 助教授 茂木,源人
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

 エネルギー物質の起爆は反応の初期過程がいまだ解明が不完全な現象である. 落槌感度試験によれば, 50 mgのRDXは2 Jの打撃エネルギーによって爆発するが, 2 Jのエネルギーが試料全体に一様に分配されると仮定すると, RDXの比熱は0.3 cal / g Kであるため試料の温度は31 K程度しか上昇せず, RDXの発火点には達しない1. このように打撃エネルギーが温度上昇に用いられるという仮定の下では実際的にほぼ全てのエネルギー物質について反応を開始する温度には至らないため, 必然的に他のエネルギー移動過程を考えなければならない.

 Hensonら2, Czerskiら3は打撃により高性能爆薬HMXが, 分子構造をβ相のchair型からより感度の高いδ相のboat型へ転移してから起爆していることを実験により確かめた. この現象が起爆時の一般的な経路であるのか, HMX特有の現象であるのか等の結論は未知である.

 Kukljaら(4-8)は"excitonic mechanism"のモデルを計算により主張している. 結晶中の特に刃状転位の格子欠陥により電子構造は劇的に変化し, 光学的ギャップを減少させる. 打撃により高圧力状態になっている部分においてはバンドギャップがゼロに近づくため, HOMO-LUMO間の遷移が容易となり, N-NO2 (RDXの場合)等の分子内結合を切断するに至り, 連鎖反応が開始し得る状態になる.

目的

 高エネルギー物質の起爆機構に関して, 高圧力による構造変化, 電子状態変化に着目して検討を行う.ダイヤモンドアンビルセル(DAC)を用いて著名な高エネルギー物質であるRDX, HMXに高圧力を印加し, フーリエ変換赤外吸収分光法(FTIR)及び粉末X線回折測定により高圧力下における構造変化を調べる. 高圧下における高エネルギー物質の結晶構造は, 主に計算機化学の発展に資するところが大きく, 分子動力学計算等において重要なデータとなる. また, RDX, HMX, PETN, NTOに同様に高圧力を印加し, 紫外−可視域(UV-VIS)吸収分光法を用いてバンドギャップの圧力依存について検討を行う.

第2章 実験方法

 DACを用いることによって, 数百GPaの静的高圧力を発生することが可能である9.

 RDX, HMX粉末を乳鉢で擦り微粉末とした後, 圧力媒体のパラフィンオイルと混合し, DACに封入して加圧した. 粉末X線回折実験を行った. イメージングプレートの像を強度データとして取り込み, Rietveld解析により結晶構造を求めた.

 FT-IR測定に用いたものと同じDACに圧力媒体なしで試料のみを封入し, タングステンランプを光源としてガスケット穴の透過光を分光器通過後, CCD検出器で測定した(340 〜 450 nm).

第3章 高圧下におけるRDXの構造変化

 RDXの室温で安定な相はα相であり, その結晶構造は知られている.10 空間群は変化しないと予測されているが, 確実なものではなく, また詳細な結晶構造は知られていない. RDXの分子構造は, chair型のC-N-C-N-C-Nの6員環に, NO2がN原子に1つずつ結合する形を取っている. NO2の結合角は6員環面に対して軸結合(Axial), 赤道結合(Equatorial)の2種類があるが, α相では2つがAxial, 1つがEquatorialというAAEの組み合わせになっている. 他の異性体についても検討を行った.

 測定したX線回折パターンをから, 約4 GPaにおいて不連続な変化が見られ, 相転移が確認された. 各パターンについてAccelrys社のMaterials Studio Reflexを用いて格子定数, 原子座標の最適化を行った. γ相の晶系及び空間群はα相と同様の斜方晶Pbcaとして最適化された. γ相では分子がab面内で回転することによりb軸が増加し, bc面内で分子が重なることでc軸が減少することがわかった.

第4章 高圧下におけるHMXの構造変化

 HMXには常圧・常温で4つの相α,β,γ,δが存在することが知られている. 打撃起爆感度はβ<α<γ<δとされており, また結晶としての安定性はこれと逆にβ>α>γ>δとされている. Yooら11によるダイヤモンドアンビルセルを用いた静的高圧力下における粉末X線回折実験では, β-HMXは12 GPaでα,β,γ,δのいずれとも異なるε相に転移し, さらに27 GPaでf相に転移すると予測されており, δ相は現れない. ただし, ε相, f相ともに格子定数は解析されているものの結晶構造は未解明であり, これを明らかにすることはHMXの起爆を研究する上で重要な情報になるとともに, 物理化学的に興味深い.

 測定された粉末X線回折パターンにおいて, 相転移と認められる変化は現れなかった. 従って, Rietveld解析によって得られた結晶構造も常圧と同一の空間群P2l/c (P2l/n), 分子構造により最適化された. 分子間距離の減少が見られた. 各圧力において原子座標を求めた. 12 GPaを境にc軸が増加傾向に転じることが分かった. また, b軸の減少傾向が若干急になっている. 圧力上昇に伴い分子の配向が変化し, a軸の顕著な減少に対応していることが分かった. c軸方向の変化が乏しく, c軸の変化が緩やかであることが分かった.

 FT-IRスペクトルは, 強度が著しく減少するものの, 分子構造の転移を示唆するスペクトル形の変化は見られなかった. ピークシフトは総じて大きくないが, 1100 cm(-1)〜1600 cm(-1)の主に8員環・NO2に由来する振動にブルーシフトが認められた. これは分子間距離の減少による変化であると言える.

第5章 高圧下における高エネルギー物質の電子状態変化

 RDX, HMX, PETN, NTOの大気圧下及び高圧下における吸収スペクトルを測定した. 大気圧で可視域近くに吸収ピークが存在するのはNTOのみである. 圧力の上昇に従ってRDXは若干吸収端が現れ, NTOは明らかに吸収端が長波長側にシフトしていることが分かった. PETN, HMXについては, 常圧〜50 GPaの圧力範囲においては吸収スペクトルに変化は見られず, 350 nm以上の波長範囲において吸収を示さなかった.

 これらの結果は高エネルギー物質の起爆感度とバンドギャップの圧力依存の間に相関がないことを示している. 高圧力下における光学遷移の許容されるバンドギャップは, 常圧下におけるバンドギャップの大小関係がそのまま現れていると考えられ, 打撃による高エネルギー物質の反応性には寄与していないと考えられる.

 実験結果の妥当性を評価するため, 時間依存密度汎関数(TDDFT)計算をB3LYP/6-31G(d)レベルで各分子について行い, 常圧におけるスペクトルと比較した. この結果は, 常圧下における吸収スペクトルのピーク位置とほぼ完全に一致した. ただし, RDX, HMX, PETNでは振動子強度の小さい遷移が長波長側に見られたが, そのギャップはNTOの最長波長の遷移よりも高エネルギーであり, excitonicモデルを支持する結果とはならなかった.

第6章 結論

 本研究では, 高エネルギー物質の静的高圧力下における振る舞いについてDACを用いて高圧力を発生し, 様々な光学的手法により研究を行った.

 その結果RDXの高圧相であるγ相の結晶構造を初めて解明した. 空間群は変化しないが, パッキングに変化が見られ, 分子構造が若干変化するということが分かった.

 HMXの高圧相, ε相と言われる圧力領域12 〜 27 GPaにおける結晶構造を初めて解明し, 相転移が不明瞭なものであることが分かった. また動的高圧力と異なり, 静的高圧力においてはboat型に転移しないことが分かった.

 RDX, HMX, PETN, NTOの紫外-可視域吸収スペクトルの圧力変化を初めて測定し, バンドギャップの減少と起爆感度に相関が見られないことが分かった.

参照文献(1) K. L. McNesby, C. S. Coffey J. Phys. Chem. B 1997, 101, 3097-3104(2) B. F. Henson, B. W. Asay, R. K. Sander, S. F. Son, J. M. Robinson, P. M. Dickson Phys. Rev. Lett. 1999, 82, 1213-1216(3) H. Czerski, M. W. Greenaway, W. G. Proud, J. E. Field J. Appl. Phys. 2004, 96, 4131-4134(4) M. M. Kuklja, A. B. Kunz J. Phys. Chem. B 1999, 103, 8427-8431(5) M. M. Kuklja, E. V. Stefanovich, A. B. Kunz J. Chem. Phys. 2000, 112, 3417-3423(6) M. M. Kuklja, A. B. Kunz J. Appl. Phys. 2000, 87, 2215-2218(7) M. M. Kuklja, B. P. Aduev, E. D. Aluker, V. I. Krasheninin, A. G. Krechetov, A. Y. Mitrofanov J. Appl. Phys. 2001, 89, 4156-4166(8) M. M. Kuklja Appl. Phys. A 2003, 76, 359-366(9) V. Schettino, R. Bini Phys. Chem. Chem. Phys. 2003, 5, 1951-1965(10) P. J. Miller, S. Block, G. J. Piermarini Combust. Flame 1991, 83, 174-184(11) C. Yoo, H. Cynn J. Chem. Phys. 1999, 111, 10229-10235
審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「高エネルギー物質の静的圧力応答」と題し、高エネルギー物質の静的な高圧下における挙動を解明することを目的とし、6章よりなっている。

 第1章は序論であり、高エネルギー物質の起爆初期過程の仮説として重要な三視点を述べ、その高圧下における挙動に対する関心の高さ、及び既往の研究例を示している。また、高エネルギー物質のみならず、有機分子結晶の高圧下における構造を解明することの意義を述べ、本研究の目的を表明している。

 第2章では実験・解析方法を述べている。高圧力発生装置であるダイヤモンドアンビルセルの説明と、本研究で用いられたフーリエ変換赤外吸収スペクトル測定法とその解析・考察方法、粉末X線回折測定法とその解析法、紫外‐可視域吸収スペクトル測定法とその解析・考察方法について述べている。

 第3章には、高エネルギー物質であるシクロ-1,3,5-トリメチレン-2,4,6-トリニトラミン(RDX)について赤外スペクトル・量子化学計算と粉末X線回折・リートベルト解析から超高圧下(最高で50GPa)での分子構造、結晶構造を決定するに至る過程とその結果、さらにその解釈が述べられている。未解明であった4 GPa以上の高圧域におけるRDXの結晶構造、γ相を解明することに成功し、さらには最近になって予測されている超高圧相、δ相の存在を裏付ける実験結果と解釈が示されている。γ相はα相と同様の空間群に属すものの、分子の配列が異なり、分子構造を若干変形させるという構造を取っていることがわかった。

 第4章ではRDXと類似の分子構造を持つ高エネルギー物質であるシクロ-1,3,5,7-テトラメチレン-2,4,6,8-テトラニトラミン(HMX)について赤外スペクトル・量子化学計算と粉末X線回折・リートベルト解析から超高圧下での分子構造、結晶構造を決定するに至る過程とその結果、さらにその解釈を述べている。12 GPa以上のε相と予測される圧力領域について結晶構造の解明に成功している。その結果、体積や格子定数の変化率が12 GPaにおいて若干変化するものの、ε相と言われる圧力域においても結晶構造は空間群、分子構造とも常圧のβ相と変化せず、動的高圧下における場合とは異なりδ相型の分子構造を取らないということが明らかとなった。構造を解明したことによる結論として、ε相の存在が疑わしく、相転移と呼ぶには相応しくない程度の結晶構造の変化しか起こらないとしている。

 第5章ではRDXとHMXに加え、ペンタエリスリトールテトラナイトレート(PETN)と5-ニトロ-1,2,4-トリアゾール-3-オン(NTO)の4種の高エネルギー物質について常圧及び高圧下における紫外‐可視域吸収スペクトルを測定し、各物質の高圧力によるバンドギャップの減少が考察されている。時間依存密度汎関数法による量子化学計算を用い、常圧下の吸収ピークと一致した波長に大きい振動子強度を持った電子遷移が見られ、孤立分子の電子遷移と分子結晶のバンドギャップに大きな相違がないとしている。高圧下の吸収スペクトルから、最も落槌起爆感度の低いNTOが最も大きなバンドギャップ減少を示すことをのべ、これによって爆薬の感度とバンドギャップ減少の間に相関がなく、高圧下におけるバンドギャップの大小関係は常圧下におけるバンドギャップの大小の傾向を引き継いでいることを示唆している。

 第6章は結論であり、本研究全体のまとめとその意義、関連分野の今後の展望が述べられている。高エネルギー物質の起爆現象の研究分野において、著名な爆薬であるRDXとHMXの高圧下における結晶構造が解明されたことは、それ自体が計算機シミュレーションの分野等において貴重なデータであること、また数少ない有機分子結晶の高圧構造の研究例として興味深い結果であり、今後の関連分野の発展の先駆として重要な役割を果たすことが述べられている。また、高圧下における紫外‐可視域吸収スペクトルが測定される等、新規性の高い結果が多く得られたことが示されている。

 以上、本論文は高エネルギー物質の静的高圧下における基礎的な知見を得、有機分子結晶の圧力に対する構造やスペクトルの応答を解明する等、新規で重要な結論を得ており、物理化学、固体化学、火薬学、化学システム工学の発展に寄与するところが著しい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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