学位論文要旨



No 122347
著者(漢字) 井上,敦
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,アツシ
標題(和) ランダム配列核酸ライブラリーを用いた機能性タンパク質創製法の開発
標題(洋)
報告番号 122347
報告番号 甲22347
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6552号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 助教授 上田,宏
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 タンパク質は生命体を維持する上で必要となる様々な機能を有し、その優れた特性から工業用酵素、医療用、研究用試薬などとして幅広く応用されている。ゲノム情報の解読や、数千個規模でのタンパク質立体構造解析がなされ、タンパク質の一次配列、立体構造と機能について膨大な知識が蓄積されつつあるが、それらを統合し、新しい機能をもつタンパク質をデザインし創製することは決して容易ではなく、さらなる研究が必要である。その一方で、コンビナトリアルケミストリーの概念を取り入れた手法、つまり、非常に多くの核酸レベルのライブラリーを用意し、その中から目的の機能を有するタンパク質のみを選びだすという方法成果を上げている。

 本研究ではコンビナトリアルバイオエンジニアリングの概念のもとに、効率よく結合性タンパク質を選択できるin vitroタンパク質選択システムの開発と、細胞の内部で発現させることによって細胞の表現型を変化させることができる機能性タンパク質(細胞内抗体)の創製法の開発を行い、これらの方法論の有用性を示した。

リボソームディスプレイ法に基づく、新規機能性ペプチド選択法の開発

 機能性タンパク質選択法にはファージディスプレイ法、mRNAディスプレイ法、STABLE法などが知られているが、そのいずれにも共通する目的は、機能を果たすタンパク質とそれをコードする遺伝子情報を1対1でカップルさせる、ということである。リボソームディスプレイ法ではmRNAから終止コドンを除くことで、強制的にリボソームをmRNAの3'末端で停止した状態とさせ、翻訳されたタンパク質とmRNAをリボソームを介してリンクさせる。これらのステップは生体に依存することなく、すべて試験管内反応で行えるため、10(10)以上の膨大な多様性を持つライブラリーに対して、また生体に対して毒性を持つタンパク質の選択にも応用が可能である。このような性質から、リボソームディスプレイ法は比較的簡便かつ迅速に目的とするタンパク質を選択することができるシステムとして期待される方法である。

 しかし、現状では、タンパク質選択法としての応用例は少数に留まっている。この原因としては、リボソームによるタンパク質とmRNAの連結は非共有結合的であり、一端リボソームから解離してしまうと目的のmRNAが回収されず、その結果として選択効率が低下してしまうためであると考えられる。そこでタンパク質とmRNAの連結をより強固なものとするために、mRNAとタンパク質が直接相互作用するような仕組みを導入した(図1A)。mRNA上にHIV由来のステムループ型の構造をとるTAR配列を、またディスプレイされるタンパク質側にTARと相互作用するTatペプチドを発現させることで、図のようにリボソームの他にもう1点でmRNAとタンパク質を連結させた。図1Bに示したTAR配列のほかに、相互作用しないステムループ構造のRNAを導入したもの、さらにTARより強力に結合するRNAとして人工的に作られたTat Aptamerの3種類を持つmRNAを用意し、FLAGペプチドをモデルとしてmRNAの回収量の比較を行った。

Tatペプチドとの相互作用をまったくしないコントロールのステムループ構造に比べ、TAR配列を導入した場合、mRNAの回収量が増加し、さらにより強力な相互作用をするとされているTat Aptamerを導入することで、さらに回収量の上昇が見られた(図1C)。FLAGをコードしないmRNAの回収率はいずれも同定度であるので、回収率の差はRNA構造がもたらすものではないことが分かる。この結果から新しく導入したmRNAとタンパク質の相互作用は選択的にmRNAの回収量を上昇させる効果があることが明らかとなった。

動物細胞を標的としたin vitro選択法

 膜表面に存在するタンパク質は細胞種を見分けるマーカーとして有効であり、また創薬における標的として重要なターゲット分子であるが、その多くは疎水性が高く、大量に精製することが困難であり、in vitro選択法の標的分子として用いることは難しい。in vitro選択法においてアフィニティ選択する際の固定担体として動物細胞を用いることができれば、細胞膜表面の膜タンパク質に結合するタンパク質を迅速に選択することができる。そこで、モデル系としてチロシンキナーゼ受容体であるHer2とそれと特異的に結合する人工分子であるHer2 binding proteinを用いて検討を行った。その結果、コントロールとして用いた結合能力を持たない欠損タンパク質をコードするものに比べ、約6倍量程度のHer2 binding proteinをコードするmRNAを選択的に回収することが可能であった(図2)。また、Her2を発現していない細胞を用いるとmRNAの特異的な選択ができないこと、リボソーム上に提示されるHer2 binding proteinと同様のタンパク質を大過剰量、選択溶液中に加えるとmRNAの回収量が選択的に減少することから、mRNAの選択はHer2依存的であることが分かる。

 この方法を用いることでリボソームディスプレイ法のようなin vitro選択法の応用領域が広がり、精製が困難な膜タンパク質に対する結合性ペプチドや機能阻害タンパク質の創製において有用なツールとなりうると思われる。

哺乳動物細胞内で機能する抗体の開発とその応用

 細胞内抗体は細胞の内部で発現させた抗体フラグメントであり、高い特異性をもって細胞内部の抗原の機能を阻害することができる特異的機能阻害剤である。これまで病原性タンパク質を標的とした細胞内抗体を作り出す研究や、機能解析のための機能阻害法としての応用が試みられてきた。しかし、有効な細胞内抗体を得ることは難しく、そのため広い応用がなされていない。本研究では機能阻害剤としての細胞内抗体を効率良く創製するための新規方法論の開発を試みた。

 本研究では、抗体分子のライブラリーを直接細胞に導入し、その中から細胞の表現型を変化させた細胞内抗体を単離同定する方法を試みた。この方法で得られた細胞内抗体は細胞の表現型を変えていることからも、細胞内部で何らかの分子と相互作用し、重要な変化を与えるものであると期待できる。また、抗体の標的となった分子を同定することができれば、新しく標的タンパク質の機能と表現型を対応付けることができる。さらに本研究では、細胞内部で発現させる抗体としてシングルドメインのみからなる、シングルドメイン抗体を用いることとした。抗原の認識に重要な相補性決定領域(CDR)のうち、最も重要とされるCDR3のみを15個のNNKコドンによりランダム配列化したシングルドメイン抗体発現ライブラリーを構築した。

 癌細胞の走化性を表現型として選び、これを阻害する細胞内抗体のスクリーニングを試みた。シングルドメイン抗体発現ライブラリーを高転移性ヒト繊維肉腫細胞株HT1080に導入し、走化性アッセイにより走化性が抑制された細胞を選択した(図3A)。この走化性アッセイシステムを繰り返すことにより走化性を阻害するだけでなく、wound healing活性、細胞外基質を分解しての浸潤活性も抑制するクローンiAb-47を得ることに成功した。

iAb-47が相互作用する相手分子の同定

 iAb-47と相互作用するタンパク質を精製し、マススペクトル解析により解析を行ったところhnRNP-Kが同定された。hnRNP-K (heterogeneous nuclear Ribonucleoprotein-K)はmRNAのプロセッシングを行うタンパク質として同定されたが、その後の研究で多くの生命現象に関わっていることが示唆されている。hnRNP-Kは血清刺激により細胞質に蓄積するという報告がなされており、刺激によりダイナミックに局在を変えることでシグナル伝達を行っていると考えられる。解析の結果、iAb-47はフィブロネクチン刺激によるhnRNP-Kの細胞質への蓄積を阻害することを発見した。これらの結果から、細胞外からの刺激によって細胞質に蓄積するhnRNP-Kが走化性に関わる因子である可能性が示唆された。

 上記のようにhnRNP-Kは細胞の走化性に関与する可能性が示されたが、このことは、細胞内抗体を使ったスクリーニング法を用いて初めて見出されたものである。一般に細胞機能を抑制してその表現型変化に基づく遺伝子機能のスクリーニングはRNAi技術が用いられるが、遺伝子のノックダウンが致死であるhnRNP-Kのような因子は解析が困難であり、本研究のような細胞内抗体による機能阻害法は有効な手段となる。

結論

 今回、新しく構築したmRNA-タンパク質相互作用を付加したin vitro選択法はmRNAの回収率を上昇させる術として有効であり、分子標的医薬を目指す上で必要なターゲッティング分子を創製する技術として重要な方法論となることが期待される。

 シングルドメイン抗体を用いた表現型にもとづく細胞内抗体選択法は、機能性阻害剤の開発のみではなく、新しいタンパク質機能探索法としても有効であることを示すことができた。本実験で用いた細胞内抗体発現ライブラリーは、莫大な費用と時間、ゲノムワイドなRNAiライブラリーなどに比べて遥かに簡単かつ低コストで構築することが可能である。以上のことから、本方法論は、RNAi技術や従来の遺伝子ノックダウン法を補う方法となりえるものであり、今後の細胞機能の分子生物学的解析において有用なツールに発展すると考えられる。

図1.A.リボソームディスプレイ法に基づく新規機能性ペプチド選択法。B.mRNAに導入したRNAモチーフの配列と二次構造。Cvはネガティブコントロールとして用いたステムループ構造。C.FLAG抗体を用いた一回の選択におけるmRNAの回収率。翻訳反応に用いたmRNA総量を100%としている。

図2.動物細胞を固相相体として用いた選択におけるmRNA回収量の比較。

図3.A.走化性の抑制された細胞を選択するために用いた走化性アッセイ。細胞が透過できる程度の孔を持つ多孔質膜上に細胞を置き、膜の下側の誘引物質を含む培地を加え、細胞を膜の下側に移動するように誘引する。細胞内抗体の影響で運動できなくなった細胞のみが膜上に残る。B.走化性アッセイにより回収された細胞群から抽出したプラスミドベクターを用いて大腸菌を形質転換した際に得られる大腸菌コロニー数。Control:リゾチームに対するシングルドメイン抗体、iAb-lib:選択する前のシングルドメイン抗体ライブラリー、iAb-lib(5th):4回の選択を行った後に得られたライブラリー。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究ではランダムな核酸ライブラリーの中から機能性タンパク質を創製するための方法論の開発を行った。巨大な多様性を持つライブラリーから目的の分子を選択するというコンビナトリアルケミストリーの概念のもとに、効率よく結合性タンパク質を選択できるin vitroタンパク質選択法の開発と、細胞の内部で発現させることによって細胞の表現型を変化させることができる機能性タンパク質(細胞内抗体)の選択法の開発を行い、これらの方法論の有用性を示すことに成功した。本研究で開発されたこれらの技術は工業、医療、研究など様々な分野で応用可能な機能性タンパク質を得るための技術として利用できる可能性がある。

 第1章では新規機能性タンパク質を創製するために行われてきたこれまでの研究を概観し、非常に多くの組み合わせの生体分子ライブラリーの中から適合する分子をハイスループットに、かつシステマティックに選択する技術であるコンビナトリアル・バイオエンジニアリングの概要を示した。

 第2章ではmRNA-タンパク質相互作用を付加した、独自のin vitroタンパク質選択法(改良型リボソームディスプレイ法)の開発を行った。mRNAと翻訳されたタンパク質とを相互作用させることによって、mRNA-リボソーム-タンパク質複合体の安定性を向上させ、従来のリボソームディスプレイ法よりも効率よく目的mRNAを選択的に回収することができることを示した。本選択法はすべての実験操作を生命体に依存することなく、in vitroの実験手法のみにより行うことができ、実験条件の最適化を行うことでさらに成長できる技術であると期待している。また、リボソームディスプレイ法は抗体を模した機能性ペプチドを創製するなど基礎研究レベルで成果をあげ始めており、今回開発した選択システムも今後の医薬関連分野における有用な方法論となると期待できる。

 第3章ではin vitroタンパク質選択を行うにあたり、動物細胞を標的とした選択が可能であることを示した。このような選択手法を用いることで、細胞表面の膜に埋め込まれた天然の状態に近い標的分子に対して選択的に結合するタンパク質を創製することができるようになる。また、精製が困難な膜タンパク質に対する結合性ペプチドや機能阻害タンパク質の創製において有用なツールとなりうると思われる。この技術は分子標的医薬や選択的ドラッグデリバリー、高感度イメージング技術に必要となるターゲッティング分子を創製する技術として重要な方法論となる可能性がある。

 第4章ではシングルドメインからなる抗体フラグメントを人工的にランダム配列化した細胞内抗体発現ライブラリーを用い、細胞の表現型変化に基づくスクリーニングを行うことで機能性細胞内抗体の選択を行った。表現型として転移性癌細胞の運動能力に注目し、運動能力の変化に対するスクリーニングを行うことにより、細胞死を誘導することなく運動性を低下させる機能を持つ細胞内抗体を得ることに成功した。このようなアプローチをとることで一つのスクリーニングシステムのみから効率よく哺乳動物細胞に変化を与える機能性細胞内抗体を得ることが可能となる。

 また、得られた細胞内抗体が細胞内部で関与している細胞内因子としてhnRNP-Kを同定した。hnRNP-Kの細胞内局在の変化が細胞運動において重要であることが示唆されており、hnRNP-Kは細胞の運動を制御する重要なタンパク質である可能性がある。これは、細胞内抗体発現ライブラリーを用いて初めて明らかとなったhnRNP-Kの新規の機能であり、本研究の手法は新しいタンパク質機能探索法としても応用できる可能性がある。以上のことから、本方法論は、RNA干渉法などの遺伝子発現抑制法や従来の遺伝子ノックアウト法を補う方法となりえるものであり、今後の細胞機能の分子生物学的解析において有用なツールに発展すると期待できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク