学位論文要旨



No 122352
著者(漢字) 小玉,康一
著者(英字)
著者(カナ) コダマ,コウイチ
標題(和) カルボン酸・アミン塩によるらせん状構造体の構築および不斉識別への応用
標題(洋) Construction of Helical Architectures from the Salts of Carboxylic Acids/Amines and Their Application to Chiral Recognition
報告番号 122352
報告番号 甲22352
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6557号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 助教授 金原,数
 東京大学 講師 北條,博彦
内容要旨 要旨を表示する

(緒言)分子間には様々な非共有結合が働くことが明らかにされており,それらを扱う学問は超分子化学と呼ばれ,近年広い研究対象となっている。特に水素結合は,その強い相互作用と方向性を有するという特徴から最も頻繁に用いられる相互作用の一つである。有機結晶中においても,目的の機能を発現させるために水素結合などの非共有結合を利用し,分子配列を制御する試みがなされている。有機結晶の有する機能の一つとして,ホスト−ゲスト錯体の形成が挙げられる。適切な分子設計によって結晶内に空孔を形成させることにより,ゲスト分子に対する高い包接能を有するホスト化合物が既に多く知られている。このような包接現象は,不斉合成や不斉識別をはじめとする有機化合物の分子認識などへ応用されている。

 一方,当研究室ではジアステレオマー塩法による光学分割に関して系統的な研究を行ってきた。その中で,カルボン酸と第一級アミンとの難溶性塩の結晶構造中では,普遍的に強固な水素結合ネットワークによって一次元カラム状構造体が形成されることを見出している。このカラム構造中では各分子がらせん状に配列しているため,らせんキラリティーを有している。また,カルボン酸のカルボキシラート酸素には空の水素結合アクセプター部位が一ヶ所存在している。これは,このカラム構造がさらなる水素結合を形成しうることを示している。

 そこで本研究では,このようなカルボン酸・第一級アミン塩をキラルホスト系として利用し,ゲスト分子の不斉識別を行うことを目的とした。即ち,適切なカルボン酸・アミン対を用いることによって,カラム構造中に水素結合部位を配置した空孔を設計した。このキラルな空間を利用し,さまざまなゲスト分子の包接および不斉識別を行うことを検討した(図1)。このように三種の分子から形成される結晶は例が少なく,また二つの分子の組み合わせによってホストを形成させることから,空間の形や大きさの調節が容易であり,従来のホスト分子のもつ汎用性が低いという欠点を補うことが可能であるという利点が考えられる。

(実験と結果)

1. 光学活性第一級アミノアルコールを用いたゲスト分子の包接

 キラル第一級アミンとして,水素結合ドナー部位である水酸基を有するアミノアルコール(1)を用いた。当研究室で開発した光学分割剤である1は,種々のキラルカルボン酸と塩を形成する際に溶媒である水分子を包接し,カラム構造を形成することが知られている。そこで,1とさまざまなアキラルカルボン酸2との塩を用い,ゲスト分子の包接を試みた。本研究でターゲットとするキラルなゲスト分子としては,水素結合ドナー部位としてヒドロキシ基を有するキラルアルコールである1−フェニルエタノール(3a)を用いた。等モル量の(1S,2R)-1と安息香酸(2a)を過剰量のrac-3aの存在下,水-アセトニトリル混合溶媒から結晶化させた(結晶化法)ところ,効率良く3aの包接が可能であり,3aを1:1の割合で包接した結晶(1S,2R)-1・2a・3aが形成されることがわかった。さらに包接された3aは87%eeと極めて高く,(1S,2R)-1・2a塩は3aに対して効率的な不斉識別能を示した。

 また,過剰のrac-3aを含むヘキサン溶液にあらかじめ調製した(1S,2 R)-1・2aを室温において懸濁させること(懸濁法)によっても,同様の包接結晶(1S,2R)-1・2a・(R)-3aが得られた。結晶中には84%eeの(R)-3aが包接されており,効率の良い不斉識別が達成されていた。さらに,粉末X線回折により,これら二通りの方法によって得られた包接結晶は同一の分子配列を有しており,懸濁法によってもカラム構造中のキラルな空間にゲスト分子が包接されることがわかった。

2 結晶化法および懸濁法による様々な芳香族アルコールの不斉識別

 次に,(1S,2R)-1・2aを用い,20種のアリールアルカノール(3a-3t)に関して結晶化法・懸濁法による同様の包接実験を行った。その結果,多くの系で効率的な包接・不斉識別が達成されており,従来のホスト化合物と比較し,高い汎用性を有していることが明らかとなった(表1)。また,懸濁法を用いた場合,いくつかの系においては包接割合が低下していたが,ほぼ全ての系についてその不斉識別能は向上することがわかった。このような不斉認識能の向上には,あらかじめカラム状構造を形成している塩が安定な包接結晶の核として作用しているなどの理由が考えられる。

 得られた包接結晶は減圧下で加熱することによってゲスト分子を取り出すことができ,残った塩は懸濁法によって再び3aの包接に用いることが可能であった。さらに,そのX線回折パターンは初めの包接結晶の状態を回復していた。このように,カルボン酸・アミン塩がアルコール類に対する高い包接能・不斉識別能を有しており,キラルホストとして固体状態を保ったまま再利用可能であることが明らかとなった。

3 包接結晶(1S,2R)-1・2a・3のX線結晶構造解析

 上記の実験で得られた包接結晶の単結晶X線構造解析を行った。その結果,いずれの場合にも同様のカラム状水素結合ネットワークが形成されており,結晶中での(1S,2R)-1と2aの分子配列は互いに極めて類似していた。(1S,2R)-1と2aは,ゲスト分子と共に自己集積することによってカラム状構造体を形成していた。具体例として,(1S,2R)-1・2a・(R)-3aの構造を示す(図2)。(R)-3aとホストとの間には,ヒドロキシ水素と2aのカルボキシレート酸素間の水素結合に加え,1に導入したヒドロキシ水素と(R)-3aのヒドロキシ酸素間にも水素結合が働いていた。このような二点での水素結合によるゲスト分子の固定が,(R)-3aに対する高い包接能をもたらすことがわかった。また,3aとホストとの間には三ヶ所にCH/π相互作用がはたらいており,これらの相互作用が高い不斉識別能に寄与しているものと考えられる。

4 包接結晶(1S,2R)-1・2・3におけるカラム配列方向の制御

 緒言で述べたように,本方法を用いた不斉識別の利点の一つとして,構成分子を代えることによって,容易にホストが形成するキラル空間の形や大きさを調節できる点があげられる。そこで,カルボン酸,アルコールの分子長に着目し,2aのパラ位に置換基を導入し分子長を伸長したカルボン酸である2b-eを用い,3a,3d-fの包接と不斉識別能を系統的に調べた(表2)。

 その結果,ほぼ全ての系において,アルコール3の包接が確認された。また,多くの系で(R)-3が優先的に包接されるのに対し,カルボン酸2の分子長がアルコール3の分子長より相対的に長い場合は,(S)-3へと立体選択性が逆転する傾向が見られた。このことから,カルボン酸とアルコールの相対的な分子長が,不斉識別能に影響を与える一因であると推測した。

 不斉識別の機構を明らかにするため,得られた包接結晶(1S,2R)-1・2・3について結晶構造解析を行ったところ,全ての包接結晶は図2と類似したカラム構造体の集積によって構築されていることがわかった。しかし,このカラム構造体は方向性を有しているため,カラムの配列方向によって包接結晶は大きく二通りに分類することが可能であった。即ち,隣り合うカラムが逆方向に配列している場合(反平行型)と順方向に配列している場合(平行型)である。その違いは結晶の空間群の違いとして表れ,反平行型では空間群がP212121となるのに対し,平行型ではP21あるいはC2となる(図3)。それぞれの包接結晶の空間群を表2に示す。

 (1S,2R)-1・2a・(R)-3a,3d-f ではアルコールの分子長の伸長に伴い,カラムの配列方向が反平行型(空間群P212121)から平行型(空間群P21)へと変化することがわかった。アルコールの分子長が長くなるとアルキル基がカラム構造から大きく張り出すため,カラム間の空孔の形成を避けるように平行型の配列へと変化したものと考えられる。このように,カルボン酸とアルコールの相対的な分子長によってカラムの配列方向が変化することが示唆された。一方,より分子長の長いカルボン酸2d,2eを用いた場合には,カルボン酸とアルコールが同程度の分子長を有する場合にカラム配列は反平行型であったが,アルコールの分子長が相対的に短い場合には平行型であった。

 これらの結果より,結晶中におけるカラム構造の配列方向はカルボン酸2およびアルコール3の相対的分子長によって決定されており,2と3が同程度の分子長を有する場合には反平行型に,それぞれの分子長に大きな差がある場合には平行型となることがわかった。

(総括)

 本研究では,単純なアキラルカルボン酸・光学活性第一級アミン塩がアルコール類に対する汎用的かつチューニング可能なキラルホストとして機能することを示し,X線結晶構造解析によってその分子長と不斉識別能との相関に関する知見を得た。ここで得られた知見をもとに,結晶中における分子間相互作用の解明や,より高度な機能を有する有機結晶の創製への展開が期待される。

(図1)カルボン酸・アミン塩によるゲスト分子の不斉識別の模式図

(表1) (1S,2R)-1・2a塩によるアリールアルカノール類の包接と不斉識別

図2 (1S,2R)-1・2a・(R)-3aの結晶構造

(左図はカラム軸方向から見た図,右図はカラム横方向から見た図である。破線は水素結合を表す。矢印はCH/π 相互作用を示す。)

表2 (1S,2R)-1・2による3の包接能,不斉識別,(1S,2R)-1・2・3包接結晶の空間群

図3 カラム配列方向による包接結晶の分類

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,非対称空孔の構築を目指した光学活性第一級アミンとカルボン酸を用いるらせん構造体の創製とその空孔内のプロトン受容基とプロトン供与基による分子包接・キラル識別に関する研究の成果について述べたものであり,全6章より構成されている。

 第1章は序論であり,分子間相互作用,超分子構造体による包接,光学活性第一級アミンとカルボン酸との塩の構造と特徴など本研究の背景・着眼点と本研究の目的・意義を述べている。

 第2章では,キラル第一級アミノアルコールであるerythro-2-アミノ-1,2-ジフェニルエタノール(ADPE)とさまざまなアキラルカルボン酸の組み合わせでラセミ1-フェニルエタノールの包接を試み,包接能とキラル識別能について検討した結果を述べている。その結果,ADPEと安息香酸を過剰量のラセミ1-フェニルエタノールの存在下で結晶化させる(結晶化法)方法並びに過剰のラセミ1-フェニルエタノールを含む溶液にあらかじめ調製したADPE・安息香酸塩を室温で懸濁させる(懸濁法)方法によって,1-フェニルエタノールの包接とキラル識別が効率的に起こることを見出している。また,両法によって得られる三成分包接結晶は同一の構造であることも明らかにしている。さらに,この組み合わせを用いて20種の1-アリールアルカノールの結晶化法・懸濁法による包接実験を行い,多くの1-アリールアルカノールに対する効率的な包接能・キラル識別能を明らかにすると共に一般に懸濁法が結晶化法よりも優れていることを明らかにしている。これらの結果から,ADPE・安息香酸塩は従来のホスト化合物と比較して高い汎用性を有しているとしている。一方,得られた包接結晶を減圧下で加熱することによってゲスト分子であるアルコールを取り出すことができるばかりでなく残った塩は懸濁法によって再びアルコールの包接に用いることが可能であり,この脱吸着によって非晶-結晶と構造が変化することも見出している。

 第3章では,第2章で述べた実験で得られた包接結晶の単結晶X線構造解析を行った結果を述べている。得られた三成分結晶について,いずれの場合にも同様のカラム状水素結合ネットワークが形成されており,全ての結晶中でのADPEと安息香酸の分子配列は極めて類似していることを見出している。さらに,アルコールのヒドロキシ水素と安息香酸のカルボキシレート酸素間並びにADPEのヒドロキシ水素とアルコールのヒドロキシ酸素間に水素結合が存在すると共にアルコールとホストの間に3種のCH/π相互作用が存在することを明らかにし,この二点水素結合によるゲスト分子の固定が高い包接能発現に重要な役割を果たし,3種のCH/π相互作用が高いキラル識別能発現に大きく寄与していることを見出している。

 第4章では,光学活性第一級アミン・アキラルカルボン酸塩のホストとしての機能の拡張を目指し,ラセミアルコールに代わってラセミスルホキシドに対する包接能と不斉識別能について検討した結果を述べている。ADPEと4-tert-ブチル安息香酸あるいは2-アントラキノンカルボン酸の組み合わせは,結晶化法,懸濁法のいずれによっても多くのスルホキシドを効率良く包接し,それらの不斉識別も可能であることを見出している。また,一般に懸濁法は結晶化法よりもより良好な結果を与えること,結果は用いるアキラルカルボン酸の構造に依存することを明らかにしている。さらに,この三成分結晶の構造解析を行い,第一級アミンとカルボン酸によってカラム状水素結合ネットワークが形成されており,スルホキシド分子はスルフィニル酸素とアミノアルコール1の水酸基との間の水素結合によってカラム内部の空孔に立体選択的に包接されていることを明らかにしている。

 第5章では,キラル識別に対する相対的分子長の影響とカラム配列方向の制御について述べている。まず,アキラルカルボン酸の分子長を変化させることによってキラル空間の形や大きさを調製することができることに着目し,安息香酸のパラ位に置換基を導入することによって分子長を伸長したカルボン酸を用いてラセミp-置換-1-フェニルエタノールに対する包接能とキラル識別能を系統的に調べ,優先的に包接されるエナンチオマーのR選択性からS選択性へのスイッチングなど,カルボン酸とアルコールの相対的分子長が不斉識別能に影響を与える一因子であることを見出している。さらに,得られた三成分結晶の網羅的結晶構造解析を行い,結晶中におけるカラム構造の配列方向はカルボン酸とアルコールの相対的分子長によって決定される,即ち,両者が同程度の分子長を有する場合には反平行型になるのに対してそれぞれの分子長に大きな差がある場合には平行型となることを見出している。

 第6章は総括であり,本論文で得た知見を纏めると共にキラル/アキラルな第一級アミン/カルボン酸から成る超分子構造体創製・機能開発の今後の展開を述べている。

 以上のように,本論文は,キラル/アキラルな第一級アミン/カルボン酸から成る超分子らせん構造体の創製とそれらの機能に関する研究結果ついて述べたものである。その成果は,有機合成化学,超分子化学,分子不斉科学,結晶工学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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